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第 40 章

ドキュメント内 パーラーの紳士 The Gentleman in the Parlour (ページ 139-143)

小さな川の河口で、私は再び平底蒸気船に乗り込み、広く浅い湖を横切って、別の船に 乗り換え、別の川を下った。そしてやっとサイゴンにたどりついた。

フランスがこの国を占領してから成長した中国都市はさておき、さらには歩道をうろつ いたり、ロウソク消しのような幅広のとんがり麦わら帽子でリキシャを引く現地人もさて おき、サイゴンはあらゆる点で南仏の小さな田舎町の雰囲気だ。幅広い街路が配置され、

見事な街路樹が日陰を作り、そこにある賑やかさは、イギリス植民地の東洋町とはまった くちがった賑やかさだ。楽しそうでにこやかな所だ。第三共和国の派手な様式で建てられ た白く輝くオペラハウスがあり、それが幅広の通りに面している。そしてとても壮大で真 新しく装飾的なホテル・ド・ヴィルがある。ホテル群の外にはテラスがあり、アペリティ フの時間にはあごひげを生やした身振りの大仰なフランス人でごったがえし、みんなフラ ンスで飲む甘くうんざりする飲料、ヴェルモット・カシス、ビル、キンキナ・デュボネな どを飲み、みんな南仏の巻き舌訛りで機関銃のようにしゃべっている。地元の劇場となに やら関係のある陽気で小柄なご婦人方が、ぱりっとした服装と、鉛筆で描いた眉や紅を 塗った頬で、この遠く離れた場所に楽しげな洗練の雰囲気をもたらしている。店頭にはマ ルセイユからきたパリのドレスやリーユからきたロンドン帽がある。小さなポニー二頭が 引くヴィクトリア馬車がギャロップで通り過ぎ、自動車がクラクションを鳴らす。雲一つ ない空から太陽が照りつけ、日陰は暑さで重く濃い。

サイゴンは数日ほどぶらぶらするには十分に快適な場所だ。気ままな旅行者にとって人 生が楽になっている。そしてコンチネンタルホテルのテラスで日よけの下にすわり、すぐ 頭上で電気扇風機が回り、ちょっとしたドリンクを飲んでから地元の新聞で、植民地ので きごとや近所の雑事に関する熱っぽい論争を読むのはとても気分がいい。時間を無駄にし ているという後ろめたい気分なしで、広告を熟読できるというのは魅力的だし、そうした 精読の中であちこち時間と空間の中を空想をおもちゃの木馬で楽しくギャロップさせる機 会を見つけられないというのは、かなり鈍い知性にちがいない。だが私はここには、フエ 行きの船をつかまえるまで滞在しただけだった。

フエは

アンナム

安南の首都で、そこに向かったのは皇帝の宮廷で実施されるはずの、中国正月の お祭りを見るためだ。だがフエは川沿いにあり、その港はトゥーランだ。そのときメサ ジェリ船――真っ白で快適な船で、暑い地方の旅行に向いたしつらえとなっていて、広々 として通気もよく冷たいドリンクも豊富――がある朝二時に私をそこで下ろした。湾の 中、波止場から七、八キロに投錨して、私はサンパンに乗り移った。船員は女性二人と男 と少年だ。湾は穏やかで星が頭上にびっしり輝いている。夜の中へとこぎ出し、波止場の 光は異様に遠く思えた。ボートには水がたくさん入っていて、ときどき女性の一人が漕ぐ 手を止めて灯油の空き缶で水を汲み出していた。実にわずかなそよ風があり、間もなくか

れらは竹を編んだ大きな四角い帆をあげたが、風は弱すぎてあまり助けにならないよう で、行程は夜明けまで続くかのようだった。私からすれば、永遠に続いてくれてもかまわ ない。私は竹のマットに横になり、パイプを吸って、ときどきうつらうつらして、目を覚 ましてパイプに火をつけなおすとき、マッチの明かりで一瞬、マスト脇にしゃがみこんで いる女性二人の茶色い太った顔が見えた。舵取りの男がちょっと何かを言って、女性の一 人が返事をした。そしてまた、私が横たわる船板の下のかすかな水音以外はまったく無音 となった。夜は実に暖かく、シャツ一枚とカーキ色のズボン以外は何も着ていなかったが 寒くはなく、空気は花の感触のように柔らかかった。夜の中に長い上手まわしをして、そ れからゆっくりと河口への進路を見つけた。投錨した漁船や、静かにゆっくり流れに乗り 出す船の横を通る。川岸は暗く謎めいていた。男が一声かけると女性二人は間抜けな帆を 下ろし、またもや漕ぎはじめた。波止場にやってきたが水が浅すぎて、岸まで

クーリー

苦力におぶ われていくしかなかった。これは昔から、とても怖いし尊厳のないやり方のように思え、

私は自分には似つかわしくないと知っている形で

クーリー

苦力の首にしがみついた。ホテルは道を 渡ったところで、

クーリー

苦力たちが私の荷物をかついだ。だがまだ五時にもなっておらず、暗く て、ホテルではだれも起きていなかった。

クーリー

苦力たちはドアをどんどん叩き、やっと眠たそ うな召使いが空けてくれた。残りはみんな、ビリヤード台や床でぐっすり眠っていた。部 屋とコーヒーを頼んだ。ちょうど新鮮なパンができたてで、カフェオレと釜から出てまだ 熱いロールは、湾を横切る長旅のあとでは実にありがたく、これまで滅多に食べる幸運を 得られたことのないすばらしい食事とは相成った。通された部屋は汚いむさ苦しい小さな もので、蚊帳は汚れて破れ、シーツも最後に洗濯されて以来、何人の行商人やフランス政 府役人が寝たか見当もつかないほどのものだ。でも気にしなかった。これほどロマンチッ クは状態でどこかに到着したことはいまだかつてないように思え、これぞ記憶に残る体験 の序曲にちがいないと思えて仕方なかった。

だが、中には到着が唯一の見所という場所がある。精神の最もすばらしい冒険を約束し ておきながら、出てくるのは三食と去年の映画だけ。それは個性に満ちて興味をそそられ 興奮させる顔を持つのに、親しく知り合うようになると、その顔が単に下卑た魂の覆いに すぎないことがわかる人物のようなものだ。トゥーランとはそんな場所だ。

ある午前中を、クメール彫刻のコレクションがある博物館を訪ねるのに費やした。ご記 憶かもしれないが、プノンペンについて書いたとき、そこで見るべき彫像について不思議 と饒舌になった(といっても、他人の大仰なおしゃべりがあまり好きではなく、誇張表現 に気が進まない人物にしてはということだが)。それがクメール作品で、またも思い出し ていただくと(あるいは私のようにインドシナに行くまでクメール人もその彫刻も存在す ら知らなかったのであれば、いま初めて述べさせていただくと)クメールは強大な帝国で あり、インドシナの原生部族と、これまた広大で強力な帝国を作り上げた中央アジア平原 からの侵略民族との子孫だ。インド東部からの移民がサンスクリット、ブラフマン教など 故郷の文化を持ち込んだ。だがクメール人は精力的で、創造的な本能を持ち、このため異 人たちがもたらした知識を独自のやりかたで使えたのだ。彼らは壮大な神殿を建てて彫刻 で飾り、確かにそれはインドのものに基づいてはいるが、でもその最高のものは東洋の他 のどこにも見られないほどのエネルギーと大胆な作風、豊穣さと見事なまでの想像力を 持っている。プノンペンにあるハリハラ像*1は、彼らの天才ぶりがいかにすごかったかを

*1フランス当局がこの神につけた名前に私はいささか首をかしげている。昔から、ハリとハラはそれぞれ一

証明している。それは優雅さの奇跡だ。古代ギリシャの彫刻や、メキシコのマヤ彫刻を思 わせるが、まったく独自の性質を持っている。ああした初期のギリシャ作品は朝露のよう な新鮮さを持っているが、その美にはいささか空疎なところがある。マヤの彫刻は何か原 始的なものがあり、崇拝よりは畏怖を引き起こす。というのもそこにはまだ、洞窟の暗い くぼみに魔法の絵を描いて、恐れていたり狩ったりした獣たちに苦悶をかけようとした原 始人のタッチが残っているからだ。だがハリハラには、古代と洗練との力強く謎めいた結 合がある。そこでは原始の率直さが、文明の複雑さにより加速されている。クメール人 は、いきなりその想像力を捉えたこの技芸に、思索という長い遺産をもたらしてくれた。

まるでエリザベス朝のイギリスに、晴天の霹靂のように油絵芸術がやってきたかのよう だ。そして芸術家たちが、シェイクスピアの演劇や宗教改革での宗教紛争やスペイン艦隊 を心に宿したまま、チマブーエの手つきで絵を描き始めたかのようだ。プノンペンで彫刻 を作った彫刻家の心の状態には、何かこのような変化が起こったはずだ。力強さと単純さ と見事な線を持ちつつ、無限の感動を招く精神的な性質も持っている。美だけでなく知性 もあるのだ。

こうしたクメール人の偉大な作品は、この強大な帝国とその活発な人々の名残が、ジャ ングルの中に散在するいくつかの廃墟となった寺院や、あちこちの博物館に散在する壊れ た彫像いくつかしかないことを考えると、なおさら特異な痛ましさを持つようになる。そ の力は破壊され、人々は散り散りとなり、水くみや木こりとなり、死に絶えた。そしてい ま、残った者たちは征服者に同化させられ、その名前を残すのは彼らが入念に作り出した 芸術の中だけ。

般にシヴァとヴィシュヌとして知られる神のなまえであり、ある神をハリハラと呼ぶのは一人の立派な人 物をクロスアンドブラックウェルと呼ぶようなものではないかと思えたのだ。だが専門家のようが私より 詳しいはずなので、この彫刻については彼らがつけた名前に一貫して準じている。

ドキュメント内 パーラーの紳士 The Gentleman in the Parlour (ページ 139-143)