(1)前
2
千年紀前半の研究における問題近年、特に長城地帯や新疆で調査が進み、初期青銅器とユーラシア草原地帯の青銅器との対比 が盛んになってきたことは評価できるものである。しかしながら、従来の多くの研究で、器物の 類似性から導かれる解釈の殆どが、何らかのルートや関係の存在を示唆するにとどまっている点 は不十分であるといえる。すなわち、従来では、新疆、長城地帯の各地にそれ以西の文化要素が 見られ、地域間に何らかの関係が存在したことまではわかるものの、その具体的内容の評価が困 難であった。この要因としては、型式、出土状況面に関する情報が統合的に整理されていないこ とが挙げられ、その背景には次に記すところがあると思われる。
土器文化の中での青銅器
新疆や長城地帯において交流を論ずる場合、上記研究以外に青銅器単独で分析が行なわれるこ とはあまりない。青銅器の形態を論ずる場合でも、その基礎には土器文化の概念がある。中国考 古学では一般に、区系類型論に基づき、時空間における一定のまとまりを示す概念「文化」が設 定される。これは墓葬や青銅器も含めた文化総体に基づき設定されるものであるが、多くの場合 は主に土器によっている。そのようにして設定された特定の文化に、他の文化の要素が混じるこ
表2-2 韓による新疆の土器文化の編年表
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とがしばしばあり、それによって関係や交流を示唆する論が多い(韓
2005、水 2001)
(図2-22、
23)
。この場合、青銅器の分布圏は一般に土器文化より広いものなので、文化間関係を示唆する要 素としてとりあげられる。これらの研究では土器の編年研究進展、土器に基づく地域間関係の考 察の成果がある。また韓建業の土器の分析によれば、アンドロノヴォ文化そのものが新疆西北部 にまで達していたという。しかし、青銅器自体の系統、形式、型式の広まりに対して、まだ検討 の余地が残っている。領域間の関係や交流の内容を明らかにする為には、各要素への評価および、それら要素が青銅器全体でどこに位置するのか、つまり分類単位の階層的把握が必要と考えられ る。また青銅器が、より広域の動態把握のために有効な資料であることにも注意したい。
らすれば、検討の余地がある。また近年、宮本は中国西北部における青銅器の自立的な起源の可 能性も示しつつ、基本的にはチェルヌィフのユーラシア冶金圏拡大の中で、当該段階における長 城地帯の青銅器文化の成立を位置づけている。さらに、当該段階の長城地帯内部において、西か ら東へと青銅器文化様式の欠落していく様相が指摘されて、東西の情報伝播の中での受容者側の 主体性を認めるに至っている(宮本
2008)
。宮本の論考は、上述の交流の質に注目したものとし て、特に重要と思われる。ただ、そこで主張されるユーラシア冶金圏との関係は、地理的にも隣 接する新疆西部を含めた場合、より明確に成立の様相を捉えうると考えられる。また、この地域図2-22 新疆における土器文化 図2-23 水涛による、新疆における要素伝播図
図2-24 二里頭併行期における銅器・青銅器と土器文化
この点、佐野の論考では、新疆、
長城地帯の初期青銅器に関して、器 種構成、墓地分析から青銅器の社会 的位置が考察されており、中原と長 城地帯との差異が明瞭になっている
(図
2-24)
(佐野2004)
。しかしなが ら、佐野の関心は主に新疆、長城地 帯の銅器の出現過程にあり(佐野2004、2008)、ユーラシア草原地帯
の諸青銅器のとの比較という観点か- 25 -
の検討から、現在見解の一致をみていない青銅器伝播ルートの問題に関しても、何らかの手がか りを得られる可能性がある。ルートに関して、特に林澐は新疆北部を要として、西からの影響と 同時に東からの文化要素を指摘している点で興味深い。ただし、氏が東からの要素とするカラス ク式短剣について、それが氏のいうようにオルドス起源かどうかは未解決の問題である(前節(2)、 本節(2)参照)。従って、この問題によっては、氏の主張に対する評価が変わってくる可能性が ある。
セイマ・トルビノ青銅器群西漸モデルにおける問題点
チェルヌィフが唱える青銅器群西漸の主な根拠になっているのは金属成分分析であり(図
2-25)
、 東の錫青銅が西の砒素銅地域へ侵食していったと考えている。ほかでは、東西において形態差が 大まかに認められることも指摘している。これらの分析が非常に説得的らしく、現在では解釈は ともかくとして、セイマ・トルビノの東方起源説がこれといった批判なしに引用されることが多 い(Kohl2007、Koryakova, Epimaknov2007など)。しかしながら、チェルヌィフの行なっている 分析(Черных, Кузьминых1987, 1989)では、型式、成分、分布差の関連が明らかになってい ない部分が大きい。つまり、古い型式が草原地帯東部に存在し、それらには錫青銅が多いという ところまでは示されていないのである。草原地帯の東西に形態、および成分で大まかに差がある ということ以上を言うには、さらなる型式学的検討が必要と考えられる。また、チェルヌィフの論をとればユーラシア草原地帯東部に突然、高度な青銅器文化が出現し
図2-25 チェルヌィフらによる青銅器の金属成分分布状況
(上:錫青銅(砒素入は黒)、下:砒素銅(鉛入は黒)) 図2-26 クジミナによる有銎斧の変遷図
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たことになる。西漸モデルの再検討もさることながら、当該地域におけるその成立プロセスを青 銅器自体から説明するということも重要な課題である。なお、他に西漸説を唱える、ティホノフ、
クジミナの結論は主に青銅器の型式的検討によっているが、主に器物の特徴的な属性を個別に比 較、その類似性から器物間の系譜性や年代の近さを示す方法であり、次のカラスク期における諸 研究と同様、客観性に欠ける面がある。例えば、クジミナの示す有銎斧の変遷(図
2-26)ではセ
イマ・トルビノ、サムシ・キジロボ青銅器群を含めて、凡そ模様や耳の単純から複雑な方向への 変化が考えられているが、分類基準や方法の詳細は明らかではない。(2)前
2
千年紀後半(カラスク期)の研究における問題A・B
説における青銅器の系譜関係抽出とその方法論(分析手法における問題)まずは、A・B 両説の青銅に関する具体的な立論根拠をまとめておこう。まず、剣では柄曲剣 とカラスク式短剣の系譜関係が問題であり、両剣を排他的に捉える場合は
A
説、系譜関係を認め る場合はB
説となる。一方、刀子では南シベリアを含めた場合は屈曲型と弧形背型の系譜関係が、主にモンゴリアでは弧形背型の柄断面形態の
2
種(工字形、扁平)の系譜関係が問題になってい るといえる。刀子の場合、屈曲型と弧形背型に系譜関係があり、弧形背型における2
種間には系 譜関係がないとすれば、A 説に有利となり、その逆(屈曲型、弧形背型では系譜関係がなく、弧 形背型における2
種間は系譜関係がある)であればB
説ということになろう。つまり、A・B説 の当否は青銅器に関する限り、その型式学的操作に左右されるといってよいのである。しかしな がら、以上に挙げた多くの研究史においては、捉えられた系譜関係が型式としての実態に基づき、客観的に認めうるかという点で大いに不足がある。すなわち、型式ではなく各個体間における類 似性が説明の根拠となっていることが多く、そのため系譜関係の説明に客観性を欠いている。ま た、型式間における時間差を示す場合でも、属性の変異のスムースな移行が示されていない場合 が多かった。以下やや煩雑ではあるが、上記の研究のいくつかにおける分類編年上の問題を、剣 と刀子を中心に例示してみる。
・チレノヴァ(Членова)1972、1976における方法
刀子の曲がり具合(柄曲度)を厳密に測定した上で、屈曲形から凸背形への変化を想定する8。 分類では柄曲度を基に、13型式に区分される。剣ではカラスク式短剣を主に長短で二分し、短い ものから長いものへの変化を考えている。刀子、剣とも年代に関して、多くは中国中原や西アジ アなどとの対比によって導いている。モンゴリアの剣(柄曲剣)とカラスク式短剣が排他的関係
8 この想定は、チレノヴァが各種刀子への力のかかり方と、実際に刀身が折れている頻度を調べた結果、屈曲形よ り凸背形のほうが折れにくいとするところからくる(機能の強化)。しかしながら、この想定自体に不明な点が多 い。例えば、機能上、力が刃の先端に向かってかかるとされているが、その根拠は明らかではない。さらに計測 方法でいえば、凸背形も含めて、同じ基準で角度を測ろうとすれば、刀子の両端と、それらから均しい距離にあ る1点がなす角度を測るなどが考えられる。そうすると、背も刃側もスムースな曲線をなすものでも、カーブが きつければ屈曲形になり、反対に、折れの角が明瞭でも、やや広いものは凸背形になる可能性がある。確かに、
折れが明瞭なものには、比較的屈曲するものが多いことは確かであるが、屈曲形は、その名前が示すように、途 中で角をなして折れているということが重要なのであって、以上のように厳密に角度をはかることが出来、さら にまた、それが機能上の強化を示すという点についても疑問である。