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第 2 節 スウェーデン人口の長期的推移と政策的対応

スウェーデンの人口は1870年には約417万人であった。当時、貧しい農業国であったスウ ェーデンではその後経済危機と食料不足により、19世紀後半から20世紀初頭にかけて約100 万人が移民としてアメリカに渡った(詳しくは、第2章10節を参照)。一方、19世紀末か ら急速な工業化が進展し1、人口は500万人を超えた(図表2-2-1)。

図表2-2-1 スウェーデン人口の時系列推移

(資料)スウェーデン統計局(http://www.scb.se/templates/Product_25799.asp)より作成。

スウェーデンの合計特殊出生率の状況を見ると、今世紀の初めは4.0を超えていたが、そ の後急速に下がり、1928年に2.07となった。1930年代の世界大恐慌と大量失業の後、出生 率はさらに大きく低下し、1930年代半ばには1.70まで下がった。このような状況の下で、

1935年には政府に人口問題審議会がつくられるなど、人口政策が論議されるようになった。

その結果、1939年には12週間の出産休暇制度が導入された。人口問題審議会は1947年にす べての児童を対象とした児童手当の支給を答申し、翌48年には児童手当法が施行された。

それ以来、スウェーデンでは「人口問題の解決は政府に責任がある」という考えが主流 となるとともに、子どもがいる家族向けの社会的な手当は常に優先事項として扱われて

1  人口転換理論によると、「工業化が始まる前の伝統的農業社会では、飢饉、疫病、戦争等のために死亡 率が高い状態にある。その一方で、農業が主体である社会であるために、労働力確保の観点から高い出生 率が維持されている。このほかに、宗教や社会制度などによって高出生率が維持されることもある。その 結果、近代化前の社会では死亡率と出生率が高く(多産多死)、大きな変動を保ちつつ、平均的には人口 増加率は低い状態にある。

 次に、工業化・都市化が進むと、人口増加の状況は変化する。所得水準の上昇、医学や公衆衛生の発達 により、乳児死亡率などが低下することで、社会全体の死亡率が低下する。しかし、出生率は依然として 高水準にある。その結果、高い出生率と低い死亡率の社会(多産少死)が実現し、人口は増加する。(内

きた2

その後、合計特殊出生率は回復に向かい、1960年代にはベビーブームが到来し、1969年 には1.93まで上昇した。しかしながら、その後再び合計特殊出生率は低下し始め、1978年 には1.60まで低下した。このため、1970年代には再び家族政策が議論された。

1970年代以降、「経済的に負担が最も重いのは子供を扶養している家庭である」という 考えの下で、子どもを持つ家庭と持たない家庭の負担を等しくするための社会政策の一部 分として、家族政策は大幅に拡充された。1970年代末に行なわれた家族・育児に対する諸 制度の整備と、良好な経済状況により、スウェーデンの合計特殊出生率は1980年代の初め に急速に上昇し、1990年には2.13となった。

しかし1990年代に入ると、スウェーデンの景気が悪化した。失業率は他のヨーロッパ諸 国並の約10%まで高まり、失業は1990年代の半ばには、深刻な社会問題となった3。女性の 雇用の多い公共部門も財政難から不況の打撃を受けた4

経済問題と失業問題は、特に若い世代に深刻な打撃を与え、出生率も下がった。スウェ ーデン統計局のBritta Hoemは、スウェーデンでの出生率と経済変動の関連性を調査し、

出生が労働市場の状況に大きく関連しているという結論を出した。その理由として、Hoem はスウェーデンの家族政策、特に両親保険給付が両親の収入をベースに換算されるため、

労働市場の変化による収入の増減が直接的に出生率に影響を及ぼすとしている。つまり、

経済状況が両親、特に母親に大きな影響を与えていると指摘している5

1990年代後半には財政再建のため、家族政策における様々な給付が削減されることにな った。両親が育児休業を取得する場合には、休業直前の所得の9割が両親保険で補償され ていたが、1995年には一時期75%に削減された。児童手当も削減され、第3子以降の増額分 は減額され、1996年には増額分は一時期廃止された。両親が学校での参観日、行事に参加 するために年に数日認められていた「ふれあいの日」も1996年には廃止された。先述の Britta Hoemは、「児童手当は、削減後も国際水準より比較的高額だったものの、子どもを 持っている家族は生活水準が落ちるのを実感していた」と述べている6。同論文によると、

1990年代に第3子、第4子を産む率は、80年代の水準の3分の1まで下がった。同時に第1子 を産む時期を遅らせる女性も増加した。経済問題や失業により所得が伸び悩む局面では、

多くの女性が第1子をもうける時期を遅らせ、第2子、第3子も産まないようにする人が増え

2 Columbia University(2003)The clearinghouse on international developments in child, youth and  family policies, http://www.childpolicyintl.org/countries/sweden.html#intro  

3 1990年から1993年の間、失業率は2%から8%へと、4倍に上昇した。これは1930年以来、最高とな る高い失業率であった。

4 Palme J. (2002), The Welfare Commission Report,

http://www.sweden.gov.se/content/1/c6/01/74/80/9b69f34c.pdf

5 Hoem B. (2000), Vol.2, “Entry into motherhood in Sweden: the influence of economic factors on the rise and fall in fertility 1986-1997”. Demographic Research,

http://www.demographic-research.org/volumes/vol2/4/2-4.pdf 

6 Hoem B. (2000), Vol.2, “Entry into motherhood in Sweden: the influence of economic factors on the rise and fall in fertility 1986-1997”. Demographic Research,

たことになる。その後、経済状況の好転とともに、家族・育児に対する諸制度も再び整備 され、出生率は急速に回復基調にあり、2004年は1.76となる見込みである。スウェーデン 統計局では、2004年以降も合計特殊出生率は緩やかに回復を続け、2019年に1.85となった 後、2050年までその水準を維持すると予測している(図表2-2-2)。

図表2-2-2 合計特殊出生率

(注)将来予測の部分は、スウェーデン統計局(http://www.ssd.scb.se)のデータベースに基づく。

(資料)スウェーデン統計局 

1990年代から2000年代初頭にかけて、わずか10数年間の間に起こった出生率の大幅な減 少、そしてその後の回復は、スウェーデン研究者に「経済状況や子どもを持つ親に対する 政府からの手当が出生率の変動に大きな影響を与える」という知見を与えた。例えば、こ の時期に30歳以下の女性で初めて出生率は急激に低下した理由について、Britta Hoem7は、

国民は今後の経済情勢が厳しくなることを予測すれば、若者は厳しい経済状況の下では子 どもを持つことを懸念するため、就職が有利になるよう、子育てよりも学業を選んだ結果 であると考えている8

また、ストックホルム大学のEva Bernhardt教授は、労働市場の厳しさが若者の出生率に 大きく影響しているのではないかと考えている。スウェーデンでは、出産前に母親が収入 を得ていない場合は、最低限の両親手当を受けることが保障されている。しかしながら、

最低保証額は1日あたり180クローネ(約2,700円))に過ぎない(詳しくは、第2章4節を参

7 Hoem B.(2000), Vol.2, “Entry into motherhood in Sweden: the influence of economic factors on the rise and fall in fertility 1986-1997”. Demographic Research,

http://www.demographic-research.org/volumes/vol2/4/2-4.pdf

8 Hoem B. and Bernhardt, E., (2000), Välfärdsbulletinen, Number 1, ,“Barn? Ja kanske” ”(Children?

照)。Bernhardtは、このため失業中である場合や、高等教育を受けていない場合等には、

若者は子どもを持つことに抵抗を感じ、2000年以降晩産化が進行している、と指摘してい る9

Britta Hoemは、2000年以降の好景気を背景にスウェーデン政府は年々、両親手当の基準 となる金額を引き上げるなど育児支援の面で寛大な社会保障政策を採っているために、出 生率が再び上昇したと指摘している10。ただし、ストックホルム大学のLiva Sz. Oláhは、

現在のスウェーデン経済は順調に推移しているが、これから先の経済情勢を懸念する声も 少なくなく、今後の経済情勢や両親保険をはじめとする家族政策の動向が直接的、間接的 に出生率を影響する可能性があると指摘している11

参考文献

経済企画庁(1992)『平成4年版 国民生活白書』

Bernhardt,E. (2000) “Sweden – Low fertility”, Gateway to the European Union, European Observatory on Family Matters, (2000),

http://europa.eu.int/comm/employment_social/eoss/downloads/sweden_2000_fertil_en.p df

Hoem, B. (2000). "Entry into Motherhood in Sweden: The Influence of Economic Factors on the Rise and Fall in Fertility, 1986-1997." Paper presented at the Conference on Lowest Low Fertility. Rostock, Germany: Max Planck Institute for Demographic Research.

http://www.demographic-research.org/volumes/vol2/4/2-4.pdf 

Hoem B. and Bernhardt, E., (2000)

,

Välfärdsbulletinen, Number 1, , “Barn?

Ja kanske” ”(Children? Yes, maybe)” ,

Statistics Sweden

,

http://www.scb.se/Grupp/allmant/_dokument/A05ST0001_08.pdf Palme J. (2002), The Welfare Commission Report,

http://www.sweden.gov.se/content/1/c6/01/74/80/9b69f34c.pdf

コロンビア大学(2003)The clearinghouse on international developments in child, youth and family policies, http://www.childpolicyintl.org/countries/sweden.html#intro

9 Bernhardt,E. (2000) “Sweden – Low fertility”, Gateway to the European Union, European Observatory on Family Matters, (2000),

http://europa.eu.int/comm/employment_social/eoss/downloads/sweden_2000_fertil_en.pdf

10 Hoem Britta, (2000), Vol.2, “Entry into motherhood in Sweden: the influence of economic factors on the rise and fall in fertility 1986-1997”. Demographic Research,

<http://www.demographic-research.org/volumes/vol2/4/2-4.pdf>