第3章 タイ日野自動車販売の歴史(後編)
1. 社史に見る1980年以降の歴史
全て社史に記載されていたコメントを記述し、必要に応じて補足し、別途筆者コメントを付し た。タイトルも社史記載のままである。
(1)1981~1983年、安定の時代。
1981年 : 前年に商業車売上№1担った記念に、タイの全ディーラーをアメリカ旅 行に招待した。この年から、Fシリーズの6輪大型車を導入した。なお、
ディーラー経営者達の海外旅行招待は、ほぼ恒例行事化しており、日野 側にとっても、ディーラー経営者との交流を深めるよい機会となってい る、
1982年 : ナコンサワンに、経営不振のディーラーから資産を買い取り、Thai Hino
(Nakornsawan)Co, Ltdとして直営のディーラーを新設した。また、
直営のサービスセンターを併設し、周辺地区を対象に最新の設備を有し、
経験豊富な技術者を常駐させサービスの向上に努めた。
1983年 : (記載なし)
この時期は実は大変な不況期で、1981年は大赤字を出している。経営不 振のディーラー対策に何かと腐心した期間である。ナコンサワンの拠点 もディーラー(チャノン社)が不況を乗り切るために、2拠点を売り出 したものである。残り一拠点は、三井物産(タイ)が買い取り、日系企業 としては初めてディーラー経営に乗り出すことになり、今日大変な成功 を収めることになった。そしてこの後も、80年代前半の大不況期につ いても、一切コメントが無い。後世、社史を読む人は、どう切り抜けた か知りたいと思うが・・・。
(2)1984年~1990年、大不況と一転景気の回復期へ。
1984年 : 資本金を10百万バーツから50百万バーツへ増資。この年「スモウ」シ リーズの 10 輪大型トラックを導入。このトラックはこの後、強度と耐 久性を備えた高品質のトラックとして販売記録を作ることになる。
1985年 : 中型車として多目的車3シリーズ導入。
1986年 : 景気悪化が深刻となり、車輌販売台数は3年続きの減少となる(86年の
1,721台は、83年の約40%)。しかし、商用車ではタイ国全体の登録台
数4,850台に対し当社1,721台(シェア35.5%)でなんとか切り抜けた。
1887年
~1989年
: (記載なし)
この時期から、日本を中心にした大設備投資ブームが始まった。そし て投資ブームに乗って、トラック需要も堅調で、この後3年間は倍、倍 のペースで売り上げが伸びた。
(筆者コメント)
(筆者コメント)
1990年 : 前年の販売台数8,484台は、新記録であったので、この年1月、シンガ ポールに全ディーラーを招待した。さらにこの年、14,200台は再度新記 録となった(1986年の1,721台に比べ、実に8.2倍である)。タイ国全
体40,500台のシェア35%である。
上述の通り、1984~86 年は不況が一層深刻になり、86 年は、83 年
(4,130 台)の約4割の 1,721台にまで落ち込む。しかし、この大不況 期にどう乗り切ったかコメントは無い。そして87年から90年迄は、プ ラザ合意(1985年)後の通貨調整を受けて、タイ地場産業の輸出も回復、
また日本からの「集中豪雨」的投資ブームもあり、タイの景気は一転し て好況となる。設備ブームの中で、トラック需要は大変堅調を維持し、
1990年の14,200台は、1996年危機直前までの新記録である。しかし、
この期間のコメントもない。誠に不思議である。しかし 1990 年全ディ ーラーをシンガポールに招待旅行を実施したことを記録し、この好景気 を総括している、タイらしい歴史記述である。なお、後半の大不況期の 実態は、大橋元社長からのインタビューを参照願いたい。
(3)1991年~2002年、危機を超えて、持続的な発展へ。
1991年 : (記載なし)
1992年 : 30周年を記念して、新社屋を建設した。
1993年 : (記載なし)
1994年 : 資本金を50百万バーツから100百万バーツへ増資 1995年 : (記載なし)
1996年 : ロゴマークを更新。Euro1規準のSia Hi-Tech、Super High-Tech モデルが導入された。過去3ヶ年連続して商用車の売上台数トップを祝 った。通産販売台数15万台突破。
1997年 : (記載なし)(この年金融危機発生)
1998年 : (記載なし)
1999年 : タイ日野自動車販売(Thai Hino Motor Sales ., Ltd)とタイ日野工業
(Thai Hino Industry Co., Ltd)が合併し、タイ日野自動車(Hino Motor
(Thailand)Ltd)となる。資本金は713百万バーツに増加した。
2000年 : Euro2規準の2トントラックが導入された。
2001年 : ISO14001取得
2002年 : 国際工業規準 QS9000取得
30周年記念新社屋についても、さしたる記載がなかった。通常の社史 では、新社屋の完成は、新社屋に込められた将来の発展への夢が大きく 語られる記念すべきイヴェントで、相当のページが割かれるのが普通で あるが、一行で終わっている。時期が時期だけに、当時の東京サイドの
(筆者コメント)
(筆者コメント)
(製・販合併中)
反応に興味を持って、当時副社長で、財務担当であった小泉宏氏に面談 した。小泉氏の記憶では、東京サイドは、経済バブルの最終期でもあり、
着工に大変慎重であって、バンコク勤務の経験を持つ小泉氏は、現地の 意向を汲んで本件の役員会承認取り付けに苦労した、と語っていた。恐 らく、現地のスタッフは、知らないエピソードであったと思われる。
ところで、バンコクでは、1991年から2002年迄の12年間は(絶好 調)→(突然の金融・経済危機)→(危機の苦労と回復の時期)、の山あ り谷ありの12年間となった。タイの経済史にとっても稀有な12年間を 社史では、「危機を超えて、持続的な発展へ」の一行で括ってあるところ が、実に面白い。
販売台数で見ると、前半(1991~1996年)は総売上台数62千台、後 半(1997~2002年)は19千台、最悪の1998年は僅か732台で、ピー
ク1996年14,573台の僅か5%であって、ピークとドン底を経験したの
である。そして1997年から5年間は連続赤字決算という、大変厳しい 期間であった。何か公式のコメントが欲しい期間である。
そうした状況を記録するため、80 年代の不況から、90 年代の好況に ついては、まず大橋氏とのインタビューに織込んで、同氏から語っても らった。
そして、金融危機についても、通常の社史では、困難期の様々な苦労 話と、危機突破への対策が、数頁に及ぶところであるが、全く記載がな い。そこで、まず当時の社長であった須々木氏の『50周年史』に於け る挨拶を引用する。同氏は、その挨拶文の中で次のようにその苦労を綴 っている。
「私の3度目の勤務は、1998年であるが、アジア金融危機からの再建 が課題であった。約3,000台に及ぶ大量の在庫、大量の引き揚げ車輌を 抱えたディーラーへの支援、3 ヶ月も続いた工場の操業停止、500 人近 い人員の縮少、タイ日野自動車工業への支援、などなど、本社の厚い支 援もあってなんとか、乗り越えることが出来た。このことは、私のタイ への思いを一層強いものにした」と述べている。
こうした大変に苦労した期間については触れない、というタイ人の感 覚について、並びに、当時の実情並びにタイ日野自販での対応策につい て、大橋元社長から、ロングインタビューをした。後段を参照願いたい。
(4)2003年~現在、アセアンのセンターを目指して堅実な成長期間
2003年 : Hino Motors Soles (Thailand)Ltd(販売部門、タイ日野自動車販売)
に社名変更し、新しく、Hino Motors Manufacturing (Thailand)Ltd
(製造及び輸出部門)を分離・独立させた。小型の「Mega」と「Dutro」
シリーズを発売。
2004年 : 日野自工は、チョンブリのアマタ工場団地に新工場設立。
2005年 : バンプー工業団地にバス公社(BMTA)向の事務所を開設。12輪トラッ クを開発。アユタヤのバーサイに部品・研修センターを開設。
2006年 : (記載なし)
2007年 : Euro3規準の中型車導入。アマタ工業団地内に新しい部品センターを開
設。バス公社(BMTA)向の事務所はパトンタニのコン・ルアンに再度 移転。
2008年 : 6輪、10輪、12輪、トラクター、日野バスのEuro3規準車が発売。
2009年 : 新NGVトラック、Euro3規準車が発売。
2010年 : (記載なし)
2011年 : 日野本社が改装された。アマタ工場団地から9km地点に、新しい部品・
研修センター落成。バンサイの部品・研修センターは総合研究センター に改装された。
2012年 : 創業50周年記念モデル車発売。通産販売台数25万台を記録。
2003年以降は、販売する商用車のユーロ規準の取得状況と研修センタ ーの設置状況の記載に終始している。その背景には、2003年以降は多少 景気の変動に合わせた増減があっても、販売台数が8~9千台と大変に 高い水準を維持して推移しており、収益も 2003 年の黒字転換以降安定 しているためであろう。こうした記述からも、日野自動車を始めタイ国 の自動車産業が、アセアンの中心として、「量」より「質」の経営へ転換 しつつあることが、感じられる。筆者も、本稿は財務分析を目的とする ものでないので、これ以上のコメントは省略する。
ところで、『50周年史』の記載のように、1997 年の金融危機は、外 部要因による一時的な混乱期として捉えれば見方も変わる。80年代前 半の不況(部品組立依存のもたらす必然的な輸入増から生じた経済不振)
→80年代後半、90年代の拡張(国産化への拡大努力期)→2000 年以降の輸出産業化(世界標準への努力期)として、大きな流れの中で、
タイの自動車産業を捉えることも出来る。それも、一つの考え方である。
しかし、1997年の危機は、それにしても大きな衝撃をタイの産業界に 与えたのも事実である。タイの産業人としては、外部環境突然の変化、
という「醒めた」見方が感じられる。余談になるが、今日タイの金融危 機を、経済人は会話のなかで「トミヤムクン クライシス」と言う人が 結構いる。今となると全て歴史の世界になっているようだ。
この点、大橋元社長とのインタビューによると、金融危機(1997年)
以降の激動状況をこう振り返っていた。
「1996年は1万5千台売れて、史上最高を経験したのち、1997年は 5千台、1998年にはわずかに1,000台となった。その後1999年から3 年間は2~3千台で大型トラックの回復は遅れ、ようやく2002年になっ
(筆者コメント)