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自国史カリキュラム開発の実際的帰結 歴史系ナショナル・スタンダードをめぐる論争.論点

第2章  多文化社会における自国史カリキュラム開発

第4節  自国史カリキュラム開発の実際的帰結 歴史系ナショナル・スタンダードをめぐる論争.論点

及びその意味‑

1 自国史カリキュラム開発をめぐる議論

以上の考察から,多文化社会米国においては,ナショナルな関係性についてではあるが, 2つの自国史カリキュラム開発の論理を見出すことができた。しかし,多文化社会におい て,このように,ある意味で相対する自国史カリキュラム開発の論理が混在し,それぞれ

にカリキュラムが開発された実際的帰結は、どのようなものであろうか。米国の場合は, 教育論としての対立ではなく、実際に,最大の州におけるカリキュラム開発と全国規模で

のナショナル・スタンダード開発として,両者が具体化されたことになる。そのような場 令,どのような状況を生みだしているのであろうか。

このような観点は,国際教育協力研究の一貫としてのカリキュラム開発論には欠くこと のできない視点となろうし、その分析により,より具体的な課題を見出すことができると 考える。

そこで、以下,上記のような, 2つの方向性でのカリキュラム開発がなされた場合の実 際的帰結を,ナショナル・スタンダードをめぐっておこった論争を事例に考察してみよう。

本研究では、あくまでも自国史カリキュラム開発に焦点をあてるが,世界的に,自国史 教育をめぐる議論が興隆する中で、米国は,世界史学習に関わる論争も,同時に起こって いるという特徴をもっている95。そこで,米国における自国史カリキュラム開発の実際的 帰結を、より深く検討するためにも,以下,自国史教育のみならず,世界史教育に関して の論争も,検討してみたい。

2 主要新開における論争の拡大

1994年に完成した社会科系のナショナル・スタンダードは, NCSS (全米社会科協議会) の1994年大会(アリゾナ州フェニックス市)でも大きく取り扱われ,全米に紹介されて

いった96。しかし,その後は,歴史系のスタンダード,とくに『合衆国史』に対する批判 が集中し、最終的には、連邦議会で歴史系のスタンダードが否決される結果を招いた。米

国において、歴史教育は,常に学校数育の中心的教科であり,多文化社会においての統一 的な国民意識形成という重要な役割を果たしてきた。現在では,いわゆるWASP文化へ の「同化」 ‑米国民であるという社会統合の図式は変容しているが,未だに,自国史教育 は,国家的な国民統合,国民意識の形成の道具として機能している。さらに,先述のよう に,教育の多様性を保障することが,その存立基盤となっていた米国教育界において,ス タンダードが開発された。スタンダードは,原則として,なんらの拘束力も持たないが、

間接的であるにしろ、連邦政府が教育内容を規定するというスタンダードを開発すること 自体にも関心が集まっていた。そして、中でも,歴史系のスタンダードに大きな関心が集 まっていった。

スタンダードの完成後、教育や社会科系教育に関する雑誌はもとより97,全国紙である wall StreetJournal, New York Times, USA Today,また, san Francisco Chronicle, Los Angels Times、 DetroitNew &FreePress, Star Tribuneなどの各地域の主要な新聞,さらに, Time などの一般誌にも,歴史系スタンダードをめぐる論争記事が掲載された98。

そもそも米国では,教育をめぐる論争・論議というのは、常にあり,社会科についても, 州,学区においては,現状のカリキュラムに対する批判を踏まえて、カリキュラムの改善 は常になされてきた。しかし,この歴史系スタンダードをめぐっての論争のように、ある

カリキュラムをめぐる論争が全米親模でなされたことは,歴史上さほどないことであり, 人々の関心がいかに高かったかを如実に示している。

論争を掲載した記事は多数あるが,主要新聞に掲載された記事は,教育関係者,教育研 究者のみならず,広く一般に議論されたものであり,そこから論争の内容やその特徴を端 的に読みとることができる。つまり,米国においての自国史カリキュラム開発のかかえる 課蓮を,教育関係者の視点とは別の角度からも読みとることができるのである0

Johnson, T.は,米国における主要新聞に掲載された,歴史系スタンダードをめぐる論争 記事についての調査を行っている99。氏が考察に際して用いた新聞は,米国における主要 新聞であり,その発行部数から推測しても,影響力の高い新聞であるという事ができよう。

図2‑5は,各新聞が記事を掲載した数,図2‑6は,新聞抄録(Newspaper Abstract)にみ る論争記事数を各月ごとにまとめたものである。

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図2‑5 米国主要新聞に掲載された歴史系スタンダードに関する記事の掲載数

(Terry Johnson(1995),'Acritical Analisis of the Discourse Surounding the United States History

standards'より作成)

図2‑6 各月ごとにみる論争記事の稔数

(Terry Johnson(1995),'Acritical Analisis 。f the Discourse Sur。unding the United States History standards'より作成)

図2‑5に見るように、主要新聞がそれぞれに論争記事を掲載した敦からも,米国におい ての歴史系ナショナル・スタンダードに対する関心の高さがわかろう。また、氏の考察の 対象にはなっていないけれども,地方紙においても,論争記事を確認することができる 100。この要因については、様々な理由が考えられようが、米国においては, 1980年代以 降様々に教育改革をめぐる議論が広くなされ,連邦政府の教育改革の動向についての関心 が高く、さらに,スタンダードは、学区のカリキュラム開発や学校のカリキュラム開発な

どにも大きく影響することが予想されたために、人々の関心が集まっていた。

後述のように,論争自体が歴史カリキュラム内容選択の問題をこえ,現代米国民の価値 や米国の進む方向性をも示唆するものであったために,論争が大きな拡がりを見せたとい える。

また,図2‑6に見るように、歴史系のスタンダードが発表された1994年秋や連邦議会 が歴史スタンダードを否決した1995年1月に記事の掲載数が多いことからも,歴史系の スタンダードをめぐる動向についての関心の高さがわかろう。

3 論争記事における論点

(1)自国史教育をめぐる論点

ナショナル・スタンダードを扱った論争記事は、量的にも多く、内容も多岐にわたるた め,以下では、歴史系スタンダードに関連する論争のみを分析の対象とする。歴史系スタ ンダードのうち, 『K‑4用歴史』は,ほとんど扱われることがなく,批判の対象は,もっ ぱら『合衆国史』であり,それに付随する形で『世界史』についても議論された。まず,

『合衆国史』と『世界史』が,共通して指摘されたのは、その両者ともに、

「従来の歴史教育における西洋(west)の占める割合が減少し,それ以外を扱う割合が増し ている。」 101

という点についてであった。

先に考察したように, 『合衆国史』は,多文化的な内容,視点を組み込んでいたことに, その特長を見いだせたが,それは,伝統的な歴史教育において中心的内容であった,いわ ゆる「WASP」を中心とした西洋に関して扱われる割合が相対的に,絶対的に低下するこ とを意味している。現代米国では,政治的に,思想的に, 「新自由主義」と「新保守主義」

の対立を,あらゆる場面で見いだすことができるが, 「新保守主義」派の人々を中心に, このような批判がなされたのである。

それでは, 『合衆国史』をめぐり,どのような批判がなされてのであろうか。より具体 的に論争の内容を見てみよう。表2‑23は,主に『合衆国史』に対してなされた批判につ いて,表2‑24は,その批判に対する反論について,それぞれ整理したものである。

表2‑23 『合衆国史』に対する批判

( 2 ) 『合 衆国史』は、 一貫 して、 アメリカが成 した業績 を最小 限に とどめてい るけ れ ども、 その不 当な点 について強調 してい る0

( 3 ) 『合衆 国史 』は、 ア フリカ人 ヤアメ リカ先住 民社会 の短所 について明示 して いない0

(4 ) 『合衆国史』の近現代の部分 は、 均衡が とれていない○

A ■ 『合 衆国史』 は、 (内容 に) 含 まれ る全 ての人 々 につい て、 その重 要な情報 を除 外 し、 異 なる集 団の人 々の間に存在す る差異 を拡張 している○

B ● 『合衆 国史』 に含 まれ る客観 的事実 よりも、 (人々の) 意見 や正 しい態度が よ り 重要視 されている○

2 3

『合衆国史』は、 アメ リカの精神 を克服す る争 いの継続性 を措いている○

『合衆 国史』は、 正 しい教 育的実践 の理解 を実践(dem onstrate)していない○

4 ナシ ョナル ●ス タンダー ドの作成 には、 連邦政府 が関与すべ きで はない○

5 最終 的 なス タン ダー ド古ま、 彼 らが兎 に表明 した 目的 と類似 してい る とい う彼 らの意 向に即 してはい ない○

(T. Jh。nson(1996a), A Overview of the Controversy Surrounding the Release of National Standards for united States History as Presented in a Variety of U.S. Newspapers,より作成)

表2‑24 『合衆国史』批判‑の反論

1 『合 衆 国史 』 は、 政 治 的 妥 当 性 で はな く、 た だ正 確 な歴 史 を措 い てい る

( 1 ) 『合 衆 国 史 』 は 、 伝 統 歴 歴 史 にお い て は、 頻 繁 に 除外 され て い た 人 々 の 集 団

■に、 適 切 に 、 焦 点 をあ て てい る○

( 2 ) 『合 衆 国史 』 は 、 伝 統 的 に合 衆 国史 の教 授 に含 まれ る偉 人 、 出 来事 、 業 績 を 除外 して は い な い 0

( 3 ) 『合 衆 国 史 』 は、 ア メ リ カ史 の 良 い面 と悪 い 面 の両 方 を扱 う事 に よつ て、 こ の 国の 像 (p ictu re o f th e h istory of this cou n try)に均 衡 を と らせ て い る○

( 4 ) ア メ リ カ社 会 と世 界 は、 こ こ数 十 年 に変 化 した ○ 『合 衆 国 史 』 は 、 こ れ らの 変 化 た対 応 して い る 0

( 5 ) 『合 衆 国史 』 は 、 教 科 書 で は な い ○

2 『合 衆 国史 』 は、 正 しい教 育実 頓 に基 づ い てい る○

( 1 ) 『合 衆 国史 』 は 、 単 な る暗 記 で は な く、 生 徒 に考 え 、 分 析 し、 原 因 を追 究 す る こ とを要 求 す る歴 史 プ ロ グ ラム を全 て の生 徒 に提 供 す るで あ ろ う0

( 2 ) 『合 衆 国 史 』 は、 教 師 が生 徒 の生 活 に歴 史 を もた らそ う とす る時 、 非 常 に役 に立 つ で あ ろ う 0

( 3 ) 『合 衆 国 史 』 は、 各 州 や 各 学 区 が これ を どの よう に利 用 す る か を決 定 す る 自 由 を認 め た 、 任 意 の もの で あ る0

3 これ らの ス タ ン ダ ー ドの 開発 に お い て の 統 一 さ れ た過 程 は 、 彼 らの価 値 を擁 護 す る こ とで あ る 0

( 1 ) 『合 衆 国史 』 は、 歴 史 の ハ イ ジ ャ ック を試 み た特 定 の 集 団 に よ つ て創 られ た もので は ない 0

( 2 ) 『合 衆 国 史 』 は、 開発 途 上 の もの で あ る○

( 3 ) ス タ ン ダー ド開発 の過 程 は、 ア メ リカの価 値 を擁 護 す る もの で あ る0 4 ス タ ンダ ー ドを め ぐる論 争 は、 『合 衆 国 史 』 を政 治 的 問題 に転 化 させ て い る0

(T. Jhonson(1996a), A Overview of the Controversy Surrounding the Release of National Standards for united States History as Presented in a Variety of U.S. Newspapers、より作成)

表2‑23にみるように,歴史系スタンダードに対してなされた批判は,大きく5点に整