1.はじめに
今更述べるまでもなく、1978 年に改革開放政策に踏み切った中国は、目を見張るほどの発 展を続けており、2007年の実質GDP成長率は11.4%と2003年以降5年連続で2桁の成長を 続けている。更に2008年も10%前後の成長が続くと見られており、世界的に最も高い水準で あり、全世界から注目を集めているのは周知のとおりである。
日本からの投資については、一時、天安門事件で停滞期間はあったものの、90年代に入って 増加の一途をたどり、その内容に至っては最初低コスト生産を目指した拠点作りが主体であっ たものが、近年は富裕層の増加で拡大する中国国内市場を狙った投資が活発になってきている。
このように中国の発展ぶりに関心が高まる一方、中国独特の文化や習慣の違い、突然の法改正 や税制改革、高騰する人件費、物価高等々、乗り越えなければならない問題も山積しており、
外資系企業にとっては、今後の動向を見極めての舵取りが直面する大きな課題となっている。
その中において、今回のテーマである「人づくり」については、各企業が最も重要な課題とし て取り組む中で、上記影響の軽減と共に成功への課題攻略の優先キーワードとなっている。
2.会社概要
グンゼ株式会社は創業当時(1896年、明治29年))「郡是製糸株式会社」と表記した(1967 年「グンゼ」に変更)。社名の由来は「国に国是、郡に郡是、村に村是定むるにあり」からで、
「郡」の「是(正しい方針)」たるべく、地域産業振興を目的として創業者・波多野鶴吉によ り設立された。「人間尊重と優良品の生産を基礎として、会社をめぐるすべての関係者との共 存共栄を図る」とする創業の精神は、今もなお経営理念の指導原理として継承され創業112年 の老舗企業の屋台骨を支えている。
近年グローバル化の進展により国内メーカーがこぞって海外進出しているが、1971 年には 既に韓国に海外進出第一号となる肌着製造の合弁会社を設立、10年後の1981年には中国政府 の強い要請を受けて山東省済南市に技術供与による肌着の合作生産を開始している。これを皮 切りに1991年中国大連市にファンデーション製造の「大連グンゼ」、1994年には済南市に肌 着・ストッキングの合弁会社「済南冠世時装有限公司」を設立。以降、非繊維事業部門(プラ スチックフィルム・電子部品等)を含めると中国国内では16の事務所・事業所を展開。韓国・
中国以外では、タイ・ベトナム・インドネシア・米国・欧州などグローバルな事業展開を行っ ている。
以下に述べる中国大連における主な取り組みやエピソード等を通して、今後の現地における 事業展開の参考になればと願うものである。
〈大連グンゼの概要〉
会社名: 大連坤姿時装有限公司 設立日: 1991年10月 資本金: 707万US$ 総投資額:1,767万US$
出資者: 日本独資(グンゼ㈱80%・三井物産20%)
従業員数:530名 (2008年9月現在)
生産品目:ランジェリー、ファンデーション、インナーウエア 住 所:大連経済技術開発区 (2工場)
(1) 大連市への進出の背景について
当時、グンゼは創業100周年構想(V100構想)戦略を推進中で「ランファンとインナーウ エアを組み合わせた商品で売場を作る」が重点課題の一つにあがっていた。この計画を推進す るに当たっての課題は販売拡大に対する「低コスト化」と「縫製キャパの確保」だったが、日 本国内での見通しは高齢化による人材確保に限界が見えるなど大きな壁があった。この状況下、
海外生産基地設置の計画が本格的に浮上し、鋭意検討を重ねた結果、中国の大連経済技術開発 区に最終決定したのであるが、その理由は次によるものだった。
・ 大連はアジア、中国の他の都市と比較し非常に親日的である。
・ 改革開放の旗印のもと、近代国家を目指す中国で最初に経済技術開発区の指定を受けた中 のひとつで、各種インフラが整っていた。
・ 大連市内まで40㎞、空港まで20㎞、かつ貿易に欠かせない不凍港は中国第3の大港とし て、年間取り扱い能力6千万トンを保有し、日本とのアクセスもよかった。
・ 市の人口が535万人、市街地区は250万人と労働力が豊富である。
・ 優遇税制(設備輸入税免除、原材料輸入税免除、企業税2年間免除・3年間減税)や投資 に関しては外国資本100%(独資)が認められる。
このように、投資環境の良さに加え大連市長はじめ市政府が日系企業進出に積極的であった こと、大連市をファッションの都市と位置付けていたこと、シーズン性が強く、材料の外部依 存度の高いファンデーションの生産拠点としては最適であるとして、1991 年6月本社承認と なり、まずは5階建て標準工場の3階を購入し進出が実現した。
その後、現地で選抜した 26 人を日本の工場へ派遣し、当社のもの作りについて徹底的な訓 練、研修を積み、翌年の1992年6月に3名の駐在員(総経理、総務部長、工務部長)を中心 に現地の操業をスタートした。
(2) 初代駐在員の苦労と取り組み
日本研修を終えた 26 名の経験と力を頼りに、現地に乗り込んだ初代駐在員の苦労は、想像 をはるかに越えていた。当時の記録や情報によると、当然ゼロからのスタートであり、生産設 備の装備はもちろん、従業員の確保と教育、そのルール作り、もの作りの標準類、基準類の準 備と徹底、そのすべてを翻訳と通訳を介して進めるのだから大変で、軌道に乗せるにはかなり のエネルギーを費やしている。それでもスタートの翌月にはブラジャー2,913 枚の初出荷にこ ぎつけた記録が残っている。
最も重視したことは品質第一の実現であるが、そのためにはグンゼの理念の理解が不可欠で あった。そのため最初にグンゼ精神の教育を幹部に徹底した。その後、品質第一の重要性を理 解した幹部を通じて従業員全員にグンゼ精神が浸透していった。従業員にも品質第一を連呼す るだけではなく、正しい標準を守ることが品質第一を実現できる最良の手段だとして、グンゼ 精神教育と標準動作訓練を徹底的に行っていったのである。浸透に当たっては工程に一人ずつ 通訳を採用配置し、まず通訳自身に製品作りを体験してもらうことから始めている。その通訳 の理解内容をもとに現地版の標準書を作成し、幹部から従業員へと落とし込んでいったのであ る。
(3) 通訳問題と言葉の壁
現地での指導には通訳の活用は欠かせない。着任後、初めての工場巡視のとき、本来なら通 訳は聞き漏らさないよう必ず後ろを付いて来るものだが、何故か5 m後方から近づこうとしな い。話しかけても笑顔ひとつ見せない。どうも完全に前任者イズムから切り替えることができ ないのである。とにかく日本語は流暢だがプライドだけは高く心が通わない。
しばらく我慢したが、とうとう堪忍袋の緒が切れて「荷物をまとめて帰りなさい!」となっ た。現地の人は会社にではなく人になつき、人の移動と共に去っていくことが多い。
その一件から通訳探しと解任の繰り返しで、結局2年間で通訳7人が入れ替わる事態となり、
言葉の壁の大苦戦が延々と続くこととなった。
ある給料日の出来事である。当時は月末の業務時間中に給料を配布していたのだが、作業時 間中、休憩でもないのにミシンの音が「ピタッ」と止まる。驚いて職場を見ると、みんなが給 料明細を見せ合ってザワザワしているのである。びっくりして「仕事を優先するように」と注 意し、机に戻って仕事をしていると、10人くらいが険しい顔をして私の机を取り囲んで騒ぎだ した。普段は優しそうな顔の人も形相が変わっている。通訳に聞くと「なぜ私はあの人より10 元評価が低いのか」等々である。当時、初めての経験なのでどうしていいか分からず、とりあ えず「そういうところが評価が悪いところだ、ここにいる時間分給料をマイナスするから名前 を言いなさい」と言ったらしぶしぶ戻って行ったが先が思いやられる経験だった。自分の仕事 ぶりが上司から評価され、それが給料に反映するということを理解してもらうのに時間を要す こととなった。
3.業務を進めるための人づくりの留意点
(1) 基本理念の浸透
当社のもの作りの基本は、いつどの国で作ろうとも、先に述べた創業の理念「人間尊重」「優 良品の生産」「共存共栄」の実践であり、良い人が良いものを作るということである。
これを懇切丁寧に伝え、共感・協働し、成果を共有することである。問題は国々によって違 う文化の中で、いかにこの理念を理解してもらい定着させるか、いかに実践し成果につなげる かである。大連グンゼの創業にあって最も力を注いだのもこの点であり、この活動こそがグン ゼ製品のもの作りの基盤であると確信するからだ。そのためまず基本人材形成のエキスといえ る三つの...
しつけ...
「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」の浸透から始めた。
・「あいさつをする」・・・相手と心を通わせよりよい人間関係を築く第一歩 ・「はきものをそろえる」・・・先々のことを考える気くばり
・「そうじをする」・・・物事のけじめをつけること
これを具体的な言葉に落とし込んだのが「基本キチット運動」である。「やらなければいけ ないことは絶対にやる」「やってはいけないことは絶対やってはいけない」を徹底することだ。
これは日本で既に導入・展開され実績のある運動である。この取り組みを工場経営の軸とした。
翌朝から会社の玄関に立って自ら従業員を挨拶で迎えるという毎日につながったのである。こ れが現地の人財教育の基礎となっている。