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本 に つ い て

本節 で は

、本 章 の はじ め に 提 示し た

『 逆修 説 法

』に 法 然 の思 想 が 説か れ る こと を 示 すに あ たり 生 じ る二 つ の 問題 の う ち、 第 二 点目 で あ る『 逆 修 説 法』 の 伝 承の 正 確 性の 問 題 の解 消 を目 的 と する

。『 逆修 説 法

』が 成 立 した 当 時 の『 原 本

①』 に は法 然 の 言葉 が ほ ぼそ の ま ま 残 され て い たと し て も、 現 在 残る

『 逆 修説 法

』 諸本 に そ れ がど の 程 度正 確 に 伝承 さ れ てき て いる か は 定か で は ない

。『 逆修 説 法

』は 法 然 浄土 教 思 想研 究 の 基礎 的 テ キス ト と なる 法 然 遺 文と し て 十分 な 信 頼性 を 持 つも の で あろ う か

。『 逆 修 説法

』 諸 本を 対 校 する こ と で検 討 し た い。 また そ れ を受 け て

、本 章 第 二 の目 的 で ある

『 逆 修説 法

』 の研 究 を すす め る うえ で 必 要な テ キス ト ク リテ ィ ッ クを 行 う

『逆 修 説 法』 に は

、以 下 の 六 本の 異 本 が知 ら れ る。

① 恵 空 版『 漢 語 灯録

』 所 収『 逆 修 説法

』( 以下

、『 古 本

』と 表 記

) 千 葉 善 照 寺 及 び 大 谷 大 学 所 蔵 の

『 漢 語 灯 録』 に 所収

。 法 然 が 導 師 を 勤 め た 逆 修 法 会 の 初 七 日 か ら 六 七 日 ま で の 説 法 録 で あ る

。奥 書 には 嘉 元 四 年

( 一 三

〇 六

) の 覚 唱 に よ る 書写 か ら

、元 禄 一 一年

( 一 六 九八

) の 恵空 に よ る書 写 ま での 記 載 があ る

② 浄 厳 院蔵

『 漢 語灯 録

』 所収

『 逆 修説 法

』( 以 下

、『 浄 厳院 本

』 と表 記

安 土 浄厳 院 所 蔵 の

『 漢 語 灯 録

』 に 所 収

。 内 容 は

『 古 本

』と ほ ぼ 一 致 す る

。 奥 書 に 永 享 二 年

( 一 四 三

) の 隆 堯 に よ る 書 写 の 記録 が あり

、 現 存 す る 最 古 の

『 漢 語 灯 録

』 の 写 本と 推 測 され る

。 惜し く も 四 七日 以 降 は欠 如 し てい る

③ 義 山 版『 漢 語 灯録

』 所 収『 逆 修 説法

』( 以下

、『 新 本

』と 表 記

義 山 の手 に よ る 改 訂 版

『 漢 語 灯 録

』 に 所 収

。 説 法 の 流 れは

『 古 本

』 と ほ ぼ 一 致 す る も の の

、 文 章 は 改 篇 が 激 し く

、 大き く 異 な っ て い る

。『 浄 全

』 の 底 本 で あ る

。『 昭 法 全

』 には

『 古 本』 と は 別に 掲 載 さ れて い る

。正 徳 五 年( 一 七 一五

) の 刊行

『 西 方指 南 抄

』所 収

『 法然 聖 人 御説 法 事

』( 以 下

、『 御 説 法 事』 と 表 記) 親 鸞 述

『 西 方 指 南 抄

』 に 所 収

。 題 名

・文 体 は 異 な る が

、 内 容 は

『 古 本

』 に 近 し い

。 途 中 文章 を 省 略・ 改 変 して い る

。康 元 二 年( 一 二 五七

) の 成立 で

、『 逆 修 説 法』 諸 本

30

の な かで 最 も 古い

『 無 縁集

安 土 浄厳 院 所 蔵 の 和 文 体 の 異 本

。 題 名 の 由 来 が は っ き りし な い が

、 内 容 は

『 古 本

』 に 近 し い

。 漢 語 系 統 に は な い 七 七 日 ま で 記載 が ある

。 奥 書 は な い が

、 書 写 の 字 体 な ど か ら室 町 中 期の 書 写 と推 定 で き る。

『 師 秀説 草

京 都 法然 院 及 び東 京 通 元院 所 蔵

。内 容は

『 無 縁 集』 とほ ぼ 一 致。 奥書 に 貞 享四 年( 一 六 八 七) の 雲 臥に よ る 書写 の 記 録 があ る

。 以 上 の

『逆 修 説 法

』 諸 本 は

、 内 容 的 に た し か に 法 然 に よ って 説 か れ た も の で あ る と み て と れ る も の の、 明 ら か な 文 章 の 省 略

・ 改 変 が 認 め ら れ る 史 料 も多 く

、 そ の す べ て が 法 然 自 身 の 言 葉 を その ま ま 伝 え て い る と は 考 え づ ら い

。 し か し

、 同 様の 内 容 を 持 つ 本 が 題 名 と 形 態 を 変 え

、 諸本 に 分 か れ て 現 在 ま で 伝 承 さ れ て き て い る 事 実 は、 非 常 に 興 味 深 い

。 諸 本 の 内 容 が ほ ぼ 同じ で あ る こ と を 考 え れ ば

、 お そ ら く 今 確 認 で き る『 逆 修 説 法

』 に 近 い

『 原 本

』が あ り

、そ れ が 書写 を 繰 り返 さ れ る形 で 現 在ま で 伝 わ って き て いる と 推 察で き る

。 以 下

、 ここ に あ げ た 六 本 の

『 逆 修 説 法

』 諸 本 の 文 章 を 比 較対 校 す る こ と に よ り

、 こ れ ら の 諸本 が い かな る 関 係性 を も って 成 立 し、 現 在 まで 伝 承 され て き たの か に つい て 考 察す る

。 第 一 項 法 然 遺文 集 に つい て

『逆 修 説 法』 諸 本 につ い て 検討 す る 前に

、『 逆修 説 法

』が 所 収 され る

『 漢語 灯 録』 を は じ め と す る 法 然遺 文 集 に つ い て

、 基 本 的 な 事 項 を 確 認 し て お き たい

。 法 然 遺 文 と は

、 法 然 の 遺 し た 法 語 や書 物 な ど

、 法 然 の 言 葉 と 考 え ら れ る も の 全 般 を 指し

、 そ れ ら を 集 め た も の を 法 然遺 文 集 と呼 称 す るが

、こ れ には

『法 然 上 人伝 記

』( 以 下、

『醍 醐 本

』)

・『 西 方 指 南抄

』・

『 黒 谷 上人 語 灯 録』

( 以 下、

『 語 灯 録』

) の 三本 が 現 存す る

。以 下

、 それ ぞ れ につ い て 概要 を 確 認 す る。 ま ず

、『 醍 醐 本』 は 全 六 篇 よ り な る

。 大 正 七 年

( 一 九 一 八

) に 醍醐 寺 三 宝 院 で 発 見 さ れ

、 望 月 信 亨 氏

「醍 醐 本 法 然 上 人 伝 記 に 就 て

」 に よ っ て 紹 介 さ れ

、世 に 知 ら れ る と こ ろ と な っ た

。望 月 氏 は『 醍 醐本

』の 成 立を 法 然 入 滅後 三 十 年の 仁 治 三年

(一 二 四 二) であ っ た とし

、 源 智 の 見 聞 を主 と し て 編 纂 さ れ た も の で あ る が

、 編 者 は 不 明 であ る と し た

。 そ し て

、 こ の

『 醍 醐 本

』 が法 然 遺 教 の 第 一 結 集 で あ り

、『 西 方 指 南 抄

』 が 第 二結 集

、『 語 灯 録

』 が 第 三 結 集 であ る と 述 べ て いる

2 9

。 あ わせ て 望 月 氏 は

『仏 教 古 典 叢 書

』に

『 醍 醐 本

』 を活 字 化 し

、 こ れを ベ ー スと し て 成立 年 次 や作 者 に つい て の 研究 が 展 開 され た

30

。 以来

、 研 究者 の 間 でも 意 見 が分 か れ

、い ま だ 明確 に は なっ て い ない も の の、

『 醍醐 本

』 は 法 然 亡 き 後 最初 に 編 纂 さ れ た 遺 文 集 で あ り

、 源 智 お よ び 源 智 系の 門 弟 に よ り 筆 記

・ 編 纂 さ れ た と い う 点は お お む ね 認 め ら れ て き た

。 た だ し

、 近 年 の 研 究の 進 展 の な か で

、 た と え ば 伊 藤真 昭 氏

「醍 醐 本

『法 然 上 人伝 記

』の 成 立 と 伝来 に つ いて

」 で は、

『 醍 醐本

』 は 西山 派 で 成 立 し

、 そ れが 醍 醐 寺 に 伝 わ っ た も の で あ る と 結 論 さ れ

、 そ の成 立 に つ い て は 法 然 の 孫 弟 子 であ る 信 瑞と 二 尊 院が 大 き く関 与 し てい る 可 能性 に 言 及 して い る3 1

よ う に、

『 醍 醐本

』の 成 立に 関 す る問 題 は 依然 と し て不 明 な 点が 多 い とい え る

。い ず れ にせ よ

、『 醍醐 本

』 は後 の 遺 文集 に 繋 がる 所 収 文献 が 少 なく

、『 逆修 説 法

』へ と 収 めら れ る よう な 遺 文も

『 醍 醐本

』 の

31

な かに は 存 在し な い

。 次に

、『 西方 指 南 抄』 は 全 六巻

・ 二 十八 篇 よ りな る

。 康元 元 年

(一 二 五 六

)か ら 翌 年に か け て親 鸞 に よ っ て 筆記 さ れ た 原 本が 現 存 し て お り

32

、 後 世 の 写本 や 版 本 し か 伝わ っ て い な い

『 醍 醐 本

』・

『 語灯 録

』と 比 べ て 書 誌 学 的 信 頼 性 が 高 く

、 法 然教 学 研 究 に お い て 非 常 に 重 要 な史 料 で ある と い える

。『 西方 指 南 抄』 は

、 おお む ね 親鸞 の 手 記、 所 持の 記 録 をも と に 親 鸞 自 身 が 編 集し た も の が 底 本 と し て 存 在 し

、 現 存 す る 自 筆 本 はそ の 写 本 で あ る と い う 見 方 が なさ れ て いた

。3

後 に なる と

、こ の自 筆 本 を親 鸞 自 身 の編 集 に よる 草 稿 本と み る 立場

( 親 鸞 編 集 説

) と、 親 鸞 以 前 に 存 在 し た 底 本 を 親 鸞 が 転 写 し た も のと み る立 場

( 親 鸞 転 写 説

) に 分か れ

、 研究 者 間 の論 争 の 的と な っ てい る

。4

中野 正 明 氏は

『 法 然遺 文 の 基礎 的 研 究』 に て

、編 集 説 と転 写 説 を見 極 め るに は

、『 西方 指 南 抄

』 を 親 鸞が 筆 記 し た 意 図 を 考 察 す る 必 要 が あ る と し

、 親 鸞に と って

『 西 方 指 南 抄

』 に 所 収 さ れ る 遺文 が 重 要 な 証 文 で あ る こ と か ら

、 そ の 筆 記 意 図 は遺 文 の改 変 や 編 集 と い う と こ ろに は な いこ と を 明ら か に し、 親 鸞 転写 説 を 支持 し て いる

。 さ らに

、『 西方 指 南 抄』 の 自 筆 本 は す で に信 空 系 の 弟 子 の 間 で 成 立 し て い た も の を

、 帰 洛 した 親 鸞が 下 野 高 田 在 住 の 門 弟 ら に 念 仏 の安 心 を 示 そ う と し て

、 康 元 元 年 に な っ て 転 写 し たも の と 推 測 し て い る

。 以 上 の よう な 考 察よ り 中 野氏 は

、『 西 方 指 南抄

』 の 史料 と し ての 信 憑 性は 法 然 の伝 記

・ 遺 文集 の な か で 最 も 高く 位 置 づ け ら れ る も の で あ り

、 法 然 研 究 の 基 本 的文 献 と し て 再 認 識 さ れ て し か るべ き 文 献で あ る と主 張 す る3 5

。 こ の

『 西方 指 南 抄

』 の は じ め の 二 巻 に あ た る 巻 上 本

・ 巻 上末 に

『 逆 修 説 法

』 の 異 本 で あ る

『 御 説 法 事』 が 所 収 さ れ る

。 こ れ は も ち ろ ん

『 西 方 指 南 抄

』の な か で 最 も 長 い 所 収 文 献 で あ り

、 親 鸞に と っ て

『 西 方 指 南 抄

』 編 纂 の 契 機 と な っ た と もい え る 非 常 に 重 要 な 文 で あ っ たこ と が 推察 で き る。 そ し て、

『 西 方指 南 抄

』に 所 収 され る 文 献の 多 く は文 体 な どを 整 え ら れて

『 語 灯録

』 へ と引 き 継 がれ て い る。

『 語 灯 録』 は 全 十 五 巻

・ 四 十 六 篇 よ り な る

。 こ の う ち 漢 文体 の も の を 収 め た は じ め の 十 巻 二 十 二 篇 を『 漢 語 灯 録

』 と し

、 そ の 巻 七

・ 巻 八 に

『 逆 修 説 法』 が 所 収 さ れ る

。 後 の 和 文 体 の も の 五 巻二 十 四 篇 は

『 和 語 灯 録

』 と 呼 称 さ れ る

。 ま た

、 続編 と し て

『 拾 遺 黒 谷 上 人 語 灯 録』

(『 拾遺 語 灯 録』

)が あり

、こ れは 漢 語 篇(

『 拾 遺漢 語 灯 録』

)一 巻三 篇 と

、和 語 篇(

『 拾 遺 和語 灯 録

』) 二 巻 八篇 の 全 三巻

・ 十 一篇 よ り 構成 さ れ る。 こ の

『語 灯 録

』及 び

『 拾遺 語 灯 録

』は 法 然 遺文 集 と して 最 も 大部 で あ り、 法 然教 学 研 究の 根 幹 史料 と な るべ き も の であ る

『語 灯 録

』は

、『 漢語 灯 録

』の 序 に

、 文 永 十 一年 朧 月 如来 成 道 日 望 西 楼沙 門 了 恵謹 書

3 6

と あり

、 ま た『 和 語 灯録

』 の 序に は

時 に 文 永十 二 年 正月 廿 五 日 上 人 遷化 の 日 報 恩 の 心 さし を も てい ふ 事 しか 也

37

と あ る こ と から

、 文 永 一 一 年

( 一 二 七 四

) か ら 翌 年 に か け て 良忠 門 下の 三 条 派 祖 で あ る 了 恵 道光 に よ って 編 纂 され 成 立 した こ と が明 ら か にさ れ て い る。 た だし

、『 語灯 録

』 の原 本 は 現 存 し て お らず

、 全 体 を 収 め た 版 本 と し て は 正 徳 五 年

( 一 七 一五

) に義 山 に よ っ て 開 版 さ れ た も の

(「 正 徳 版」

) が残 る の み で あ る

。 し か し

、 こ れ は 明 らか に 改 変 が 多 く

、 法 然 遺 文 と して の 史 料 的 価 値は 疑 問 視 さ れて い る

3 8

。 一方

、『 語 灯 録

』全 体 と し て で はな く

、『 漢 語 灯 録

』・

『 和 語 灯録

』・

『 拾遺 漢 語 灯 録

』・

『 拾 遺 和 語 灯 録

』 と し て それ ぞ れ 独 立 す る 写 本

・ 版 本 が存 在 し てい る

。 以下

、『 逆修 説 法

』の 所 収 され る

『漢 語 灯 録』 に つ いて よ り 詳し く み て

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