1 本節の課題
序章にあげた基礎的資料等を用いて藤樹の人格形成における自己実現過程に迫ろうとす るのが本節のねらいである。ふつう、「人格」という場合、性格的なものをさすが、ここ では、パースナリテイとして、性格、態度、価値観等、その人間の特徴を表すと思われる 指標をすべて取り上げている。したがって、当然思想や学問との関連も含むが、思想形成 については第2・3章で詳しく取り上げるので、本節では、思想面については他の性格面 と同様の比重で取り上げることにした。
さて、一般に年譜なり、伝記から人格が形成されていく過程や条件を探求する心理学は、
生育史心理学(Psychology of Life−History)と呼ばれている。本節では、西平の生育史心 理学の技法の一つである「生活空間連関図」(1)により、人格形成がどのような時期にど のような要因によって行われたかを導き出す。生活空間連関図は、対象とする人物の生育 歴に対応して、時代の歴史的状況、家族関係、幾層かの生活舞台での様々な動きを全体と して鳥鰍図的に把握できるので、事実と事実との関連や隠れた因果関係を類推したりして、
個人と社会背景(環境)との相互作用を踏まえた人格形成の究極点をまとめあげるのに有 効である。『年譜』その他から得られる藤樹の生育歴やエピソードから連関図を作成した
ところ、30〜3ページの図1に示すような連関図を得ることができた。
2 生活空間要因連関図からの考察
(1)まず時代的背景として、藤樹が誕生した1608年は、関ヶ原戦後8年、徳川幕府
が開かれて5年目。そして、8年後には大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡する。世はなお不穏な 空気をただよわせながらも、新しい平和な社会に向かって確実に歩みを進めていた。そして、参勤交代制度に見られる幕藩体制が固まりかけてきた頃に藤樹の主たる活動期がある。
したがって、幕政に対して何らかの影響があると幕府に見られるとすれば、その活動期で あるが、実際に弾圧されるのは、弟子の熊沢電量からで、藤樹の死後のことである。だか ら、藤樹としては存分に自己の思想を講義したり、書物に著すことができたと考えられる。
すなわち、戦国から抜け出した新しい時代における人間のあり方、なかでも武士のあるべ き姿、理想の姿(士道)を普遍的な真理のうえに確立しようとして苦心した。
(2)公に関することは、脱藩帰郷後は全くの空白になっているから、以後は、公事に煩 わされることなく、私事に専念できた。学問に関する記事が大半を占めていることは、藤 樹にとって学問がいかに大きな位置を占めていたかがわかる。
(3)Eの環境的要因として、祖父が武士として育てたということが多くの事実と連関し ている。西平は、生育史心理学は人間を運命論的決定論(他者形成)と自由意思論(自律 形成)のバランスのうえにとらえ、健康な人間ほど、このバランスはよい(2)、という。そ
うだとすれば、祖父という他者による人間形成が藤樹の自己実現の形成に大きな影響を与
えている。そしてP1及びP2、とりわけP2の「聖人になるの志」という自律形成の部
分が様々な事実と連関しているばかりか、生涯にわたって主体的な思想形成に大きく影響していることがわかる。他者形成からは、京都に近い近江に住んでいたことも大きな環境 的要因であった。バランスがとれていたかどうかは別として、運命論的決定論と自由意思 論とはいずれか一つでなく併存していたわけである。
武士として育てられたことは、祖父母や父の相次ぐ死にもかかわらず、よく孤独に耐え 得たこととも強く連関している。しかし、この忍耐が喘息の発病と無関係とはいいきれな いだろう。
(4)「脱藩」にかかることが持病の喘息を始め多くの事実と連関している。大州の地が
「文学に弱なり」としたことも大州を離れる大きな要因となっている。これは、藤樹のこ れからの生き方を決定する重大な要因で、自律形成に属するものである。最小限度の生計 を維持するための商いによる現実生活への対応をしつつ、困難な家庭生活を克服しながら、
(28)
藤樹はいよいよ人間の本心への信頼をおく有徳の「村の先生」(3)として自由活発な主体 的な生き方を願って自己実現していくのである。思想形成の面からは、第3章に詳述して いるので省略する。
(5)性格形成の面でも、食事の際に感じた恩、家老達の話を聞いての疑問、友達との応 接での過失をいつまでも悔やんでいることなど、一連のエピソードは、少年らしい生真面
目さを表している。いずれも聖人になるの志と連関している。さらに長じて圭角ある性格 は、朱子学に泥むばかりか、同僚の郷楡に対してもとげとげしい態度(P6)をとらせて いることと連関している。30才のとき、妻を離婚するよう勧める母親の言葉を断ってい るのも朱子学の教えにない、というのが理由である。かたくなに朱子学を守る生真面目な 性格が浮かび上がるのである。しかし、こうした性格も次第に角がとれ、後には「藤樹先 生」と呼ばれ、円満な人格者へと成長する。ここには、本来の自己のアイデンティティ確 立に不可欠な、学問に対する新しい発見による精神的安定が強く連関していると考えられ
る。
(6)人に関する部分で注目すべきは、心友への共感と励ましである。藤樹は、門弟達や 教えを請いにやってくる人を「同志」あるいは「心友」と呼び、同行の学友と考えた。こ の部分が連関図に多くある。彼らの学問を始め様々な悩みに対して、藤樹は、まずは共感
し、懇ろに手紙を書いて回答し、励ましている。これなどは、大野了佐への教授法とあい まって有徳の教師としての藤樹の評価をより高めていることと連関している。
国の
動き
公
に
関 す
る
事
家
に
関 す
る
事
学 問
に
関 す
る
黒
人 に 関 す
る
事
徳川家康将軍となる 豊臣氏滅亡
キリスト教禁止武家諸法度制定
鰍蕃姓まれる 徳lll家光将軍となる