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タイの金融危機における割賦販売との関係

ドキュメント内 タイの自動車ディーラーの総合的研究 (ページ 164-167)

第5章 タイにおける自動車割賦販売の歴史-1980年代以降

6. タイの金融危機における割賦販売との関係

(1)中長期資金金融とFC

ここで、タイの割賦金融市場に重要な影響を与えた FC の果した役割について少し触れておき たい。まず、第4章でも述べた、60年代・70年代での FC の歴史の概略を簡単に纏めた上、

80年以降の動向に移りたい。

1960・70年代の中葉までは、バンコク銀行をはじめとする地場商業銀行は、1ヶ年まで の定期預金を主な調達源資として、専ら短期運転資金への融資が主要な役割であった28

これに対して、FCはもともと1960年代末期に耐久消費財の消費者信用機関として発生した。

1969年にアメリカ系3社のFCが設立され、FCが短期市場にも積極的に参入してきたため 一気に多数のFCが設立され、1972年になって免許制に移行した。291977年12月末現在 当局から正規に免許を取得したFCは128社であった。

1979年5月の法律改正で、「ファクタリング」「リース」が「割賦金融」に加えて認められ、

現実はともかく、当局の期待は「長期専門金融機関」になっていくのであるが、1980年代前 半にこうした金利環境が続いたことも、FCによる割賦販売資金の供給に貢献することとなった。

その後政府・タイ国銀行による預金者保護を眼目にした規制は逐次強化されたが業容は順調に 発展を続け、80年代後半から始まるタイの高度成長期には、銀行と共にタイ経済を支え、その 貢献も大きかった。

しかし、FCによる積極的な姿勢は遂にはバブルを生み出すことになり、1997年の金融危機 にて壊滅的な打撃を受けた。銀行に比べもともと基盤の弱さもあり、1998年のバブル後には 大幅に整理・淘汰され20数社になった。生き残ったFCもタイ国銀行の業界再編プランに従い、

統合・再編されリテール銀行を経て商業銀行への転換が進み、今やFCは4社を残すのみで、FC というタイ独特の金融業態は誕生以降約40年で幕を閉じようとしている。

タイの金融政策当局が、FCに求めた「長期専門金融機関」としての期待とその実現のあまりに 大きな違いを軸にした、「FCの歴史」の詳細は本稿では第8章と第9章に細述した。

(表4-1)商業銀行とFCの与信残高推移 (単位:百万バーツ)

区分 年 1985 1990 1995 2000 2005 商業銀行 (a) 521,036 1,481,954 4,230,519 4,585,931 5,488,434 ファイナンス・カンパニー (b) 98,053 314,935 1,301,393 449,856 162,058

(b)/(a) (%) 18.8 21.3 30.8 9.8 3.0

(出所)Bank of Thailand、Quarterly BulletinおよびAnnual Economic Report各年次版

28 なお、タイの商業銀行において、当座貸し越し形式で実質的な長期設備資金を貸し出していたことは、注20 に述べた通りである。

29 「1972年、国家行政評議会発表第58号(National Executive Council Announcement)により公衆から 約束手形等により資金を集め、貸し出しする会社は免許を要することとした」(松岡潔、1984年、71頁)。及 び、「1972年9月大蔵省発表の『金融証券業務の規制に関する省令』(Finance Company Act)(盤谷日本人商 工会議所『タイ国経済概況』、1978、79頁)

(表4-2)商業銀行とFCの預金残高推移 (単位:百万バーツ)

区分 年 1985 1990 1995 2000 2005 商業銀行 (a) 555,546 1,440,809 3,249,978 4,912,942 6,196,052 ファイナンス・カンパニー (b) 6,090 260,091 914,567 308,343 80,275

(b)/(a) (%) 15.5 18.1 28.1 6.2 1.3

(出所)Bank of Thailand、Quarterly BulletinおよびAnnual Economic Report各年次版

なお、前第4章において末廣昭教授が、90年代後半における、商業銀行やFCによる「地方専 属ディーラー」への過剰融資が1997年の経済バブル、経済危機を生んだ大きな要因の一つであ った、と指摘していることを述べた。これは、1978年揺籃期のタイの自動車販売融資に初の 業種別信用規制が導入されてから、実に20年後の出来事である。40年余の FC の歴史におい て、大きな転換点ともなる出来事でもあった。80年代・90年代における、FCの自動車販売金 融の果たした役割は、功罪共に大変に大きいものがあったが、この点は、第9章にて詳しく論じ てある。

(2)金融危機における FC とディーラーとの関係

これまでディーラーの割賦販売方式の変遷について述べてきたが、ここで末廣教授の論文『タ イ―経済ブーム・経済危機・構造調整―』によって、タイの金融危機と当時の割賦販売方式との関 係を纏めておきたい。

これは、本稿の冒頭にも書いたが、末廣教授が1997年11月にバンコクで聞き取り調査を して纏めた、タイの自動車販売金融に言及した唯一の論文でもある。金融危機の発生する前、商 業銀行やFCがこぞって、ディーラーに貸し込んだ当時の販売金融の状況を良く示しているので、

ここでは、筆者が纏めた、パターン図と合わせて、仕組みに関する要旨を以下の通り引用する30

① 5.(5)「キャプティブ会社による割賦販売方式」

「バンコク首都圏では、指定ディーラーはまず、購入を希望する顧客(企業、個人)をファ イナンス・カンパニー(FC)に紹介し、組み立てメーカーに車を発注する。そして、納車された 車の所有権をFC(名義)にして、車を顧客に引渡す。同時に、FCは顧客から割賦契約書を徴 求したうえで、代金を指定ディーラーに支払う。指定ディーラーは、メーカーには4ヶ月サイ トで代金を支払うことになり、一定の手数料率が保証される。決済が早いほど、コミッション は高いが、問題は「経済ブーム」の時期では、ディーラーは車の販売代金を出来るだけ手元に 残し、それをより高収益が期待できる不動産やその他の分野に運用しようとした点にあった。」

② 5.(3)「ディーラー割賦販売方式(標準型)」

一方、地方のディーラーの場合には、FCから融資を受け、その資金でユーザーに、FCから の借入金より高い利率で割賦販売を行なう場合が多い。ユーザーが、直接、FCや商業銀行のロ ーンを利用しないのは、担保力、信用力に欠けるからである。また、中央銀行の通達で、割賦

30 注7に同じ。但し、表示された図表部分は文章化した。

販売は頭金25%、40ヶ月以内完済が規定されているので、条件の緩和を望むユーザーは、

「顔見知り」のディーラーに頼むことになる。他方、ディーラー側は、頭金を下げる代わりに、

より高い利率のローンを顧客に提供するから、将来的には利益を見込むことができる。両者の 間には相互依存の関係が生まれる。」

③ FCによるディーラーへの一般事業融資のケース

「くわえて、商業銀行や FC は、金融の自由化措置のあと、地方で激烈な「融資競争」を展 開し、地元有力者であるディーラーたちに資金を貸し込み、地方のディーラーたちは、その資 金を自動車ローンだけではなく、よりハイリスク・ハイリターンの不動産やその他の事業へと 投入した。その結果、1996年後半から中央銀行の融資規制が始まり、さらに58の FC が 営業停止に追い込まれると、まず FC からの資金供給が途絶え、次いでディーラーの資金繰り が悪化して、最終的にはユーザーの自動車ローンの崩壊につながったのである。」

末廣教授の解説は短いが、筆者のまとめてきた通りで、当時のタイの自動車の流通・販売の特 徴を良く捉えている。割賦販売の仕組みも、基本的には変わりがないが、金融危機の直前には、

乗用車は、都市部では既にFCの個人向け自動車ローン[筆者の前章の説明では(4)]が定着し、地 方ではディーラー割賦[筆者の前章の説明では(3)]が主に利用されているさまが読み取れる31。さ らに、FCによる、ディーラーに対する一般事業融資(この場合、外資を導入した、ヘッジなしの 投機的な投資融資が多かった)にまで踏み込んで語られている。

この解説から分かるように、当時タイの地方のディーラーでも、単に「自由に借入れが出来る 状況」を越えて、金融機関側からの「猛烈な貸金の売り込みを受ける企業」に変身・成長してい た、ということが、筆者の問題意識では極めて重要なポイントである。

タイ日野自販が、自社の資金負担の軽減を考えて、1970年代の末頃より、徐々にディーラー 自体の割賦に切り替え始めてから約20年を経て、系列ディーラーは資本蓄積を遂げ(俗ないい方 で言えばしっかり儲けて)、地域の有力企業に成長し、銀行や FC から、融資攻勢かけられる企業 に成長したという、有力な証左である。

なお、こうしたタイ日野自販の各地のディーラーでも、金融危機の時期に、FCや銀行からの借 入れによって、過大投資を行い末廣教授の指摘の通り、バブルの崩壊で破綻に至ったケースもあり

32、或いは倒産すれすれを何とか凌いだケースもあるが、総じてタイ日野自販の指導が良く何とか 生き残れたディーラーが多い33。タイ日野自販と共に、金融危機の時期をどう凌いだか、これも 実に面白いテーマであり、第7章に纏めてある。金融危機は、企業経営の堅実性を試す大きな関 門であった、と同時に、切り抜けた企業にとっては、大変な自信に繋がった。筆者は、そのこと

31 なお、別図には主に、フォード、GMなど新規進出の自動車組み立てメーカーによって設立された「メーカー・

リース会社」の例も示されているが、説明は省略されている。これは、今日で言うところのキャプティブ販売金 融会社である。

32 タイ日野販売30年史「30 Anniversary」1992年に記載されている公式系列ディーラー37社中4社が、

2002年の40年史から消えている。これらの販売テリトリーは、新規登用ディーラー乃至は、既存の系列デ ィーラーの支店展開により拡充されている。

33 前述大橋氏からのヒヤリングによると、2009年現在、数社が10年余の今日も金融危機からの痛手から回 復できず、業容が収縮したままである一方で、金融危機を境に、支店展開や経営者一族の「暖簾分け」を重ね、

大きく業容を伸ばしたディーラーによる、集中化傾向も出ている、とのことである。

ドキュメント内 タイの自動車ディーラーの総合的研究 (ページ 164-167)