本論では、ユーラシア草原地帯における西から東への影響とともに、草原地帯東部を起点とし た逆の動きが近年指摘されていることを踏まえ、草原地帯東部における青銅器文化の形成、変容 過程そしてその要因について論じてきた。当該地域の青銅器時代から初期鉄器時代については、
ミヌシンスクや内蒙古など特定の地域に文化拡散の中心を置く研究、あるいは各段階で地域間の 多様な影響関係を指摘する研究が、学史上既に存在している。しかしながら、西部に影響するよ うな青銅器文化が、当該地域でどのように発生、展開するのかを地域全体、かつ通時的な資料を 用いて、整合的に論じたものはなかった。また、従来示唆されてきた影響関係が、いずれもその 内容について不明瞭であったことを本論では指摘し、青銅器時代から初期鉄器時代を通じた当該 地域の社会変化プロセスを考慮しつつ、以下の結論を得た。
まず、前
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千年紀前半にはEAMP、セイマ・トルビノ青銅器群がユーラシア草原、森林草原地
帯に広く拡散し、このうち、セイマ・トルビノ青銅器群に関しては、アルタイを中心とする東方 起源説が唱えられてきた。しかしながら、本論の検討によれば、セイマ・トルビノ青銅器群は、ウラル山脈付近を中心とした広域での、特殊な青銅器の共有関係によるものであった可能性が高 い。このような、精製品を媒介とした青銅器文化を特徴とする段階を、本論では青銅器時代第二 段階と定義づけた。前
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千年紀前半に、EAMP、セイマ・トルビノ(サムシ・キジロボ)青銅器 群がコンプレクスとして分布する、サヤン、アルタイ山脈を挟んで西側に位置する新疆北部やミ ヌシンスク盆地が、この第二段階に位置づけられる。一方、同時期の山脈の東側、モンゴリアで は、上記諸青銅器文化が欠落的に伝わってきており、ここでは、青銅器の特に精製品を媒介とし た広範囲の集団の結びつきが未だ形成されていない。この状況は青銅器時代第一段階と定義づけ られ、山脈を挟んだ西側との差異が指摘できる。つまり、モンゴリアにおける青銅器は、その開 始時点において、より西方の青銅器文化の影響を受けつつ、サヤン、アルタイ山脈という自然的 境界とそれに基づく東西両地域の社会状況の差異を、背景として既に持つことが看取できるので ある。前2
千年紀半ばには、サヤン、アルタイ山脈を挟んで、ミヌシンスク盆地では前期カラス ク青銅器様式、モンゴリアではモンゴリア青銅器様式が成立した。モンゴリア青銅器様式はEAMP
と一定の系譜関係を持つことが指摘できるが、モンゴリア、前期カラスク青銅器様式はそれぞれ 極めて独自性の濃い青銅器文化である。また、両青銅器様式の青銅器は、学史上におけるカラス ク期の青銅器(SEAMP)の一部に相当するが、これらは決して単一の青銅器文化では有り得ない。前段階(前
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千年紀前半)から続く、山脈を挟んだ地域性が、両青銅器様式の基礎となっている のである。モンゴリア青銅器様式では、特殊な青銅器、すなわち精製品が広範囲で共有される特 徴を持ち、青銅器を媒介とする即物的結合関係が、広範囲の諸集団間で形成されたことが予想さ れる。つまり、ここにおいて、モンゴリアは青銅器時代第二段階に入ったと考えられるのである。前
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千年紀末には、両様式の相互関係の下、ミヌシンスクにおいて後期カラスク青銅器様式が生 まれた。本様式では、特殊な青銅器の共有化という側面より、青銅器の実用化が進んでおり、社- 143 -
会の複雑化に伴う、青銅器時代第二段階における精製品を媒介とした集団結合の解体が予想され る(青銅器時代第三段階)。後期カラスク青銅器様式は、成立直後にモンゴリアに拡散し、モンゴ リアを含めたユーラシア草原地帯東部全体が青銅器時代第三段階となる。この要因としては、ミ ヌシンスクからの影響だけではなく、当該期における乾燥化、そしてそれに伴う騎馬遊牧の出現 という、モンゴリアにおける内的要因が重要であった可能性がある。そして、前
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千年紀初頭に は、後期カラスク青銅器様式の系譜を引くポストカラスク青銅器様式が、サヤン、アルタイ山脈 を挟んだ地域性を保ちつつ、ユーラシア草原地帯東部全体に現れる。本様式では、墳丘や副葬品 において階層化が顕著に表示され、一層の社会複雑化が想定できる段階である(青銅器時代第四 段階)。本段階は、学史上の「初期遊牧民文化期」の始まりに相当し、また初期鉄器時代の開始期 としても、従来非常に重視されてきた。しかしながら、本論で示したところによれば、「初期遊牧 民文化期」開始の指標として重要とされてきた、いわゆるスキト・シベリア動物紋の発達は、ユ ーラシア草原地帯東部において青銅器時代第三段階以降、顕著に進展する社会複雑化の進行と軌 を一にしている。つまり、青銅器時代第二段階における広域の諸集団の結合関係の解体と、それ に伴う各種要素の衰退が徐々に生じた帰結として、青銅器時代第四段階は捉えられる。いわゆる「初期遊牧民文化」形成の背景には、少なくとも青銅器時代第三段階以降における、サヤン、ア ルタイ山脈を挟んだ両地域の内的発展と相互関係を基礎とする、社会の複雑化のプロセスが存在 するのである。以上のように、当該地域では、サヤン、アルタイ山脈を挟んだ二つの大きな地域 性とその相互作用が通時的に認められた。少なくとも本論で明らかにした初期鉄器時代まで、こ れが、草原地帯東部の歴史的な構造であった。すなわち、山脈を挟んだ両地域は各段階において、
社会複雑化の程度を異にしており、青銅器時代を通じて、山脈外側は内側のモンゴリアに比して 一段階進んだ社会状況にあった。そして、両地域の相互交渉によって地域全体の歴史動態が進行 し、青銅器時代から鉄器時代に至るのである。当該地域の其々において、従来指摘されてきた様々 な影響関係、あるいは社会、生業の変化は、この構造の中で歴史的により深く理解しうるもので ある。
さて、ユーラシア草原地帯東部の青銅器文化をこのように理解したとき、当該地域を起点とし た影響を、ユーラシア草原地帯における西部からの流れと対比すればどうであろうか。従来では、
前
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千年紀前半(セイマ・トルビノ青銅器群)、後半(「カラスク的器物」の拡散)、前1
千年紀初 頭(「初期遊牧民文化」)に、西からの影響に対峙する形、あるいは単独で、青銅器文化が草原地 帯東部に忽然と出現、拡散するという捉え方が主流であり、それぞれの質的な差異も不明であっ た。しかしながら、ユーラシア草原地帯における「東方からの影響」は、各段階に突如として現 れたものではない。西部の影響を受けながら、草原地帯東部において独自の歴史的構造が形成さ れるという、一層複雑な過程の下、段階を経ながら西へ向かう流れが生み出されたのである。ま た、草原地帯東部が、青銅器時代から鉄器時代へという同時代のユーラシア全体の社会複雑化に おいて、ユーラシア草原地帯西部においてより早く出現した青銅器文化を成熟させ、地域間の相 互関係の中で鉄器時代へと続く変化を独自に成し得たことは特筆すべきである。後期およびポス トカラスク青銅器様式の諸要素が、各地域において鉄器時代へ向かう社会複雑化を伴いつつ、ユ ーラシア草原地帯西部まで拡散したとすれば、ユーラシア草原地帯全体における東部の位置づけ- 144 -
は一層重要なものとなるであろう。最後に、本論で扱い得なかった課題若干を記しておく。第一に挙げられるのは、本稿で見出し たサヤン、アルタイ山脈を境界とする地域性の形成過程、背景をより具体的に解明することであ る。特にミヌシンスク盆地における社会複雑化の過程や、境界付近に位置するトゥバ、モンゴル 西部がどのような様相を示すのかが注目される。また、山脈を挟んだ両地域において共に、階層 化が顕著に進行する段階も、青銅器時代に続く鉄器時代さらに匈奴時代として新たに考察が要さ れよう。他では、中国中原との関係が挙げられる。ただ年代のみを比較すれば、モンゴリアにお ける青銅器時代第二段階の開始(モンゴリア青銅器様式の成立)は中原の商代の開始に、青銅器 時代第三段階(後期カラスク青銅器様式)のモンゴリアへの南下は中原では西周の始まりに、お およそ相当するという興味深い現象が看取される。しかしながら、両者の有機的な関連を現段階 で論じることは難しい。ここでは、ユーラシア草原地帯東部における青銅器文化は、青銅器時代 第一段階に中原からの若干の影響を受けるほかは、当該地域内部の動態が、青銅器文化変化の極 めて重要な因素であったというに留めておきたい。ユーラシア草原地帯においても、東アジアに おいても当該地域は独特な位置を保っていたのである。