第4章 時代像や社会の動きの解釈に基づく歴史学習の論理
第1節 時代の政治思想や倫理性に焦点を当てた解釈学習:アマーストプロジ ェクト 単元「ヒロシマ-戦争の科学、政治学、倫理学からの研究-」
1.歴史学習の目標-歴史の探究方法と歴史研究の意義の理解
アマースト・プロジェクトで開発された歴史カリキュラムの中心目標については すでに 第2章第1節で述べた。ここでその要点を再確認しておくと、中心目標は、(a) 歴史の探
求的研究方法の理解、(b) 歴史の探求的研究方法(能力・技能)の習得、(c) 歴史研究や 歴史の意義の理解、の3点である(Brown,1966; Committee on the Study of History,
1969;Brown, 1970, 1996)。(a) は歴史学の構造を理解させ、歴史学の研究方法に関する
知識(事実の特性や一般化の限界、仮説、証拠、証明の間の関係)を習得させることであ る。(b) は歴史の探求技能を獲得させることであり、探求のために問いを立て批判する能 力・概念を実際に応用する能力を発展させることである。(c) は、さまざまな問いを追求 することで事実や歴史の意義を理解させることである。例えば、事実とは何か、事実はど のようにして事実となるのか、歴史とは何か、歴史にはどのような意味や意義があるのか、
といった問いを追求することである(Brown, 1970)。そしてこの目標を達成する方法とし て特徴的な点は、史料を活用するということである。学習者は既有の知識や経験(認知構 造)を基に歴史の事実について疑問をもち、自分自身の結論を導き出していくような探求 的学習を組織するのであるが、その際に基礎となるのが史 資料の活用である(Brown, 1970)。
アマースト・プロジェクトで史資料の活用が特に重視されたのは次の2つの理由による。
まず、カリキュラムの中心目標を達成するには、学習者が事実について疑問を持ち、自分 自身の結論を導き出す探求的な学習が不可欠であり、これを支える条件として歴史的証拠、
特に手紙・日記・報告書、発言や演説の記録などの文書を中心とした一次史料の利用が最 も効果的であると考えられたからである(Brown, 1966)。第二の理由は、学習者が歴史に 関心を持って学習する最も良い方法は、生活の中で生じている問題を解決する経験を得る ことであり、それによって生涯にわたる学習の方法を習得できると考えられたからである
(Brown, 1996)。第一の理由は学問的探求方法と、第二の理由は生活的探求方法と呼ぶこ とができるものである。これらの 2つの方法は、一方は純粋な学問、他方は日常的な生活 という対極に位置しているように見えるが、手紙や日記、報告書などの史料を利用するこ とで互いに補完し、発展し合う関係にあるのではなかろうか。つまり、手紙・日記・報告 書などは中学校や高等学校の生徒も日常の生活の中でふれる馴染みあるものであり、この 中からは人々の判断や行為の様子を読み取りやすい。このプロジェクトでは、史料を利用
することによって、学習者が馴染みのある生活的探求方法を活用しながら学問的探求方法 の習得へとよりスムーズに発展させる、という方法が考えられていることが推測されるの である。つまり科学の方法を用いる際に働きかける対象が日常的に馴染みやすいものであ り、かつ科学的な分析対象となり得るものであれば、生活から科学への橋渡し的な 働きを して、学習者による歴史の探求方法習得の実現を容易にするのである。
2.授業構成原理
(1)カリキュラムの全体計画とその論理
本節で取り上げる単元「ヒロシマ-科学、政治学、倫理学の観点からの戦争の研究-」
は、アマースト・プロジェクトの単元のひとつとして開発されたものである。アマースト・
プロジェクトのカリキュラムの全体計画とその論理については1.で行った目標の説明で ふれたと同様に、第2章第1節ですでに明らかにしている。要点を再掲すると、アマース ト・プロジェクトのカリキュラムは 3つの原理に基づいて構成されるものであった。すな わち、〔社会における人間関係〕(原理1)、〔歴史的に構成されてきた現代的課題〕(原理2)、
〔社会のわかり方の特性〕(原理3)である。単元「ヒロシマ」は、原理1の〔社会におけ る人間関係〕の観点では「リーダーシップと意思決定」(観点1)、「大統領の職務」(観点 2)、「民主主義と外交政策」(観点4)の 3 つの観点に当てはまる。(観点1)(観点2)
は「政治」、(観点4)は「外交」に関するものであり、「社会における人の役割」、「社会に おける人と人との関係」を理解させる単元に位置づけることができる。
(2)単元構成とその論理
1)単元計画
(a)目標
単元「ヒロシマ」は、第2章第1節で示したようなアマースト・プロジェクトの歴史カ リキュラム全体の 3つの基本目標を踏まえたものになっている1 )。それらを再掲すると次 のようである。
(a) 歴史の探究的研究方法の理解
(b) 歴史の探究的研究方法(能力・技能)の習得 (c) 歴史研究や歴史の意義の理解
さらにこの単元に独自な目標として、歴史上の人物の意思決定の過程の複雑さに気づか せ、現在にも共通する人々の意思決定のより普遍的なモデルを習得するという目標が設定 されている。またこの単元では学習内容として、「リーダーシップと意思決定」、「民主主義 と外交」、「大統領の職務」の 3つの枠組みが考えられている(Brown & Travers, 1970)。
このプロジェクトのメンバーであるE. トラバーソ(Traverso E.)が作成した『アマー スト・プロジェクト目標リスト』(Traverso, early 1970’s)2 )には、この単元の目標が次 のように書かれている。
「生徒たちは複雑で現在も論争中の原爆投下の決定と直面する。
(1) 原爆投下の決定が行われた方法と理由に関わる矛盾する証拠を評価する。
(2) 人が倫理的規準を政策決定に適用する方法や、決定の是非を審議する方法について の問題に真剣に取り組む 。」
より具体的には、原爆の使用は軍事的に必要な行為であり多くのアメリカ人の生命を救 うという理由で原爆投下を命じたトルーマン大統領や決定に関わった彼の政策スタッフが
取り上げられ、これらの人物の意思決定の方法がさまざまな観点から検討される。その結 果、学習者は以下のような 5 つの要素が意思決定にどの様に影響しているかを理解する。
5 つの要素とは、①意思決定者が無意識のうちに決定の基準としている歴史的なコンテク スト、②基準となっている情報のソース・信頼性・有用性、③科学者と意思決定者の間の 関係、④意思決定者の決定に大きく影響する、道徳性の観念である。そして、人々が倫理 的基準を政策決定に利用する方法や合理的な意思決定の方法を追求的に理解するようにな っている(Brown, 1996)。
また、学習者は原爆の使用の是非を検討する中で、愛国心や政治的意思決定の方法、科 学革命の時代における科学者や科学研究の成果と社会との関係、人命の救助といった人道 主義的な感情などについて学習し、ある場合には正しく、ある場合には誤りのある仮定条 件のもとで意思決定が行われていたことを理解する。こうして自分なりに当時の意思決定 を意味づけることにより、現在の社会生活においては意思決定のもつ問題点を克服してよ り合理的な意思決定を行っていく必要性を自覚し、実践していくようになることが目ざさ れているのである。
(b)活動(時間)の構成
教師用指導書に示されている本単元の活動の構成は以下の表1のようになっている。
(c) 学年や指導の留意点
第2章で考察したアマースト・プロジェクトの単元「リンカーンと奴隷解放」でもそう であったが、同じプロジェクトに属するこの単元においても、提供されている教材のすべ てを利用するようにはなっていない。また、いくつかの教材を組み合わせて一定の答えを 導き出すように計画されているわけでもない。教材は、教師が構想する学習の論理や問い の構成、学習者の興味・関心や問いに応じて選択的に利用するようになっている。
表1 単元の構成
セクション サブセクション
セクション1
ひ と つ の 明 確 な 選 択 : 日 本 人 の 生 命 か ア メ リカ人の生命か
A 広島が支払った代償 B 原爆を使用した理由
セクション2
原爆の使用は軍事的決定だったのか
A 重要な決定の段階を設定する B 新しい最高司令官
C 軍部のアドバイス
D 決定ははたしてあったのか E 事実を追求するための証拠 セクション3 原子科学者たちの苦悩
セクション4
原 爆 の 使 用 は 外 交 上 の 大 失 敗 の 結 果 だ っ た の か 、 そ れ と も 外 交 的 打 算 の 結 果 だ っ た の か
A 「無条件降伏」問題 B ロシア問題
セクション5
原 爆 の 使 用 は 道 徳 的 に 擁 護 で き る 行 為 だ っ たのか
A 戦時の 10 年間の公的 道義心 B 科学の道義心
C 兵士の道義心
2)単元の概要
単元の概要は以下のようである。この単元ではまず中心発問として「ヒロシマへの原爆 投下はこれまでどの様に考えられてきたのか。投下についてなぜ賛否両論があるのか」が 問われる。これに対してはヒロシマへの原爆投下は人類史上の重大事でありその是非は現 在も論争中の重要な社会問題となっていることが理解されるとともに、本単元で追求する 問題であることが把握される。この後、単元では原爆が使用された理由が観点を設けて理 解され、その是非が検討されていく。観点となるのは、①原爆の使用が軍事的観点からな されたのか、②核物理学者の考えが働いたのか、③外交上の問題(日本の無条件降伏問題 とロシアの参戦問題)であったのか、④道徳的に許される行為であったのか、という4つ の観点である。これらの観点による検討を経た上で、単元の最後では再び「原爆投下はな ぜ決定されたのか」が問われ、これまでの学習をもとにして総合的な解答が作られること になる。
教師用指導書によれば、本単元は前述のように5つのセクションで構成されており、各 部分の概要は次頁のとおりである。