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多文化社会における自国史カリキュラム開発の論理(2)

第3章  多文化社会における自国史カリキュラム開発

第3節  多文化社会における自国史カリキュラム開発の論理(2)

‑カナダの場合‑

本章では,以上のように,カナダ多文化主義の略史と動向,それを受けてのカナダ社会 科の動向,そしてその類型化,さらにブリティッシュ・コロンビア州とサスカチェワン州 の社会科か)キュラム開発を検討することを通じて、多文化社会における社会科カリキュ ラム開発の論理の抽出をめざした。

それでは,現代カナダ社会科カリキュラム開発には,どのように他の多文化社会とは異 なる論理を見出すことができるのであろうか。

そもそも西部諸州に端を発した多文化主義の展開過程は,同じ起源をもつヨーロッパ人 の間の民族対立の過程でもあった。例えば、多文化社会の典型である米国での多文化主義 が人種間題から生じたのとは大きく異なる。つまり,カナダ多文化主義は,すでに社会競 合を完了したホワイトエスニックを直接の対象としたものであった。現在のカナダは, 民族構成が大きく変化し,いわゆる絶対的なマジョリティは存在しない。とくに,西部諸 州では,それが顕著である。さらに,カナダ建国に携わった英系、仏系住民の割合も30%

弱になり,現在のカナダ社会をこれらの2民族が構成しているとも言い難い状況にある。

っまり,米国で論点となるような, 「西洋文化」対「その他の文化」という対立構造は, 成り立たないのである。今後も,カナダは,移民を継続的に受け入れてゆく必要があり, ヵナダ自体,常に変化するであろう。では,このような状況における社会科カリキュラム 開発の論理は,どのようなものであろうか。

ヵナダをとらえるためには,ある特定の文化,つまりマジョリティの文化の存在を前捷 にするのではなく,カナダの多様性を作り上げた構造を踏まえ,常に変化するカナダ像を 追求する必要がある。そこでは、米国のような画一的な方向を目指すのではなく,多様な 文化の存在を認め,共有することそのものが,カナダ像を模索することが必要となろう。

この点は,自国史かJキュラム開発の重要な背景となっている。つまり,現在のカナダ社 会を形成したのは,ある特定の文化ではなく,文化の多様性そのものであり, 「異なるこ と」が,つまり「同じこと(平等)」であることを認識させることを,カナダ史の学習の

主目的とされていると考えることができる。そのために,学習内容には,カナダを形成す る過程においての文化や社会,さらには,生きた人々の歴史が主に規定されている。この ように,現代カナダの自国史かノキュラム開発には,歴史学習を通して、カナダ(人)像 を模索させるということが目的とされている。

このようなカナダ西部諸州の自国史カリキュラム開発は,ナショナルな関係を基底とし っっも、規定される知識は,多様な見方を保障するものである。さらに、自国史の学習で 形成された認識や意識が,現代世界の多様性の認識につながるよう学習が設定されている ことからも,歴史や社会のとらえ方自体の理解、つまり,知識の理解にとどまらず,学習 の方法をも重視していると考えられる。そのため,このカナダにおける自国史かノキュラ ム開発は,開かれたものとなっているといえよう。先にも検討したが,米国での『合衆国 史』では、どちらか■といえば,伝統的な歴史内容に,多様な見方やマイノリティの歴史を 組み込むことが重視されていたといえる。しかし,カナダの場合は,そもそも支配的な歴 史がなかったといっても過言ではない。上記のように、絶好的なマジョリティが存在せず,

また、同じヨーロッパ系の住民間のでの論争が絶えなかったため,自国のある時代の過去 に、自らのアイデンティティや価値観などを求めることができないという点は,米国と大 きく異なるであろう。そのため,規定される知識の多くは,支配的な歴史内容への対抗と してではなく,多様な知識を提示することでしか,カナダの歴史を見出すことができない のである。

もちろん,各国によって、その国家形成の過程は異なり,その過程と自国像に密接にか かわる自国史教育であるために,単純には比較することはできないであろうが,このよう に,先に検討した米国とは,異なる背景をもち,異なる論理のもとで,自国史カリキュラ ム開発がなされているといえよう。そして、それは,米国で検討した,多様な価値を保障 する自国史*.)キュラム開発よりも,より開かれたものであると考えることができるので はなかろうか。

・カナダ社会科の一般的な社会科教育の動向を体系的に検討した文献には,以下のものがある。本研究 では,以下の文献を主に参考にした。また,カナダ社会科教育については, Canadian Social Studies (教 育雑誌ノ に詳しい。

write, I. and Sears, A. ed.(1997), Treads & Issues in Canadian Social Studies, Pacific Educational Press.

また,日本でカナダの社会科教育について言及されることは,ほとんどない。管見のかぎりでは,以 下の文献以外にカナダ社会科についての研究は見あたらない。

水田健一(1982) 「社会」、聖徳学園岐阜教育大学義務教育がノキュラム研究会婿(1982) F義音数育に

おけるカリキュラムの比較研究‑‑カナダーl、 pp.31‑39・

なお、水田は、 1977年版のオンタリオ州の歴史がノキュラムを分析している。

また,カナダの教育についての研究も、日本では盛んであるとはいえないが,体系的な研究としては、

以下の文献を挙げることができる。

・関口礼子編(1988) 『カナダ多文化主義教育に関する学際的研創、東洋館出版社。

しかし、その後,カナダの教育についての検討は少ない。

2 カナダでは、 1999年4月より、ノースウェスト準州の先住民イヌイットが居住する地域に, 3つ目 の準州「ヌナブート」が発足することが決定している。しかしながら,当該準州におけるかノキュラム 開発のみならず、教育制度などは、今後の展開を見定める必要があり、現時点での考察は難しい。そこ で,本研究におけるカナダの考察は、教育の制度的にも,ある程度落ち着きを見せている、従来から存 在する10州と2準州を分析の対象とした。ちなみに、カナダの準州は,基本的に,独自の政策を行う のではなく,連邦政府の管轄下にある。ただし,本文で後述するように、カリキュラム開発に際しては, 独自のカリキュラムを開発する場合もあり,さらに、近接する州のかノキュラムがそのまま採用される 場合もある。

3 「western canadian Protocol for Collaboration in Basic Education, K‑12」は、 1993年に創設され、本 文に示した、 4州と2準州の間で、高いスタンダードの教育を提供することや共通の教育目標の設定な

どを目的とする組織である。各州の*.)キュラム開発の多様性を重んじてきたカナダの教育においては、

画期的な試みであるといえる。

4カナダ諸州の多くが、 12年間の修学年限をとっているにも関わらず,オンタリオ州では,最長(大学 進学コースなど)では, 13年間を就学年数としている。

5例えば、修学年限は, 11年間である。

6ちなみに,一般的によくカナダをとらえる視点となる,英系と仏系文化の対立を、宗教的側面に着目 してみれば、英系は,キ.)スト教でもプロテスタント派であり,仏系は、カtl)ツク派であると言える.

しかし、カナダでは,英系文化が重要な位置を占めつつも,この宗教に関しては,カナダ全体では,カ トリック派が多いことになり、逆転現象を見ることができる。こういった背景もあり,ケベック州のみ ならず,他州においても,宗教に関わった教育政策がなされている。米国のように,いわゆるWASP文 化として、人種,民族,宗教を稔括して伝統文化と見なすことが難しいというカナダ社会の特質を,こ

の点からも指摘することができよう。

7 本章での,カナダ多文化主義の考察は、主に以下の文献を参照した。また,以下の文献は、本章を 通じて参考にした。

・オージー・フレラス/ジーン・エリオット(1997) 「「多様性から統一をつくり出すこと」 ‑カナダの 政策としての多文化主義‑」、多文化社会研究会禰訳(1997) r多文化主義‑‑アメリカ・カナダ・オ ーストラリア・イギリスの場合‑J、木鐸社。

・聖徳学園岐阜教育大学義音数育*.)キュラム研究会編(1982) F義務教育における* l)キュラムの比較

研究‑‑カナダー』、聖徳学園岐阜教育大学義務教育がノキュラム研究会。

・関口礼子編(1988) 『カナダ多文化主義教育に関する学際的研創、東洋館出版社。

・田村知子(1992) 「多文化社会におけるアイデンティティと競合」、梶田孝道席順際社会判,名古屋 大学出版会, pp.220‑240. (同書第2版(1996)では、 pp.270‑290.)

・田村知子(1997) 「カナダ多文化主義の現実とジレンマ」,初瀬龍平編『エスニシティと多文化主副, 同文舘。

・初瀬龍平編(1997) 『エスニシティと多文化主義』,同文舘。

・多文化社会研究会靖訳(1997)多文化主義‑‑アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリスの場合

‑逮,木鐸社。

・西川長夫ら編(1997)多文化主義・多言語主義‑‑カナダ・オーストラリア・そして日本一‑j、人 文書院。

・ライゼイ・クック/小娘充・失頭典枝訳(1994) 『カナダのナショナリズムーー先住民・ケベックを中 心に‑』、三交社。

また、 『世界大官科事則、 『世界民族間蓮辞則、 International Encyclopedia 。f Educationのカナダに 関する項目も参照した。

8田村知子(1997) 「カナダ多文化主義の現実とジレンマ」初瀬龍平編Fエスニシティと多文化主副、同 文舘、p.137.

9前掲、田村知子(1992)を参照。

10 「非英仏系集団」とは,英仏系以外のヨーロッパ系住民のことである。

ll 「ヴイジブル・マイノリティ」とは、 1970年代以降に増加した移民で、アジア,アフリカ,中南米 などの第三世界からの移民を示す用語である。このヴイジプル・マイノリティの増加は、人口(民族) 構成を大きく変化させ,ヨーロッパ系住民間の言語を中心とする文化の問題から、人種間蓮という新た

な課選を生み出す原因ともなった。本論文で焦点を当てる西部諸州では、近年アジア系の移民、とくに 香港からの移民が多く、西部最大の都市バンクーバーは, 「ホンクごバー」というニックネームがつく ほどである。

・2カナダ‑の移民許可をとる際に,厳しい語学検査などが科せられていたために,ヴイジプル・マイノ リティは、カナダで生活するにあたって,語学力の面での開港はほとんどないといわれている。ただし、

ヵナダの移民政策も,時代とともに変更され、移民許可の基準なども変化しているため,現在では、そ の移民すべてがそうであるとは限らないoしかし,カナダの移民政策の変容に関しては、本研究の課轟 を越える。

13前掲,田村(1992), p.145.

・4関口礼子(1988) 「カナダ多文化主義教育の意義と展開」関口礼子稀rカナダ多文化主義教育に関す る学際的研究j,東洋館出版社、 pp20‑22.

・5FirstNationsとは,カナダ先住民をさし,カナディアン・インディアン,イヌイット,メティスのこ