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・・西晋墓葬

ドキュメント内 中日古代墳丘墓の比較研究 (ページ 105-114)

第Ⅲ章  中国古代墳丘墓の衰退 -魏晋時期-

第2節 ・・西晋墓葬

 西晋は 265 年に魏に代わって王朝を樹立し、316 年に滅んだ。都は洛陽に置いた。そのうち、

304 ~ 306 年は、張方が惠帝を脅迫して長安に連れ去り、晋末の 313 ~ 316 年には愍帝は長安に遷 都した。

1 墓葬概況

 西晋墓葬は、都城の洛陽を中心とした中原地区と南京を中心とした江浙地区での発見が比較的多 い。

 まずは西晋帝陵の考古学的発見を紹介する。これらは、西晋の喪葬等級制度を理解するうえで重 要な意義がある。

(1)皇帝陵

 洛陽故城東から出土した荀岳墓誌と左棻墓誌を手掛かりにして、踏査・ボーリング探査・発掘と 研究を経て、文帝(司馬昭)崇陽陵と武帝(司馬炎)峻陽陵の地理的位置、陵区の墓葬の分布と形 態が確認された10

A 文帝祟陽陵

 洛陽故城より東の邙山の南麗に位置する。ボーリング探査では5基の墓葬を確認し、いずれも南 向きの長くて広い傾斜した墓道を、もつ土洞墓である。その中で、1号墓は墓地の最も東に位置し、

規模は最大で、墓道は長さ 46m、幅 11m、墓室は長さ 4.5m、幅 3.7m、高さ 2.5m で、文帝の崇陽 陵と推測される。そのほかの4基の墓は南北の2列に分かれ、1 号墓の西にあり、規模はすべて1 号墓より小さい。崇陽陵の陪葬墓と見るべきであろう。

 墓地の東・北・西の3方向には、ボーリング探査で発見した版築土壁垣があり、平面形は北が 短く南が長い台形の陵園がある。南壁のみ存在しない。東壁は約 384m、北壁は約 80m、西壁は約 330m である。これ以外にも2か所で陵園と関係した建築遺構が発見されている(図3-9)。

B 武帝峻陽陵

 崇陽陵より西に約3㎞の邙山の南麓に位置する。陵区には、23 基の墓葬が集中して分布する。

墓はすべて南を向き、長くて広い、階段を備え傾斜した墓道を、もつ土洞墓である。配列は順序を もち、配置も整然としている。その中でも 1 号墓は陵区の東南部にあり、おおよそほかの墓葬から 独立し、規模も最大で、墓道は長さ 36m、幅 10.5m、墓室は長さ 5.5m、幅3m、高さ2m である。

これこそは、武帝の峻陽陵である。そのほかの 22 基の墓は陵区西北部に所在し、南北に4列に並 んで配置されている。規模は1号墓よりも小さく、帝陵の陪葬墓である(図3- 10)。

陵園遺跡は、ボーリング探査では発見されていない。

(2)そのほかの墓葬

 ここでは2つの大きな地域で区分し、すなわち洛陽を中心とした北方地域と南京を中心とした南 方地域であり、西晋墓葬の全体的な状況を把握する。

A 北方地域

 歴年来の都城である洛陽城の周辺で、現在の洛陽市区およびその周辺の偃師 11、孟津 12、新安 13 などでは比較的多くの西晋墓葬が発掘されている。また河南省の鞏義 14、鄭州、新郷 15、南陽 16 などでも発見がある。これ以外にも、陝西、山西、山東、河北省や北京市でも報告があり、特 にこれらの中には一部の紀年墓も含まれ、西晋墓葬の特徴を確定するうえで、重要な役割を発揮す る(表3-2)。

 言及すべきは、甘粛省武威、酒泉、嘉峪関、玉門、敦煌など河西回廊一带および青海省の一部の 地区では大量の魏晋十六国時期の墓葬が発掘されていることである。遼寧省の朝陽、錦州、遼陽、

瀋陽などでも、少なくない魏晋十六国墓葬が発見されている。各種の要因により、西北地区と東北 地区の魏晋十六国墓葬は、中原地区の墓葬とは共通した点とともに、独自の特色も形成している。

ただここでは、詳しく議論はしない。

 墓主の身分・等級に関しては、はっきりとした例が大変少ない。そのため、ここでは大まかに大 中型墓と小型墓の2つに大別する。

ⅰ 大中型墓

 一条の傾斜した墓道をもつ、多室墓もしくは単室墓である。多室墓には、前後二つの主要墓室を もった双室墓が主流で、ほかにもごく少数、前中後の三つの墓室を有した三室墓もある。墓室には、

磚室、磚室と土洞を合わせたもの、ならびに土洞の三形式が存在する。

① 三室墓

 北京順義で2基(M3、M5)発見されているのみである。この2基とほかの6基の墓が同一墓地 に共存する。ほかの6基のうち、1基は単室墓、5 基は双室墓である。これら8基の墓葬はすべて 南を向き、配列は整然とし、規模において差異がある以外は、用いた墓磚や墓室の平面・立体構造 は類似し、M8 より出土した磚銘「泰始七年(A.D.271)夏四月作磚」より、これらの墓葬の時期 は西晋初期であることが分かる。

2つの墓は、ともに傾斜した墓道・甬道・前室・中室・後室から構成される。その中で M3 の前室(2.62

× 1.68m)と後室(2.8 × 1.05m)の平面形は、縦長方形であり、中室(1.7 × 1.7m)の平面形は正 方形である。3つの墓室の西壁は一直線上にあり17

(図3- 11)

、墓室の頂部は四角寄棟形もしく は「人」字形である。中室と後室にはそれぞれ 1 棺が置かれる。

② 双室墓

 双室墓の前室と後室の平面形状は異なることから、墓葬全体の視覚上の差異を形成し、墓室の平 面形状はまた、往往にしてその立体構成と関連している。そのため、これに基づき、双室墓を次の 4型に分類できる。

Ⅰ型-横前室双室墓 ごく少数、事例がある。山東滕州元康九年墓のように、横前室の幅は後室の

幅よりわずかに広い。この墓は竪穴土坑画像石室墓で、南を向き、板状の石を積み上げて構成し、

前室には 2 つの耳室がある。前室・后室の頂部はいずれも積み上げによって方形の藻井(装飾板を はめ込んだ折上げ天井)を築いている。前室の南壁、横額と頂蓋 6 点の画像石を共用する18

(図3

- 12)

。ほかにも、山東蒼山晋墓は、後漢の画像石墓の墓室を利用したとされている19。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Ⅱ型-前後が縦長方形の双室墓 非常に少ない。河南鄭州晋墓のように、西向きで、墓道・甬道・

前室・後室から構成され、前室と後室はともに縦長方形である。前・後室内にはそれぞれ一つの棺 を置く(図3- 13)20

Ⅲ型-前方形後長方形双室墓 この形式は、双室墓の中で最もよくみられる種類のもので、北方各

地でくまなく分布している。一般に前室は方形もしくは方形に近く、後室は縦長方形、前室に側室 が伴うものもある。

 洛陽およびその周辺地区、および陕西西安地区のこのタイプの墓葬は、一般には前室はきれいな 方形で広くて大きく、後室は狭くて長く比較的小さい。洛陽 HM719 のような例は、磚室墓で、前 室は2つの側室をもつ21

(図3- 14)

。洛陽永寧二年墓は、土洞墓で、前室には1つの側室を伴う22

(図 3- 15)

 山東境内のいくつかの墓葬は、前室がやや小さく、後室が前室と幅が同じかやや広いのが特徴で ある。鄒城永康二年劉宝墓23

(図3- 16)や臨朐咸寧三年墓

24

(図3- 17)はこうした特徴をもつ。

北京順義晋墓は、前述のように、前室、後室の一壁面は、一直線上にある。M2(図3- 18)はま さにこうした例である。

Ⅳ型-前後方形双室墓 洛陽とその周辺地区、および陝西西安地区で流行する。前後二室はともに、

方形もしくは方形に近い形態である。偃師杏園村 34 号墓は、前室が土洞、後室がドーム型の磚室 である25

(図3- 19)

。洛陽谷水 FM4 のような例は、前後室ともにドーム型の磚室で、前室には 1つの側室が伴う26

(図3- 20)。

③ 単室墓

 一般的に、墓道・甬道(内側に石門を設けるものもある)・墓室から構成される。墓道と墓室の 平面形状から、3型に分類される。

Ⅰ型-墓道が墓室よりも幅広い単室墓 長く傾斜した墓道が、墓室よりも幅広く、墓道の両側には

階段があり、多くは5段か 7 段である。墓室は縦長方形で、多くはアーチ型の土洞で、磚室のもの もある。

 こうした墓葬の形態は大変独特で、現有の資料の中では、崇陽陵・峻陽陵とその周辺に主に分布 していることが知られており、帝陵や帝陵の陪葬墓に属するものである。崇陽陵区のボーリング探 査で見つかった5基(そのうち M4、M5 はすでに発掘済み)

(図3- 21)

、峻陽陵区のボーリング 探査で見つかった 23 基、偃師市首陽山鎮で発掘された3基(02YXM1、02YXM2、08YXM4)27

(図

3- 22)などが挙げられる。このほか、孟津三十里鋪 M120 もこの形態である

28

Ⅱ型-墓道が墓室より狭い方形単室墓 墓道の多くは傾斜式で、竪井式のものもある。傾斜した墓

道の両壁には多くの段の階段が伴う。墓室の多くは、ドーム型の方形、もしくは方形に近い形態の 磚室もしくは土洞のものである。墓室に1~2の側室、あるいは仮側室が伴うものもある。磚室 墓の例に洛陽の元康九年徐美人墓(図3- 23)が挙げられる。土洞墓の例として、洛陽厚載門街 CM303229

(図3- -24)が挙げられる。

Ⅲ型-墓道が墓室より狭い長方形単室墓 墓室は土洞のものと磚室のものがある。洛陽孟津三十里

鋪 M117 は磚室墓である(図3- 25)。北京地区で見られるこの種類の墓葬の墓道の多くは、墓室 の片側に偏っている。M7(図3- 26)が挙げられる。

ⅱ 小型墓

 洛陽で、いくつかの小型の竪穴土坑墓が発掘された。土坑の面積は約3㎡で、棺は陶棺のもの

(M5130

(図3- 27)

、磚で積んだ棺のもの、木棺のものの 3 種類がある。棺を用いない墓もあり、

直接埋葬する。このほか、蘇華芝墓のように、墓道を有するが、土洞墓室が長さ 2.2m、幅 1.3m、

面積は 3㎡未満のものもあり、小型墓に属する31

(図3- 28)

B 南方地域

 西晋墓葬は南方の江浙一带に発見が多い。その中でも南京地区が最も集中する。このほか、湖北・

湖南・安徽・江西・福建・雲南などでも発見されている。北方と同じように、南方の西晋墓でも一 部の紀年墓が含まれる(表3-3)。

 南方の西晋墓では、双磚室と単磚室の両種が常見され、大中型墓葬に属する。三室墓もわずかに 発見され、江西靖安虎山西晋墓32

(図3- 29)などが挙げられる。

 双室墓は一般に、前室は方形もしくは方形に近い形態で、後室は縦長方形、墓室の頂部は多く がドーム型(北方地域のⅢ型双室墓とほぼ同じ)である。墓の例として、宜興晋墓の 1 号墓33

(図 3- 30)と4号墓

34

(図4- 31)などがある。北方地域と異なるのは、双室墓の後室の幅が前室

の幅に接近するか同じで、甚だしいものは前室より大きくなる。こうした墓葬形態は東呉の時期に はすでに存在し、著名な安徽馬鞍山朱然墓35

(図3- 32)などがあり、明らかに両者の間には継

承関係がある。こうした双室墓の形態は山東地区の西晋墓にも影響を与え、諸城 1 号(太康六年)

36や臨

咸寧三年墓などが挙げられる。

 双室墓には個別の横前室墓もあり、浙江と福建で発見されている。

 単室墓の墓室は一般に縦長方形で、甬道全体と合わせ、平面形が「凸」字形を示す。南京江寧上 湖 M1・37

(図3- 33)が挙げられる。個別の墓室が方形のものもあり、湖南安郷光熙元年(A.D.306)

劉弘墓38

(図3- 34)が挙げられる。この墓は、墓室の四壁に沿って帷帳が掛けられている。

2 葬制総論

 地面施設・墓葬形態・副葬品の三方面から論述する。

(1)地面施設

 北方地域において、洛陽およびその周辺では多くの晋墓が発掘され、皇帝陵も含め、墳丘など地

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