第Ⅱ章 中国古代墳丘墓の繁栄 -秦漢時代-
第3節 秦漢墓制
前章で述べたように、西周・東周の墓制の核心は棺槨にあり、列鼎〔身分に応じて埋納する鼎の
数が決められていた制度〕と車馬の副葬にかかる規律がそれぞれの階層等級によって決められてお
り、それらはいったん地下に埋納されると再び人の前に示されることはなかった。春秋戦国時代に
なると、高大な墳丘が出現し、それまでの伝統的墓制に深刻な変化が表れた。戦国時代、墓に関連
した地上の施設は、墳丘以外に陵園、陵寝に類する建物、陪葬坑、陪葬墓などで構成される陵園制
度ができる。その陵園制度にかかる各種要素は基本的に備わったのではあるが、各国の陵墓施設の
内容はすべてが同じではなかった。
秦が6ヶ国を統一した後、各国の陵墓制度が始皇帝陵に集められ、墳丘、陵園、陵寝建築、陪葬
坑、陪葬墓、陵邑などの一層完備した陵園の設置が形づくられ、大成された。秦の立国期間は大変
短く、そこで創られた陵寝制度は漢代へ引き継がれた。その制度は、前漢から後漢の 400 年間を通
じて継承され、変革され、それらを地上に設置することを墓葬等級制度の中へ量的な基準として組
み入れさせた。
漢代皇帝陵と王、諸侯、二千石官吏の大型墓には墳丘、陵園(墓園)、礼制建築などが組み合わ
されて築造された。帝王陵墓には陪葬墓の設置が盛行し、前漢皇帝陵には陵邑が設けられた(高祖
長陵から宣帝杜陵まで)。前漢帝王陵では陪葬坑を付設することが盛行し、後漢陵墓では陵園入口
から陵墓に通じる墓道には石像が並べることが盛んに行われた。その石像は主に象、羊、天禄、辟
邪、獅子などの動物が造形されている。
前漢皇帝陵は4本の墓道をもつ黄腸題湊制が採用され、金縷玉衣が着装された。諸王墓には伝統
的な竪穴木槨墓または新興の黄腸題湊墓、崖洞墓、石室墓と、その形態は不統一で、被葬者によっ
ては金縷玉衣か、銀縷玉衣が装着された。諸侯墓は一般に伝統的竪穴木槨墓が採用され、被葬者は
金縷玉衣または銀縷玉衣を装着するものもある。後漢皇帝陵、王侯墓、二千石官吏墓はすべて1本
の墓道の塼石室墓が使われた。墓室は、皇帝陵が黄腸石題湊で、王墓が回廊のある前・後室墓をよ
く使い、諸侯墓が多室墓で、二千石官吏墓が多室墓か、回廊付き多室墓である。皇帝は金縷玉衣を、
諸王と始封諸侯は銀縷玉衣を、嗣位諸侯と王、諸侯の妻子は銅縷玉衣を装着した。全体を通してい
うと、前漢王墓の形態が比較的多様である以外、前漢・後漢の各身分別の墓葬形態は基本的に統一
されていたのである。
墓葬の形態の変革により、漢代墓内の空間は一層増大し、墓室は邸宅化に一歩前進したが、それ
は崖洞墓において特に際立っている。徐州の北洞山漢墓では墓外に門闕を設け、墓室の屋根を切妻
形〔合掌屋根〕などの各種形式につくり、墓内に厨房と歌舞庁〔ダンスホール〕、便所などの生活
施設を設置している。永城の保安山 2 号墓では二つの主要な墓室に自ら「東宮」「西宮」と名付け
ている。
墓室内の装飾のために出現した漢代の壁画、画像石、画像塼などは、当時の人たちの冥界観を検
討する上で、直接見ることのできる形ある材料である。
前漢と後漢は、封建的喪葬等級制を実行した。この制度は地上と地下の両方の大部分を包括する
ものである。地上部分の中心は墳丘にあり、墳丘の高さは被葬者の等級にしたがって厳格に規制さ
れており、地上の施設は喪葬等級制度の中で非常に整った要素になったことを示している。地下部
分は墓葬形態を除くと、等級差別を具体的に表す主なものは玉衣の着装である。
註
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