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タイ国の金融危機における割賦販売との関係

ドキュメント内 タイの自動車ディーラーの総合的研究 (ページ 142-147)

第4章 タイ国における割賦販売金融の歴史―1960年代・70年代

4. タイ国の金融危機における割賦販売との関係

最後に、末廣教授の論文『タイ―経済ブーム・経済危機・構造調整―』によって、タイの金融危 機と割賦販売との関係を纏めておきたい。これは、本稿の冒頭にも書いたが、タイ国の自動車販 売金融に言及した唯一の論文でもあり、当時の販売金融の状況を良く示しているので、少し長く なるが、要旨を以下の通り引用する39

「通常の説明では、企業ユーザーは投資収益や不動産・株式の転売益が今後とも順調に増加す ると予測して、他方、個人ユーザーは、その給与・賃金が毎年上昇することを見込んで、『無理な ローン』を組んだ。したがって、自動車需要は信用経済を前提とした『見せかけの消費』であっ たという議論である。しかし、ここで問題にしたいのは、自動車需要のバブル性ではなく、むし ろ組み立てメーカーの生産計画と流通・販売制度とのミスマッチの方である。そこで、自動車の 販売・流通制度について、簡単に紹介する。

タイの自動車販売は、これまで直接販売や系列販売ではなく、特定のディーラーに販売を委託 する『一手販売代理店制度』を採用してきた。地元の顧客情報を掌握し、緊密な人的ネットワー クを持つ有力者にその販売を委託してきた。例えば、トヨタ自動車を例に取ると、(中略)、地元 を代表する『地方実業家』たちが(代理店を)独占してきた。(中略―『地方実業家』の例示)

バンコク首都圏では、指定ディーラーはまず、購入を希望する顧客(企業、個人)をファイナ ンス・カンパニー(FC)に紹介し、組み立てメーカーに車を発注する。そして、納車された車の所

有権をFC(名義)にして、車を顧客に引渡す。同時に、FCは顧客から割賦契約書を徴求したう

えで、代金を指定ディーラーに支払う。指定ディーラーは、メーカーには4ヶ月サイトで代金を

39 注2に同じ。但し、表示された図表部分は文章化した。

支払うことになり、一定の手数料率が保証される。決済が早いほど、コミッションは高いが、問 題は、『経済ブーム』の時期では、ディーラーは車の販売代金を出来るだけ手元に残し、それをよ り高収益が期待できる不動産やその他の分野に運用しようとした点にあった。

一方、地方のディーラーの場合には、FCから融資を受け、その資金でユーザーに、FCからの 借入金より高い利率で、割賦販売を行なう場合が多い。ユーザーが、直接、FCや商業銀行のロー ンを利用しないのは、担保力、信用力に欠けるからである。また、タイ国銀行の通達で、割賦販 売は頭金25%、40ヶ月以内完済が規定されているので、条件の緩和を望むユーザーは、『顔見 知り』のディーラーに頼むことになる。他方、ディーラー側は、頭金を下げる代わりに、より高 い利率のローンを顧客に提供するから、将来的には利益を見込むことができる。両者の間には相 互依存の関係が生まれる。

くわえて、商業銀行やFCは、金融の自由化措置のあと、地方で激烈な『融資競争』を展開し、

地元有力者達であるディーラー達に資金を貸し込み、地方のディーラーたちは、その資金を自動 車ローンだけではなく、よりハイリスク・ハイリターンの不動産やその他の事業へと投入した。

その結果、1996年後半から中央銀行の融資規制が始まり、さらに58の FC が営業停止に追 い込まれると、まず FC からの資金供給が途絶え、次いでディーラーの資金繰りが悪化して、最 終的にはユーザーの自動車ローンの崩壊につながったのである。

(中略)(モータリゼーションの進展で)タイにおける自動車生産の現場には著しい生産性の向 上と人事管理の強化を生み出した。(中略)一方、流通・販売のレベルでは、従来通りの『一手販 売代理制度』が存在し、どういう所得階層が、いかなる条件の下で車を購入しているのか、メー カー自身が顧客情報を十分に把握しないまま、生産拡大を続けてきたのである。

したがって、問題は自動車需要の『バブル的性格』にのみあるのではない。むしろより深刻な 点は、正確な顧客情報がメーカーに伝達されず、FCの自動車ローンが不透明に運用されている、

従来のディーラー制度や信用制度にこそ所在していたのである。(金融危機の時期における)自動 車販売の極端な低下は、そうした『制度・組織のミスマッチ』にこそ求めるべきであろう」

短い論文ではあるが、当時のタイ国の自動車の流通・販売の特徴を良く捉えている。タイ国に おけるトヨタのディーラー網などは、前述の通り日本的なパターンの導入そのものである。割賦 販売の仕組みも、基本的には変わりがないが、本稿で述べた時代から約20年後の金融危機の直 前には、都市部では既に個人の自動車ローンが定着し、地方ではディーラー割賦がまだ利用され ているさまが読み取れる40

末廣教授の指摘するその製造と販売との制度的なアンマッチ論は、結論的に言えば、日本にお いてもたやすく解決されておらず、それを当時のタイ国に求めるのは、やや説明不足かと思われ る。過当競争の自動車販売の世界では、「供給が需要を生んできた」側面も成長の過程では否定で きず、難しい問題である。

ただこの論文から分かるように、当時タイ国の地方のディーラーでも、既に自由に借入が出来 る状況、というより金融機関側からの猛烈な貸し金の売り込みを受ける時代になっていた、とい

40 なお、別図には主に、フォード、GMなど新規進出の自動車組み立てメーカーによって設立された「メーカー・

リース会社」の例も示されているが、説明は省略されている。

うことは重要なポイントである。ディーラーにとって、金融ファシリティーの拡大は、ディーラ ーに自立の道を大きく開くことに繋がっていくからである。ここでは、タイ日野自販が、自社の資 金負担の軽減を考えて、1970年代の末頃より、徐々にディーラー自体の割賦に切り替えてか ら20年たらずで、販売金融の世界は、振り子が完全に逆に振れたことを指摘することに止めたい。

なお、タイ日野自販の各地のディーラーでも、金融危機の時期に、FCや銀行からの借入れによっ て、過大投資を行い破綻に至ったケースもあり、或いは倒産すれすれをどう凌いだかは、大きなテ ーマであり、第7章に記述した。

おわりに

本稿は筆者の基本テーマである「タイ国における大型トラック流通業界発展史の総合的研究」

の中から、紙幅の都合にあわせ、「60・70年代における割賦販売の状況」という、自動車販売 におけるごく機能的な一分野について、タイ日野自販の具体的なケースを通じて切り出し、実務 的視点より論文としてまとめたものである。

これはまた、当時のタイ国の経済・金融事情を実によく物語っている点も考慮した。また、タ イ日野自販の今日における高いシェアの源泉の一端が、当時の安定的な販売資金の供給とその管 理の仕組みにあったことが、理解されることを期待する。

なお、当時の金融制度の問題点なども筆者の具体的な経験を踏まえ、随所に書き込んだ。これ ら、本稿に切り出した部分は、ほとんど先行研究がない分野につき、現在書き残しておけば、将 来この方面を研究する人達にとって多少の貢献があろうことを期待してまとめた次第である。そ れに何よりも、筆者が直接にバンコクにおいて実務に携わった、1970年代後半のタイ国の金 融関係の雰囲気が伝わることを祈るものである。

小括

― 60年代・70年代のタイ日野自販の販売金融の概略

日野自動車がタイ国に進出した、60年代から1970年代の、同社の販売金融の特色は、割 賦販売契約をタイ日野自販に集中し、ユーザーと直接契約をしたことである。したがって、バン コクで販売資金を一手に調達し、全国各地に販売資金を供給していたことになる。全国各地の専 属ディーラーも、資金面では単なる取次店とかブローカーに過ぎなかった。その後1970年代 後半から、ディーラーの資金調達力の向上とタイ国の金融市場の整備に応じて、ディーラーが個 別に割賦販売が出来るようになり、徐々に全国広がっていった。

― 1960・70年代の販売金融における問題点

① 金融制度が未発達のため売主の資金負担が大きい。

日本の場合は、ディーラーに集められた顧客の割賦手形を、自動車組み立てメーカーの系列 銀行が割り引いて、割賦販売資金を供給する仕組みが出来ていた。タイでは、そうした仕組み を「0」から作り上げねばならなかった。

② 割賦販売制度が不備のためリスクが大きい。

タイ国においては、Hire Purchase法によりもし買主が2回続けて代金を支払わぬ場合は、

何時でも車両の引き揚げは可能である。しかし、現実にはその執行には、警察の協力を頼んだり 大変な困難を伴った。

③ ディーラーの資金調達力が脆弱かつ地方金融市場が未発達。

1960年代、70年代の前半においては、ディーラーもまだ育っておらず、かつバンコク 以外の地方では地場商業銀行の支店も少なく、金融市場自体も未発達であった。したがって、

この当時、系列の専属ディーラーが長期に亘る割賦販売資金をバンコク以外の地で調達するな ど凡そ不可能であった。

④ 保険制度の未発達。

⑤ 先日付け小切手(post dated check 略してP / D check)が、刑事法上の執行力を持ち、商業手 形の代わりに多用され、割引制度が普及していない。

― 運用上の特色

1960・70年代の割賦販売制度は上述の通り、制度的に種々問題はあったが、ディーラー にとって「収益」の源泉ともなるので、金融環境が改善した1970年代後半から80年代中葉 にかけて、タイ日野自販集中から、ディーラーの自社割賦へと移行が始まり、80年代末には広 く普及、定着することとなった。その特徴は、①代金不払いによる「車両の引き揚げ」が一面で は、ビジネス・チャンスでもあり、②アドオン方式による割賦金利(実質金利は表面金利の2倍 となる)は多大な金融収益を生むこととなり、ディーラーにとって、メリットの多い仕組みであ った。したがって、鍵となるのは「割賦販売における信用調査」で、種々工夫して取り組んだ。

― タイ日野自販による資金調達

自社で割賦販売を行なう場合は、販売していくにしたがって、雪だるま式に資金負担は増え、

1960・70年代のタイ日野自販の資金調達は大変であった。当時の資金調達の要は、三井銀 行と組んだ、本社供与の「2年の延べ払い」による車両輸入であった。しかしこの点は、ディー

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