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現代米国自国史カリキュラム開発の現状と課題

第2章  多文化社会における自国史カリキュラム開発

第1節  現代米国自国史カリキュラム開発の現状と課題

1 現代米国におけるカリキュラム開発の課題

現代米国のか)キュラム開発の課題は, 「多文化主義(Multiculturalism)」の本質をど うとらえ,どのように具体化してゆくのかであろう。この多文化主義の浸透とともに展開 してきたのが「多文化教育」である。多文化教育は, 1980年以降教育現場において急速 な拡がりをみせた。しかし同時に、米国民としての意識の分離‑の危慎が叫ばれ,多様な 文化を尊重しつつも,米国民としての統一性を維持しなければならないという主張が台頭 してきた。多文化教育が,欧米の伝統に対抗し,国家を分裂させるといった批判が加えら れたのである。多文化教育は,当初は学枚経営や学級経営のあり方を中心に論じられてき

たが、今日ではカリキュラム内容の選択にまで拡大して論じられるようになり,上記の問 題をより複雑にしている。この多文化教育をめぐっては,様々に論議されているが,教育 行政や学校経営に関連する事柄との関係からは,次の3点を中心として論議されてきたと 考えることができる1。

① どの集 団が教 育 を統 制 し、 カ リキ ュ ラム 内容 を決 定 す る の か 0

② 個 別集 団 の業 績 、 信 念 や 価 値 を教 育 す るの か、 集 団 間 に賀 通 の信 念 や 価 値 を教 育 す る の か ○

③ 集 団 間 の差 異 を強調 す る の か 、 共 通 性 を強調 す るの か 0

さらに,かJキュラム内容に関しての議論には,つぎの2つの対立見解を見出す事がで きる。

① 米 国 の 現 実 を直 視 し、 社 会 的 変 化 に対 応 した 、 多 様 な内 容 を組 み 込 ん だ カ リ キ ュ ラ ム 開 発 を行 うベ きで あ る20

② 米 国の 多 元 化 が 進 展 して い る か らこ そ、 多 様 の 中 の統 一 性 を維 持 す るた め の内 容 を組 込 んだ が ) キ i ラ ム 開発 を行 うベ きで あ■る3○

この対立は,歴史的にみても、米国教育の抱える継続的課題であるとみなすこともでき ょうが,現在は,過去に例を見ないほど盛んに議論されている時期であるといえる。

この2つの潮流は,一方が他方を完全に排除しようとする性格のものではなく,多文化 社会米国の現状に対処するための優先順位の差異,つまり,現代米国国民に必要とされる

リテラシーをめぐる強調点の差異により生じたものであると考えることができる4。前者 は,従来からのヨーロッパ中心で、しかも白人の男性中心のカリキュラム内容を批判し, マイノリティに関する事項を強調したカリキュラム内容を要求する。現存の知識体系自体 が,ヨーロッパの白人男性によって構成されてきたことに疑念を抱き,かノキュラム内容 にマイノリティに関する事項を組み込むのみならず,欧米文明の失敗やジレンマをも組み 込むことを望む5。他方後者は,米国の多種多様な人々に共通な文化としての「アメリカ 文化」をかノキュラム内容に組み込むことを主張する。米国内‑の多様性を認めつつも,共

通の言語や民主主義,人権という共通思想などを中核として,生徒に「アメリカ文化」の 共通の理解を促すことを教育に求める6。しかし、この「アメリカ文化」や「アメリカ的 価値」をどこに設定し,何をイメージするのかによって,その意味は異なってくる。多く

の場合は、アメリカの共通文化を、米国政府のなした偉業や西欧の伝統に起源をもつ,い わゆるWASPの文化・価値観に求めていることに特徴をもつ。さらに,そこでは, 1980 年以降の民族利益集団(ethnic interest groups)によるかノキュラム開発の政治化が懸念 され,現在の米国の政治、社会,教育制度などを作り上げてきたヨーロッパの価値や伝統 を中心とする教育内容が求められている7。

カリキュラムの内容選択においては,この2潮流の影響を最も受け,多文化主義をめぐ る見解の差異が顕著に反映される教科は, 「歴史」である。とりわけ,自国史教育(ここ では合衆国史教育)においては,どちらの立場を強調するかによって、選択される内容や

その取り扱いが全く異なることになる。米国歴史教育は,従来から,市民教育と道徳教育 の2側面をもち合わせ,歴史的に「同化」のための一手投としての役割を担ってきた8.

そのため,自国史*.)キュラム開発においては,米国型民主主義の成立・展開過程や市場 経済の発展過程に関する内容が主に規定され,それらに尽力した人物が多く取り上げられ

てきた。州によっては、マイノリティについての学習を科目として設定している州もある が9,米国において,この歴史内容は未だ主流であるといってよい10。この点が,多文化 教育主義者から批判を受け,教授される歴史内容に関しても,従来,軽視されてきたマイ

ノリティの復権が要求されるのである。

米国は,中央集権的な教育システムをもたないために,そこでなされるカリキュラム開 発も多種多様である。また,かノキュラムといっても,各教科カリキュラムもあれば,学 校のカリキュラム,学会の開発するプロジェクトとしてのカリキュラムなどもある。また, 研究者,団体・学会,州教育庁,学区など,かJキュラム開発者も多様であり,これら全

ての動向を詳細に説明することは非常に困難である。そこで,つぎに,カリキュラム開発 の一般的動向について若干の検討を試みたいo

佐藤学は,米国のカリキュラム開発のここ30年間の動向を

① 「新カリキュラム」以降の展開

② 「レリバンス(現実との意味関連)」の追求

③ 「基礎教養」をめぐる問題

④教師像と学校像の探究

という4点から考察している11。上記のうち,最近の自国史カリキュラム開発に関係する であろうものは, ②, ③である。以下,佐藤の論を援用しながら,簡単に整理してみよう。

②の点は,米国での1960年代以降の新カリキュラム運動の時期にすでに表出していた 問題である.カリキュラム内容の科学化や現代化がなされる一方で,貧富の差などの社会 問題が浮上し,またマイノリティの教育における不平等が叫ばれた。つまり,教育内容の 科学化をめざすカリキュラム開発に対して、学校数育やカリキュラム開発に新しい対応が 迫られたのである。

また,この時期には、以下の3つの動向が見られた。

(1)人種差別や貧困,麻薬、環境保護など,社会の現実的な問題をトピックとして,カ リキュラムに導入する動き。

(2)貧困地域ヤアフリカ系アメリカ入居任地域を中心に,子ども中心主義の学校を建設 する運動として展開した動き。

(3)地域の子どもの現実や子どもの能力の多様性に応じて,自由に選択できる科目をカ リキュラムに組織しようとする動き。

このような動向は,社会の多様性や、子どもの多様性に対応するためになされた読みで あると言えよう。そして,それらは、カリキュラムに貧困地域での社会奉仕活動などを正 現に組み込み,オープン・スクールなどの新しい学校形態を生み出し,二カ国語教育や能 力別教育などを進展させたのである。これらは,多文化教育の出発点であるとも考えるこ

とができ,現在においても積極的になされている試みである。しかしながら,これらは, 一方で,多文化主義に立つ教育を発展させ,教育における公正と平等の原理を実現してき たものの,他方で,カリキュラムにおける統一性や学校の共同性を解体するという危機感 をつのらせる結果ともなった。自国史カリキュラム開発では,上記の中でも、 (1)の影 響を最も受ける。それが徹底されるにつれ,教科内容にマイノリティ(女性なども含め) の歴史を組み込むことまでもが要求されるようになる。つまり,制度的な多様化のみなら ず,教育内容についても多様な視点からの選択が要求されることになったのである。これ には,公民権運動の結果や学問の進展,とくに,歴史学における社会史研究の進展など,

多様な背景からの影響を考えることができる。いずれにしろ,現在の自国史教科書におい ては,マイノリティについての記述を増加させ、また,多様な解釈を可能にするなど,磨 史内容の多様化が進んでいる。近年の米国の自国史教科書の一般的傾向の1つである,見 解の異なる資料や女性や兵士の日記などを載せ,ディベートのテーマとなるような学習の 手引きを付記することなどは,この影響であろう。

しかしながら,このような状況は、新たに③の動きを生み出すことになる。 1980年ご ろには,米国では「基礎に帰れ(Back to basics)」運動が展開する。それは、学校カリキュ ラムが多彩となり(いわゆる,カフェテリア化),教育内容も多様化したことによって, 国民としての共通(基礎)教養が欠如していること‑の対応であった。 『危機に立つ国家』

(1983)が発表される時期において(詳細は,本章第3項参照),首都の位置や初代大統 領の名前さえも知らない生徒の増加が報告される。そして,国民としての「基礎教養」, つまり,ヨーロッパの伝統を核とした内容をもとに、国家的な統合を行うのみならず,追 徳的な価値までも統合しようとする運動として具体化されたのである。これは,現在まで の政府主導の教育改革の推進力ともなっており,ここでも,その主な対象とされたのは、

自国史教育であった。そして、自国史教育には,ヨーロッパの伝統や価値を具体化する内 容を組み込んだカリキュラム開発が望まれたのである。

このように、現代米国の自国史カリキュラム開発には,米国教育、さらにはカリキュラ ム開発の抱える課題が大きく反映され、教科の論理のみでは語りきれない,この様な社会 的背景が複雑に絡み合っているといえる。

2 現代米国各州社会科カリキュラム開発の現状と課題

(1 )各州社会科カリキュラム開発の全体と三潮流

つぎに,各州の社会科カリキュラム開発を概観してみよう。米国各州の社会科カリキ ュラム開発の詳細な動向把撞は,本研究の目的ではないが,かこの検討は,現代米国の自国 史カリキュラム開発の背景として、重要な要素となると考えられるため,以下,簡単に整 理したい。また、筆者の現地調査ならびにインタビュー調査の限りではあるが,学区のカ リキュラム開発では、他州のカリキュラムが参考にされることや、さらに,実際の授業実 践においては,教師が独自に年間計画を作成し、学習単元によって,使用する教科書を変 えるというように,非常に多様な方法が取られている。つまり,州政府により開発された カリキュラムが,そのまま末端の学校まで浸透し,使用する教科書も,基本的に各学校で は1冊だけということは少ないといえる12。そのため,このような現状のすべてを明らか にすることはできないので,各州の社会科カリキュラムの全体計画とカリキュラム開発に あたっての強調点に着日し,その現状と課題を明らかにしてみよう。

日本でも多く紹介されているが,米国の社会科カリキュラムには,伝統的カリキュラム