第3章 禁止表現の意味
3.1.1 語用論的機能
3.1.2.1 語用論的機能
「しないで」は禁止として、「するな」よりも広く使われる。この形式は依頼表現「してく れ」「しないでください」の「くれ」「ください」が脱落したもので、依頼表現として江戸期の 人情本からみられ、大正期になると「〜してよ」など終助詞もつくようになり、依頼表現とし て定着した(工藤1979)。「しないで」形式には、以下のような用例がある。
(22) 「お願いだから来ないで。あなたが客席にいたら緊張しちゃうわ」
(現代日本語書き言葉均衡コーパス『あなたしか愛せない』)
(23) 「ここで待っているんだ。動かないで。これを持って。」
(現代日本語書き言葉均衡コーパス『ジールス国脱出記』)
(24) 西尾愛「パパ、チーズ取って」
竜太郎「(あたりを見回して)人前でパパと呼ぶなよ」
(尾崎2007:69)
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では、なぜ「するな」形式に代わって「しないで」形式が用いられるのであろうか。それは
「するな」形式がFTAに対する緩和のない、直接発話行為だからである。小野(2010)は、「す るな」形式についてこう述べている。「止まれ」「泳ぐな」「登るな」「ゴミを捨てるな」のよう な表現を直接言われると、聞き手にかなりの不快感をもたらす。こうした命令は、上位者と下 位者の関係が読み取れるものではあるが、話し手が積極的に発話する生産性のあるものではな
い(小野 2010:86)。小野は、例えば、(25)のような言い方を、車内に乗り合わせた人に対
しては使いにくいと述べている。
(25) 電車の中で携帯を使うな。 (小野2010:86)
このような言い方は、聞き手に不快な思いをさせる危険があるので、実際の会話ではあまり 使われない。特に相手の行為が実現済みの場合、「制止的禁止」になることから、「否定的な評 価」「不満の表明」という語用論的機能が含意として生じやすい。したがって、「するな」形式 の代用として、FTAを緩和した、ポライトな表現「しないで」が用いられることになる。
「しないで」形式が「するな」形式よりも丁寧な言い方であるのは、これが依頼表現だから である。依頼である以上、聞き手に実行するかどうかの選択権が与えられている。これがFTA に対する緩和として機能するのである。これに対して「するな」形式はBrown & Levinson(1987)
のいうbald on-recordであり、相手のフェイスに配慮する必要が低い場合にしか用いられない。
たとえば、緊急事態であったり、こどもや目下の相手、親しい友人の間であったりすれば用い られやすい。それ以外の状況や話し手と聞き手の人間関係においては、「しないで」の方が男 女共に日常的に多く使われる。
しかし、「しないで」が依頼であって、聞き手に選択権を与えているという意味では、「する な」のような禁止よりも、行為をやめさせる機能を十分に果たせない可能性がある。
Searle(1969:66)によれば、命令文の方が依頼文よりも当該行為を要求する権利を持ってい る。また、王(2005)はこの選択権には、強制力や聞き手の当該命令に従う義務があるがどう かが関わっていると述べている。
もちろん、実際の使用場面において、「しないで」と言われて断れるかどうかは別問題であ る。また、丁寧だからといって、下位の話し手から上位の聞き手に常に使えるわけではない。
話し手と聞き手の力関係には、論理的には以下の三通りある。不等号は開いている方が力が強 いことを示し、等号は力関係が同じであることを示している。
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(26) 話し手と聞き手の力関係
a. 話し手>聞き手 b. 話し手=聞き手 c. 話し手<聞き手
(26a)のパターンには次のような例が見つかった。(27a)は上司から部下への発話、(27b)
は母親から子供に対する発話である。(27c)では、拳銃という強力な武器を持つ少女の発話で ある。
(27) a. 口答えしないで。これはなに?ピッチャーがこんなに汚れていたらお客様が水を
飲む気になると思う? (現代日本語書き言葉均衡コーパス『ホテリアー』) b. 私も最近は、「もうこういう遊び方はしないで!」と怒るようになってきました。
(現代日本語書き言葉均衡コーパス『Yahoo!知恵袋』) c. 「動かないで!」 少女が、ヒステリックな声を上げた。拳銃を片山に向けて、「こ
の人を撃つわよ! 動かないで!」
(現代日本語書き言葉均衡コーパス『三毛猫ホームズの歌劇場』)
(26b)のパターンは最も多く見つかったが、大半は「気にしないで」「心配しないで」など の定型パターンであった。
(26c)のパターンは、実際にはほとんど見当たらない。実際に目下から目上に依頼する際 には、「~しないで」ではなく、「~しないでください」などが用いられる。「~しないで」だ けでは、親しみは込められるが、目上に対しては距離が近すぎるように感じられるためであろ う。Brown & Levinson(1987)の用語にしたがえば、「~しないで」は相手との仲間意識を表 すポジティブ・ポライトネス・ストラテジーであり、それにネガティブ・ポライトネス・スト ラテジーである敬語で相手との距離をとる「ください」が付け加わることで、よりポライトに なる。目下から目上への依頼には、この程度の丁寧さが必要なのであろう。
「~しないで」は相手との仲間意識を表すポジティブ・ポライトネス・ストラテジーである ということについては、「するな」形式と違って、終助詞「ね」との共起が可能であることか らも分かる。「ね」との共起については、下記で詳しく述べる。
32 3.1.2.2 「ね」との共起
「ね」についての先行研究には神尾(1990)と北野(1993)がある。神尾(1990:65)によ れば、発話に「ね」をつけることは、仲間意識または連帯感を表現して、発話に丁寧さを加え る働きを持つ。また、北野(1993:76−77)は、「ね」は、話し手が自分の一方的な断定を避け、
聞き手との不確定な知識を持つという同一の認知状態を求め、聞き手との認識に対する距離を 縮めようとする意図がある表現であるとしている。
「ね」と命令文との関係について、王(2005:194)は、「ね」は語用論的なマーカーであり、
「ね」を伴う発話は聞き手の存在が必要条件となり、聞き手がいない時には「ね」を使う発話 はゆるされないとしている。そのため、「ね」の基本的な機能を王(2005)は以下のように規 定している。
(28) 「ね」は話し手と聞き手の共感(empathy)の場を持つことを意味する。
(王2005:192)
ここでの共感というのは、以下のような二つの要因が含まれているとされている。
(29) a. 情報の共有に関する話し手と聞き手の認識状態であること
b. 対人機能を表す共感の場であること
(王2005:194)
王(2005)は、まず(29a)は、話し手と聞き手の認知状態を表すものであり、ある話題に 対して、話し手と聞き手が情報を持つ状態、情報を把握する状態を指すものであるという。こ こでいう情報の持つ状態は次の四つのタイプに分けられている。
(30) 話し手と聞き手の認知状態の四つのタイプ
ⅰ 話し手が情報を持っていて、聞き手が持っていない
ⅱ 聞き手が情報を持っていて、話し手が持っていない
ⅲ 話し手と聞き手がともに情報を持っている
ⅳ 話し手と聞き手がともに情報を持っていない
(王2005:194)
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さらに、王(2005)は、この中で、「ね」が使えるのは、(30ⅲ)と(30ⅳ)の場合であると 指摘している。「するな」のような禁止は基本的に一方的の発話行為なので、(30i)に属する ものであると考えられ、「ね」を使う義務はほとんどない。実際(31)のように、「するな」の 文にねをつけると、不自然な文になる。
(31) *走るなね。
つまり、このように、禁止表現は一方的に行為をしないよう働きかけるもので、この働きか けは、聞き手の知識や意思を考慮せず、聞き手に選択権を与えない。そのため、(29b)でいう 共感の場をもつこともなく、「ね」との共起が不可能である。
それに対して、「しないで」形式は「ね」と共起できる禁止表現である。「しないでね」とい う形式には念押しのような、あるいは、一方的な強制を避けるような意味合いが取れる。これ は「ね」が持つ「共感」の力によるものである。相手との共感を示すことは重要なポジティブ・
ポライトネス・ストラテジーのひとつであり、丁寧に行為をしないように働きかけているので ある。そのため以下のように、「おねがいだから」との共起も可能である。
(32) おねがいだから、大きなケンカはしないでね。
(現代日本語書き言葉均衡コーパス、『Yahoo!ブログ』)
以上、「ね」との共起からも、「しないで」は、「するな」形式よりも、聞き手のポジティブ・
フェイスに対する配慮が大きいことがわかる。
「するな」と「しないで」の違いを簡単に整理すると次の通りになる。ここでは、S<H は 話し手のほうが聞き手よりも下位であることを、S>H は話し手のほうが上位であることを、
そしてS=Hは話し手と聞き手が同じ地位であることを示している。
聞き手の選択権 話し手と聞き手の地位 するな なし
S
>H
、S
=H
しないで ありS
>H
、S
=H
表1 「するな」と「しないで」の違い
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「するな」形式も、「しないで」形式も、いずれも目上に対しては使いにくい表現であるが、
「しないで」には、聞き手に選択権を与えている点で、「するな」のような一方的押し付けの 感じがない。この両形式の大きな違いである。したがって、「しないで」形式は、本研究で取 り扱う他の形式とは異なり、やはり依頼文として扱うべきだと思われる。そのため、本研究で はこれ以上深く分析しないことにして、稿を改めて議論したい。