坂井 剛太郎 [(株) 竹中土木 執行役員 国際支店長]
2. 海外プロジ ェ クトの展開
戦後初の海外工事は、竹中工務店・竹中土木・三 菱商事の3社共同企業体の施工で、1974年に着工 し、1977年に完成したケニアのモンバサ・モイ国 際空港である。
モンバサ・モイ国際空港(ケニア)
海外進出を本格的に推進するため、このプロジェ クトの竣工後、帰国した工事担当者を主体として、
工事本部内に海外工事部を新設した。海外工事の拡 大にともない、何度かの組織変更を経て、1983年4 月には会計単位で独立した国際事業本部となった。
1)インドネシア
インドネシアでの最初の工事は、インドネシア共 和国公共事業省道路総局発注の中部ジャワ道路改良 第2工区であった。1972年からの数回にわたる現地 調査を経て、1977年に契約、1980年に竣工した。
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この工事は、延長96kmの既存の道路を拡幅し舗装 する改良工事であった。
アサハンアルミニウム鋳造工場土建工事は竹中工 務店が受注したもので、1979年に着工、1982年に 竣工した。地盤改良工事などの土木工事を多く含む ため、計画段階から設計、施工、維持にわたり一貫 して参画した。
その後、1980年には、公共事業省道路総局から、
ジャカルタ−メラク間高速道路新設(第1工区)工事 を、当社と竹中工務店、日本鋪道、P.T.フタマカリヤ の4社共同企業体で受注した。1982年にベラワン−
メダン−タンジュンモラワ間高速道路A工区および B工区、1984年に西部ジャワ6期道路改良10工区 および11工区、1986年にジャカルタ市内立体交差 第7工区で工事を行った。
ジャカルタ市内立体交差第7工区 施工状況(インドネシア)
インドネシアの鉄道近代化計画の最初の工事であ る、1988年の同国運輸省発注のジャカルタ中央鉄 道高架化B2工区工事の受注に続き、1989年には同 A3工区工事を受注した。日本の東京駅にあたる首 都ジャカルタのガンビル駅のほか、ジャヤカルタ駅、
マンガブサール駅と周辺の高架橋化工事の施工で、
1993年9月までに順次完成させた。
1990年当初より、同国の工業近代化政策にとも なう案件が日系商社と現地資本との合弁事業とし て数多く出てきた。1991年にジャカルタ市東方約 50kmのカラワン地区でのカラワンゴルフ場新設工 事(開発面積160ha、27 ホール)、1994年にはカラワン 工業団地造成工事を受注し、第1期と第2期に分け 約650haの造成工事を行った。
これらの工事の受注および施工にあたっては、進 出当初の工事施工のために資機材運営と骨材生産基 地として設営したベースキャンプが、後方支援基地 として重要な役割を担った。その後そのエリアでの 役割を終えて、1992年、ジャカルタ市東方に、翌年 にはジャカルタ市西方にベースキャンプ用地をそれ ぞれ取得し、アスファルト合材および生コンの製造 販売と建設機械レンタル事業を展開するため、現地 法人タディンダ・コーポレーション・インドネシア 社を設立した。
当時、数多くの日系建設会社がインドネシアの建 設市場に参入したが、現地で材料生産・建設機械レ ンタル事業を行った企業はなく、同社は竹中グルー プのインドネシアにおける受注活動と工事原価低減 におおいに役立った。
ジャカルタ中央鉄道高架化B2工区 ガンビル駅(インドネシア)
2)マレーシア
インドネシアに続き、東南アジアの第2の拠点と して、1982年10月にマレーシアの首都クアラルン プールに駐在員事務所を開設した。マレーシアにお ける最初の工事は、1983年にマレーシア国農業省 潅漑排水局から受注したアナクエンダウダムであ る。現地企業のワンサム社と共同企業体を組み、南 部パハン州クアラロンピンで、海外における初めて のダム(堤高18m、堤頂長1,400mのアースフィルダム)
を1985年11月に完成した。
3)シンガポール
シンガポール進出は1983年で、最初の工事は、竹 中工務店、飛島建設との共同企業体で、政府地下鉄 準備局から受注したシンガポールの地下鉄104工区 工事であった。シンガポール島の東西と南北に総延 長70km、駅数42の大量高速輸送網を張り巡らせる 大プロジェクトで、国際入札にあたっては、欧米や 韓国など十数カ国30以上のグループが参加すると いう厳しい競争であった。
4)タイ
1984年にバンコク連絡事務所を開設した。1989 年に現地企業との合弁で設立した現地法人タイ竹中 土木は、設立当初、竹中工務店現地法人から工業用 地造成および工場外構などの土木関連工事を受注し ていた。その後、1993年にバンコク駐在員事務所を 開設し、当社とタイ現地法人が共同企業体を構成し て、国際入札工事に応札する体制を取り、1994年に は最初の国際入札工事のチョンブリ−パタヤ高速道 路立体交差橋第1工区工事を同国運輸通信省国道局 から受注した。次いで、1996年には運輸通信省国道 局からランスワン−チャイヤ道路拡幅第2工区工事
を受注し、インドシナ半島を縦断する2車線道路の 国道41号線を延長23kmにわたり、中央分離帯付き 往復4車線の道路に拡幅する改良工事を施工した。
5)中華人民共和国
1987年に、竹中工務店、丸紅と中国第一工程公司 との共同企業体で、中国天津港東突堤南側埠頭地盤 改良工事を受注した。このプロジェクトでは、コン テナバース建設工事のうち軟弱地盤改良工事(延長 1,040m、改良土量23万m3)を施工したが、積極的な技 術提案努力により、海外では初めてDCM工法が採 用された。続いて1988年には、同じ共同企業体で中 国天津港東突堤北側埠頭地盤改良工事を受注した。
しかし翌年6月に北京で天安門事件が発生したた め、その政情不安から一時は職員の引き上げも検討 したが、結局全職員が現場に留まり、工期を大幅に 短縮して竣工した。
6)ケニア
1993年、完成から16年あまりを経て老朽化した モンバサ・モイ国際空港の滑走路・誘導路・エプロ ンの全面改修工事と、最新の設備を備えた新ターミ ナルビルの建設ならびに既存建物の一部補修工事を 受注した。前回と同様に、竹中工務店・竹中土木・
三菱商事の3社共同企業体が施工にあたり、当社は 土木工事を担当した。2年という制約工期の中で、
安全管理・工程管理面での厳しい条件を克服して、
運行供用中の空港機能に支障をきたすことなく完成 させた。
3. アジア通貨危機
1980年代に、発展途上国における大幅なインフ レや通貨切下げを原因とした、原価管理および為替
2015 10–11 53 管理への深刻な影響を経験していた当社は、1990
年代当初よりこれらのことを念頭に置き、地域に密 着した事業活動を推進し、開発援助工事以外にも民 間工事へと活動範囲を広げた。
ところが1997年7月、タイ国で突如通貨危機が 発生し、たちまち東南アジア諸国に波及した。特に タイとインドネシアでは通貨が大暴落して、経済活 動は一時的にマヒ状態に陥り、建設への投資は官庁
・民間共に激減した。施工中の工事は資材価格上昇 による採算悪化および発注予算縮小による請負金の 減額ならびに予定工事の取消しなど、多大な影響を 蒙り、さらに未収債権も直接この影響を受け、海外 事業の採算を一層悪化させる結果となった。
その後もアジア経済の低迷と共に円高傾向が進行 し、日系建設会社の国際競争力低下が続き、当社の 海外事業の業績も急激に悪化し、事業採算の見込み が立たない状況となった。これを契機に海外事業の 見直しが行われ、1999年7月にインドネシアにおけ る販売事業の現地法人、タイ現地法人を清算すると 共に、ジャカルタ駐在員事務所のみを残し、バンコ クおよびナイロビの両駐在員事務所を閉鎖した。国 内でも、海外事業活動の縮小にともない、1999年に 従来の国際事業本部を廃止し、営業本部に「海外事 業部」を新設することで、その後の海外事業活動に 対応することとした。
4. 将来を見据えた海外事業の展開
2000年から2004年にかけては、竹中工務店の要 請に応えた技術者派遣のほか、海外事業要員育成の ために若手社員を竹中工務店の海外拠点に研修生と して派遣した。2000年代後半にかけて当社が参画 した工事は、タイの新バンコク国際空港滑走路舗装 工事、インドネシアのタラハン火力発電所新設工事、
フィリピンの新バコロド空港新設工事などがある。
2005年末には、ルーマニア国営鉄道インフラ会 社よりルーマニア鉄道近代化工事を、スヴィーテル スキー社(オーストリア)とウィーベ社(ドイツ)との 共同企業体で受注し、海外事業再開の先鞭をつける ことができた。
2006年3月にはインドネシア駐在員事務所を再 開し、インドネシア共和国公共事業省から2008年 に東西ヌサトゥンガラ州地方給水工事、2010年に ニアス島橋梁復旧計画工事を受注した。2011年に はインドネシア現地法人を再開し、主に民間発注者 に対する営業・受注活動を展開している。
ニアス島橋梁復旧(インドネシア)
2010年末にはジョージア(旧グルジア)東西道路新 設工事をトディーニ社(イタリア)との共同企業体で、
また2015年年初にはインドネシアで西ヌサトゥン ガラ橋梁第3期新設工事を単独で受注し、いずれも 現在施工中である。
現在は、活況を呈する国内市場とのバランスを図 りながら、やがて拡大していくと予想される海外事 業を通して、コーポレートメッセージである「人と 地球の架け橋に」を実践していくことのできる人的 資源の育成を最優先課題としている。