第 3 章 食品安全管理における消費者サイドからの視点
第 2 節 中国における消費者権利の保護に関する法整備
前節で述べたように、「消費者主権」を保障する「消費者の権利」は、消費者政 策の理念として、立法、行政、司法において、尊重されるべき最も重要な価値で ある。
社会主義の市場経済の最終的目標は市場経済を通じて、「共同富裕」を達成する ことにある。中国では、
2020
年に「小康社会」167の全面的実現を目指して、生産 力の発展に取り組んでいる。さらに、2012
年から「富強、民主..
、文明、調和、自 由、平等
..
、公正
..
、法治、愛国、敬業、誠信
..
、友善」という社会主義建設の核心的 価値観が明確にされた。このような情勢下で、中国においても、経済取引におい て消費者の諸権利を平等かつ公正に確保・実現するため、「消費者主権」の理念が 確立されなければならないという認識が生まれている。
しかし、「消費者の権利」を単なる「理念にとどまる」ものとして、その実体的 な権利が消極的・否定的に捉えられる恐れは常に存在している。そのため、「消費 者の権利」を尊重する視点に基づき法・制度を整備し、法運用や行政管理が適正 に行なわれているかを測るための検証が必要である。
中国では、市場経済が成立するまでの計画経済期には、長期にわたって、商品 供給が不足していた。そのような体制下では、経済取引の主導権は生産者側(国 有企業が主であるから国家といえる)にあった。また、当時、「国家に奉仕し、社 会主義を建設しよう」というスローガンが掲げられ、国家や集団の利益が重視さ れる傾向が強く、個人の権利や利益は無視されがちであった。
改革開放後、市場経済に転換してからも、経済分野では、長期にわたって効率 を最優先する市場メカニズムの原理が貫徹され、平均主義を打破し、経済の高度 成長を促進した。しかし、他方、市場競争がもつ負の側面も出てきた。社会的公 平と公正よりも経済利益のほうが過度に優先されるようになり、力の弱い消費者 の権利を無視したり、犠牲にしたりすることにつながった。その結果、食品安全 の監督管理においても、さまざまな分野で消費者権利の保護措置が欠如し、消費 者の権利や利益を顧みず、行政・業者側に寄り添った政策が出されている。
以下では、食品安全にかかわる法整備について、「消費者主権」の理念と消費者 権利を照合させて、消費者保護の実態を分析する。
167 国家主席の習近平は、2015年に、「2020年までに国内総生産および国民の平均収入を2010年 の倍にし、国民の生活水準と質を高め、貧困人口をゼロとし、生態環境の質を全体として改善する」
という目標を提言した。
76
1.
消費者による立証責任の難題中国の法律は、立証責任について「主張立証」の原則が貫かれている。
2014
年 施行の『消費者権益保護法』では、耐久消費財の立証責任が生産者や経営者の側 にあると改正されたが、食品について、主張立証は消費者にあるという原則が貫 徹している。食品安全をめぐる紛争において、消費者が司法提訴し、自己権利を 主張しようとすると、証拠を提出しなければならない。その場合、法的証拠とし て権威のある検査機関の検査報告が必要となるが、消費者は立証責任において、証拠採集、証拠固定、検査結果の認定(因果関係の認定)という難題に直面して いる 168。大部分の消費者は日常的に、食品購入のレシートを保管する習慣がない。
そのため、食品購入先の認定が難しい。さらに、検査機関の選定、高い検査費用 などのコストのハードルがあり、加えて、多くの検査機関(国家に認可され、法 的効力がある鑑定を行える検査機関)のへの依頼はハードルが高い。
例えば、関連調査によると、国家が検査検測機関の検査費用について詳しく規 定していないので、各検測機関の検測価格は異なる。メラミン項目の検査費用は
360
~800
元、残留農薬の検査は1
項目あたりに300
~1000
元、「可塑剤(プラス チック材)」の計測費用は1500
~2000
元である 169。食品の検査は往々にして複 数の項目が含まれるので、検査費用はさらに高くなる。高価な検査費用だけでも 普通の消費者にとって大きな負担になる。他方、多くの検査機関は大量検査の利 便性と収益の安定性のために、企業や政府関係部門を主なターゲットしており、個人検査は煩雑で、利益も少ないし、連帯責任を負わされるなどの理由で、消費 者個人の検査要請を拒む傾向が強い。また、消費者に対し、さまざまな実質的に 不利な条件を課したりしていることが多い 170。たとえば、メーカーの「紹介状」
やサンプルに関する説明の提示などの煩雑な手続きを求めることがある。
2010
年、「聖元」粉ミルクのホルモン事件が発覚した後、ある消費者はその粉ミルクの検 査を病院と工商部門に頼んだ。ところが、食品中のホルモンの検査が自分の職責 ではないという理由で病院に断られ、検査の中にホルモン検出の項目がないとい う理由で工商局に拒否され、盥まわしにされた。検査検疫局がようやく検査を受 け入れてくれたが、費用として
2
~3
万元が必要だという 171。結局、消費者は検 査をあきらめざるをえなかった。また、2012
年の白酒「可塑剤」の事件でも、多168 北京青年報 2014年3月12日記事「个人送检高门槛难倒消费者」
(http://news.163.com/14/0312/03/9N3VRED300014AED.html 2018年6月18日アクセス)及び、
中国質量新聞網HP 2016年2月1日記事「专家解读李海峰今麦郎案背后的质量法治与消费维权启 示(上)」(http://www.cqn.com.cn/news/zgzlb/dier/1120914.html 2018年11月30日アクセス)
169 葉小麗・蔵建建「消費者個人送検分析」『現代商貿工業』2013年9期、147頁。
170 解放網HP 2016年9月14日記事「消费者维权不会再送检无门」
(http://gov.eastday.com/shjs/node9/u1ai103245.html 2018年6月18日アクセス)
171 人民網HP 2014年8月18日記事「食品安全标准检测难度大成本高成消费者维权障碍」
(http://legal.people.com.cn/n/2014/0818/c188502-25482840.html 2018年6月19日アクセス)
77
くの消費者が各地の検査機関に個人検査を請求したが、いずれも断られた 172。 以上の事例にみるように、消費者は、高額の費用、証拠の固定、証拠取得の難 しさを考慮して、権利の主張を放棄するケースが少なくない。清華大学法学院の 研究統計によると、経済発展地域において商品やサービスの品質に問題があった 場合、
50
%の消費者は黙って我慢している。25
%の消費者が事業者と交渉し、賠 償か返品を要求する。約20
%の消費者は消費者保護協会に訴えている 173。2.
懲罰的損害賠償に関する法律の欠如食品安全を保障する法令には、『合同法(契約法)』、『権利侵害責任法』、『農業 法』、『漁業法』、『畜牧法』、『产品质量法(製品品質法)』、『農産品品質安全法』、『消 費者権益法』、『食品安全法』、『刑法』などがある。消費者権利に関連する法律・
法規は『消費者権益保護法』のほかに、『産品品質法』、『反不正当競争法』、『広告 法』、『食品安全法』、『合同法』、『権利侵害責任法』などがある。これらの法律条 項が食品安全の被害者に対する損害賠償をほぼカバーしているが、被害者への懲 罰的損害賠償・精神的損害賠償は欠如している。
表3-1 関連法令における懲罰的損害賠償・精神的損害賠償の規定
法律名 損害賠償の条項 懲罰的損害賠償 精神的損害賠償 食 品 安 全 法
(2015年)
第 148条 損害 賠償
第148条 増加賠償額:商品代 価の10倍または損害の3倍、
賠償の増加額は1000元以下の 場合、1000元で賠償する。
なし
消 費 者 権 益 保 護法(2014年)
第 49 条 人 身 損 害 ま た は 死 亡 の賠償
第55条 増加賠償額:購入商品 代金または提供サービス費用 の3倍、増加賠償額が500元未満 の場合、500元。懲罰的賠償:
被害者の被った損害の2倍以 下とする。
第51条 人身権益損害(侮 辱、誹謗、身体への捜索、人 身自由の制限など)の賠償:
精 神 的 損 害 賠 償 の 請 求 が 可 能であるが、どの程度の賠償 は明言されていない
権 利 侵 害 責 任 法(2010年)
第 16 条 人 身 損 害 ま た は 死 亡 の賠償
第 47条 製品に欠陥が存在し ていることを知りながら、その 製品の生産・販売により、他人 に死亡させ、またはひどい健康 損害を負わせた場合、被害者は 懲罰的賠償の請求権を有する。
ど の 程 度 の 賠 償 か は 明 記 さ れ ていない。
第22条 人身権益を侵害さ れ、ひどい精神損害を負わさ れた場合、権益被害者は加害 者 に 精 神 損 害 賠 償 の 請 求 権 を有している。どの程度の賠 償かは明記されていない。
(出所)中国政府網HP「法律法規」(http://www.gov.cn/ 2018年5月27日アクセス)に公表さ れた各法律に基づき、筆者整理作成。
懲罰的損害賠償の立法目的は、被害者の損害を填補するだけではなく、故意の
172 人民網HP 2014年9月5日記事「食品個人送検多重障碍待解 官方機構直接拒収」
(http://politics.peopele.com.cn/n/2014/0905/c1001-25609225.html 2018年6月19日アクセス);
「个人送检,高门槛难倒消费者」『北京青年報』2014年3月12日記事
(http://news.163.com/14/0312/03/9N3VRED300014AED.html 2018年6月18日アクセス)
173 李海峰編著『中国の消費社会と消費者行動』晃洋書房、2017年、171頁。