第4章 文法化の度合いとプロセス
4.5 否定形式
4.5.1 否定形式の史的変遷
否定の表現は、小林(1968)によれば、「あらず」から「なし」への交替によって、「非存在」
を表す意味が拡張し、「否定判断」の意味が生じたという。具体的にはまず、上代には「あら ず」があり、主に中古以前においては以下の例文のように、「あり」の一用法として用いられ ていたという。
(110) 高く-あらず
木に-あらず
(小林1968:46)
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また、否定には、「なし」という表現もあり、これは存在をいう「あり」に対して、非存在 の意を表すものであったと小林(1968)はいう。
小林(1968)は、万葉集において、非存在の概念を表すには「なし」が広く用いられていた のに対して、「あらず」は30数例ほどあった。それが中古以降になると「あらず」は極めて稀 になっていたという。また、「と」のような体現性があるものを受ける場合にも、万葉集では
「あらず」と「なし」が共存はしていたが、「あらず」が8例に対して、「なし」は22例と優 勢であったと述べている。小林(1968)は、一般に、両形式に差は認められないようであるが、
中古以降になると、源氏物語では、「あらず」2例に対して、「なし」は15例であったように、
否定表現は次第に「なし」に統一されて、非存在の場合の傾向と一致したと指摘している。
その後の中古、中世(院政期を含む)において、小林(1968)は、「あらず」は慣用的な用 法としてのみ残される傾向を見せており、文語的性格の強いものになった。これに対して、「な し」は口語的な性格を持ち、次第に一般化したとしている。小林(1968:58)は、やがてこの
「なし」の用法が拡大して、補助用言としての用法を持つようになったと述べている。
そして、現代語における「ない」という形式の用法は、基本的に上記の中世末期頃の用法を 受け継ぐもので、辻村(1968:54)は、この「なし」から「ない」への変化は、「不在概念か ら否定判断へという、詞から辞への移行過程」であるとしている。それは、例えば「花でない」
の場合、「花として存在しない」という存在の意味は薄くなり、「ない」は補助動詞としてみる ことができるという。
この全体的な流れにおいて、「なし」の否定判断の意味合いに注目してみたい。「するな」の 変遷を明らかにした細川(1976)でも、文末に来る「なし」は、「強い断定的な意味を有する」
として、ここから禁止の意味が生じたとしている。
これらの否定形式の変遷の経路は、Jespersen(1917[2010])が提唱した「否定辞は一定の周 期で変遷する」という通言語的変化の仮説に一致すると考えられる。
The history of negative expressions in various languages makes us witness the following curious fluctuation: the original negative adverb is first weakened, then found insufficient and therefore strengthened, generally through some additional word, and this in turn may be felt as the negative proper and may then in the course of time be subject to the same development as the original word.
(Jespersen 1917:4)
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Jespersen(1917[2010])は、「否定」と「否定判断(または強い断定)」の関係について以下
の六段階からなる変化の仮説を立てている。
(111) 否定辞の変遷過程
第一段階 否定要素が動詞に先行する 第二段階 強調のための語句が付加される
第三段階 強調表現が否定副詞となって否定要素と呼応的に使用される 第四段階 元々の否定要素の出現が随意的となる
第五段階 否定副詞のみで否定が表される
第六段階 否定副詞が動詞に先行する否定要素になる
(森2013:7-8)
森(2013)はこの六段階に対して、さらに以下のような、「するな」の歴史的変遷を段階づ け、Jespersen(1917[2010])の六段階に照らし合せた。
(112) 「な+動詞+そ」と「動詞+な」にかかわる歴史的変遷
第一段階 「な+動詞」
第二段階 「な+動詞+そ(=強調語句)」 第三段階 「な+動詞+そ(=否定副詞)」 第四段階 「(な+)動詞+そ」
第五段階 「動詞+そ(な)」
(森2013:9)
森(2013)は、これらの経路は同じような傾向が見られるとして、細川(1976)がいう「な
+動詞+そ」の変種として「な+動詞」という形式がまず存在し、その「な+動詞」は「な+
動詞+そ」の出現に先行するということが確認されているとして、これが上記で述べた第一段 階であるとしている。次に、森(2013)は、「そ」についてはいくつかの説があるが、『日本国 語大辞典』によれば、「な+動詞」の意味をさらに強調するために「そ」が添えられて「な+
動詞+そ」になったということから、これが第二・第三段階であるとしている。そして、第四・
第五段階において、動詞先行の「な」が随意的となって、省略されるようになり、もう一つの
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禁止表現の「動詞+な」の形との類推が起こり、「そ」が「な」に置換され、一元化されたと いう。このような過程は、Jespersen(1917[2010])の六段階と同じような変遷の過程であると 森(2013)は言っている。
禁止が否定を伴うとすれば、「行かない」という否定形式が「行くな」の意味として使われ るのは、それほど不自然ではない。禁止が「否定+モダリティ」であるという解釈は、先行研 究ですでに述べられていることであるので、下記において紹介する。
時枝(1941:350)は、文の成立を具体的な言語の場における表現の成立と重ねて考えると いう立場をとっており、表現の成立は主に文末の活用形や終助詞などの存在に関わるとして、
例えば、命令形で終わる文には、その客体的なものを表現する「詞」に、言語主体の直接的な 働きを表現する「辞」がついて、「辞」が「詞」を包み、統一するという形で文表現が成立す るとしている。時枝(1941)はこのことを次の図式で説明している。
時枝(1941)は、「命令文」の典型的な形式の「そこにすわれ」のような形式は、以下のよ うな図式にすることができるとしている。
図9 命令形の意味(時枝1941:350)
上記の命令文に対して、「そこにすわる。」のような文が命令として機能することは、次のよ うに図式化することができる。
図10 叙述形式による命令の意味(時枝1941:350)
時枝(1941)は、この図における文末の斜線部は、「零記号の辞」と呼んでいて、これが主 体の活動である「命令」であり、「詞」を包み、統一して文になっているのだが、それが語形 態には現れないというように説明している。この考えを元に、否定形式による禁止表現につい ても、同じように図式を用いて、下記のように考えることができる。
そこにすわる
そこにすわ
r e
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図11 否定形式による禁止の意味
しかし、このような図式において、斜線部の「零記号の辞」は「命令」というと言うよりは、
「強調」であり、「するな」の歴史的変遷からみて、「するな」形式も、「な+動詞+「強調を 表す辞」」から来ているものであるから、「しない」のような否定形式も、「動詞+否定+零記 号の強調」を表しているものだと考えれば、どれも同じような流れに沿って禁止の意味に変化 していると考えることができる。これらの違いは、否定形式の方は、この場合「強調」の意味 は「零記号の辞」によって表されているため、語順の変化などは起きておらず、統語や形態的 な変化も観察されていない。
否定形式の禁止への意味化や文法化に関して、別の側面で、この経路を観察している研究が ある。例えば、Bybee(1988)の指摘では、prediction は imperative と同じ形式ともつとして、
以下のように述べている。
In some languages the future and the imperative (or optative or hortative) have the same form, or the gram used for future is also used for imperative.
[…] The use of the future for direct commands is easy to verify in English (You will go to bed!) in other languages, but this type of imperative is usually secondary, and not the primary means of commanding. Such a use constitutes an indirect speech act, that is, a prediction is made in the second person, which has the force of an imperative, given the social context and intonation.
Bybee(1988:372)
つまり、Bybee(1988)によれば、聞き手に行為を促す機能は、話し手の予想・願望を表す 表現の間接発話行為からきているのである。肯定や否定のような叙述形式の文には、未来の意 味を帯びているので、predictionとして解釈できる。このpredictionは、話し手の願望、話し手 の肯定的な判断や否定的な判断ということを含意し、さらに禁止へと変化する。日本語では、
肯定形式にも、命令の機能を持つ文がしばしば見られる。例えば以下のものがある。
そこにすわらない
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(113) そこに座ります。
(114) はいそこ、静かにする。
これらはいずれも、教室で教師が子供に対して使うものであり、命令の意味を持つ。この変 化の経路は、Heine & Kuteva(2002)で指摘されたDOからOBLIGATIONへの変化と概ね同じも のであると考えられる。つまりDOのような表現には未来という意味が含められていて、その 未来という含意が話し手の願望や話し手の肯定や否定的な判断を表し、さらに命令や禁止とし て使われるようになることを可能にしている。このような意味の変化には、「主観化」が働い ていると考えられる。
主観化の例としては、日本語では「うべ」から「べし」への変化が挙げられる。「べし」は 文末では断定的当然のこととして義務を表すものであるが、その古い形として、「うべ」があ る。以下がその例である。
(115) 東の市の植木の木垂るまで逢はず久みうべ恋ひにけり。 (万葉集310)
(東の市に植えた木が、大きく、枝が茂るまで、逢わずにいたことだ。久しく会わない ので、本当に恋しいことだ。)
このように「当然だ、もっともだ」という意味を持つ副詞「うべ」+強調の副助詞「し」の
「う」が脱落するとともに助動詞化して、「必然」「推量」の意味を表すようになり、その後、
推量の意味を根本として、可能、勧誘、命令などの意味へ発展した(佐伯 1950:176)。つま り、「うべ」は、文末の「べし」に文法化されるにつれて、主観性の高い断定や命令を表すよ うになったのである。肯定形式や否定形式も、もともとは、叙述の「存在」を表す意味から、
話し手の肯定や否定的な判断になって、そこからさらに命令や禁止として使われるようになっ た。この点では、同じく主観化したものであると言えるだろう。以下では、これらの変遷と経 路をもとに、否定形式の文法化の度合いを見ていきたい。