- 92 - 刀子第2期
第4節 その他の器種の検討
ここでは数量的に少なく取り扱いが困難であるが、特にモンゴリア青銅器様式の起源について 考える際重要な器物若干を挙げる。
(1)有銎闘斧
前
2
千年紀後半の有銎闘斧ここでいう有銎闘斧とは銎付きの横斧であり、一般には闘斧(battle axe)と呼ばれる。この器 種についてはユーラシア草原地帯に限らずヨーロッパや近東にも似たような形態のものが多く、
その起源に関する議論は盛んである。従って、この器種については学史において
A、B
説(モン ゴリアと南シベリアとの関係)とは異なる脈絡で言及されることが多かった。第1
章でも少し触 れたが、やや詳細にこの器種について述べておく。前
2
千年紀前半のEAMP
あるいは初期青銅器にもこの器種がみられることは、第3
章でみたと おりであるが、前2
千年紀後半以降のユーラシア草原地帯東部で盛行する有銎闘斧は、それらと は異なる特徴を持っている。それは銎において斧身と逆に突出する、戈でいう「内」部の存在(高濱
2000)
(図5-33)である。この評価が研究者によって大いに分かれる。なお、ミヌシンスクで
カラスク期以降とされる有銎斧にはほとんど「内」部がある。「内」部の存在を重視するのは高濱
図5-32 青銅器様式の変遷
た。ミヌシンスクおい て、前期カラスク青銅器 様式を基礎に、モンゴリ ア青銅器様式からの影 響をうけて成立した様 式を後期カラスク青銅 器様式とする。成立した 刀子
Bb
類、剣B1a
が 第2
期の長城地帯に僅 かにみられるものの、こ こではモンゴリア青銅 器様式が衰退しつつも 存続していたと考えら れる。- 94 -
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- 95 -
て山西省林遮峪出土品(図
5-35-7)などが挙げられ、殷墟期に併行すると考えられるが、南シベ
リアのタガール文化や小黒石溝遺跡でもみられるので、比較的晩くまで残ったと思われる。モン ゴル国立博物館所蔵資料(図5-35-6)は柄部と刃部は区別されるが、外周の高まりが比較的よく
残っている点から考えて、Ⅱa 類に含められよう。Ⅱb 類は山西省曹家垣出土品(図5-35-9)を
挙げることが出来、殷墟期に併行すると考えられる。現状ではⅠ類→Ⅱa類(一部→Ⅱb類)とい う変化は妥当と考えられる。Ⅰ類の特徴は器身も外周全体に高まりが存在し、柄部突出が殆どないことであった。このよう な特徴によく似たものは
EAMP
の有銎闘斧(図5-35-1)に見られる。Ⅰ類における外周の高ま
りは、本来は刃部から連続する高まりであったことが理解され、刃部および「内」部の扁平化に よって高まりが独立、装飾化していったと考えられるのである。このように、有銎闘斧の「内」図5-35 有銎闘斧の変遷
他では、Ⅰ類は器身がⅡa、Ⅱb類に比して長 い。スウェーデン東アジア博物館の資料(図
5-35-4)は、柄部の突出から言えばⅡ類であ
るが、外周の高まりはほぼ残存しており、Ⅰ 類からⅡa 類の変化を示す点で興味深い。Ⅰ 類は内蒙古朱開溝遺跡Ⅴ段階出土の鋳型に刻 まれているので、二里岡併行(前2
千年紀半 ば)には遡り得る。一方で、Ⅱa類の例とし- 96 -
部は器形全体の発達の中で理解でき、中原などの影響によって単なる要素として付加されたもの ではないことは明らかであろう。また、近東の事例を出さずとも、出現はユーラシア草原地帯東 部の中で考えることが十分可能なのである。さらに重要なことは、EAMPの有銎闘斧は、前
2
千 年紀前半の段階では新疆西部までには認められるが、内蒙古には達していないこと(第3
章)で あるが、この点は考察において詳述しよう(第6
章第2
節(2))。分布
Ⅰ類、Ⅱb 類はモンゴリア(長城地帯、外蒙古)にしかない。Ⅰ類は長城地帯の遼西、内蒙古 中部(朱開溝遺跡)で発見されている。Ⅱb 類はモンゴル国にも例があり、長城地帯では遼西か ら内蒙古中部、山西、陝西北部、青海と幅広く発見されている。ただし、剣、刀子同様、長城地 帯の寧夏、甘粛、それから新疆ではごくわずかである。一方でⅡa 類はモンゴリア(長城地帯、
外蒙古)の他、南シベリアでも多く発見される。従って、Ⅰ類からⅡa 類の発生を認める限り、
有銎闘斧においても前
2
千年紀後半の段階にモンゴリアから南シベリアへの影響が認められるの である。上の様式との対比でいうと、Ⅰ類からⅡb類まではモンゴリア青銅器様式の所産であり、そのうちⅡa類が後期カラスク青銅器様式に取り込まれたと考えられる。Ⅱa類はモンゴリア青銅 器様式でもある程度存続していたと考えられるが、前
1
千年紀以降の有銎闘斧の例は少なく、剣 や刀子のように後期カラスク青銅器様式からの影響をみることは現段階では困難である。(2)ヒレ付き装飾品
前
2
千年紀後半段階に特徴的な装飾品の例として、モンゴルのテブシュ・オールの金製品(図5-36-5)が知られる (Новгородова1989)。これは先端に目鼻の突出する獣頭(図 5-22
「北獣a」
) がつく点から考えても、剣A
類や刀子C
類と対比でき、モンゴリア青銅器様式の一部をなすもの と考えられる。テブシュ・オール出土品と同様の形態の銅製品は採集資料でも知られ(図5-36-6)
、 獣頭と針金の背に突起を持つこれらをヒレ付き装飾品Ⅱ類としよう。一方、獣頭はつかないが、全体が湾曲した針金状を呈し、突起のかわりにヒレ状のものが外周につく装飾品がいくつか知ら れており、ヒレ付き装飾品Ⅱ類と一連のものをなすと考えられる(Bunker1997)。年代が判るも のは、内蒙古朱開溝遺跡Ⅴ段階発見の有銎闘斧の鋳型(図
5-35-3)に刻まれたもの(図 5-36-4)
で、前
2
千年紀半ばに遡る。同様のものは採集品(図5-36-3)でも知られており、特にヒレの部
分は多数の細かい線で構成され、各線は先端が玉状になっている(Ⅰb類)。同様のヒレを持つも のの中には、端がラッパ状になったものがあり、これをⅠa 類とする。内蒙古自治区採集の鋳型 にはⅠa類、Ⅰb類が一つの鋳型に彫り込まれていた(図5-37)
。モンゴル国立博物館所蔵品(図5-36-2)もⅠa
類とできるだろう。現状ではⅠb類が最も遡る例であるが、Ⅰa類の形態は、
EAMP
(アンドロノヴォ文化)の耳環(図
5-36-1)と比較できよう。モンゴル国立博物館の資料に関しては、既に高濱(2000)が EAMP
の他、初期青銅器との(図
4-2-1、4-2-2)対比を行っているが、Ⅰa
類は初期青銅器を介さずにEAMP
から直接発生したことも考えられる(第6
章第2
節(2))。なお、次章で述べる鹿石Ⅰ類 における動物表現にも数本の突起を伴うものがあり、ヒレ付き装飾品との関連が想定できる(図- 97 -
5-36-7)
。ヒレ付き装飾品は今のところモンゴリア以外では見られず、モンゴリア青銅器様式の所産と考えられる。
図5-36 ヒレ付き装飾品
図5-37 ヒレ付き装飾品Ⅰa、Ⅰb類の鋳型(縮尺不明)