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日本の独自性と使命

第 5 章 『大東亜史概説』の歴史像 77

5.3.2 日本の独自性と使命

 一方、日本は単なる「大東亜」の集積ではなく、その上にさらに独自のものを持っているものと される。

日本の独自性を比類なく具現してゐるのは日本の国体である。まづ日本に於いては、国家と 民族とは別箇のものではない。普通に民族が国家を建設するといふ。〔…〕併し日本について は、その表現は適切ではない。日本に於いては民族が国家に先行するのではない。日本に於い ては、民族あつての国家でなく、国家あつての民族である。日本国家が日本民族を可能にする のである。(401)

 「民族が国家を建設する」というのは近代国民国家の論理にほかならないが、ここでは「八紘為 宇」の精神を説明づけるためにその論理が否定されてしまい、「万世一系」の「天皇を根源とし奉 る国家」=「日本」が「日本民族」を規定する、という論理が展開されているのである。その根拠 は「肇国の事実」である。同書はアジア諸民族の建国神話を詳細に紹介しているが、日本について は「日本神話は、日本民族の祖神が天上にいます神で、これより天降つて同生の国土・民族を統治 し給ふといふところに第一の特色がある」と規定され、「日本の祖神は、国土・国民と同生」であ り、「八紘為宇・大礼一致といふ家族的国家の民族精神が、最も純粋に神話に表現されてゐる」と 説明されている。実際には『古事記』『日本書紀』のいずれにも人間の誕生についての記述はなく、

これをもって日本神話の特異性を主張するのは無理があるのだが、さらに同書は続けて

勿論日本神話の中には、先住民との交渉を暗示する出雲神話、国譲りの神話などもある。併し この神話も、それは二民族の葛藤としてではなく、国譲り或は国引として伝へられ、而も共同 の祖神から出て、先後してこの国土に来たものと説かれてゐる。これ即ち家族的同化力をもつ 日本の国民性を示すと共に、皇祖皇宗の統治が、各々そのところを得て、一家の如く睦み合ふ を念とされたことを示してゐる。(402)

と説明している。ここでは、日本神話が、ある程度まで史実の反映を含んだ「神話」であることが はっきり述べられており、かつ、その神話が「家族的同化力」という日本の国民性を象徴するもの として説明されている。

 そして、「大東亜」における日本文化の特異性は、

仏教が日本に於いては特に大乗的となり、日本文化は、単に現世否定的でなく、あくまで現世 肯定的な面がある。而も支那文化と比較すれば、その儀礼的性格に対し、日本文化は天真爛漫 たる素朴さがある。情緒があり、内面性がある。(403)

と説明される。なお、この「素朴さ」の記述は、宮崎市定が

1940

年の著作『東洋に於ける素朴主 義の民族と文明主義の社会』において、日本を「満洲人、蒙古人」などとともに「素朴主義」と位 置付け、中国の「文明主義」と対比させるとともに、日本の「素朴主義」が近代科学を取り込むこ とのできる「発展性を有し」、「文明社会と素朴主義とを如何にして調和せしむべきかの鍵を握」っ ている、と主張していることを連想させる(404)

 そしてその上で「日本の使命」については、

従来、大東亜の諸文化は、印度も支那もその精随を失はずして日本の中に集積され、日本に於 いて醒醸され、培養された。その限り日本はアジヤを代表する。但しそれは従来内包的になさ れることが多かつた。併し現在それは外延的にもなされなければならぬ。日本に集中するだけ でなく、より多く日本から東亜に向つて、更に世界に向つて発展されねばならぬ。大東亜共栄 圏の建設はさし当つての任務である。特にこのことはヨーロッパ文明との対決に於いて日本に 諌せられた使命である。即ち単に物の文化体系でなく、魂の文化体系が創造されなければなら ないのである。大東亜ママ栄栄圏を完成し、絶対者に面した魂の文化体系を構成する。そこに日本 の使命があるのである。(405)

とされている。

 岡倉天心はかつて、「史上有名なる亜細亜文化の富を順次にその秘蔵の参考品によつて研究する ことは独り日本に於てのみ之を能くするのである」と論じ、「日本は亜細亜文明の博物館である」と 主張した(406)。ここではそのような思想が敷衍され、日本はアジアの集約点であるとともに、ヨー ロッパ文明に取って代わるべき新たなる文化の出発点とされているのである。

5.3.3 「日本」と「日本人」の範囲

 同書では、「日本はアジヤ大陸の東面海上に長く南西より北東に延びた列島で、千島の北端から 台湾の南端まで蜿蜒一千餘里に亙」る、とされている(407)。つまり、ここでは「大八洲」だけでな く北海道・千島列島や沖縄、さらに台湾までも含めて「日本」と見なしていることになる。また、

「日本民族」については、この一節に続けて

こゝには太古から大和族を中心として北方にはアイヌ族、南方には高砂族など種々の民族が住 んでいたが、更に大陸より満洲族・支那族・朝鮮族等が帰化し南方各地から来り投じたものも あつて、今日では何れも完全な日本民族となつてゐる。

と説明している。すなわち、ここでは「大和族」と「日本民族」が区別されており、「日本民族」は

「大和族」を中核としつつ、周辺の様々な異民族をも取り込み同化することによって成立した混成 民族だとされているのである。

 そして「日本は神国で、古伝によれば、その建国〔天孫降臨を指す〕以前、久しきにわたつて天神 の知ろしめす時代が続いたといふ」とされ、さらに「我が国の国体が万邦に比類なき所以は、その 肇国が天照大神の神託に初まり、神武天皇御即位の後、次々の列聖が相承けて万世一系の皇位を践 み給ひ、先聖の御遺訓を実現し給ひつつ、後聖に対して新しき御任務を授け給ふ点に存する」と説 明されている。また、

瓊瓊杵尊は日向高千穂峰に降臨して国土を治めさせ給うた。その後次第に日本の文化が向上し たが、各地の古墳から出土する勾玉・刀剣等の多くは、恐らくこの時代の文化的産物と考へら れ、また是等の進歩した工芸品と共に、土器・石器の類も使用されたと思はれる。此の時代の 土器には縄紋式と弥生式の二種類がある。

という記述からもうかがえるように、考古学と神話とが結び付けられることにより、あたかも神話 が史実の一部であるかのような叙述が展開されている。なお「縄紋式土器」は「東日本を中心とし て全国に及び」「北アジヤに拡がつた骨格器文化との間に類似が認められ」、「弥生式土器」は「西 日本を中心として全国に普及し」「大陸中部に於ける磨石斧文化と関係を有するものと想像される」

として、海外文化との交流が古くから存在していたものとして描いている(408)

 また、朝鮮は台湾などとは異なり、古代においては「日本」の一部ではなく「比鄰」の一国で あったとされてはいるものの、

こゝ〔朝鮮半島〕には、古くは南方に韓族、東北に穢・貊族、北端に満洲族の一部が居住して ゐたが、歴史時代に入るとこれ等の諸族は次第に統一されて朝鮮民族となり、更に近年日本民 族の中に包容せられた。日本内地人と朝鮮半島人とは、世界の諸民族の中で最も血縁深く、ま た文化的に見ても古来極めて交渉深く、言語の上でも両者の構造は頗る近いから、両者の合同 は歴史的必然の結果であるといつても過言ではない。(409)

とされる。ここでは日鮮同祖論と、朝鮮と「満洲」との結びつきを強調する「満鮮史」とが組み合 わされ、日本内地・朝鮮半島・「満洲」の一体性が強調されているのである。

 要するに、「日本」は「大東亜」の諸民族・諸文化の集約点であり、しかも、それを「万邦無比」

なる「天壌無窮」の「国体」という「肇国の精神」によって統合したがゆえに優越性を持っている のであって、それゆえ「日本」は「大東亜共栄圏」建設、さらには新世界秩序の構築という使命を 有し、また日本文化は新たなる世界文化の根幹となる、とされているのである。

 なお、日中関係のくだりでは

支那史書〔『後漢書』東夷伝〕の記すところによれば、垂仁天皇の御代、北九州の豪族と考へら れる委奴国王〔『後漢書』では「

倭奴国」〕の使者と称する者が、後漢の都洛陽に達して光武帝と 会見してゐる。そしてこれを傍証する如く、我が筑前志賀島から「漢委奴国王」の金印が発見 されてゐる。その他日本の古墳から多数の漢鏡が出土するのは、当時の日本と楽浪郡或は支那 との交通の事実を物語るものである。(410)

という記述が見られる。「倭奴国」の朝貢は、『後漢書』によれば建武中元

2

年(西暦

57

年)であ り、この年は『国史概説』巻末年表にしたがえば垂仁天皇

86

年ということになる。つまり、ここ でも皇紀をそのまま史実として扱っていることがわかる。

5.4 「大東亜史」と「国史」のはざま

 ところで、『大東亜史概説』は結局未完に終わったわけであるが、もし編纂作業が順調に続いて いたとしたら、果たしてこの草稿のような形で刊行され得ていたであろうか。また、実際に刊行さ れたとして、どのような評価を得ていたであろうか。

 そのことを考える際に興味深いやりとりが、『現代』誌の座談会の中に見られる(411)

 『大東亜史概説』の編纂要目では、各章の末尾毎に日本に関する記述を置いて、「大東亜」諸国 と日本との関連を述べる、という構成になっていた。だが、これに対して小林元は座談会で「一体