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タイ日野自動車販売株式会社の概要

ドキュメント内 タイの自動車ディーラーの総合的研究 (ページ 123-128)

第3章 タイ日野自動車販売の歴史(後編)

7. タイ日野自動車販売株式会社の概要

1.英文社名 Hino Motors Sales(Thailand)Ltd

2.本店所在地 212 Moo4 Viphavodi-Rang sit Road,

Talod Bangken.Laksi,Bnagkok 10210

3.部品・研修センター 95 Moo3,Tambol Maitra,Amphur

Bang Sai, Ayuttaya 13190

4.BMTAバスサービスセンター 59/2 Moo11 Tombol Parithong,

Amphur Klongming Potumthani,12120

5.日野車配送センター 49 Moo1,Tambol Parithong,

Amphur Panthoug,Chonburi,20160

6.設立 1962年5月29日

7.資本金 713百万バーツ

8.従業員 495名

9.株主 Hino Motors Ltd 55.3%

Mitsni & Co.,Ltd 43.0%

その他7 1.7%

7 その他株主とは、当社社史の前編で述べた、当社設立時前身である「ビクトリー社」の株主2名がそのまま株主 として残っているためである。

小括

(1)『周年史』の記載に見るタイ日野自動車販売の年次別動向

○1981年~1983年、「安定の時代」。

81年にタイの全ディーラーをアメリカ旅行に招待した。

82年ナコンサワンに、経営不振のディーラーから資産を買い取り、Thai Hino(Nakornsawan)

Co, Ltdとして直営のディーラーを新設した。

(筆者コメント)70年代の後半から80年代前半の10年間は、大変な不況期で、1981 年は大赤字を出している。ナコンサワンの拠点もディーラーが不況を乗り切るため、2拠点を 売り出したもの。この2拠点はその後大きく成長する。

○1984年~1990年、「大不況から一転景気の回復期へ」。 86年は景気悪化が深刻となり、車輌販売台数は3年続きの減少。

87年からは日本を中心にした大設備投資ブームが始まり、投資ブームに乗ってトラック需要 も堅調で、この後3年間は倍、倍のペースで売り上げが伸びる。

90年には、販売台数14,200台で新記録となった。

(筆者コメント)日系進出企業の工場建設ブームと、道路建設、GOLF場の建設など大型土木に、

スワナプーム空港の埋め立て工事も始まるなど、大中型トラックへの大型需要が発生し、これ が、1997年の金融危機によるバブルの崩壊まで続いた。

○1991年から2002年、「危機を超えて持続的な発展へ」。 96年は、販売台数14,573台で当社の販売台数ピークを示現。

97年記載なし。この年金融危機発生。

98年は、販売台数僅か732台で最悪を記録した(ピーク時20分の1)。この短期間に「ピ ーク」と「ドン底」の両方を経験した。97年の金融危機の影響が大きく、この年から5年間 は販売低調、連続赤字決算が続いた。

○2003年~現在、「アセアンのセンターを目指して堅実な成長期間」。

多少景気の変動に合わせた増減があっても、販売台数は8~9千台と大変に高い水準を維持し て推移し、収益も2002年の黒字転換以降安定している。

(2)タイ日野自動車販売の「3S 運動」

タイ日野自販では、1970年頃から「3S」を掲げ「販売面での品質向上運動」として、「3 S運動」を継続的に取組んでいる。最初のSはSales、2番目のSはService、3番目のSはSpare

Partsの略である。

Sales は「我々の顧客は我々の雇用主である」との方針で、知識、スキルを向上させ顧客のた

めに誠実な販売に努める。

Serviceは、販売後のサービスでは、従業員はメンテナンスと修理の質の向上を求め、常に新し

い方法に取り組み、よりよいサービスの提供に不断の努力をする。

Spare Partsは、「日野の純正部品を使えば、より長く車両を使うことができる」というモット

ーを実現するため、日野の全ての車両の純正部品を供給できるように準備する。

大橋元社長によると、「一台目はセールスマンが売り、二台目はメカニックが売る」という標語 が示すように、セールス→サービス→スペアパーツの繋がりを大切にし、この「3S」を意識した 活動を続ければ、「CS」を高めることが出来、最後は当社の業績に反映される。販売部門のモッ トーである「あなたの利益を増加させたいなら、よい車両を使いなさい、日野を使いなさい」を

「3S」で実現さる。具体的には、「CS大会」、「タイ日野純正部品」などに重点的に取り組んだ。

(3)大橋元社長から聞く「金融危機」におけるタイ日野自動車販売の対応

1997年の金融危機は、未曾有の大事件であった。大橋元社長によると、種々の手だてを講 じ危機を切り抜けた。

まず、この時点の完成車在庫3,500台は、結果的には国内相場を崩さぬようゆっくり売っ て5年かかった。また、東京本社から20億円の資金援助があり、ディーラー支援資金に充当し、

本社経費の圧縮に努めた。

次に対ディーラー戦略では、毎月ディーラーへ訪問し、キャンセル車は全て「buy back(買い 戻し)」し、売れ筋車との交換、キャッシュフローの指導とリスケを実施した。さらに、補修用部 品販売や、補修サービスで儲かる体質を活かし、最悪期の3年は、他社ブランドも含め「部修」

で食つなぐよう指導した。「3S運動」の成果で、この時の経験が、今日、ディーラーの自信とな っている、と話していた。

(4)タイ人取締役の初登用

タイ日野自販の労働組合は単独労組として1987年に結成、過去ストライキも無く、労使関 係は良好、当局の表彰を受けている。金融危機の時も労使懇談会で、経営の実情を伝え、組合に 協力を依頼、大幅なボーナスカットによる実質的賃下げをした。

タイ人スタッフについては、1989年にタイ人2名を取締役に登用して以来、常勤取締役9 名のうち、タイ人は2名という体制を踏襲している。部長級についても、日本人駐在員の削減に 平行して既に80年代に入って出来る所から実施し、90年代には、数部門残ったが、現在は全 てタイ人化している。

1980年以降は、好不況の波が大きかったが、タイ日野自販は、ディーラーとの信頼関係の 維持を図り、社内に於いては組合との良好な関係を構築し、さらに、タイ人取締役の登用も行い、

全社が一体となって「3S 運動」を継続的に取組み、不況や金融危機に対応してきたことが、今 日に繋がっている。

ディーラーの経営体質の変化も80年代に起きた。80年代は、「手づくり」でトラックを売っ ていた60年・70年代と、「マスセールス」の90年代以降との過渡期となる時代であった。同 時に、金融環境の好転により自社による割賦販売の取り組みが確実に儲かることが、ディーラー に浸透した。また、トラックの場合必ず 補守・点検の必要性からアフターサービス売り上げが確 実についてくる。ディーラーの収益源が、前記の割賦販売に加え、部品販売・修理売り上げであ ることが定着したのも80年代である。

(表1)タイ日野自動車販売㈱ 業績推移一覧表 Vehicle sales 1976-2011

タイ国生産

台数(百万) 特記事項 販売台数 (台)

市場シェア (%)

売上高 (百万バーツ)

税引後 Profit after tax 利益(10KB)(万バーツ) 1976 3,480 31.8% 801.02 653 1977 6,475 38.9% 1,557.42 1,520 1978 1. 5,076 38.4% 1,445.03 1,597 1979 5,183 44.3% 1,729.44 179 1980 3,709 42.4% 1,499.53 179 1981 3,997 38.2% 1,934.88 -3,577 1982 3,091 34.6% 1,702.62 131 1983 4,130 34.7% 2,022.32 473 1984 3,666 37.3% 1,794.78 95 1985 2. 2,041 34.2% 1,051.62 -3,140 1986 3. 1,721 35.5% 870.54 -150 1987 2,480 42.0% 1,683.49 4,192 1988 4,667 36.4% 3,544.48 7,912 1989 4. 8,484 34.2% 7,762.83 10,604 1990 14,100 35.1% 13,492.97 9,930 1991 6,484 30.0% 6,036.69 15,991 1992 7,857 31.3% 6,713.08 16,917 輸出 1993 8,258 35.0% 6,588.25 2,543 台数 1994 11,010 30.1% 10,456.14 16,856 (万台) 1995 13,837 28.6% 15,781.78 5,718

1996 14,573 29.9% 16,571.91 19,952 1997 5. 5,702 28.0% 6,003.68 -25,066 1998 732 23.7% 624.70 -18,078 1999 2,331 30.4% 2,004.93 -54,980 2000 6. 3,263 32.9% 3,002.93 -63,238 2001 1,072 31.6% 3,622.44 -40,500 978 31.5% 1,296.10 -11,244 2002 50 7. 4,658 37.6% 5,445.10 25,506 20 2003 70 8. 8,404 38.9% 11,340.05 24,658 30 2004 90 9,951 41.9% 13,848.59 84,824 40 2005 8,793 36.1% 12,067.71 24,239 50 2006 9. 7,384 34.5% 9,576.84 4,487 60 2007 8,065 35.4% 10,875.54 10,921 70 2008 6,429 40.0% 10,958.48 15,957 50 2009 100 7,994 40.6% 15,714.83 18,208 90 2010 160 10,890 43.1% 23,852.71 40,106 100 2011 140 11,751 45.8% 26,790.37 60,150 特記事項の内容1.完成車の輸入禁止、2.プラザ合意、3.エンジン国産化規準発表、4.20万台でアセアン最大の生産国へ、

5.通貨危機、6.製造自由化、7.タクシン「アジアのデトロイト」を目指す、7.国産化率80%(乗用車)、

9.エコカー政策始まる 10

2002(Jan-Mar02

日野 自販 での発展 区分

7

10

20

30

40

50 30 10 30

40

130

[参考文献]

○ 小林英夫著『日本企業のアジア展開』、日本経済評論社、2000年

○ 『日タイ協通信』№14、(社)日タイ経済協力協会、1987年12月

○ 川邊信夫著『タイトヨタの経営史』、有斐閣、2011年

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