第 3 章 食品安全管理における消費者サイドからの視点
第 1 節 「消費者主権」の理念の成立と消費者運動の勃興
1.
「消費者権利」の概念と消費者運動「消費者主権(
consumers’ sovereignty
)」155の理念は、1936
年にイギリスの 経済学者William Hutt
が著書Economists and the Public
において、初めて経済 学上の概念として提唱した。彼は、「消費者主権」について、「消費者個々人の自 由で自主的合理的な取捨選択が市場の価格と需要のメカニズムを通じて、究極に おいて、企業者にどんな製品をどれだけ生産すべきかを伝達し、決定させる仕組 みが経済機構上成立している」と説明した 156。その経済的主権は「貨幣的投票権」として考えられた購買行動の有無によって行使され、消費者が貨幣を使用するか どうかという行為に主権が存在するというのである。その後、多くの経済学者が それぞれの視角から「消費者主権」を定義づけたが、それらを要約すると、「消費 者主権」とは、消費者が「公正かつより豊かな生活を達成する」ことを保障する 権利であるとされた 157。こうした「消費者主権」の理念は、「ケネディ教書」と
1960
年代のアメリカにおけるラルフ・ネーダーの告発型の消費者運動を通して、国際社会で共有されるようになった。
1962
年3
月、アメリカのケネディ大統領は、「消費者の利益の保護に関する連155 経済学における「主権」という言葉の使い方は、経済取引において消費者の影響力といった意 味である。消費者が権利の主体者として認められることだけではなく、その権利が制度的に保証さ れていなければならない(大嶋茂男・村田武著『消費者運動のめざす食と農 世界の経験、日本の 実践』農文協、1994年、115頁)。
156 田中利見「消費者利益に対応したメーカーのマーケティング展開」『茨城大学政経学会雑誌』1983 年3月、2頁。
157 朝岡敏行・関川靖編著『消費者サイドの経済学』同文館、平成19年、7頁及び17頁。
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邦議会への特別教書」(「ケネディ教書」)において、「消費者の
4
つの権利」(①安 全を求める権利、②知らされる権利、③選択する権利、④意見を聴かれる権利)」を提示した。
1975
年にはフォード大統領により⑤消費者教育を受ける権利が追加 された。これが「消費者主権」の理念を実現するための世界で初めての「消費者 権利」の内容であった。その後、1982
年、世界消費者機構(IOCU
、1995
年からCI
に名称変更)によって、この4
つの権利は「8
つの権利」に拡大され(上記の5
つの権利に、①生活のニーズが保証される権利、②救済を受ける権利、③健全な 環境の中で働き生活する権利が付加)、1999
年には、国際連合のガイドラインが 上記の権利に、①団体の組織化の権利と②持続可能な消費の権利を付け加えた 158。 こうした経緯を経て、国際社会では、消費者の権利が食品安全分野において保障 されなければならない重要な権利として、共有されるようになった。2.
消費者運動の展開本来ならば、消費者権利の実現は、政府の規制と企業の
CSR
の履行とによって 保障されるべきである。しかし、政府がオールマイティーな能力を兼ね備えてい るわけではないし、市場の失敗と政府の失敗が存在しているため、政府・企業が 公正な行為から逸脱して、消費者権利を侵害した経済行動を取ることもある 159。 先進諸国の食品安全保障の改善過程を見ればわかるように、こうした消費者権利 の保障は、消費者運動が行政や企業に働きかけることによって実現されている。消費者運動には、多くの研究者の間でさまざまな意見があるが、ほぼ共通して いることは、次の点にある。高度産業社会において消費者が商品やサービスの購 入において無知を自覚し、金銭を真に価値あるものとして有効に使用しているか を意識し、問題解決のために商品とサービスの価格・品質・コストなどの十分な 情報を得て、生産者との力関係における従属的地位から自らを解放して消費者の 権利を明確にすることにある 160。
消費者運動には、主に(
1
)生協型、(2
)情報提供型、(3
)告発型の3
種類があ る。第
1
の生協型の消費者運動は、一般消費者によって結成される組合組織の運動 である。商品やサービスの流通過程に介在して経済行為を行ない、流通経費を節 約することによって、組合員の生活福祉に貢献することを目的とする。この生協 型の消費者運動は、労働者階級を中心とするものが多く、主に西欧諸国を中心に 展開されている。158 これらの権利については、今井光映・小木紀之著『消費者福祉』ミネルヴァ書房、1970年、81-82 頁、国際消費者機構(IOCU)のHP、岩本諭・谷村賢治編著『消費者市民社会の構築と消費者教 育』晃洋書房、2013年、139頁を参照。
159 前掲『消費者サイドの経済学』同文館、平成19年、26頁。
160 今井光映・小木紀之著『消費者福祉』ミネルヴァ書房、1970年、145頁。
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第
2
の情報提供型の消費者運動は、消費者に情報を提供することを中心にした運 動で、アメリカにおいて発展してきた。このような情報提供型の消費者組織は、商 品の品質・性能に関する信頼できる消費者情報を提供することを目的としている。市場に出回っている銘柄商品の性能テストを行ない、結果を総合して優・可・不合 格などに格付けし、そのうち特に良くて安い銘柄は、「買徳品」として月刊レポー ト誌に推奨するという方法を取っている。代表的な情報提供型の組織は、アメリカ の
CU
(商品テスト紙『コンシューマー・レポート( Consumer Reports
)』発行)、イギリスの
CA
(Consumers Association
)、日本の「暮らしの手帖」などが挙げら れる。この商品テスト運動は、流通過程に介在することにより流通経費を節約して 消費者の生活福祉を図る生協とは異なり、消費者個人の賢明な商品選択に1つの価 値基準を与えていくというところにその意義がある 161。高度大衆消費社会では、この情報型の組織は、主に中産階級以上の層を中心にその運動の展開が果たされて いる。ところが、商品テストには莫大な資金を要し、資金援助を受ける場合が多く、
商品の比較テストも、大部分は許認可権をもつ国などの公共試験機関に頼んでいる ため、他の消費者団体からよくその姿勢を批判されている。例えば、アメリカでは 政府の補助金さえも消費者の自主性を妨げるものとされている。
第
3
の告発型の消費者運動は、有害食品や危険商品の氾濫、環境破壊などの歪 みを告発する運動である 162。例えば、1960
年代の半ば、アメリカでラルフ・ネ ーダーを中心にした運動である。ネーダーは、『どんなスピードでも自動車は危険 だ』(1965
年)という著書で、自動車の恐るべき非安全性をとりあげ、世界最大 の自動車メーカーのゼネラル・モーターズ社を相手に欠陥車を裁判に訴えて勝訴 した。一介の弁護士が一国の国家予算に匹敵するほどの売上げをもつ巨大企業に 闘いを挑み、その結果、自動車業界に製造物責任を負わせる安全規制立法を成立 させた。1969
年には、ネ一ダーは専門家を集めて「ネーダー突撃隊(Nader’s
Raiders
)」を組織し、欠陥商品や有害食品などによる多くの消費者被害が発生した現実に正面から向き合い、悪徳企業の告発に乗り出した。その後も、ネーダー はさまざまの方面のパブリック・インタレストを守る運動を展開していった。こ うした運動を通して、国民の健康を守ったり消費者の権利を保障したりするため のさまざまな法案の採択や政府機関の設立に寄与した 163。日本では、告発型の運 動は「草の根のグループ」によって担われる。「失敗と挫折の繰り返し」といわれ た消費者運動がいまや社会的な発言力を増していった。
多くの国では、多様な消費者運動が同時に展開され、「相互補完的」な役割によ って、結果的に「相乗効果」を挙げてきた。これらの消費者運動は消費者の権利
161 前掲『消費者福祉』、162-163頁。
162 日本放送出版協会編『日本の消費者運動』日本放送出版協会、1980年、120頁。
163 同上、142頁。
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を実現するための一つの市民運動になった。だが、消費者運動は、消費者自身あ るいは一部の人々のみによって推進されるべきものではなく、民間機関、各種形 態の民間企業の機関、国と地方自治体の機関などによって、いろいろな形でその 促進と実践が図られるべきである 164。また、消費者運動は消費者の私的保護と行 政による消費者の公的保護との関連が強い。そのため、行政は消費者運動に必要 な情報を提供するという極めて重大な役割を担うべきである一方、消費者は行政 に依存しすぎてはならないとされる 165。消費者運動は市場における消費者と生産 者の力のアンバランスを是正するだけでなく、消費者の欲求と必要を正しく反映 した消費者のための生産を生産者に求める。つまり、消費者のための生産体制を 確立するところまで進まなければ、消費者福祉に対する意義を十分に発揮するこ とはできない。さらに進んで、消費者の欲求と必要を直接的に反映させるシステ ムが構築されなければならない。
しかし、こうした消費者運動にも多くの限界があることが指摘されている。今 井光映・小木紀之の研究によると、消費者運動の限界には主に次の
3
点があると される 166。それは次のようである。第1
は、「情報提供型の消費者運動」では、消費者には、商品購入の際、その商品の優劣に関する情報を与えられるだけで、
それが消費者福祉の実現には直接繋がらないという限界である。第
2
は、消費者 団体が自由に自主的に運動を展開する消費者運動においては、消費者団体以外の 消費者の必要・欲求を調査研究し、消費者の意思を生産者にあるいは行政に反映 させ、そうした線にそった財やサービスを消費者に提供させるという活動はきわ めて困難である。こうした活動は、消費者自身の欲望・必要の調査把握といって も、消費者の意思が十分に反映され、そうした商品がただちに消費者に提供され るという保証はない。第
3
は、消費者と消費者行政との関係においても、消費者運動の限界がある。すなわち、消費者行政におんぶした消費者保護的消費者運動では、消費者福祉は 完全には達成できないということである。行政は生産者の方を向きすぎていたと いうことは反省されなければならないが、行政はもともと、市民つまり消費者一 般を対象とするものである以上、労働力を売って生計を立てる勤労者の消費者だ けを保護することはできない。市民一般をその対象とせざるをえないからである。
164 今井光映・小木紀之著『消費者福祉』ミネルヴァ書房、1970年、146頁。
165 同上、147頁。
166 同上、166-169頁。