第 6 章 ユーラシア草原地帯東部における青銅器文化の形成と展開
第 2 節 前 2 千年紀後半から前 1 千年紀初頭における青銅器様式の動態
ここでは第
4
章、第5
章における分析に基づき、設定した各青銅器様式の内容およびその変化 の要因について考えることにしたい。先に様式の変遷を整理しておくと、前2
千年紀後半にモン ゴリアでモンゴリア青銅器様式が、南シベリアで前期カラスク青銅器様式が成立する(第1
期)。 前2
千年紀末に前期カラスク青銅器様式がモンゴリア青銅器様式の影響を受け、南シベリアにお いて後期カラスク青銅器様式が発生する(第2
期)。発生後、後期カラスク青銅器様式はモンゴリ アに拡散し、前1
千年紀初頭の南シベリアからモンゴリア斉一的様式圏を形成する(第3
期)。第4
期には南シベリア、モンゴリア両地域は、後期カラスク青銅器様式の伝統にあるものの、地域 性を帯びるようになり、これらをポストカラスク青銅器様式とした。なお、モンゴリア青銅器様 式、前期、後期カラスク様式は従来の「カラスク期」に、ポストカラスク青銅器様式の成立時期 は従来の「初期遊牧民文化」の成立期におよそ相当する。(1)前
2
千年紀後半における青銅器様式の起源ここで、前段階(前
2
千年紀前半)までの状況を踏まえ、前期カラスク青銅器様式、モンゴリ ア青銅器様式の起源について考えよう。前期カラスク青銅器様式は南シベリアの分布の中心はミ ヌシンスク盆地であり、トゥバまで確認される。新疆北部まで分布が広がる可能性があるが、後 のモンゴリア青銅器様式と比較するとその範囲はかなり限定的である。型式的に最も遡る刀子Ba
類に類似した青銅製品は南シベリア以西にはないが、ミヌシンスク盆地のオクニョフ文化の骨柄 銅刀がその祖形となった可能性がある。既に第4
章で言及した通り、刀子Ba
類は模を用いた製 作が想定され、祖形の骨柄銅刀を模して同様の形に比較的容易に作ることができ、また刀子Ba
類のあるものには痕跡器官が残っている点から考えても、骨柄銅刀が祖形である可能性は高いと 考えられる。ただし、様式発生の実年代について、前2
千年紀半ばから後半のいずれの段階かを 決定することは困難である。前節で見たとおり、前2
千年紀前半のミヌシンスクでは、EAMP
(ア ンドロノヴォ文化)およびセイマ・トルビノ青銅器群がセットとして確認できた。しかしながら、器種や型式から言って、両者は前期カラスク青銅器様式以降の青銅器様式には殆ど影響を及ぼす ことはなかった。後期、ポストカラスク様青銅器式以降、南シベリアで発達していく有銎闘斧に 関しても、分析で明らかにした通り、剣、刀子同様モンゴリア青銅器様式との関係の中で発達し た可能性が高い。前
2
千年紀半ば以降は、ミヌシンスク固有の青銅器文化である前期カラスク様 式が発達していくのである。このように、前期カラスク青銅器様式の開始は、山脈に囲まれたミ ヌシンスク盆地が強い独自性を発揮していく画期として、またそれがモンゴリア青銅器様式の開 始時期とほぼ同時である点でも注目できるが、EAMP、セイマ・トルビノ、サムシ・キジロボ青- 116 -
銅器群を駆逐しつつ、前期カラスク青銅器様式が如何に形成されたかについては、今後の課題で ある。
モンゴリア青銅器様式はトゥバ、バイカル湖東部、モンゴル、長城地帯に広がる。比較的出土 品が多い長城地帯では、遼西の遼寧省法庫が東限であり、そこから内蒙古東、中部、河北北部、
山西北部、陝西北部までひろがる。ただし、オルドス以西の寧夏、甘粛、新疆には様式としては 広がらない。内蒙古西部から甘粛は乾燥した砂漠地帯が続き、新疆はアルタイ山脈を隔てている ので、モンゴリア様式の分布域はモンゴル高原にほぼ相当するといってよい。モンゴリア青銅器 様式で最も遡る出土品は内蒙古朱開溝遺跡Ⅴ段階出土の剣
A
類、刀子A
類である。当該青銅器様 式の精製品によくみられる目鼻の突出した獣頭は、長城地帯の例ではないが、河北省台西遺跡出 土の匙に付属するものが年代的に最も遡る(河北省文物研究所編1985)
。モンゴリア青銅器様式 の剣と刀子のすべての形式がセットで現れるのは殷墟併行の段階であるが、その発生は二里岡併 行(前2
千年紀半ば)まで遡る可能性がある。モンゴリア青銅器様式の系譜的起源に関して、ま ず考える必要があるのは前節で検討した初期青銅器である。従来でも長城地帯における青銅器を 前2
千年紀前半以降から連続的に考える見解が存在し(林澐2002)
、その他多くの研究でも「北 方系青銅器」として長城地帯の青銅器は一括して考える傾向がある。しかしながら、初期青銅器 とモンゴリア青銅器様式には大きないくつかの差があり、結論から言えば、両者は系譜関係をほ とんど持っていないと考えられる。まず最も顕著な差は両者の分布である。初期青銅器の多くは 新疆から甘粛・青海付近(図7-5、7-7
の境界2以西)に集中しているが、その範囲はちょうどモ ンゴリア青銅器様式の空白地になる。宮本はこの現象を長城地帯の東西の地域差として把握し、長城地帯西部における鉄器化をその要因の可能性として挙げている(宮本編
2008)
。さらに興味 深い現象が新疆東部の哈密地域(前節の境界1
以東、境界2以西)で見られる。哈密地域におい ては、初期青銅器を多く出土した在地の天山北路文化の後に、土器の系譜上つづく在地文化とし て焉不拉克文化が知られる。焉不拉克文化は時期的にはモンゴリア青銅器様式以降に相当するが、初期青銅器と同様の比較的単純な器種の青銅器を有する。一方で、モンゴリア青銅器様式に特徴 的な青銅器は発見されていない。ところが、焉不拉克文化には属さない哈密近くの遺跡(デポの 可能性)において、モンゴリア青銅器様式の刀子
A、C
類が発見されている(王1986)
。この事 象も初期青銅器の系譜を引く青銅器とモンゴリア青銅器様式の器物が同時期において異なった存 在であることを示すものと言える。これに関連して、近年、林澐(2011)によって新疆北部のア ルタイ山脈南側を通じた、青銅器時代の東西交流が指摘されており、ユーラシア草原地帯におい て東方からの影響を巨視的に論じたものとしては注目できよう。しかしながら以上に示したよう に、前2
千年紀後半には、新疆北部から甘粛、内蒙古という初期青銅器の流入ルートが衰退する 様相を呈している。さらに、林澐がカラスク式短剣(本論文の剣B1、B2
類)の始まりとする朱 開溝遺跡出土の短剣は型式的には曲柄剣の部類(本論文の剣A1、A2
類)にあたるものであり、モンゴリア(内蒙古)からカラスク式短剣が西方へ直接的に拡散したという説は成り立たない。
カラスク式短剣は前
2
千年紀の終盤から前1
千年紀の最初期にミヌシンスクを中心にして拡散し たのである。このように、前2
千年紀以降の青銅器時代では、各段階において、異なった文化領 域が形成され、それに伴う青銅器の拡散ルートも一定ではないことが知られる。- 117 -
さて、モンゴリア青銅器様式の系譜的起源を考えるにあたって特に重要であるのは有銎闘斧で ある。有銎闘斧の分析において、モンゴリア青銅器様式で最も遡る型式は
EAMP(アンドロノヴ
ォ文化)の有銎闘斧の「内」の部分が発達したものであることを明らかにした。ところが、EAMP
の有銎闘斧は初期青銅器の段階には境界1以東の地域には達していない。従って、初期青銅器段 階かそれ以降にモンゴリア付近に達したEAMP
の別の一群が存在し、そこからモンゴリア青銅器 様式が発生したと考えられる。祖形をEAMP(アンドロノヴォ文化)のラッパ形耳環とするまた
タテガミ付き装飾品も、初期青銅器の装飾品A
類から直接発生したものではなく、EAMP
から新 たに生じてきたものであろう。ただし、モンゴリア青銅器様式にはEAMP
にない新要素が多く含 まれるほか、刀子C
類で想定した蝋型に類する技法や、錫の含有量が比較的高いといった金属成 分についてもEAMP
にはみられず、その発生の詳細については今後の課題とするほかない。モン ゴリア青銅器様式はEAMP
の系譜は引きつつも、全く独自の青銅器様式と評価できる。なおセイ マ・トルビノ青銅器群は錫の含有量が高いという点ではモンゴリア青銅器様式に類似するが、モ ンゴリア青銅器様式において矛という器種はそれほど顕著ではなく、セイマ・トルビノ青銅器群 特有の諸型式も存在しないので、現状で両者を結び付けるのは難しい。以上より、モンゴリア青 銅器様式はEAMP
との接触地帯である、アルタイ山脈を挟んだモンゴル西部附近で生じ、剣A、
刀子
C
類に見られる特殊な技法を開発しながら、徐々に広まった可能性が考えられる(図7-7)
。 いずれにせよ前2
千年紀半ばから後半にかけて、精製品から粗製品まで持つモンゴリア青銅器 様式がモンゴル高原において成立する。従来、2 千年紀半ば以降において、長城地帯から南シベ リアにかけての南北ルートが以前の新疆、甘粛を通じた東西ルート(図7-5)に替わり活発化し
たことが指摘されてきた(Mei2003、宮本編2008)
。確かに前2
千年紀後半から末にかけて、南 シベリアとモンゴリアの結びつきが強くなることは、本論でも示してきたとおりであるが、南シ ベリアとの関係が強くなるのに先立ち、南シベリアとは異なるモンゴリア独自の青銅器様式が成 立することが前2
千年紀における最も重要な事象と考えられる。後述のようにモンゴリア青銅器図7-7 前2千年紀半ばのユーラシア草原地帯東部