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収 録 さ れ た 短 文 と 会 話 文 に は 、簡 単 な 問 答 文 が あ る 。特 に そ の 正 確 性 と 完 全 性 は 以 前 の 教 科 書 に 勝 る も の と な っ て い る 。 会 話 文 に は 「 テ ニ ヲ ハ 」 が 使 わ れ て い な い が 、 口 語 表 現 で は 特 に 問 題 は な い 日 本 語 と な っ て い る 。 例 え ば 、

你 能 操 華 語 否 ( ア ナ タ シ ナ ノ コ ト バ ハ ナ シ マ ス カ ) 我 畧 能 幾 句 ( ワ タ シ ス コ シ ハ ナ シ マ ス )

上 述 の よ う に 、本 書 の 内 容 は 実 用 性 を 重 視 し 、細 か く 分 類 し 、広 い 範 囲 に 触 れ 、 日 常 用 の 語 彙 と 短 文 を 多 数 収 録 し て い る 。 ま た 新 し い 事 物 も 見 ら れ る 。例 え ば「 牙 粉 」、「 楊 梅 素 」な ど が あ る 。『 東 語 簡 要 』と 同 じ 、 本 書 も 国 内 の 学 習 者 を 対 象 と し 、 中 国 に お け る 日 本 人 と の 交 流 を 目 標 と し て い る 。 し か し 、 文 法 に 関 す る 内 容 は 収 録 さ れ て お ら ず 、 日 本 語 に 対 す る 分 析 も 文 の 構 造 か ら 行 わ れ て い な い 。 更 に 、 日 本 語 は ど ん な 言 語 か を 明 ら か に し て お ら ず 、 語 彙 と 語 句 も 区 別 し て い な い 。 こ れ ら の 原 因 に よ り 、『 東 語 入 門 』は 単 語 と 簡 単 な 会 話 文 を 丸 暗 記 し た ら た ち ど こ ろ に 効 果 が 出 る 語 彙 ・ 会 話 集 の レ ベ ル に 限 定 さ れ た 。 そ の た め 、 本 書 も 当 時 の 中 国 人 の 理 想 的 な 日 本 語 教 科 書 と は 言 え な い59。 と こ ろ で 、 著 者 自 身 は 意 識 し て い な い か も 知 れ な い が 、 語 彙 の 注 釈 や 短 文 で 、「 テ ニ ヲ ハ 」 が 現 れ る 場 合 も 見 ら れ る 。 例 え ば 、「 天 象 ( テ ン ニ ア ラ ハ レ ル モ ノ60)」な ど が あ る 。虚 字 に 関 す る 内 容 は 黃 遵 憲 が 既 に

『 日 本 国 志 』で 説 明 し た が 、清 末 に お け る 日 本 語 教 科 書 で は 、『 東 語 入 門 』 が 最 初 の も の で あ る 。

2.3 東 語 正 規

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開 設 さ れ た 。 東 文 学 堂 が 閉 じ ら れ た 後 、 清 代 政 府 に よ っ て 留 学 生 を 選 び 、 日 本 に 派 遣 す る よ う に な っ た 。 そ の 留 学 生 た ち は 日 本 人 の 教 師 か ら 教 え ら れ 、 日 本 語 を 学 ん で い た 。 修 了 後 は 公 使 館 で 日 本 語 の 翻 訳 に 従 事 す る 予 定 で あ っ た 。 当 時 、 康 有 為 は 初 め て 日 本 の 書 籍 を 翻 訳 し て 日 本 を 学 ぶ と い う 主 張61を 提 出 し た が 、 日 本 へ 留 学 生 を 派 遣 し 、 日 本 の 書 籍 を 翻 訳 す る ブ ー ム を 引 き 起 こ し た の は 、1898 年 の 張 之 洞 に よ る

『 勧 学 篇 』 が 原 因 で あ っ た 。

東 文 学 堂 は 13 年 間 に 12 名 の 日 本 語 専 門 の 学 生 を 養 成 し た 。1896 年 か ら 、 公 使 館 は 既 に 日 本 語 の 教 育 を 行 う こ と が で き な く な っ た 。 そ の た め 、1896 年 に 清 代 政 府 は 13 名 の 若 者 を 選 び 、 日 本 に 派 遣 し た 。 も ち ろ ん 公 使 館 の 翻 訳 者 を 養 成 す る こ と が 目 的 で あ る 。 当 時 、 第 七 代 駐 日 公 使 で あ る 裕 庚 は 、 日 本 政 府 の 外 務 大 臣 の 西 園 寺 公 望 を 通 し て 、13 名 の 中 国 留 学 生 を 東 京 高 等 師 範 学 校 の 学 長 、 嘉 納 治 五 郎 に 頼 ん だ 。 こ れ に よ り 留 学 生 た ち は 日 本 の 教 育 シ ス テ ム に 入 っ た 。 そ の う ち 7 名 の 学 生 は 卒 業 す る こ と が で き た 。 本 書 の 著 者 、 唐 宝 鍔 と 戢 翼 翬 は そ の 中 の 二 人 で あ る 。 そ の た め 、 著 者 た ち が 日 本 の 学 校 で 学 習 し た 日 本 語 に 関 す る 知 識 も 本 書 に 反 映 さ れ て い る 。

『 中 国 人 日 本 留 学 史 』 に よ り 、 唐 宝 鍔 (1878-1953) は 上 海 で 生 ま れ 、字 は 秀 峰 で あ る 。1896 年 に 日 本 に 行 っ た 留 学 生 の 中 で 最 年 少 で あ っ た 。亦 楽 書 院 に 入 り 、嘉 納 治 五 郎 に 従 い 日 本 語 を 学 習 す る 。1899 年 に 亦 楽 書 院 を 卒 業 し て 、 清 代 政 府 に よ り 駐 日 本 長 崎 領 事 館 の 副 領 事 代 理 に 任 命 さ れ た 。ま た 、1901 年 に 駐 東 京 公 使 館 の 館 員 を 担 当 し た 。彼 は 公 使 館 で 翻 訳 者 と し て 働 く 際 、 宏 文 書 院 ( 元 亦 樂 書 院 ) で 日 本 語 の 講 師 も 担 当 し た 。1903 年 、彼 は 東 京 専 門 学 校 に 入 り 、そ の 後 、東 京 専 門 学 校 か ら 昇 格 し た 早 稲 田 大 学 の 政 治 経 済 学 部 に 進 学 し 、1905 年 に 卒 業 し た 。 彼 は 初 め て 日 本 で 学 士 の 学 位 を 取 得 し た 中 国 人 で あ る 。1906 年 か ら 1911 年 ま で の 間 に ( 清 光 緒 32 年―宣 統 3 年 )、 彼 は 北 洋 司 法 官 養 成 学 校 監 督 ・ 洋 務 局 会 辦 ・ 陸 軍 部 一 等 首 席 参 事 官 ・ 川 粤 鉄 路 督 辦 な ど の 職 務 を 担 当 し た 。 ま た 、1911 年 ( 清 宣 統 3 年 ) に 辛 亥 革 命 の 南 北 平 和 交 渉 が 行 わ れ た 際 、 北 方 の 代 表 で あ る 唐 紹 儀 の も と

6 1 沈 国 威( 2010)『 近 代 中 日 詞 彙 交 流 研 究 ——漢 字 新 詞 的 創 製、容 受 與 共 享 』、

中 華 書 局 、 第 248 頁 。

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で 参 事 官 を 務 め た 。 民 国 が 成 立 し た 後 、 北 方 政 府 国 会 衆 議 員 ・ 大 統 領 顧 問 ・ 直 隶 都 督 府 顧 問 ・ 外 交 科 長 ・ 綏 遠 将 軍 署 高 等 顧 問 ・ 栄 旗 墾 務 督 辦 署 秘 書 長・帰 綏 警 務 処 処 長 な ど の 職 務 を 歴 任 し た 。1924 年 11 月 、彼 は 政 治 界 か ら 引 退 し た 。そ の 後 、北 京 と 天 津 で 法 律 事 務 所 を 創 立 し 、 天 津 に 定 住 し て 弁 護 士 と し て の 生 活 を 送 っ た 。1953 年 75 歳 で 病 没 し た 。『 東 語 正 規 』や『 日 本 明 治 維 新 概 要 』な ど の 著 作 が 世 に 残 さ れ て い る 。

も う 一 人 の 著 者 の 戢 翼 翬(1878-1908)は 湖 北 房 県 の 出 身 で あ り 、 字 は 元 丞 で あ る 。1896 年 に 公 費 で 日 本 へ 留 学 し た 。同 じ く 嘉 納 治 五 郎 の も と で 3 年 間 日 本 語 を 勉 強 し た 。 後 に 東 京 専 門 学 校 へ 転 校 し 、 同 時 に 亦 楽 書 院 に 入 学 し た 。 日 本 に い る 間 に 、 彼 は 日 本 の 書 籍 を 翻 訳 し て 出 版 す る た め 、東 京 で 訳 書 彙 編 社 、上 海 で 出 洋 学 生 編 輯 所 を 創 立 し た 。 ま た 、 実 践 女 子 学 校 の 学 長 、 下 田 歌 子 と と も に 作 新 社 を 創 立 し て 、 日 本 の 書 籍 を 翻 訳 、 大 量 に 出 版 し た 。 ま た 、 彼 は 図 書 局 と 印 刷 局 も 設 立 し た 。 後 に 興 中 会 に 入 り 、 腐 っ て い た 清 代 政 府 に 支 配 さ れ た 社 会 を 批 判 し 、 民 衆 と 共 和 な ど を 唱 え る た め 、 『 訳 書 彙 編 』 や 『 国 民 報 』 、

『 大 陸 』 な ど の 月 刊 雑 誌 を 作 っ た 。1905 年 に 外 務 部 の 主 事 を 担 当 し て 興 中 会 の 仲 間 を 推 薦 し 、 法 律 の 改 革 も 行 っ た 。 後 に 袁 世 凱 に よ り 「 交 通 革 命 黨 、 危 害 朝 廷 ( 革 命 党 と 結 託 し 、 朝 廷 に 危 害 を 加 え た ) 」 と い う 罪 で 職 を 解 か れ て 本 籍 に 送 還 さ れ 、1908 年 に 武 昌 で 亡 く な っ た 。

本 書 は ま さ に そ の 作 新 社 に よ り 出 版 さ れ た 教 科 書 で あ る 。 奥 付 で は「 明 治 三 十 三 年 七 月 廿 三 日 印 刷 、明 治 三 十 三 年 八 月 五 日 發 行 」

( 明 治 33 年 7 月 23 日 印 刷 、 明 治 33 年 8 月 5 日 発 行 ) に 書 か れ 、 故 に 本 書 は 1900 年 に 出 版 さ れ た も の で あ る こ と が 確 認 で き る 。し か し 、 本 書 の 序 言 に 「 又 將 次 告 罄 」 と あ る こ と か ら 見 る と 、 既 に 出 版 さ れ た こ と が あ り 、1900 年 の 版 本 は 初 版 で は な い こ と が 分 か る 。 他 の 出 版 時 間 に 関 す る 情 報 は 見 ら れ ず 、 本 書 の 初 版 時 間 も 判 断 で き な い 。 筆 者 が 参 考 に す る の は 1906 年 に 出 版 さ れ た 第 10 版 の 実 藤 文 庫 版62で あ る 。全 書 は 11.5×17.6cm で 、三 巻 を 含 む 一 冊 で 250 ペ ー ジ で あ り 、 レ タ ー プ レ ス で 印 刷 さ れ た も の で あ る 。

6 2 奥 付 に は 「 光 緒 三 十 二 年 一 月 廿 五 日 十 版 發 行 」 の よ う に 印 刷 し て い る 。

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実 藤 恵 秀 は 本 書 に 高 い 評 価 を 下 し て い る 。 彼 は 、 本 書 の 内 容 は 「 日 本 語 学 習 書 と し て 画 期 的 の も の 」63、「 従 来 の 日 本 語 学 習 書 よ り は は る か に 充 実 し た も の で あ り 、 中 国 人 と し て は 初 め て 日 本 語 を 科 学 的 に 研 究 し た も の 」64な ど と 評 価 し て い る 。ま た 、本 書 は 西 洋 の 用 紙 で 両 面 印 刷 さ れ 、西 洋 式 で 装 丁 さ れ た も の で あ る た め 、実 藤 は 本 書 の 印 刷 や 装 丁 も 「 空 前 の こ と 」65で あ る と い う 評 価 も し て い る 。

本 書 の 序 言 は 著 者 に よ る も の で 、冒 頭 で は「 歳 辛 醜 之 冬 、期 滿 將 歸 」

( 今 は 1901 年 の 冬 で あ り 、 間 も な く 帰 国 す る ) が 書 い て あ る 。 当 時 、 唐 宝 鍔 は 当 時 に 東 京 公 使 館 に 務 め て い た た め 、 本 書 の 序 言 は 戢 翼 翬 に よ る も の で あ ろ う 。 本 書 の 序 言 で は 以 下 の 事 実 が 述 べ ら れ て い る 。

在 中 国 發 印 、 殊 未 便 、 故 不 能 不 在 東 付 印

( 本 書 の 初 版 を 中 国 で 印 刷・発 行 す る の は 、非 常 に 不 便 な の だ 。 そ の た め 、 日 本 で 印 刷 し な け れ ば な ら な か っ た 。)

譯 述 之 書 、 多 至 十 餘 種 、 已 成 筴 矣

( 後 に 中 国 で 翻 訳 書 は 10 何 種 類 増 え 、 よ り 良 い 出 版 の 環 境 に な っ た た め 、 中 国 で も 印 刷 す る こ と が で き た 。)

本 書 は 『 東 語 入 門 』 と 同 様 に 日 本 語 の 初 心 者 の た め に 作 ら れ た も の で あ る 。 し た が っ て 、 本 書 の 説 明 の 用 語 に つ い て 、 著 者 は 「 措 詞 祗 取 簡 潔 」66と 述 べ て い る 。 す な わ ち 、 著 者 は 簡 単 な 言 葉 だ け で 日 本 語 を 説 明 す る こ と に し て い る と 分 か る 。

中 国 は 日 清 戦 争 で 敗 戦 し た 後 、 洋 務 派 に よ る 「 西 学 東 漸 」 と い う 主 張 に す で に 欠 点 が 現 れ た 。そ の た め 、1897 年 に 、梁 啓 超 は 日 本 の 書 籍 を 翻 訳 し 、 翻 訳 書 を 通 し て 西 洋 の 新 し い 知 識 を 学 ぶ と い う 観 点 を 初 め て 公 に し た67。 変 法 を 主 張 す る 人 た ち 、 特 に 日 本 で 留 学 し て い る 中 国 の 留 学 生 た ち は す で に 日 本 を 学 ぶ 重 要 性 を 十 分 に 理 解 し て い た 。 そ の

6 3 実 藤 惠 秀 ( 1970)『 増 補 中 国 人 日 本 留 学 史 』、 く ろ し お 出 版 社 、 第 39 頁 。

6 4 同 上 、 第 298 頁 。

6 5 同 上 、 第 298 頁 。

6 6 唐 宝 鍔 、 戢 翼( 1895)『 東 語 正 規 』、 凡 例 。

6 7 沈 国 威 ( 2010)「 日 語 難 嗎 ? ─ ─ 以 近 代 初 識 日 語 的 中 国 人 為 説 」、 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 紀 要 第 43 輯 。

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た め 、 日 本 語 は 中 国 人 が 西 洋 の 知 識 を 学 ぶ た め に 身 に つ け な け れ ば な ら な い 重 要 な 外 国 語 に な っ た 。 そ れ は 中 国 人 が 努 力 し て 日 本 語 を 勉 強 す る 新 た な 機 会 で あ っ た 。 戢 翼 翬 は 序 言 で 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。

思 謀 輸 入 東 邦 文 明 、 以 享 吾 同 胞 之 有 志 新 学 者

( 新 学 を 学 び た い 中 国 人 の た め に 、日 本 の 文 明 を 中 国 に 導 入 す る こ と を 考 え る )

竊 思 我 国 當 茲 創钜痛 深 之 後、有 志 之 士 旋 思 磨 蕩 腦 力、以 為 變 法 用

( 国 の 創 立 の 深 い 痛 み を 思 っ て 、大 志 を 抱 い て い る 人 た ち は 変 法 の た め に 知 恵 を 絞 り 尽 く す )

こ う し た 観 点 は 重 版 さ れ た 『 東 語 正 規 』 で 更 に 顕 著 で あ る 。 た と え ば 、 重 版 の 凡 例 は 、 初 版 と 異 な る と こ ろ に つ い て 説 明 し て い る 。

將 原 刻 古 文 及 聊 齋 誌 異 刪 去 、 增 補 散 語 甚 多

( 元 の 古 文 と 聊 斎 志 異 に 関 す る 内 容 を 削 除 し 、単 語 や 語 句 を 増 や す こ と に な る )

す な わ ち 、初 版 は 、「 古 文 聊 齋 數 則 」を 含 み 、中 国 の 古 典 の『 聊 齋 誌 異 』 に 関 す る 内 容 を 日 本 語 に 訳 し て い る 。 和 文 漢 読 法 の 学 習 の 一 環 と し て 扱 う 内 容 で あ る 。 し か し 、 重 版 は 『 聊 齋 誌 異 』 に 関 す る 内 容 を 削 除 し て 新 た な 単 語 や フ レ ー ズ を 加 え た 。 そ の 内 容 の 変 化 に よ り 、 著 者 は 既 に 実 用 語 の 重 要 性 を 認 識 し た こ と が 分 か る 。 著 者 は 本 書 を 日 本 語 の 教 科 書 に し て 、 日 本 に 留 学 す る 人 た ち が 確 実 的 に 日 本 語 を 習 得 し 、 日 本 を 通 じ て 西 洋 の 新 知 識 を 中 国 に 導 入 で き る た め に 十 分 に 工 夫 し た 。 そ れ に つ い て 、 著 者 は 以 下 の よ う に 述 べ た 。

言 語 為 人 類 交 通 一 大 關 鍵68

( 言 語 は 人 類 の 交 流 に と っ て 最 も 肝 心 な こ と で あ る 。)

6 8 唐 宝 鍔 、 戢 翼 翬 ( 1895)『 東 語 正 規 』、 凡 例 。

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