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第 3 章 「皇国史観」の提唱と流布 43

3.3.2 東亜史概説編纂部

 以後の編纂は、『国史概説』と同じく近藤壽治編纂部長のもとで、編纂主事の志水義暲・藤野靖 両教学官の指導の下、編纂嘱託に任命された安部健夫(275)・鈴木俊(276)・宮崎市定(277)・山本達 郎(278)

4

人が中心となって行われることになる(279)。編纂嘱託の

4

人は、最も年上の宮崎市定 でも

1901

年生まれで、だいたい

1900

年代生まれ、30–40代の比較的若手の研究者であった。

3.5:

東亜史概説編纂部名簿(274)

典拠

役職 人名 肩書 生年 没年 A B C D E 専門

部長 近藤 壽治 文部省教学官→

1942.11.1

教学局長(

–1945.6.13

1885 1970

○ ○ ○ ○ ○ 主事 志水 義暲 文部省教学官(

–1943.4.1

1888 1954

○ ○ ○ − −

藤野 靖 文部省教学官 − − − ○ ○

調査嘱託 池内 宏 東京帝国大学名誉教授

1878 1952

○ ○ ○ ○ ○ 朝鮮史、満洲史

原田 淑人 東京帝国大学教授

1885 1974

○ ○ ○ ○ ○ 考古学(東洋)

和田 清 東京帝国大学教授

1890 1963

○ ○ ○ ○ ○ 中国史、東方アジア

羽田 亨 京都帝国大学総長

1882 1955

○ ○ ○ ○ ○ 内陸アジア史学、言 語学

矢野 仁一 京都帝国大学名誉教授

1872 1970

○ ○ ○ ○ ○ 中国近代史

那波 利貞 京都帝国大学教授

1890 1970

○ ○ ○ ○ ○ 中国史

宇野 圓空 東京帝国大学教授

1885 1949

○ ○ ○ ○ ○ 宗教学、宗教民族学

高坂 正顯 京都帝国大学教授

1900 1969

○ ○ ○ ○ ○ 哲学

梅原 末治 京都帝国大学教授

1893 1987

○ ○ ○ ○ ○ 考古学(日本・東洋)

有高 巖 東京文理科大学教授

1884 1968

○ ○ ○ ○ ○ 東洋史

加藤 繁 慶應義塾大学講師

1880 1946

○ ○ ○ ○ ○ 中国社会経済史

岩井 大慧 東洋文庫主事

1891 1971

○ ○ ○ ○ ○ 東洋史

石田 幹之助 大正大学教授

1891 1974

○ ○ ○ ○ ○ 中国史、イラン史、

中国研究史

岡崎 文夫 東北帝国大学教授

1888 1950

○ ○ ○ ○ ○ 魏晋南北朝史

橋本 進吉 東京帝国大学教授

1882 1945

○ ○ ○ ○ ○ 国語学

武内 義雄 東北帝国大学教授

1886 1956

○ ○ ○ ○ ○ 中国史

宇井 伯壽 東京帝国大学教授

1882 1963

○ ○ ○ ○ ○ インド哲学、仏教学

常盤 大定 (肩書なし)

1870 1945

○ ○ ○ ○ ○ 中国仏教学

善之助 東京帝国大学名誉教授

1881 1955

○ ○ ○ ○ ○ 日本文化史、日本仏 教史

今井 登志喜 東京帝国大学教授

1886 1950

○ ○ ○ ○ ○ 西洋都市史

高田 保馬 京都帝国大学教授

1883 1972

○ ○ ○ ○ ○ 社会学、経済学

小牧 實繁 京都帝国大学教授

1898 1990

○ ○ ○ ○ ○ 人文地理学

遠藤 柳作 貴族院議員

1886 1963

○ ○ ○ ○ ○

矢代 幸雄 (肩書なし)

1890 1975

○ ○ ○ ○ ○ 美術史(日本・東洋・

ヨーロッパ)

伊東 忠太 東京帝国大学名誉教授

1867 1954

○ ○ ○ ○ ○ 建築家、日本・東洋 建築史

田邊 尚雄 東京帝国大学講師

1883 1984

○ ○ ○ ○ ○ 音楽学(東洋音楽研 究)

桑木 彧雄 (肩書なし)

1878 1945

○ ○ ○ ○ ○ 物理学・科学史

伊東 延吉 国民精神文化研究所長

1943.11.1

教学錬成所長

–1944.2.7

1891 1944

○ ○ ○ − ○

東畑 精一 東京帝国大学教授

1899 1981

○ ○ ○ ○ ○ 農業経済学、農政

大藏 公望 貴族院議員

1882 1968

○ ○ ○ ○ ○

仁井田 陞 東京帝国大学教授

1904 1966

○ ○ ○ ○ ○ 中国法制史

橋本 増吉 慶應義塾大学教授

1880 1956

○ ○ ○ ○ ○ 古代日中関係史、古 代暦法史

清水 泰次 早稲田大学教授

1890 1960

○ ○ ○ ○ ○ 東洋史

志水 義暲

1943.4.1

栃木師範学校長

1888 1954

− − − ○ ○

典拠

役職 人名 肩書 生年 没年 A B C D E 専門 編纂嘱託 鈴木 俊 (肩書なし)

1904 1975

○ ○ ○ ○ ○ 唐代社会経済史

山本 逹郎 東京帝国大学助教授

1910

○ ○ ○ ○ ○ 東南アジア、インド、

南海交通史

安部 健夫 京都帝国大学助教授

1903 1959

○ ○ ○ ○ ○ 元・清代中国史

宮崎 市定 京都帝国大学助教授

1901 1995

○ ○ ○ ○ ○ 東洋史

市古 宙三 (肩書なし)

1913

− − − ○ ○ 中国近代史

高橋 泰郎 (肩書なし) − − − ○ ○

松崎 壽和 (肩書なし)

1913 1986

− − − ○ ○ 考古学 編纂会議員 羽田 亨 調査嘱託

* *

○ ○ ○ ○ ○

和田 清 調査嘱託

* *

○ ○ ○ ○ ○

藤野 惠 文部省総務局長

1894 1949

− ○ ○ ○ ○

永井

1942.11.7

文部省専門教育

局長(

–44.7.27

○ ○ ○ ○ ○

阿原 謙藏 文部省宗教局長

1942.10.30

教化局長

1943.11.1

国民教育局長

○ ○ − ○ −

松尾 長造 文部省図書局長

1891 1963

○ ○ ○ − −

堀池 英一 文部省教学局部長 ○ ○ ○ − −

中根 秀雄 教学局書記官 ○ − − − −

小川 義章 文部省教学官

1891 1969

○ ○ ○ ○ ○

藤野 靖 文部省教学官 ○ ○ ○ − −

長屋 喜一 文部省教学官 ○ ○ ○ − ○

元助 文部省教学官 − ○ ○ ○ ○

小沼 洋夫 文部省教学官

1907 1966

○ ○ ○ ○ ○

丸山 國雄 文部省図書監修官

1905 1980

○ ○ ○ ○ ○ 編纂助手 荒木 敏一 (肩書なし) − − − ○ −

康順 (肩書なし) − − − ○ − 書記 吉田 鐵助 (肩書なし) ○ − − − −

富海 敏夫 文部属 − ○ ○ ○ −

松崎 壽和 文部省雇

* *

○ ○ ○ − − (→編纂嘱託)

 『大東亜史概説』の編纂要目(表

5.1)では、全体は前篇前期・後期・後篇前期・後期に 4

分さ れている。この

4

つに区切られた各期の編纂責任を編纂嘱託の

4

人が請け負い、そして鈴木俊が編 纂主任として

4

人の取りまとめ役を担っていた(280)。各々の執筆分担については、宮崎市定が前篇 前期を担当していた(281)ことのほかは不明である。なお、編纂作業を実質的に指導していたのは羽 田亨と池内宏の二人であったという(282)

 一方、調査嘱託には、東京帝国大学東洋史学科からは和田清・仁井田のぼる陞 両教授と池内宏名誉教 授、京都帝国大学史学科東洋史学講座からは羽田亨教授(京大総長)と

波利貞教授、矢野仁一名 誉教授など、当時の東洋史の大家が広く集められている。また、大部分が日本史関係者の範囲で占 められていた臨時国史概説編纂部に比べると、建築家・建築史家の伊東忠太、考古学の梅原末治・

原田淑人、国語学の橋本進吉、人文地理学の小牧實繁、科学史の桑木

あや

彧雄、西洋史の今井登志喜、

経済学の高田保馬、音楽史の田辺尚雄など、幅広い人材を揃えていることもわかる(283)。また奈須 恵子は、この調査嘱託について、東方文化研究所・東方文化学院・東洋文庫・東京大学東洋文化研 究所・京都大学人文科学研究所・東亜研究所などの「既設の「東亜」関連研究機関」に関与してい た人物が多数を占めており、「意識的に既設の「東亜」関連研究機関の関係者を参加させたと考え られる」ことを指摘している(284)

 また、臨時国史概説編纂部と同様、東亜史概説編纂部にも編纂会議が設置されていた。ただし編 纂嘱託は会議に参加しておらず、調査嘱託でも参加しているのは羽田亨と和田清だけであり、他は 小川義章や小沼洋夫などの文部官僚で占められていた。この点は、文部省側の拘束力が臨時国史概 説編纂部に比べより強いものであったことを示していると思われる。