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説八 種 選 択義 の 原 型と な っ てい る と いう こ と は確 か に い える だ ろ う。 こ こ での 論 点 は、 選 択の 主 体 の問 題 と

、そ こ か ら『 逆 修 説法

』 時 点で の 法 然 の選 択 思 想を ど の よう に 考 える か とい う 二 点に あ る と考 え ら れる

【 表

】「 八 種 選択 義

」 説示 の 二 書比 較

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.讃 歎

.化 讃

.留 経

.証 誠

.付 属

.我 名

.摂 取

.本 願

双 卷 経 説 三 輩 往 生 業 之 中

、 雖 説 菩 提 心 及 起 立 塔 像 等 之 余 行

、 至 流 通 處 讃 其 有 得 聞 彼 仏 名 號

、 歓 喜 踊 躍 乃 至 一 念

、 当 知

、 此 人 為 得 大 利

、 則 是 具 足 無 上 功 徳

、 不 指 余 行 讃 無 上 功 徳

加 之 下 品 上 生 十 惡 罪 人

、 臨 終 之 時 聞 経 与 称 仏 之 二 善 雖 並 之

、 化 仏 来 迎 而 讃 云 汝 称 仏 名 故

、 諸 罪 消 滅

、 我 来 迎 汝

、 未 讃 聞 経 之 事

六 者 法 滅 往 生

。 謂 萬 年 三 宝 滅

、 此 経 住 百 年

、 爾 時 聞 一 念

、 皆 当 得 生 彼

。 云 々

。 末 法 萬 年 後

、 唯 念 仏 一 行 留 可 往 生 云 事 也

。 余 行 不 爾

五 者 諸 仏 証 誠

。 此 是 阿 弥 陀 経 所 説

、 釈 迦 仏 撰 説 念 仏 往 生 旨 者

、 六 方 諸 仏 各 同 讃

、 同 勧 舒 広 長 舌 遍 覆 三 千 大 千 世 界 而 証 誠

。 是 則 為 令 一 切 衆 生 信 念 仏 往 生 決 定 可 無 疑 也

。 余 行 如 是 不 証 誠 矣

四 者 釈 迦 付 属

。 謂 今 此 経 所 説 付 属 流 通 也

。 不 付 属 余 行

三 者 弥 陀 自 言

、 此 是 跋 陀 和 菩 薩 詣 極 樂 世 界

、 修 何 行 可 往 生 彼 国

、 奉 問 阿 弥 陀 仏 者

、 仏 答 言

、 欲 来 生 我 国 者 当 念 我 名 莫 休 息

、 即 得 往 生

。 云 々

。 不 勧 余 行

二 者 光 明 摂 取

。 此 是 阿 弥 陀 仏 還 念 因 位 本 願

、 以 相 好 之 光 明 摂 取 念 仏 衆 生 而 不 捨 令 往 生 也

。 不 摂 取 余 行 者 矣

一 者 因 位 本 願

。 謂 弥 陀 如 来 因 位 法 蔵 菩 薩 時

、 願 発 四 十 八 願

、 設 浄 土 成 仏 之 時

、 立 衆 生 往 生 行 撰 定 時

、 撰 捨 余 行 撰 定 唯 念 仏 一 行 而 立 于 往 生 行

。 此 選 択 願 者

、 大 阿 弥 陀 経 説 也

『 逆 修説 法

釈 2

尊 弥 5

陀 釈 3

尊 諸 7

仏 釈 6

尊 弥 8

陀 弥 4

陀 弥 1

『 選択 集

』 説 示順

・ 選 択の 主 体

/ 本 文

選 択 讚 歎 者

、 上 三 輩 中 雖 擧 菩 提 心 等 余 行 、 釈 迦 即 不 讚 歎 余 行

、 唯 於 念 仏

、 而 讚 歎 云 無 上 功 徳 故 云

、 選 択 讚 歎 也

二 選 択 化 讚 者 、 下 品 上 生 人

、 雖 有 聞 経 称 仏 二 行

、 弥 陀 化 仏

、 選 択 念 仏

、 云 汝 称 仏 名 故 諸 罪 消 滅

、 我 来 迎 汝 故 云

、 選 択 化 讚 也

三 選 択 留 教 者 、 又 上 雖 擧 余 行 諸 善

、 釈 迦 選 択 唯 留 念 仏 一 法 故 云

、 選 択 留 教 也

所 謂 選 択 証 誠 也

。 已 於 諸 経 中 多 雖 説 往 生 之 諸 行

、 六 方 諸 仏 於 彼 諸 行 而 不 証 誠

。 至 此 経 中 説 念 仏 往 生

。 六 方 恆 沙 諸 仏

、 各 舒 舌 覆 大 千

、 説 誠 實 語 而

、 証 誠 之 故 云

、 選 択 証 誠 也

三 選 択 付 属 者 、 又 雖 明 定 散 諸 行

、 唯 獨 付 属 念 仏

。 一 行 故 云

、 選 択 付 属 也

加 之

、 般 舟 三 昧 経 中 、 又 有 一 選 択

。 所 謂 選 択 我 名 也

。 弥 陀 自 説 言

、 欲 来 生 我 国 者 常 念 我 名

、 莫 令 休 息

。 故 云

、 選 択 我 名 也

一 選 択 摂 取 者 觀 経 之 中

、 雖 説 定 散 諸 行

、 弥 陀 光 明

、 唯 照 念 仏 衆 生

、 摂 取 不 捨

。 故 云

、 選 択 摂 取 也

一 選 択 本 願 者 、 念 仏 是 法 蔵 比 丘

、 於 二 百 一 十 億 之 中

、 所 選 択 往 生 之 行 也

。 細 旨 見 上 故 云

、 選 択 本 願 也

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よっ て

、 それ ら を 考察 す る ため

、『 逆修 説 法

』と

『 選 択集

』 の 説示 を 比 較す る こ とで

、 二 七 日所 説 の 八文 に つ いて 具 体 的に み て いき た い

。こ こ で は

、先 述 の 川島 氏 の 論文 に あ った 前 頁の 対 照 表を そ の まま 用 い て述 べ て いく こ と とす る

。 こ の表 に 表 記し た A から H ま での 記 号を 用 い て、

『 逆 修説 法

』 二七 日 の 説示 と

『 選択 集

』 所説 の 八 種選 択 義 を比 較 す る と、

『 逆 修説 法

』 にた し か に八 種 選 択義 の 全 ての 対 応 説 示が あ げ られ て い るが

、 順 序が 異 な って お り

、『 選 択 集』 で は A→ H

→ F→ B

→ G→ D

→ E

→C の 順 であ る

『 逆 修説 法

』 では

、 念 仏が 諸 行 に勝 る 理 由と し て A から F ま での 六 つ がま ず あ げら れ

、 それ に プ ラス し て G・ H が 述 べら れ る とい う 構 成に な っ てい る

『 選 択集

』 で はA

・ B

・C

・ G が弥 陀 の 選択

、 D

・ F・ H が 釈迦 の 選 択、 E が 諸仏 の 選 択と 明 示 され

、 念 仏が 三 仏 同心 の 選 択で あ る こと を 説 くが

、『 逆修 説 法

』で は そ の よ うな 説 示 はな い

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。 と いっ た 相 違が み ら れる

。 そこ で

、 まず

『 逆 修説 法

』 に おけ る 選 択の 主 体 につ い て 考え て み る。 川 島 氏は E の なか の

「釈 迦 仏 撰説 念 仏 往生 旨

」 とい う 部 分に 着 目 し、

『 逆 修説 法

』 では

『 阿 弥陀 経

』 にお け る 選 択の 主 体 とし て 釈 尊の 選 択 をみ て お り、 諸 仏 の選 択 は み られ な い とし

、 後 の『 選 択 集』 に おけ る 選 択の 主 体 性の 拡 大 を指 摘 し てい る

。こ れを 受 け て南 氏 は

、E の淵 源 と なっ た『 往 生 要集

』 の 引文 は

「 諸仏 証 誠」 の 文 では な く

「一 日 七 日念 仏 の 文」 で あっ た こ とを 指 摘 し、

『 往生 要 集

』段 階 で は主 体 は 弥陀 で あ った が

、 二七 日 で

「 諸仏 証 誠

」の 文 へ 移行 し た 段階 で 釈迦 が 主 体と な る とし て

、 川島 氏 の 説を 補 足 して い る

。 南氏 は こ の八 文 が 説か れ る 直前 に 然 、

下遠

クハ

二弥 陀

本願

ニ 一、

近ク ハ

ケン ト 中釈 尊

付属

ヲ 上者

、ハ

一 向

シテ 二念 仏 行ノ ヲ 一

二往

生ヲ 一也

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と あり

、 遠 くは 弥 陀 の本 願 に 従い

、 近 くは 釈 尊 の付 属 を 受 けよ う と する 者 は 一向 に 念 仏し て 往生 を 求 める べ き であ る と する 文 か ら、

『 逆 修説 法

』 二七 日 末 尾の 八 文 にお け る 主体 は 弥 陀 と釈 迦 で ある と 論 じて い る

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。た し かに

「 釈迦 仏 撰 説念 仏 往 生旨

」が

「 一日 七 日 念仏 の 文

」を 含 有 して い る と考 え る と、 主 体 は釈 尊 で ある と 考 え られ る

。 しか し

、 ここ は あ くま で も「 五 者 諸仏 証 誠

」と し て 説か れ る 部分 で あ り、

「 釈 尊が 念 仏 を選 ん だ

」こ と で は なく

「 その 釈 尊 が選 ん だ 念仏 を 諸 仏が 証 誠 した

」 と いう こ と を 法然 が

「 念仏 往 生 の諸 行 往 生に 勝 れた る こ と」 と し てあ げ て いる と 考 える べ き であ る

。 さて

① の相 違 の 理由 は

、『 逆 修 説 法』 で は 説示 順 と して 選 択 の主 体 に 基づ き

、 弥陀

→ 釈 尊

→諸 仏 の 順に 述 べ てい る の に対 し

、『 選 択集

』で は 経 典に 基 づ き、

『無 量 寿経

』→

『観 経

『阿 弥 陀 経』

『 般舟 三 昧 経』 の 順で 述 べ て いる こ と によ る

。『 逆 修 説 法』 に お いて 選 択 の 主体 順 に 並べ た の は、 や は りこ の 時 点に お い ては A の 弥 陀の 因 位 の本 願 の みが

『 大 阿弥 陀 経』 に 説 かれ る 確 固た る 選 択な の で あっ て

、 その 概 念 を 釈尊

・ 諸 仏に ま で は拡 大 し てい な いか ら で あろ う と 推察 で き る。 林 田 氏の 論 文 でも 考 察 さ れて い る よう に

「 選択 思 想

」は こ の時 点 で 未成 立 で あり

、 法 然に と っ て「 選 択

」と し て 捉 えら れ る のは A だ けで あ っ ただ ろ う。 た だし

、「 選択

」と い う 概 念 では 捉 え られ な い が、 法 然は こ こ でD や E に おい て 釈 尊

・ 諸 仏が 念 仏 往生 を 諸 行往 生 よ り勝 れ て いる こ と を示 す 部 分 に、 行 為 の主 体 性 をみ て い たと 考 えら れ る

。D に は

「釈 迦 付 属」

、 E には

「 諸 仏証 誠

」と い う よう に は っき り と その 主 体 が 述 べら れ て いる こ と から そ れ は推 察 で きる

。 B から E ま で はす べ て

、弥 陀 因 位の 本 願 とし

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て 念仏 が 選 択さ れ た こと を 受 けて

、 弥 陀・ 釈 迦

・諸 仏 が 自 ら念 仏 の 勝義 性 を 証明 し た こと を 示す 要 文 であ り

、 後に 選 択 概念 が 成 立・ 拡 大 する こ と に よっ て

、 その ま ま の主 体 性 をも っ て八 種 選 択の 一 つ とし て 昇 華さ れ る と考 え ら れる

。 ここ で 改 めて

『 逆 修 説法

』の 説 示 順に 注 目 すれ ば

、並 列 的に 並 べ られ た A から F の うち

、 F は『 選 択 集』 に お いて 釈 尊 の選 択 と され る も ので あ り

、 この 説 示 順の 法 則 から は 外 れて し まう

。で はな ぜ F はE の 後 ろに 配 置 され て い るの で あ ろ うか

。そ の理 由 と して

、こ の『 逆 修 説法

』 時 点で

、 法 然は F に 示さ れ る

『無 量 寿 経』 の

「 特 留此 経

」 の文 に 釈 尊の 主 体 性を み てい な い と考 え ら れる

。 A から E ま でに は 必 ず行 為 の 主 体が 明 言 され て い たが

、 こ のF の 部分 に

「 釈迦

」 と いっ た 主 体の 語 は ない

。 お そら く 法 然 は、 ま ず 阿弥 陀 仏 によ っ て 選択 さ れた 因 位 の本 願 が あり

( A

)、 そ れ を受 け て 弥陀 が 念 仏の 者 の みを 光 明 摂取 し

( B

)、 自 ら の名 を 称 える こ と のみ を 勧 め( C

)、 釈 尊 が 念仏 の み を付 属 し

(D

)、 諸 仏が 念 仏 のみ を 証 誠し た

( E) の と 同様 に

、 念仏 が 本 願に 支 え られ る こ と で自 ら が 主体 と な って 末 法 万年 の 後も 留 ま り念 仏 往 生の 勝 義 性を 示 す とい う よ うに 考 え て いた と 推 察で き る

。す な わ ち、 こ のF は 行 為の 主 体 を持 た ず

、強 い て いえ ば 念 仏そ の も の を主 体 と みる こ と がで き る が、 や はり B か らE ま で とは 質 を 異に す る もの で あ ると み て と れる

。 そし て

、『 選 択 集

』に 至 っ て 八種 選 択 義と し て 整理 さ れ るな か で

、釈 尊 の 選択 と い う 主体 性 を 与え ら れ て組 み 込 まれ る ので あ る

。 次に

② に つい て い えば

、 こ の Gと H の 二つ も や はり 説 示 順の 法 則 から は 外 れて し ま って い る。 し か も

、G は 弥 陀 化仏

、H は 明 記さ れ て はい な い もの の 明 らか に 釈 尊と い う よ うに

、 F とは 異 な り行 為 の 主体 も は っき り し てい る

。 では な ぜ こ の二 文 は 前六 文 と は区 別 さ れる 形 で提 示 さ れて い る のだ ろ う か。 その 理 由 とし て

、 Gと H は と もに 讃 嘆 とい う 行 為で あ る こと が 注 目さ れ る

。そ れ は 光明 に よる 摂 取 や阿 難 へ の付 属 な ど、 念 仏 に具 体 的 な価 値 づ け をす る B から F の 行為 と は 性質 が 異な り

、 あく ま で も副 次 的 な要 素 で ある と み てと れ る

。す な わ ち、

『 逆 修説 法

』 にお い て 法 然は

、 阿 弥陀 仏 の 因位 の 本 願に よ っ て選 択 さ れた 念 仏 が

、B か ら Fの 三 仏 の具 体 的 な行 為 によ っ て 価値 を 付 与さ れ

、 それ が G

・H で さ らに 讃 嘆 さ れる と 示 すこ と で

、念 仏 の 諸行 に 対す る 勝 義性 を よ り明 確 に 示そ う と 考え た の であ る

。 よっ て

、『 逆修 説 法』 で は Gと H の 讃 嘆は 具 体 的な 行 為 とは 認 め られ ず

、A か ら F を装 飾 す るも の と して 扱 わ れる が

、『 選択 集

』 で は讃 嘆 と いう 行 為 の価 値 が 高め ら れ てA か ら Fと 同 等 と なり

、 仏 の主 体 性 を保 っ た まま 八 種選 択 義 へと 昇 華 され て い る。 以上 み て きた よ う に、 八 種 選 択義 の 原 型と さ れ るこ の『 逆 修 説法

』二 七 日 末尾 の 八 文は

、 三 仏同 心 の 選択 と し て説 か れ た『 選 択 集』 の 四 つの 弥 陀 の 選択

・ 三 つの 釈 尊 の選 択

・ 一つ の 諸仏 の 選 択と い う 構造 と は 大き く 異 なっ て い ると み て と れる

。『 選択 集

』と の 相 違 を中 心 に その 構 造 の要 点 を まと め れ ば、 以 下 のよ う に なる

「 選 択」 と い う概 念 で 捉え ら れ るの は 本 願に み ら れ る弥 陀 の 選択 の み であ る

② 摂 取

・我 名 の 主体 は 弥 陀、 付 属 の主 体 は 釈尊

、 証 誠 の主 体 は 諸仏 で あ るが

、 本 願以 外 は 選択 概 念 があ て は まら な い

③ 留 教 は釈 尊 を 主体 と せ ず、 念 仏 自ら が 主 体と な る

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