第 3 章 父親をめぐる<教育
第Ⅱ部 結論:
母親・父親をめぐる主体化装置の非対称性と育児言説のゆくえ
以前真とみなされていたものは、何ひとつとして真ではないという こと 。以前には、聖ならざる、禁ぜられた、軽蔑すべき 禍なるものとして軽蔑されたもの 、すべてこれらの花が
今日では真理の花らしい小径のほとりに咲きでている。
―F・ニーチェ、原佑訳(1993)『権力への意志』(上)、
ちくま学芸文庫、448頁―
「見える」主体化装置から「見えない」主体化装置へ―母親をめぐる育児言説の変容―
これまでみてきた育児雑誌上の言説の歴史的変容の特徴を要約するならば、それは、「啓蒙的」育児 言説から、「共感的」育児言説への移行であった。つまり、バーンスティンのいうところの、科学的育 児知識を基盤とした、啓蒙的性格を持つ「垂直的言説vertical discourse」から、育児エージェント間 の「今」という水平的社会関係を強調する「水平的言説horizontal discourse」への移行であった。「配 分の諸規則」の観点からすれば、育児雑誌上の正統な育児言説のカテゴリーは歴史的に大きく移動し たことが確認できる。
これまでみてきたように、1920年代における婦人雑誌上において、母親は一貫して語られるべき対 象として位置づけられ、科学的育児知識を身に付け、子ども本位に育児やしつけを全面的に担当する
「良妻賢母」としての役割が母親に求められ続けてきた。とはいえ、こうしたメッセージの受け手は、
限られた層に属する人々であった。明治期の婦人雑誌がその対象とした「婦人」とは、中流家庭の女 性であったし、また、大正・中後期にかけて婦人雑誌を専有的に消化しえたのは、大正中期から飛躍 的な発展をみせた新中間層であった(前田 1993、217-219頁)。やがて、「当初職業婦人・女学生や都 市中産家庭の主婦層を中心に普及した婦人雑誌購読習慣は、大正後期から昭和にかけて女工や女中と いった、より下層の若い女性達にも徐々に拡がりをみせ始め」(永嶺 1997、181 頁)ていく。つまり、
婦人雑誌の登場と興隆は、女性に対する教育の解放と社会進出とに伴い、「婦人」あるいは「母親」で あることが社会への貢献に繋がっていくことを自覚していく過程、すなわち女性自らがその進歩的役 割に目覚めていく過程を反映していたのである。
しかし、そうした「目覚め」が、皮肉にも社会・国家の要請へと回収されてしまうこと、それが育児 雑誌(婦人雑誌)の歴史でもあった。すなわち、育児雑誌(婦人雑誌)の歴史とは、明治期には進歩的役割 を兼ね備えた「良妻賢母」として、大正期以降には資本主義体制の維持に不可欠な「職住分離の形態 で男性は仕事に出向き、女性が家を守り、育児に専念するという家族形態」(大日向 2000、90 頁)に 適合する「母親」として、そして、昭和戦前・戦中期には「軍国の母」として、というように社会あ るいは国家の要請に従う言説を中継することによって、女性(母親)の役割を一元的に統制していく 歴史であった。
では、戦後の育児雑誌は、このような母親の統制装置としての側面を弱めたのであろうか、あるい はその逆であろうか。70年代の育児雑誌においても、アカデミックな用語が頻繁に登場する、垂直的 言説による記事構成が依然支配的であった。しかし、80年代以降、日常生活世界の話し言葉指向の水 平的言説による記事構成がより前面に押し出され、いまや、育児雑誌は育児をめぐる母親たちの不安 や嘆き、そして喜びの共有空間としての意味を持ち始めている。
また、育児言説、とくにしつけ言説の変容を追うなかでみいだされたのは、「教授的/規制的言説」
に対する弱い枠づけをもつ<教育>言説の台頭という事態であった。育児雑誌上の言説の水平化は、
「見える教育方法visible pedagogy」から「見えない教育方法invisible pedagogy」への移行を伴っ
ていた。
同様の事態は、母性をめぐる言説においても生じている。かつて、育児雑誌上において母性・母親 役割は「家庭」あるいは「国家」に直接的に結び付けられて論じられていたが、70年代以降の育児雑 誌では、母性神話からいかに母親たちを解放していくかに主眼が置かれ、さらには育てられる主体と しての子どものみならず、育てる母親自身にも照準が合わされていく。育児上で悩みながらも成長し ていくのが現代の母親であり、母親は育児エージェントとして、母性を涵養されるべき対象でもなけ れば、専門家が提示する育児知識を通じて啓蒙されるべき存在でもない。いまや母親たちは、水平的 育児言説を通じて創り出される水平的連帯感のなかで、母親のあり方を自ら問い模索しながら育児の 指針をみいだし、母親役割それ自体を流動化しつつある。いみじくも水平的言説を基盤とした育児雑 誌の編集者のひとりは、インタビューの中で次のように語っている。
赤ちゃんも1人1人違っていろいろなので、お医者さんの意見がすべてではない。お医者さんはやっぱり、基本的な、
正しい、王道の話をしてくださるんですが、王道に子どもは入らないこともある。みんな人それぞれだから。そうする とみんなすごく迷うから、先輩ママからの「私はこうだった」という例がたくさんあると、安心できると思います。(育児 雑誌編集者インタビュー 2002年2月6日)
育児雑誌上の言説空間において、医者などの専門家はもはや、かつてのような絶対的な権威を付与 されてはいない。現代の母親たちにとっては、母親同士の横のつながり(水平的連帯)のなかで生み出 される諸々の育児実践のなかにこそ、最も正当な育児の基準、すなわち、最終審級が存在するのであ る。「評価の諸規則」の観点からすれば、母親が、受身ではなく、多様化された基準のなかから、個別 的にレリヴァンスをみいだし、自ら主体的に選択・構築していく育児実践がここにはあるということ になるだろう。
戦前期の一方向的で啓蒙的な育児言説においては、母親たちが自らのポジションを問い直す余地が ほとんど与えられず、母親はただ「正当な言説」によって満たされ「主体化」されるべき存在として のみ位置づけられてきたことを思えば、育児雑誌上の育児言説の変容、すなわち、水平的育児言説が 主流化していく事態とは、母親役割の押し付けからその解放への道筋であったということができる。
水平的言説によって具現化される共同体は、「文脈に特有の戦略が潜在的なたくわえ a potential reservoireを構築」する領域でもある。今日の商業育児雑誌上において支配的な水平的言説は、「エリ ート主義やもっぱら権威主義だといわれるalleged authoritarianism垂直的言説と戦うための参加に よる知識の獲得を創出するための、重要な資源」(Bernstein, 1996, p. 181)であり、それはこれまでの 啓蒙的な母親の統制装置としての育児雑誌の役割を大きく転換させたといえる。
しかし、こうした動向はまた一面において、新たなジレンマをもたらす契機をはらんでもいる。今 日支配的になりつつある水平的言説をその基盤とする「見えない< 教育ペダゴジー>」においては、育児にお ける絶対的な指針が示されないゆえに、育児エージェントは自ら主体的にレリヴァントな育児方略を 選択しなければならない。ゆえに、現代の育児エージェントが「自由という名の不自由」というアン ビヴァレントな状況に置かれているという可能性は否定できない。
水平的言説を基盤とした共同体にはこうした両義的性格があるがゆえに、そのような共同体内部に いる母親たちは、垂直的育児言説―それは社会変革のための概念的知識の基盤となる―によって 取り結ばれる普遍的文脈への接点を奪われ、本音の吐露を中心に形成される「嘆きの共有空間」へと 閉じ込められてしまうという危うさにもさらされている。
「見える」主体化装置の存続―父親の育児参加言説―
かつて婦人(育児)雑誌は、垂直的言説を基盤とした母親の「見えるvisible」統制装置であったが、
今日、それは水平的言説を基盤とした母親の「見えないinvisible」統制装置として機能している。そ れは、その装いを変えながら同じ母親統制の機能を持ち続ける、社会構造・ジェンダー秩序の維持・
再生産装置である。育児(婦人)雑誌上の育児言説は、女性を時代ごとの国家の要請や支配的な社会構 造・秩序に対応させるべく、「呼びかけ」を通じて特定の鋳型に押し込むという、「主体化」の機能を もち続けてきた。
このように母親をめぐる育児雑誌上の育児言説が「見える」主体化装置から「見えない」主体化装 置へと移行してきたのに対し、父親をめぐる育児雑誌上の育児言説(父親の育児参加言説)は、つねに
「見える」主体化装置として機能してきた。ここには母親と父親の主体化をめぐるタイムラグが認め られるが、このタイムラグこそが母親と父親の性別役割分業の非対称性を示している。母親にはもは や「見える」主体化は必要ないが、父親には依然として「見える」主体化が必要なのである。
本論では、「父親の育児参加」をめぐる言説は、終わりのない境界画定の闘争のなかで編成される、
永遠に終着点のない言説であるがゆえに、そこには容易に権力が介入しうる危険性がはらまれている こと、そして少子高齢化の進行を前に、現実に公権力が介入しつつある現状を示した。父親が育児に 参加していくこと―この参加という言表自体が、育児における父親の消極性を示唆しているが―
が望ましいことはいうまでもない。しかし、本来もっともプライベートな営みであるはずの育児が、
その外部にある権力によって規定されるべきではないだろう。
育児雑誌上の育児言説のゆくえ
現代の商業育児雑誌は、水平的言説をその基盤としている。こうした読者の声を最大限に取り込み、
育児エージェントたちの開かれた共感の場の創造を指向する水平的育児言説は、それが依拠する言説 の構造それ自体に内在する意味への性向orientation for meaningsゆえに、パラドクスを内包してい る。バーンスティンによれば、水平的言説は「制限(限定)コード」を前提として編成される言説であ る。「精密(推敲)コード」が垂直的言説を基盤とした普遍的な意味の世界を創り上げるのに対し、「制 限コード」は文脈依存的な意味の世界、すなわち、ローカルな社会的文脈から切り離されることのな い意味の「共感」の世界を創り上げる。しかし、それは同時に、諸個人をローカルな社会的文脈に閉 じ込めるということでもある。70年代の育児雑誌においては、政治的かつ学問的な、より普遍的な社 会的文脈への接点を創り出すような記事が散見された。しかし、90年代以降そうした記事はほとんど 見られなくなった。この意味において、育児雑誌上の育児言説の変容とは、文字通り、ローカル=局 域的な領域への育児エージェント―とくに母親の―閉じ込めの過程でもあったのではないだろうか。
みてきたように、水平的育児言説は参加による新たな共同体の創出というポテンシャルを有してい る。水平的育児言説のポテンシャルを実現するためには、その社会的基盤が十分に整備されなければ ならない。しかし、今日、商業育児雑誌上という私的領域においては母親役割が相対化・流動化され ていく兆しがみえる一方、公的領域においては、本格的な少子高齢化社会の到来を前にしながら、子 どもを育てる主体としての母親・父親役割それ自体が問い直されることは依然としてない。そこにあ るのは、ただ、一元的な「見える」主体化だけである。私的領域と公的領域のこうしたギャップが埋 められない以上、商業育児雑誌上のラディカルな、閉じられていると同時に開かれている水平的育児 言説も結局のところ、「嘆きの共有空間」あるいは「ため息の吹き溜まり」を超える役割を担う可能性 は閉ざされたままとなろう。既存の社会構造が維持され続けるのならば、育児雑誌の主たる読者であ る専業主婦としての母親たちが、育児雑誌上の水平的育児言説を通じて母親役割をどれほど相対化・
流動化しようとも、「嘆きの共有空間」に自らを閉じ込め続けていくほかはなく、結局のところ、育児 雑誌は母親たちの一時のガス抜きを超える意味をもちえないのではあるまいか。
今後、育児雑誌上において、母親がどのように語られていくのか、また、父親のあるべき姿をめぐ ってどのような主体化が繰り広げられていくのだろうか。育児雑誌が単なる「嘆きの共有空間」の地 位に押しとどめられるか否か、すなわち、育児雑誌のゆくえは、水平的育児言説の変革へのポテンシ ャルを政策レベルへと接合させることができるようなヴォイスを、個々の育児エージェントが産出し ていくことができるかどうかに委ねられている。そして、このことは同時に、育児言説の有り様に注 視し続けていく我々自身の課題でもある。