第 4 章 日本の食品安全管理の経験と教訓
第 2 節 日本の食品業者の食品安全確保への取組み
戦後から
2000
年代まで、日本でも、政府も業者も「産業育成・企業優先」の理 念の下で、消費者権利より企業利益を重視してきた。その結果、日本でも深刻な 食品安全問題が起こっている。そのような事態を受けて、企業に対する消費者か らの批判の目はますます厳しくなってきている。そこで、多くの業者は企業経営 のあり方を見直し、「業者優先」を「消費者優先」へと切り替え、食品の安全を厳 しく監視するようになってきた。イギリスの定期刊行物「エコノミスト(Economist)」の調査部門
EIU
(The Economist Intelligence Unit)が近年、「世界食品安全指数レポート(Global Food Security Index)」を発表している。
2018
年の調査結果によると、品質と安全のランキングでは、日 本は20
位、中国は37
位である 437。食品の安全性からみると、中国より日本のほ うが高い水準にあるといえる。近年、中国の観光客が日本へ旅行した際の爆買いが話題になっている。その背 景には、日本企業の安全な商品の追求および消費者第一の企業理念への信頼があ ると考えられる。
その理由は比較的に成熟した市場経済と市場規範が確立されている下で、よい 品質・サービスの提供で信用を重視する企業モラルが普遍的に守られていること と関連している。
1.
企業信用と消費者利益を重視する企業経営風土の構築2008
年に韓国銀行が発表した「日本企業の長寿要因及び示唆点」という報告書 によると、日本の長寿企業の数は世界一だという。創業100
年を超える企業が5
万社以上存在し、創業200
年以上の企業は3
千社以上、1000
年企業は7
社、その 数は世界の半数以上を占めている(表4-10
参照)。これらの長寿企業の89.4%
は 従業員数300
人未満の中小企業である。表4-10 世界の長寿企業(2008年)
世 界 日 本 中 国
韓 国 イ ン ド オ ラ ン ダ ド イ ツ フ ラ ン ス 米 国 大 陸 台 湾
創 業100
年 以 上 - 5万 社 余1) - - 0 - - - - -
創 業200
年 以 上 5586社
( 計41国 ) 3146社 9社 7社 2社 3社 222社 837社 196社 14社
創 業500
年 以 上 - 32社 - - - - - - - -
創 業1000
年 以 上 - 7社 - - - - - - - -
注:1)帝国データバンクの「長寿企業の実態調査(2014年)」では100年を数える長寿企業数
437 Global Food Security Index 2018 Building resilience in the face of rising food-security risks ,The Economist INTELLIGENCE UNIT(https://foodsecurityindex.eiu.com/ 2019年2月28 日アクセス)
175
27,335社だという説もある(尾形哲也・小倉幸雄「わが国における長寿企業のサステイナブルマネ
ジメント」『岐阜経済大学論集』2016年第49巻2・3号による孫引き)。東京商工リサーチの『全 国老舗企業調査』によれば、2017 年、日本には創業100 年を超える企業が3 万3,069 社も存在し ているという438。
(出所)「日本企業の長寿要因および示唆点」報告書、韓国銀行による 2008 年 5 月 14 日発表
(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20080514003900882 2019年2月23日アクセス);NHKスッペ シャル「長寿企業の大国にっぽん」(2007年6月18日放送)により、筆者整理作成。
中小企業基盤整備機構の『平成
29
年度版 事業承継マニュアル』によると、全 国の長寿企業4,000
社は、老舗企業の強みとして「信用」(73.8
%)、「伝統」(52.8
%)、「知名度」(
50.4
%)の3
点を挙げている 439。また、同調査では、「今後生き残っ ていくために必要だと考えるもの」という質問に対して、老舗企業が最も多く答 えたのが「信頼の維持(65.8
%)」で、次が「進取の気象(45.5
%)」、そして「品 質の向上(43.0
%)」であった 440。それらの長寿企業は、各社の経営業種は異なっており、秘められた知恵もさま ざまである。だが、この調査結果からは、長期的な視点に立った商品・サービス の提供を通じて、社会や顧客からの「信用や信頼」を得ることと「品質の向上」
を達成していくことは老舗が老舗たる所以であることが伺える。違法行為のある 業者はまったくないわけではないが、全体から見れば、日本では、顧客からの信 頼と企業信用を非常に重視している経営風土が形成されている。
そのような「信用第一主義」の徹底という日本の伝統企業の地味な経営理念は、
中国の企業の姿と対照的である。中国では、グローバル化、急成長、市場シェア 第一主義の下で、目先の利益だけを追い求める企業が少なくない。
中国有数の老舗の1つ、「同仁堂」は
1669
年に創業して以来、漢方薬(近年は多 角経営で、高級保健食品の販売にも携わっている)の営業に携わってきた。同仁堂グルー プ及びその子会社は2016
年にナマコに明礬(みょうばん)を違法に添加したり、2018
年12
月に製造年月の改ざんにより賞味期限の切れた蜂蜜を市場に流通させたりし たことで摘発された。そのほかに、ここ3
年で、23
回も品質不良の問題が発覚し ている。一連の品質問題で、同仁堂の子会社に対して巨額の罰金が課されている。また、食品営業許可証も取り消され、
5
年以内の再申請は不可となった。さらに、国家市場監督管理総局は同仁堂グループに与えた「中国品質奨」を撤回した 441。 同仁堂グループはほんの小さな目先の利益のために、多くの先人たちがさまざ まな苦労をして
350
年の長い歳月をかけて築いてきた企業信用を一気に台無しに してしまった。中国の民衆から見ても、それは本当に扼腕してため息をつくしか438「創業100年を超える『長寿企業』の生き残り術」The EXPO百年の計委員会、2018年、4頁。
439 同上、11頁。
440 同上、11頁。
441 中国経済網HP 2019年2月26日記事「百年老店同仁堂屡登质检黑榜 旗下海参被检测不达标」
(https://baijiahao.baidu.com/s?id=1626540951600197736&wfr=spider&for=pc 2019年2月28 日アクセス)
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ない行為である。これから、「金字看板」を再び光らせる信用の再建は如何に難し いか、どれだけの努力を必要とするのか、その分の人的・物的コストは違法行為 で得た短期的利益よりはるかに高いことは容易に想像がつく。
2.
消費者権利を重視する食品企業の取組み(
1
)消費者視点に立った食品安全保障への取組み安全な食品の生産と提供で顧客や社会からの信頼を得て初めて食品企業の経営 が成り立つ。
2000
年以後、一連の食の不祥事が頻発し、食品業界全体に対する消費者の信頼 を揺るがしかねない事態を受け、日本の農林水産省は、食品業界、食品事業者が コンプライアンスや消費者の信頼確保に取り組むための「道しるべ」として、2009
年3
月に「食品事業者の5
つの基本原則」を策定した 442。①消費者基点の明確化:消費者を基点として、消費者に対して安全で信頼される食品を提供す ることを基本方針とする。
②コンプライアンス意識の確立:企業を取り巻く社会環境の変化に適切に対応し、法令や社会 規範を遵守し、社会倫理に沿った企業活動を進めていく。
③適切な衛生管理・品質管理の基本:安全で信頼される食品を消費者に提供するために、適切 な衛生・品質管理をする。
④適切な衛生管理・品質管理のための体制整備:適切な衛生・品質管理を行う体制を整備し、
それが形骸化しないよう改善を行っていく。
⑤情報の収集・伝達・開示などの取組み:消費者などの信頼や満足感を確保するため、常に誠 実で透明性の高い双方向のコミュニケーションを行う。
日本の多くの食品企業は上記の原則に従い、消費者志向の経営の確立に向けて 努力している。たとえば、日清製粉グループは『消費者志向経営の自主宣言』を 発表し、日常的な業務のレベルからその達成に向けた取り組みを始めている(表
4-11
参照)。表4-11 日清製粉グループの消費者志向経営の内容
日清製粉の対応 消費者の権利
・消費者視点の品質保証、セイフティレビュー、食品安全マネ
ジメントシステムの活用 安全保障の権利
・業務執行体制、経営・監査及び内部統制の仕組みの構築
・ステークホルダーの声が経営層に届く仕組みの構築 選択する権利
・商品・サービス、問合せ先などに関する情報の表示・説明に ついての取組み
・安全や環境等に関する情報の開示等
知らされる権利
442 日本農林水産省HP 「組織・政策>食料産業>食料産業局の組織・事業(予算)・税制情報>食 品業界の信頼性向上について>5つの基本原則」
(http://www.maff.go.jp/j/shokusan/kikaku/sinrai/5gensoku.html 2019年2月23日アクセス)
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・消費者団体等との意見交換
・消費者を対象に料理教室の開催 等 教育を受ける権利
・消費者、顧客の安全・安心に資する商品・サービスの提供、
改善、開発
・持続可能な社会の発展や社会の課題解決に資する商品・サー ビスの提供、改善、開発等
意見を聴かれる権利
・重要品質事故対策本部の設置
・シミュレーション訓練 被害救済の権利
(出所)( 出 所 ) 日 清 製 粉 HP
(https://www.nisshin.com/csr/policy/policy/consumer2017.pdf 2019年 4月 13日 ア ク セ ス ) に よ り 筆 者 整 理 。
日清食品グループは二重の食品安全管理体制を敷いている。各工場に対しては、
日清食品グループは食品安全監査基準に基づき原材料の残留農薬・動物用薬品・
微生物など、製造工程、検査能力を対象に監査・改善を行っている。それに加え て、グループ内の各工場から独立したグローバル食品安全研究所(2002 年設立)と 食品安全研究開発有限公司(2005年上海に設立)は、さらに各仕入れ先と工場を対象 に独自の品質調査と確認検査を行っている 443。
食品企業は食品安全事件の再発を防止するため、それぞれに改善措置に取り組 んでいる。
JT
傘下のテーブルマークグループでは、中国冷凍ギョーザの中毒事件後、工場内 の監視カメラの台数を増やし、映像の保存期間を延長している。味の素冷凍食品で も自社工場に出入りする人物の管理を強化するため、一部で指紋認証システムの導 入や、個人を識別できるカードでの入場チェック・システムを取り入れている444。2016
年1
月、食品企業の壱番屋が廃棄処理を依頼した冷凍ビーフカツが、産廃 業者、食品販売会社等を通じて市場に違法流通していたことが発覚した。その事 件を受け、壱番屋は再発防止の対策を講じ、包装を外して生ごみと混ぜてから処 理を委託することを決めた。製品の状態のまま廃棄する場合は、工場からの搬出 から処理まで社員が必ず立ち会うという。アサヒグループ・ホールディングスは、処理を委託する廃棄物の処理工程をオン ラインで管理して不正を防ぐ仕組みを既に取り入れている。日清食品は委託先の業 者から処分後の商品写真をもらうか、社員が処理に立ち会うようにしている 445。
食品業者は日常的に、消費者からの声を重視する姿勢も見せている。
筆者の知己(日本人)は
2017
年5
月に札幌市内のスーパーから購入した食品の 中にビニール破片の異物が混入されていることを発見した後、食品メーカーにク443 日清食品HP(https://www.nissin.com/jp/about/nissinfoods-holdings/history/ 2019年2月15 日アクセス)
444「マルハニチロに問われる意識転換―冷凍食品の農薬混入事件が突き付けたもの」『東洋経済』
2014年1月31日(https://toyokeizai.net/articles/-/29642?page=2 2019年3月1日アクセス)
445 企業法務HP 2016年1月27日「ダイコー事件から考える廃棄食品問題」
(https://www.corporate-legal.jp/%e6%b3%95%e5%8b%99%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc
%e3%82%b9/%e4%bc%81%e6%a5%ad/2042 2018年12月19日アクセス)