• 検索結果がありません。

地球時代における自国史教育とその意味 なぜ自国史教育の改革が地球時代には必要であるのか

第1章  地球時代における自国史カリキュラム開発の

第1節  地球時代における自国史教育とその意味 なぜ自国史教育の改革が地球時代には必要であるのか

1 地球時代の教育における自国史教育の重要性

「教育」という営みにおいて,教育内容(‑教材,カリキュラム)は,その中核をなす ものである。教育内容を「誰が」設定するべきかをめぐる厳密な検討はなされるべきであ ろうが,カリキュラム開発が重要であることに異議を唱える人は少いであろう0

しかし、教育活動,とくに公教育が国家の政策の一部として行われる限りにおいて,そ こでのカリキュラム開発は,世界的に,もっぱら国民統合を意図し,自国の優位性を意識 させるための内容が選択されることが多く,その役目を中心的に担ってきた教科が「歴史」

であった。

<歴史>は,その概念に, <出来事としての歴史>と<叙述,または認識としての歴史

>という2側面を内在しているために,多様な解釈が可能で,その振作が容易であるとい われる。そのため,歴史教育においては,偏向的な教育内容が選択されることが多くあり, 時には、政治的意図により利用されてきた。とくに自国史教育は,その役割を中心的に果 たしてきたと言える。

現代世界に,相変わらず存在し続ける、国際的な「誤解」や「不信」,また,人類にと って悲劇的な結末をもたらす,戦争や紛争,民族間の対立,大量虐殺などが生み出される 構造の深層には、歴史認識や歴史意識をめぐる問題が横たわっている。このような問題認 識にたっての自国史カリキュラムの改革は,第一次世界大戦の後、国際連盟の活動に,す でに見ることができる。また,第二次世界大戦後,真の平和の実現のために,国際理解教 育の普及を目指したユネスコは,設立当初、国際連盟の活動を引き受け, まず、自国史教 育の改革に着手していた。さらには,各国の教育研究者や意識の高い教師らは,常にその 改善を試み,優れた教材を開発してきた。しかしながら,国際機関であるために各国の政 府の教育政策にまでは介入できないこと,国家の論理や国益追求という思考の枠組みを抜 けることができないこと,負の歴史を隠蔽する傾向は変わらないことなどの理由により,

結局,上述の兆候はさほど改善されることなく,現代世界においても,自国史教育は、大 きな問題の一つとなり続けている。

ヒロシマ・ナガサキ‑の原爆投下に始まる,地球親模の核‑の危機意識,平和や人権思 想の発展と環境問題‑の取り組み、自然と人間,そして万人の共生の思想の拡大,さらに は,経済活動のグローバル化,国境を越えたヒト・モノ・コトの移動などは,現代社会を とらえる認識枠組みを、国民国家時代から、 <地球時代>としていかなければ,解決する ことができない様々な課題を私たちに露呈している1。このような状況に鑑みれば, <地 球時代>は、現代社会,さらには、来る 21世紀の社会をとらえるキーワードであるとい っても過言ではない。それでは,このように,現代を<地球時代>と認識し,未来‑と私 たちを開く教育とはいかなるものであろうか。一見,その動向と対置されがちな自国史教 育は,なぜ必要となるのであろうか。

<地球時代>であるという時代認識に立つということは,決して,世界社会を創り出し、

無国籍市民を形成するために、ナショナルな伝統を否定し、過去を忘却すること意味する のではない2。むしろ、思考の軸をナショナルな伝統にしっかりとおきながら,それをみ すえて,インターナショナルなものを展望することが重要となる3。

「わたくしたちは「歴史的現代」を生きている。過去・現在・未来という時間性の 中で、過去を心に刻みながら,同時にそのことを通して未来‑の価値選択をしつつ 生きている。」 4

「もとより,教育の目標は人間がいかに生きるかということである。その意味で, 教育の本質は個人であれ,集団であれ,人間に生きようとする意欲をもたせること

であり,それは「いかに生きるか」という人間存在の根幹にかかわるアイデンティ ティの問題と密接不可分のものである。しかもそのアイデンティティの核は、過去 と現在,そして未来をつなぐ歴史認識であると言ってもbiく、その歴史認識は国民 教育のありようによって大きく親定されるものである。」 5

という言葉に象徴されるように,自国史教育は,社会をより疎く認識し,より良い価値 選択の道を探るためには,重要なものである。そして,人間としての生き方の模索ヤアイ デンティティ形成にとっても欠くことはできない。 <地球時代>という認識に立つのであ れば,過去を真聾にみつめ,未来‑の選択肢をさぐることが不可欠となり,そこで最も重 要となるのは、歴史認識や歴史意識の形成であるといっても過言ではなかろう。そうであ

るならば,自国史教育は、地球時代の教育においても重要な役割を果たしていくと考えら れる。しかしながら,自国史教育は,一方で,未来へと私たちを<開く>とともに,他方 で,未来へと私たちを<閉ざす>という2つの可能性を,常に表裏一体の関係で内包して

いる。

周知のとおり、学枚教育における教科の中で,自国史教育の内容を変更することは,し ばしば大きな思想的,政治的な論争を起こす。それは,自国史内容の変更は,自国の過去 の解釈に修正を加え, 「国民や民族の共通の記憶」を再構成することにつながるからであ る。そのために,自国史教育を支える論理は、さほど変わることはなく,現在でも,伝統 的な要素を最も反映した教科(冒)であると考えることができる。

日本の教育実践の動向を概観すれば明らかであるように,叫ぼれる,国際化,グローバ ル化へと対応するために、国際的(主に諸外国や地球親模の問題について)事象について の内容を教授することで,解決を図ろうとする傾向があることは否めない。

しかし,いくら時代の要請に対応するために,新たな教育(ここでは、国際理解教育や 異文化間教育など)を推進したとしても,伝統的な自国史教育をそのままにするのであれ ば,それは、学校カリキュラム内における矛盾を生じさせかねない。つまり,同時に,既 存の教科の改善が伴わなければ、新しい教育の意味を十分に発揮することはできないので

あり,そのためにも自国史教育の改善は,優先的な課題であると言えよう。

一方、国際化,グローバル化‑の反動として,近年,日本に限らず、欧米先進国におい ても,様々な論者が、自国史教育内容の変更を主張し,強力な運動体として台頭している 6。しかし,地球時代という時代認識が必要とされ,さらには,国民国家の形成とともに 確立してきた教育の限界が指摘されている現在の重要な課題は,伝統的な自国史教育の復 権を目指すことではなく,また,偏狭なナショナリズムの育成に陥りやすいとして自国史 教育の役割を軽視することでもない。地球時代であるからこそ、さらには,多様な分野で

「多文化化」, 「グローバル化」や「国際化」が叫ばれるからこそ,一見その潮流に逆行す るかに見える自国史教育の果たす役割を再検討し,そのカリキュラム開発をより<開かれ た>ものにする可能性を探求しなければならないといえよう。

しかしながら,自国史カリキュラム開発の論理をより開かれたものへとすることは,汰 して,現代のみの課題ではなく,過去においても同様の問題は指摘されてきた。繰り返し になろうが,自国史教育がとかく「一国中心史観」に陥りがちで,そこから派生する問題 の大きさも,常に指摘されてきた。

そこで,つぎに,地球時代の教育にとって,重要な位置を占めるであろう国際理解教育 と自国史教育についての議論を整理することを通して,地球時代における自国史カリキュ ラム開発の意味を探ってみよう。ただし,国際理解教育といっても,その意味は深く,そ の本質を追究すれば,人間存在や人間形成のあり方をめぐる議論までもを含めた課題を包 摂するといっても過言ではない。国際理解教育と自国史教育の関係を厳密に検討するので あれば,それらについての丁寧な検討を踏まえる必要があるが,それらの厳密な検討をす ることは,本論文のみでは難しい。そこで,ここでは, <国際理解と自国史教育>をめぐ る議論が盛んになされていた,設立当初のユネスコ国際理解教育と日本の初期国際理解教

育7にみる<国際理解と自国史教育>についての議論を整理するにとどめたい。

2 国際理解と自国史教育の相関をめぐる毒舌

( 1 )ユネスコ設立当初の国際理解教育理念にみる自国史教育の位置

国際理解と自国史教育の関係について、歴史をひもとけば,多く議論されてきたと言え るが、その課題に積極的に取り組んでいた代表的なものとしては,ユネスコ設立当初の国 際理解と自国史教育をめぐる議論をあげることができよう。

設立当初のユネスコは、第二次世界大戦の直後ということもあり、国際理解教育を通じ た世界平和を実現することに重きをおき,まず,西欧諸国をはじめ,いわゆる先進国間の 誤解や偏見を軽減することに焦点をあててきたと言える。しかし,当時は, <国際理解教 育>という用語自体も定まったものではなく8,ユネスコも、国際理解教育の理念や目的

をめぐって,手探りの状態であった。そのため,国際理解教育といっても共通認識や具体 的な方策があったわけではなく,ユネスコは,国際セミナーを横猿的に開催しながら、そ の概念規定をはじめ基礎的な問題を解決することを目指した9。

表1‑1には,設立当初に,ユネスコが主催した主な国際セミナーとそのテーマを整理 した。

表1‑1 ユネスコ国際セミナーの主要テーマ(1947年から1951年まで)

開催年 主 要 テ ー マ 開 催 地

194 7 年 国際理解 の教育 フランス ●セ ーヴル

194 8 年 ●教師 の教育 とその泰 成 イギ リス ●アシユリツジ

●国連 とその専 門機 関 につ いての教 育 アメリカ ●ニュー ヨー ク

●3 才 か ら 13 才 まで の児童教 育 チ ェ コス ロバ キア ●ボデ ブ ラ デ イ

194 9 年 ●アメ リカ州 における文盲 と成人教 育 ブラジル ●キタデ イナ イン ド●マイソール

●アジア にお ける地域社会 活動 の ための 田舎 の 、 人教育

19 50 年 ●国際理解 を進 め る方法 としての地理教 育 カナダ ●モ ン トリオール

●歴史教科書 を主 とす る教科書 の改善 ベルギー ●ブ リュ ッセル

●成人教育 の方法 と技術 オ∵ス トリー ●ザ ルツブルグ

●成人教育 におけ る公立及 び学校 図書館 の役割 スエ ーデ ン ●マルメ⊥

19 5 1 年 ●一般教育 におけ る視 覚芸術 の教育 イギ リス ●ブ リス トル

●国際理解 を進 め る方法 としての歴史教 育 フランス ●セーヴル

(小沢栄一(1952) 『国際理解と社会科における歴史教育』、古今書院、 pp.16‑17より作成。

なお,表中のテーマ,開催地の標記は,上記文献の記載をそのまま使用した。)

表1‑1にみるように,ユネスコの国際理解教育への取り組みは, 1947年のセヴ‑ルで のセミナーから始まるが,当時の多くのセミナーにおいて,歴史教育の改善(とくに自国