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言語伝播の推定

ドキュメント内 著者 中野 尚美 (ページ 116-119)

第 5 章 霊石県方言の内部差異と言語伝播の可能性

5.3 言語伝播の推定

言語伝播は言語変化をもたらす重要な要因の一つである。では、特定の言語変化に言語伝 播が関わっているか否かをどのように判断すればよいだろうか?言語変化の伝播の場合、言 語変化の程度と言語伝播の難易度には平行性があると考えられる。すなわち、一つの言語変 化が起点から周辺地域に伝播するとき、伝播が容易な地域と伝播が困難な地域では、伝播の 速度や程度に差が生じると予想される。言語伝播は人間の交流によってもたらされるため、

言語伝播の難易度は人間の交流機会の多さに大きく左右されると考えられる。従って、「言語 伝播の難易度」は「人間の交流機会の多さ」から推定することができる。

上記より、地理的に連続し言語変化の異なる段階にある複数の地域について、伝播の中心 地との「人間の交流機会の多さ」を対比し、言語変化の程度の順序と「人間の交流機会の多 さ」の順序が一致すれば、それらの地域において当該言語変化が伝播によって拡散してきた ことが支持されると言える。

では、人間の交流機会の多さはどのように把握すればよいだろうか?人間の交流が発生す るのに必要な最低条件は、人間の移動と接触である。人間の移動は距離・地形など空間的環 境の制約を受け、人間の接触は人口の制約を受ける。従って、地理情報科学の手段を用い、

これら二つの物理条件を数量化することで、人間の交流機会の多さを数量として把握するこ

115

とができる12

沈・馮・津村

(2009)

は、地理的に連続し言語変化の異なる段階にある複数の地域について、

地形と人口を尺度として各地域間の人間の交流機会の多さを測ることを提案し、その尺度を 交流度と呼んだ。そして、地形・人口の要素を総合して各地域間の交流度の順序を判定した。

具体的判断基準は次の通りである。

交流度順序の判断基準:

(1)

人口条件

当該地区の人口が密集しているほど交流度が高い。

(2)

地形条件

当該地区内で村間の徒歩移動の利便性が高い(徒歩移動に要するコストが少 ない)ほど交流度が高い。

(3)

人口条件と地形条件の順序を総合して交流度の高低順序を判断する。

沈・馮・津村

(2009,2010)

は、地理情報システム

(GIS, Geographic Information System)

を用い て山西省霍州市の異なる形態法を持つ

3

方言の交流度順序を示し、それによって霍州市

3

方 言の形態法変遷過程を推定した。沈・馮・中野

(2011a,2011b)

も同様の方法を用い、山西省霊 石高地の入声消失順序が交流度の順序と一致していることを示し、霊石高地においては入声 消失という音韻変化が言語伝播によって拡散しつつあると推定した。

しかし、交流度を求める過程において、以下の二つの課題が浮かび上がってきた。

(1)

上記 研究では交流度の値を具体的に与えるのではなく、あまり明確でない方法で、視覚的印象に 基づいて地形・人口条件の順序を判断していた。

(2)

交流度の値に大きな影響を与える道路の 要素を考慮していなかった。

中野・川崎・沈

(2013)

では、上記二つの課題を解決するため、交流度の定義を明確化し新た な交流度計算方法を提案した。当該研究では、沈・馮・中野

(2011a,2011b)

が用いた霊石高地 の言語、地形、人口データに道路のデータを加えるとともに、新たな交流度計算方法を用い て交流度を

1

つの数値として算出した。その結果得られた交流度の順序は、沈・馮・中野

(2011a,2011b)

と同じであり、新たな交流度計算方法が従来の「交流度」の考え方と矛盾しな

い妥当なものであることが示された。

本論文では、中野・川崎・沈

(2013)

で提案された交流度計算方法を用いて、霊石県における 果摂一等韻母前舌化の地理分布に、言語伝播が関わっているか否かを推定する。

ここで、交流度計算方法について説明する。

交流度計算方法:

12 もちろん、実際に人間の交流が発生するか否かには、人間の移動と接触だけでなく様々な 社会的・文化的な要因が関わってくるはずであり、また交流があれば必ず言語伝播が起こる というわけではない。しかし、言語に地域的なバリエーションが存在するという事実からは、

人間の移動と接触は言語伝播を制約する重要な条件の一つであると言える。そのため、「交流 度」を用いた一連の研究においては、人間の交流における最も基本的で、なおかつ現時点で 数値化可能な要素として、「地形・人口」という

2

つの条件を

1

つの尺度として用いているの であって、「地形・人口」のみで人間の交流が全て説明できると考えているわけではない。

116

(1)

対象とする言語変化について、調査地域の各村の言語変化の程度を明らかにする。

(2)

対象とする言語変化の程度に基づき、調査地域に含まれる村をいくつかの「方言区」に グループ分けする。

(3)

言語変化の程度と人口などの社会条件に基づき、言語伝播の起点を仮定する。

(4)

「起点と各方言区の間の交流度」を計算する。各方言区における交流度

C

は、次の式 で与えられる。

C = kvd

ここで、

k

は比例係数、

v

は中心地区の人が

1

日で到達できる対象方言区内の平均村数、

d

は方言区の人口密度である。

まず、比例係数

k

については、

k=1

とする。本論文では、交流度を尺度として中心地区と 各方言区の間の交流機会の相対的順序を判定する。もし交流度を実際に交流する人数とする なら比例係数

k

を定める必要があるが、本論文では各方言区の交流度の相対的な大小関係だ けを考えるので、

k=1

としている。

中心地区の人が

1

日で到達できる対象方言区内の平均村数

v

については、中心地区の代表 地点(すなわち言語伝播の起点と仮定した地点)から各方言区の村々への平均歩行コスト(時 間に換算)で

24

時間を割ることで算出され、

v

の多さは中心地区から各方言区への徒歩移動 の利便性を表す。中心地は言語伝播の中心地区の代表地点であり、中心地の人が一定時間内 に到達できる平均村数

v

が多いほど、中心地区から当該方言区への徒歩移動の利便性が高く、

交流機会もまた多いと考えられる。

方言区内の人口密度

d

は、方言区に属する村の人口の和を、方言区の面積で割ることで算 出され、当該方言区における人の接触機会の多さを表す。方言区内の人口密度が高いほど、

当該地区における人間の接触機会は多く、交流機会もまた多いと考えられる。

中野・川崎・沈

(2013)

では、方言区の面積を「方言区に属する村を母点とした凸包の面積」

によって算出しているが、凸包を用いる方法は、次の

3

つの問題点がある。

凸包を用いる面積の計算の問題点:

(1)

方言区内の村の地理分布状況によって、異なる方言区の範囲が重複する可能性がある。

(2)

方言区の境界が凹字型の場合、村がない地域も方言区として計算されてしまう。

(3)

方言区に含まれる村数が

3

に満たないと計算が不可能であり、

3

以上であったとしても、

含まれる村数が少ないほど、地理分布状況によって方言区の範囲が実態と大きくずれ てしまう可能性がある。

従って、本論文では、各村を母点としたボロノイ領域 13を求め、各方言区に属する村のボ ロノイ領域の面積の和を方言区の面積とする。この方法を用いれば、上記の

3

つの問題点が 生じない。さらに、村ごとに領域を計算することができるため、人口密度を村ごとに計算す

13 ユークリッド平面上においては、ボロノイ領域とは、任意の位置におかれたいくつかの点

(母点)に対して、どの母点に最も近いかに基づいて他の点を領域分けしたものである。領 域の境界線は、隣接する

2

つの母点から等距離に位置する。

117

ることも可能となる。

前述のように、人間の交流は人間の移動と接触であることから、人間の移動の利便性を表 す

v

と、人間の接触機会の多さを表す

d

を掛け合わせることで、交流機会の多さを交流度

C

として数値化することができる。交流度は、「一つの村に到達するたびに

1

㎢範囲の人と交流 すると仮定したとき、中心地の人が

1

日に接触できる平均人数」と理解してもよい。

つまり、

v

の数値が大きい地域ほど伝播の起点から短時間で行くことができ、一定時間内 に到達できる回数を考えれば、

v

の数値が大きい地域ほど到達できる回数が多い。

d

の数値が 大きい地域ほど人口密度が高く、当該地域に

1

回到達するごとに

1

㎢範囲内の人と交流でき ると仮定すれば、

d

の数値が大きいほど

1

回到達するごとに交流できる人数が多い。交流度 は

v

d

の数値を相乗したものなので、

v

の数値が同じ(すなわち伝播の起点からの所要時 間が同じ)

2

つの地域があったとすれば、伝播の起点から出発した人が一定時間内に到達で きる回数はどちらの地域も同じになり、

1

回到達するごとに交流できる人数が多い方の地域、

すなわち

d

の数値が大きい(人口密度が高い)地域の方が伝播の起点との交流度が高いとい うことになる。

ドキュメント内 著者 中野 尚美 (ページ 116-119)