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探検家の本を読むと、ベルトの穴を最後のところまで引き締めるような事態となって、

極度に追い詰められて鹿や水牛を撃ち、食料庫を補充したとでもいうのでない限り、何を 飲んだり食べたりしたのか決して教えてくれないのでとても驚く。あるいは水がまったく なくなって、同行する動物たちは死にかけ、そして最後の最後になってまったくの偶然か ら井戸にたどりつくとか、あるいは実に巧妙な推理によって、夕方に遙か彼方にきらめき が見え、あと数キロ疲れ切って歩けば渇きを癒す氷があるのが見つかる、といった話くら いしか見かけない。そうなると、救われたという表情がその陰気な顔を横切り、そして ひょっとすると感謝の涙が汚れきった頬をつたい落ちるのだ。だが私は探検家などではな いし、飲食はかなり重要なことなので、このページで多少のページを割いて耽溺してみよ う。チェントンへの道中、あるバンガローのダーワンがへつらうような身ぶりとともに豪 勢な皿にナプキンをかぶせたものを持ってきてくれた。ナプキンを取り除いて、巨大な キャベツ二つをお納めくださいと懇願するのだ。私はこれを実に快い思い出として頭の中 にとどめている。二週間にわたり緑の野菜などまったく口にしておらず、それはサリーの 庭園で取れた新鮮な豆や、アルジャントイユの若いアスパラガスにも増しておいしく感じ られた。ポニーにまたがり疲れきって村にやってきたとき、アヒルの池を見つけて、そこ に太ったアヒルが泳いでおり、その最も越えたものか若いもの、柔らかいものが、翌日に はベークドポテトと大量のグレービーとともに、こちらのの汁気たっぷりな夕食になるよ う運命づけられている(宿命をだれが逃れられるものか)ことにも気がついていないとい うのは、実に魅力的な光景であり、魂をすばらしく奮い立たせるものだ。午後遅く日没寸 前に、ちょっと散歩に出てみると、敷地からちょっと離れたところで木の間に緑の鳩が二 羽飛んでいるのを見かける。それが小道に沿って走り、戯れるようにお互いを追いかけ、

おとなしくて友好的で、石の心でも持っていない限りはそれを見て感動せずにはいられな い。その生の無垢さと至福に思いをはせる。子供時代に暗記して、母親のところに来客 があったときにおずおずと暗唱してみせる、ラ=フォンテーヌの寓話をぼんやりと思い 出す。

二羽の鳩が深く愛し合っておりました 一羽は家で退屈し

おろかなことに遙かな国へ 旅立っていったのです。

魅力的な変質者だったローレンス・スターンはこの優美な生き物たちを見て感涙しただ ろうし、人々の心揺さぶる小文を書いたことあろう。だがこちらはもっと厳しい人間なの だ。そして手には銃があり、射撃は下手ながらこれは標的として簡単だ。間もなく、同行

した原住民がその鳩を手に持っており、一瞬前には活き活きとしていたきれいな小鳥たち が、目の前で死んでいるのを見てもまったく気にせず、なんら哀れみもを感じないよう だ。太って汁気にあふれたこのハトたちはどんなにおいしいだろう。グルカ人のラング・

ラルが明日、丸焼きにしたのを朝食に持ってきてくれるはずだ。

我がコックはテレグ人で、熟年の男だった。顔は黒ずんだマホガニー色で、細く、苦労 による深いしわが刻まれ、濃い髪の毛には白いモノがどんよりと混じっている。とてもや せて背が高く、むっつりした人物で、白いターバンと白いチュニック姿はハッとするほど だった。大股で、揺れるような足取りで歩き、十二から十四マイルの一日の行程を疲れも 無理もせずにこなしていた。当初、このひげ姿で立派な人物が敷地内の木をきまじめによ じ登り、何かソースに必要な果実をゆすり落としているのを見て私はびっくりした。多く の他のアーティストと同様に、その作品よりは個性のほうがおもしろかった。その料理は うまいわけでも多種多様なわけでもない。ある日は夕食にトライフルをよこし、翌日には キャビネットプディングだった。これは東洋の主食となるおやつで、ありとあらゆるとこ ろの食卓でお目にかかる。京都では日本人が作り、厦門では中国人、アロースターではマ レー人、モーラミャインではマドラッシ人が作るのを見るたびに、これをはるか昔に東洋 に紹介した田舎の教会や海辺の別荘(父親の退役大佐とともに)にいるイギリス人女性た ちのみすぼらしい生活が偲ばれて、同情で胸が痛む。料理についてさほど詳しいわけでは ないが、私は大胆にもこのテレグ人にコンビーフハッシュの作り方を教えたほどだ。私の ところを辞めたあとでも、この貴重なレシピを他のコックに伝え、いずれイギリス東洋料 理の乏しいレパートリーに一品が追加されるだろうと期待したのだ。そうなれば、私は自 分の種に対して恩恵をほどこしたことになる。

コックの家がまったく整頓されておらず、掃除も行き届いていないのは気がついていた が、こういう状況ではあまり目くじらたてるのも賢明ではない。体内で起こっているいろ いろ不愉快なことを考えれば、その体内に収めるものがどのように調理されるかについ て、あまり小うるさいことを言うのも馬鹿げて思える。新品の針のようにきれいでピカピ カの厨房からは、必ずしもすばらしく美味しい食べ物が出てくるとは限らないことは認め ざるを得ない。だがラング・ラルがやってきて、テレグ人があまりに汚らしく、彼の調理 したものはだれも食べられないと苦情を伝えたときには、私も驚いた。コックの家にもう 一度入って自分の目で確かめた。また、コックは酒のせいでなおさらひどいことになって いるのは嫌でも目についた。あまりに飲んだくれてばかりで、ラング・ラルが自分で調理 しなくてはならないことも多いのだという。代わりのコックを雇えるどんな場所からも二 週間はかかる所にいたので、私は自分が得意とする悪罵で満足していた(とはいえ、相手 があまり理解できないビルマ語に翻訳されねばならなかったので、あまり効果はなかった が)。たぶん私が言ったなかで最も手厳しかったのは、コックは飲んだくれるならせめて 料理くらいうまくつくれ、というものだったと思うが、向こうは大きく悲しげな目でこち らを見るばかりだった。すくみあがりさえしない。チェントンで彼はとんでもない大宴会 をはじめて三日にわたり顔を出さなかった。シャムの鉄道終点に到着するまでに四週間の 行程があったので、代わりの人物を雇えないかと探したのだが、だれも見つからなかった ので、そいつが実に自責の念いっぱいで悲しげな顔をして再び顔を出すと、私は深く傷つ いてはいるが寛大な人物の役割を演じたのだ。そして許してやると、道中は酒はやらない と約束してくれた。他人の悪徳には寛容でなければならない。

さて村を抜ける中で、家が乗っている支柱のまわりを小さな豚が駆け回っているのを見 かけたので、チェントンを離れて一週間ほどして、子ブタは日々の食事にうれしい変化を もたらせるだろうと思いついた。そこで次に機会があったら一匹買うよう申しつけ、ある 日バンガローに到着したとき、かごの底に小さな黒豚が横たわっているのを見せられた。

生後一週間以上には見えなかった。数日にわたり、それはチェントンで飲んだくれコック の助手としてやとった中国人少年により宿泊地から宿泊地へとかごに入ったまま運ばれ て、その少年とラング・ラルは子ブタと遊ぶのだった。ペットだ。これは特別な機会のた めにとっておこうと思い、ポニーにまたがりつつ、それが作る見事なディナーのすてきな 妄想にしょっちゅうふけったものだった。リンゴソースは期待できないが、ぱりぱりした 皮を思っただけでよだれが出たし、肉は甘く軟らかいだろうと自分に言い聞かせた。不安 だった私はテレグ人に、調理の仕方に本当に自信があるかどうかを尋ねた。彼はご先祖様 全員の首にかけて、ブタのロースト方法について自分の知らないことはないと請け合っ た。そして私はラバや人夫たちの休憩用に一日休息を与え、そして子豚を殺すよう命じ た。だがテーブルに出されたものは(人間の希望とは実にはかないものだ!)ぱりぱりの 皮もなく、白く柔らかい肉もなく、茶色のできそこないの臭いゴミで、とても食べられな かった。一瞬、わたしはがっかりした。大探検家たちはこんなときに、一体全体どうする だろうかと思った。スタンレーの謹厳な顔立ちが暗くしかめられるだろうか、そしてリ ヴィングストン博士はそのキリスト教徒としての平静を乱さず保てるだろうか? 小さな 黒い子ブタが母親の乳房から引き離されたのは、こんなことのためではなかった。シャン 族の村でこのブタを幸せに活かしておくほうがよかった。私はコックを呼ばせた。間もな くそいつは、ラング・ラルと通訳のキュザウに両側を支えられてやってきた。二人が手を 離すと、時化で停泊して揺れるスクーナー船のようにゆっくり左右に身体を揺らせた。

「酔っ払ってるじゃないか」と私。

「しこたま飲んだくれてますね」キュザウはタウンジーのラジャの学校に通っており、

俗っぽい英語の表現をたくさん知っていた。

(昔々、誰かがヴィクトリア時代人の中で最も有力な人物の人々を訪ねると、執事にこ う言われました。

「旦那さまはまだお目覚めではございません」

「おや、朝食の時間はいつだね?」

すると執事は動じることなく答えました。「朝食などお摂りになりません。旦那さまは 通常十一時頃に病気になられます」)

テレグ人は私を見て、私はテレグ人を見た。そのかがやく目には、何一つ理解した様子 はなかった。

「連れて行け。朝になったら賃金をやって、出て行けと言っておけ」

「すばらしい。それが最善かと」とキュザウ。

二人はコックを連れ出し、外の階段ですさまじくガタガタして、ドスンという音が聞こ えたが、テレグ人が自分で転げ落ちたのか、キュザウとラング・ラルが放り出したのかは、

尋ねるに及ばないと思った。

翌朝、ベランダで朝食を摂っていると、キュザウがやってきて今日一日の指示を受け取 るのとゴシップとでやってきた。バンガローはかなり大きな村のはずれにあった。そして 通常のシャン族の村で見るよりも活気と活動が見られた。前日に私が、たぶん予定より ちょっと早めに到着したとき、女性たちはルンギー一枚で、それをぎりぎり胸を隠すとこ

ドキュメント内 パーラーの紳士 The Gentleman in the Parlour (ページ 81-85)