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否定文の諸側面

第3章 禁止表現の意味

3.4 否定形式の意味

3.4.1 否定文の諸側面

金水・工藤・沼田(2000)によれば、否定文は肯定とは矛盾関係にあり、主語と述語とのむ すびつきを否定する文否定であり、単一概念を否定するのではなく、主語と述語の結合を否定 するものである。また、基本的な文の場合には、次の表のように、命題の側面の否定なのか、

モーダルな側面の否定なのかが形式上区別できないという。つまり、否定では、例えば、「シ ナイ、寒クナイ」が「非存在」を、「シハシナイ、寒クハナイ」が「否認」を表すという明確 な分化ができるわけではないとしている。

モーダルな側面 命題的側面

断定(主張) 否認

存在 スル

幸セダ

シナイ(シハシナイ)

幸セデハナイ

非存在 シナイ

幸セデハナイ

シナクハナイ 幸セデナクハナイ

表8 非存在と否認(金水・工藤・沼田2000:96)

このように、否定文は、単なる「しない」形式であっても、存在の否定と否認の両方を表す ことができ、形式だけ見ては分からないことが多い。そのため、文脈や実際の発話状況から語 用論的に考察するべきである。

山田(2007)によれば、否定表現法は、日本語の中でも、広がりが大きい表現であり、その 用法は、他の表現との関わりが大きく、婉曲表現としてもほかの表現の核心部において一定の

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位置を占めているという。山田(2007)はまず、否定として使用される場合では、話し手と聞 き手がある背景情報を共有しているということが前提として必要されるとして、以下の例文を 挙げて説明している。例えば、次の例文(143)のように、友人同士のAとBが、偶然道端で 出会った時の会話において、B の否定の発話が自然に成り立つためには、「B の息子がスペイ ンへ行く」という背景情報が前提として必要であると山田は指摘している。

(143) A:What’s happening?

B:Oh,my son didn’t go to Spain.

(山田2007:40)

この背景情報をAも共有しているということがBの発話が自然に成り立つ前提条件になってい るのに対して、肯定文では、(144)のように、このような前提は必要とされないと山田(2007) は述べている。

(144) A:What’s happening?

B:Oh,my son went to Spain.

(山田2007:40)

肯定文では、Bの発話でBの息子がスペインへ行くことを新しい情報として提示されているの に対し、否定文では肯定形が旧情報としてもともと知られていることとして提示されている。

宮地(1952:54)によれば、否定は、基本的には否認・否定の心意に支えられているため、

意味作用がかなり複雑である。そして、否定が「主体の排除の意図の加えられた言語表現であ って、単に判断の一様式として肯定判断に対立するものではない」として、以下の例を挙げて いる。

(145) a. まぁ、きれいなこと!

b. ?まぁ、きれいでないこと!

(宮地1952:54)

宮地(1952)は、このような詠嘆的な表現の場合には論理的な否定が介入し難いということ

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から、感情的な軽蔑の表現や、丁寧な婉曲の表現においての否定形式には、単なる論理的な否 定ではなく、心理的な否定が感じ取れるとして、否定形式には、話し手のなんらかの情意が込 められているという。

以上、否定文の一般的な特徴を見てきた。以下では、これが禁止用法とどのようにつながる のかを見ていく。

3.4.2 「しない」

否定文では、対応する肯定形の命題が前提として話し手と聞き手の双方に共有されているこ とを見た。否定形式による禁止表現においても当該行為の実行が前提となっている。例えば、

「走らない!」という否定文による命令は、「走る」という行為が前提としてある場合に用い られるのである。言い換えれば、否定形式による禁止は、聞き手がすでに実行している行為を やめるように動作や状態の中断を求める「制止的な禁止」を表し、聞き手がまだ実行しておら ず、未来に行われる可能性のある動作を行わないよう要求する「予防的な禁止」ではないとい うことである。

(146) a. (横を向いて運転している人に)

よそ見しない!

b. (前を向いて運転している人に)

*よそ見しない!

(147) a. いいか、そこに行ったら、聞かれても何も言うな。

b. ?いいか、そこに行ったら、聞かれても何も言わない。

次の例は、反例に見えるがそうではない。息子が実際に手を伸ばす前であっても、母親にと って、息子が触ろうとしていると判断されるのであれば、その行為はすでに始まっていると言 える。

(148) (飲食店にて、店の備品に触ろうとする息子に、母が)

さわんないよ。

笠(2015:58)

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上で、否定形式が単なる論理的な否定ではなく、心理的な否定が感じ取れることを見た。否 定文による禁止の場合は、聞き手の行為が話し手の理想とは異なっていることを示す。つまり、

問題の行為をしないことが話し手の中の理想世界のできごとなのである。言い換えれば、「べ きだ」「べきでない」に相当するような、主観的な事態評価であり、かつ、「義務(deontic)」 モダリティでもある。従って、形式だけ見れば単なる否定平叙文であり、禁止としては間接発 話行為に見えるが、実際にはモダリティ要素が隠れているとすれば直接発話行為であり、Brown

& Levinson(1987)のポライトネス・ストラテジーで言えば、「するな」と同じく、あからさ まにフェイスを脅かすbald on-recordである。

さらに、制止的な禁止にのみ使われ、目の前にあることを今すぐにでもやめさせるように禁 止をするため、願望には使えない。

(149) a. (空を見上げて)?明日は降らない。

b. (木になっているリンゴを見ながら)?落ちない!

c. (寝ている人を見ながら)?起きないよ。

また、個人的な願望が叶えられなかった不満や、制止できないことにも使えない。

(150) a. (旅行に出かける日の朝、窓を開けると雨が降っている)

?こんな日に降らない。

b. (落ちてしまったリンゴを見ながら)?落ちない!

c. (起きてしまった人を身ながら)?起きないよ。

また、話し手の理想は一般的に望ましくないものでもあり、しばしば叱責のニュアンスを帯 びる。

(151) a. 個人的な望ましさ:?聞かれても何も言わない。

b. 社会的道徳・規範:こんな時にマンガなんか読まない。

このような禁止表現は、ほとんどの場合、話し手のほうが明らかに上位にある場合に、行為 の中断に対する要求として使われることになる。

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(152) a. (テレビを見ながら勉強している子供に)勉強中はテレビ見ない!

b. (テレビを見ながら仕事をしている父親に)?仕事中はテレビ見ない!

(153) a. (教師が生徒に)喧嘩をしない!

b. (生徒が教師に)?体罰をしない!

行為の実行に対する望ましさの規範は話し手の主観的な規範である。そしてその規範の中に、

聞き手の行動を取り込もうとする行為でもある。その図式は以下に示す。

図7 「しない」形式による禁止

3.4.3 「するんじゃない」

「するんじゃない」という形式は動詞に「の」が後続した説明のモダリティの否定形式であ る。この形式の叙述文には、強調や詠嘆というような話し手の感情表出の意味があると益岡

(2007:86)は述べている。

この形式の禁止について、Yoshida(2006:445)はとても強い禁止であるとしている。本研 究では、この形式による禁止が、なぜ強いのか、その使用条件と意味を以下で明らかにする。

「するんじゃない」形式は、叙述文の場合、事情説明の否定形式である。この形式の意味を 明らかにするためには、まず肯定の事情説明の文末のモダリティ表現「のだ」を見ていく必要 がある。

益岡(1991)によれば、「のだ」は、名詞を基盤とした「XはYだ」という名詞文を拡大し

×

話し手

聞き手 望ましさ

行動

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た拡大名詞文である。益岡(1991)は「のだ」をモダリティの中の「説明のモダリティ」とし ている。説明のモダリティには、「のだ」「わけだ」「(という)ことだ」「ものだ」があり、名 詞の「の」「わけ」「こと」「もの」を中心にした組み立てになっている点がこのモダリティの 特徴であるという。さらに益岡(1991:199)は、(154)は、叙述されている事態が存在する か否かを問題にしているのに対して、(155)は、ある事態の存在を前提とした上で、その事態 の叙述の仕方を問題にするのであるとし、それぞれ「存在判断型」と「叙述様式判断型」と名 付けた。

(154) 選手たちは泣いていない。 (益岡1991:199)

(155) 選手たちは泣いているのではない。 (益岡1991:199)

益岡(2007)さらに、上で述べた「叙述様式判断型」の「のだ」の多くは、次の例のように、

「のではない」と組み合わせて使用されるとしている。

(156) 私のなかを吹き抜ける風が書いたのだ。「私」がそれを書いたのではない。

(益岡2007:87)

(157) 己は休暇中に地方に発掘に行く費用や欲しい本を買いたいために、心にそまぬながら、

その仕事をしたのだ。彼らの洋食代や映画代を出すために仕事したのではない。

(益岡2007:87)

(158) スタンダールはナポレオン法典に学ぶといったので、詳説を新聞記事と同じ筆法で書け

るといったのではない。 (益岡2007:87)

益岡(2007)は、これらの例では、「のだ」は聞き手の想定を訂正するために用いられてい るとし、例えば、(156)においては、「私がそれを書いた」という想定を訂正して、実際には

「私のなかを吹き抜ける風が書いた」というのが適切だという意味であるという。この解釈は、

田野村(1992)にも見られるものである。田能村(1992)は、「のではない」は、あることが らαを受け、その背後にある事情はβということではないと述べるのに用いられるとしている。

例えば、以下のような例文が挙げられ、濡れた地面について、「地面が濡れている(α)のは、

雨が降った(β)ということだ」と誰かが考えたり述べたりすることが予測される場面におい て、以下の文が発せられるという。