(8)自己統制の技術
真に聖者的であることの第一歩として必要なことは、すべての生物的な衝動や、社会文 化的欲求や、野心や激情を、その人の最高自我によって統制することである。この点につ
いて報告を得ることができた約655名の聖者のうち、248名(約38%)が、抑制の ためのテクニクを適用し、407名(約62%)が適度に行って、過度の厳格あるいは自
己呵責の重圧を避けている。すなわち、聖者のうち、3分の2が禁欲によらず、聖者性を 身につけたということである。藤樹の場合も、後半ようやく朱子学の厳格な格套主義の弊害に気づき、これではついて いけないとして、格套が人情にもとり、自然の法則に合わないことまでも言っており、形 式主義を打破しようとしている。肉体的欲求についても、これを否定せず、極めて具体的 に「権」の考え方で超克するように諭している。野心については、特に出世するための偽 学者の跳梁には強くこれを批判し、真の学問のあり方を強調している。学問の目的は、天 人一貫の明徳に基づく「真吾」の発見であり、「悦」であるとの信念で門人に説き、実践 する限り、藤樹においては、小手先の自己統制の技術などは、全く問題にならないのであ
る。
3 まとめ
性別については、外国聖者は男子が多く、藤樹の場合は男尊女卑という時代的社会的背 景もあったが決してそのことが有利に作用したということではない。出身階級では、外国 聖者が富裕な階級が多いのに対し、藤樹の場合は、下級武士であった。しかし、武士とし ての教養を身につける機会は、富裕階級と同様に恵まれていた。親の影響については、外 国聖者の場合は、圧倒的に親が励ます態度をとっているのに対し、藤樹の場合は、祖父の 庇護の下での、自発的な聖人たらんとする志であった。聖者への道については、外国聖者 の場合は修道院などの施設の教育や特定人物の影響、神への若い時からの献身が多いが、
藤樹の場合は、「四書」の影響により、天子から庶民に至るまで学問に励むことへの強い 憧れと、聖学をもって自分の任とする使命感があった。聖者となるプロセスでは、外国聖 者が幸運型が多いのに対して、藤樹の場合は、困難な思想的遍歴があったことを考慮に入 れるとすれば、幸運型と破局回心型の中闇型といえる。結婚状態では、外国聖者の場合は、
(46)
未婚が多いのに対し藤樹の場合は、朱子学の格法を守った晩婚で、結婚後、妻の死別と再 婚という事態が起こったが、特に異例とはいえない状態であった。環境への適応について は、外国聖者の場合、特殊な環境と、普通の社会的文化的環境とが多いが、藤樹の場合は、
普通に家庭生活を営み、門人や村人に対しては思いやりのある態度で接し、孤独を旨とす ることはなかった。自己統制の技術については、外国の聖者の場合、禁欲に走ることが少 なく、藤樹の場合も肉体的欲求については否定せず、門人達に対しては共感を示した。
聖者というと、神のような存在を連想するが、外国の聖者の多くが、世俗的に恵まれた 環境で相当な困難を経た人達ではないのと同様、藤樹についても脱藩や思想的遍歴はあっ たものの幸運型でもなく破局型でもない、その中間型ともいえる人間的な聖者像を描くこ とができる。その点では、藤樹は外国の聖者と比較して、かけ離れた存在であるとはいえ ない。前節で述べたように、単なる健全性ではなく、数多くの創造的な著作をものにし、
しかもその学問を自らの人格形成と不可分の関係においてとらえた藤樹の、学者として同 時に、教育者としての偉大性にこそ、人々が超越者としての聖者性を感得したのではない か、そこに俗界から離れた僧院にこもるだけの静かな聖者像でなく、積極的で人間的な親
しみのある、民衆との深いつながりのある聖者像を思い描くことができるのである。
第4節 自己実現の条件としての「精神の健康性」からの検討
1 本節の課題
上田は、「人間主義心理学は、欲求満足や精神の健康性を通じて、連続的に人間性の矛 盾、葛藤を克服し、成長・発達・自己実現をとげていく過程に、理論的根拠を与えようと する唯一の心理学である。」(11)として、精神的健康が自己実現にとって重要な条件であ ることを指摘している。
本節では、シュルツ(D.Shultz)の Growth PsycholGgy一儲dels of the Healthy Pers onality『健康な人格』(12)により、藤i樹の精神的健康性について検討したい。
2 各人格理論からの検討
(1)オルポート(G.Allport)のモデル(成熟した人間)からみた藤樹
ア 動機論からみた藤樹
オルポートが人格を研究するのに最も大切にした問題は、動機についての説明(13)であ る。かれは、健康な人格の持ち主であれば、過去に根ざす動機の力で背後から押されてい るのではなく、逆に未来をめざす計画や意図によって前方に引っ張られているというので ある。これを藤樹についていえば、かれの中心的側面は、まさに聖人たらんとする志、藤 樹心学の創造、門人たちに対する儒学の教導という高次に考慮された意識的な生涯目標で あった。このような目標が成熟した人格を動機づけるとするならば、藤樹は正にオルポー
トのいう「成熟した人格」への前提条件を満たしているといえるだろう。
オルポートによれば、この生涯にわたって、長期に努力するという、健康な人格の意図 的性質は、また人格全体をも統合している。
一時藤樹は、大洲藩主への忠誠をとるか、故郷の近江小川村にたった一人で残した母へ の孝養をとるかという二者択一の苦しい葛藤を体験した。このことは神経症である不眠や
(48)
後に命とりともなる喘息という疾病となってかれを苦しめるが、母への孝養のため、一切 の地位や名誉を捨て、命をかけて故郷に帰った藤樹を、かれの学徳を慕う心温かな村人が 冷たくするはずはなく、幸い、藩からのおとがめもなく、自由でのびのびした生活の中で、
少しずつ癒されていったのである。こうした状態は一時的に神経症になったとはいえ、そ れは藤樹自身の中心的な焦点や統一化への動きであって、藤樹自身よく全体としてまとま
り、一貫性のある人格であったということができる。
また、オルポートは、人格の意図的性質には、個人の緊張の水準を高めることがある(1 4)と言っている。健康な人間は、つねに変化や新しい感動や挑戦を求め、次の緊張を生み 出し成長していく。
藤樹においても、少年であったころ、物覚えがよいとほめられても「自分はこの程度の ことで満足していてはいけない」と自ら目標水準を高めているのである。
シュルツは、オルポートの議論には、目標として「幸福」があげられていないことに注 意をうながし、むしろ健康な入間の生活は苛酷で苦しみや悲しみに満ちていることもあり
うるというオルポートの考えを強調している。(15)健康な人間にとって幸福は主な関心 事ではなく、幸福は、志をもち、それを積極的に追究する人間におのずとやってくる副次 的なものだというのである。このことからも、殊に貧窮のなか、内面性を重視し、謙虚を
旨とした藤樹にとっては、藤樹の内部にこそすばらしい王国があったといえるのである。
このように、動機は精神的に健康な人間にとって不可欠なものであり、このような人聞 は、目標や希望や夢を積極的に追求し、かつ目標の追求は決して終わることはない。とす るならば、藤樹の場合は、このことによく該当するものと思われる。
イ 自己論からみた藤樹
オルポートは、自己という言葉が多義に使われているので、他の学者の考えと区別する のに固有我(propriu④という語を使った。固有我(自己)というのは、ある人間に属し ている何か、またはその人間に独自の何かのことを指し、身体的自己・自己同一性・自尊 感情・自己拡大・自己像・理性的対処者としての自己・固有的希求の七つの側面の合体と して幼児期から青年期にかけて段階的に発達する。健康な人格にとって、この固有我の出
現は欠くことができない(16)、としている。すなわち、「自己像」は親の期待を学ぶこと によって、道徳的な責任感や目標や意図の形成に対する基礎を発展させるという意味があ
り、さらに成長すると「私はだれか」という「自己同一性」が大人としての人格を求めて
「人生目標の明確化」という形で、初めて未来と関わり、長期的な目標や夢を持つように
なる。
藤樹について言えば、幼年期までに発達する自己像に関しては明瞭に発達している。近 所の野卑な子供たちと交わってもそれに同化することがなかったといわれており、自己像 の確立を証明している。また、20才のときの「これより聖学をって自己の任とす」とい う「立志」が「人生目標の明確化」に当たり、藤樹の固有的希求をさしている。このよう な藤樹独自の「目標の明確化」は、藤樹における精神の健康性を立証しているものと思わ
れる。
ウ 成熟した人格の基準からみた藤樹
①自己感覚の拡大……オールポートによれば「人闇の努力を要するいくつかの重要な 領域へ、人が本当に参加すること」(17)である。藤樹についていえぼ、聖学を窮め、
他に教導することは自己のまさに天職であり、生涯にわたってこの有意義な活動に没 頭しているのであり、藤樹の最も中心部分であるといえよう。
②自己が他者と温かい関係をもつこと……オールポートは、親密になる能力と共感す る能力の2種をあげている。(18)前者については、藤樹は、母への孝養を仕事より 上位にあげているほどだし、醜い妻を離縁してはという母親の言に対して、朱子学の 教えにはなかったからということもあったが、むしろ妻の夫への誠意に満ちた奉仕を 強調して応じなかったほどであったのである。これらは、十分に発達した自己同一性 の感覚であり、無批判に親のいうことを聞く小感でなく道に反していれば親をも諌め るという大孝の域に達している。温かさ、共感とは、すべての人々に対する近親感で あり、特に他人の弱点も受容している。
藤樹が酒の行商をしていたとき、薄利で感謝されたことや、塾を開いたとき、学問 に行き詰まりを感じて悩む門人には、繰り返し励ましの手紙を送っていることや性欲 の処理についても結果の報いを「対々」 (苦楽損益を考えること)することによる適
(50)