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第3章では、認知構築主義歴史学習の「歴史理解の内容」による3つの類型(人物の行 為・出来事・時代像)のうち、第 2類型である「出来事」の解釈を行う2つの単元の分析 を行った。史料を媒介とした出来事の解釈学習単元「レキシントン・グリーンで何が起こ ったのか」(アマースト・プロジェクト)、および史料と科学の方法を媒介とした出来事の 解釈学習単元「誰がアメリカを発見したのか」(ホルトデータ・バンクシステム)である。

分析の結果、双方の単元について内容構成原理と学習方法原理を抽出することができた。

第1節で分析した単元「レキシントン・グリーンで何が起こったのか」の内容構成原理 は、(1)「出来事の解釈モデル」を用いた理解、(2)「歴史理解と一般人の歴史理解の類 似」についての理解、(3)現代の出来事の理解にも共通する特性の理解、である。学習 方法原理は(1)「人物学習→出来事学習→出来事学習」相互の理解、(2)2つの歴史理 解の特性の理解、である。

また第2節で分析した単元「誰がアメリカを発見したのか」については、内容構成原理

(1)「出来事の解釈モデル」を用いた理解、(2)社会科学の方法の習得、(3)社会科 学の概念の習得、である。学習方法原理は、(1)社会科学の方法を用いた主権者概念の 獲得、(2)社会科学の方法を用いた出来事および出来事と時代像の関係の理解、(3)社 会科学の方法を用いた社会科学の概念の習得、であった。

(2002)、中河(1999)、野家(1998)、シューマン(Scheurman, 1998)、平・中河(2000)、

上野(2001)などの文献を参考にした。

2 ) 構 築 主 義 歴 史 学 習 の 3 類 型 に つ い て は 第 1 章 で 引 用 し た 同 様 に 、 シ ュ ー マ ン

(Scheurman, 1998)およびドゥーリトルとヒックス(Doolittle & Hicks, 2003)などの 文献を参考にしている。

3)第2章でもふれたが、アマースト・プロジェクトで開発された歴史学習単元は、カリ キュラムとしての大枠は考えられていた他、 整えられたアメリカ史の通史としてではな く、学校での通常の歴史カリキュラムの中に投げ入れ的に利用できるモジュール方式の 利用 方 法が 取 れる も の とし て 開発 さ れて い た (Committee on the Study of History, 1969, p.7)。単元「レキシントン・グリーンで何が起こったのか」も同様の利用方法で ある。

4)1965 年に起こったロサンゼルス暴動は、1週間続き、死者 34 人、1000 人を越える 負傷者を出し、火災によって200以上のビルが破壊され、損失被害総額は 1000 万ドル と推定された。黒人居住区のワッツ地区での黒人青年のスピード違反による逮捕が原因 と言われているが、数多くの調査にもかかわらず真相は現在も不明なままである。

5)単元「レキシントン・グリーンで何が起こった のか」で使用される史料(文書)の一 覧を示すと以下のようになる。R. ブラウンによればこれらの文書は学習者の知的レベ ルや教師の指導目標に合わせて選択的に利用されるものであり、すべてを用いるわけで はないとされる〔近年のR. ブラウンの回顧論文(Brown,1996)と筆者によるブラウン への直接のインタビューの内容から)。

パート1

ロサンゼルス暴動 :ロサン ゼルス、ワッツ地 区のアバ ロン・ブルーバー ドをドラ イブしていた黒人の 若者マーケット・ フレイが スピード違反で逮捕 された ことをきっかけとし てこの 事件が発生した。ア メ リカ史において最も破壊的な暴動。1週間後に沈静化するまでに、死者34人、負 傷者1000人以上。200 以上のビルが火災によって完全に破壊され、損失総額は1000万ドル以上と推定 された。

・① ロ サ ン ゼ ル ス 暴 動 の 原 因 に つ い て の 説 明 文 。( E ・ コ ー エ ン 、 W ・ マ ー フ ィ 、『 燃 え ろ 、 燃 え ろ !』

(NY: Ctton、 1966年、pp.29-33より)。

・②警官による説明〔『ロサンゼルス暴動についての公判記録、宣誓証言、弁護士 のレポート、それに政

府の委員会の精選された文書』(ロサンゼルス、ロサンゼルス暴動に関する政府委員会)、Ⅱ、1966 年、pp.9-12より。〕

・③インタビューでのフレイ一家の事件のいきさつについての説明。(雑誌『黒檀』、196510月号、

p.117より)。

パート2

A

・①レキシントン事件関係地図(マサチューセッツ地区)。

・②レキシントン事件関係地図(レキシントン・グリーン近郊)。

・③新聞『マサチ ューセッ ツ・スパイ』掲載の 「英国 陸軍によるマサチュ ーセッ ツ住民の攻撃について の説明」記事(1975年5月 3日付)。

・④植民地住民トーマス・ウィラードによる治安判事への宣誓証言(1775年4 月23日付)

・⑤シルベイナス・ウッドによるレキシントン事件の回想

・⑥ナザニエル・パークハースト他13人のレキシン トン植民地民兵による治安判事への宣誓証言 。

B

・①植民地住民トーマス・フェセンデンの治安判事への宣誓証言(1775年4 月23日)。

・②英国軍の若い将校、ジョン・バーカー中尉の個人日記の中のレキシントン事件の説明 。

・③植民地住民サイモン・ウィンシップの宣誓証言(1775年4 月25日)。

・④植民地住民の捕虜となった英国軍正規兵、ジョン・バットマンの宣誓証言(戦闘の4日後)。

・⑤英国軍下級将校ウィリアム・サザーランド中尉が英国軍司令官ゲージ将軍の秘書官に送った手紙 。

・⑥ナザニエル・ムレキン他33名の宣誓証言(1775年4月23日)。

・⑦レキシントン事件で捕虜となった英国軍昇降エドワード・グールド中尉の宣誓証言 。

・⑧英国軍に同情 的な 植民 地住民トーリー党員 ジョー ジ・レオナルドがイ ギリス 軍司令官ゲージ将軍に 送った説明。

・⑨植民地住民の民兵ジョン・パーカーの公式宣誓証言。

・⑩レキシントン 事件で民 兵と交戦した先発英 国軍部 隊長ジョン・ピトカ イン少 佐がゲージ将軍に送っ た軍務報告書の抜粋。

C

・①マサチューセッツの英国政府の公式声明となった、ゲージ将軍によってかかれた状況説明(1775 4月29日付)。

・②植民地住民がこの事件について知人に送った手紙(1775年4 月 20日付)。

・③レキシントン事件についてのロンドン新聞の記事(1775年7 月 10日付)。

・④レキシントン事件の現場にいた旧植民地住民ロバート・ダグラスの宣誓証言(1827年5月3日付)。

・⑤レキシントン事件の現場にいた旧植民地住民シルベニアス・ウッドによる宣誓証言 。

・⑥当時、最年少の英国軍旗手ジェラミー・リスターが 1832 年に書いた私的な物語の中でのレキシン トン事件についての説明。

・⑦レキシントン事件について調査した聖職者ウィリアム・ゴードンの説明(1775年5月17日付)

・⑧マサチューセ ッツ地方 議会が植民地代議員 ベンジ ャミン・フランクリ ンに植 民地住民と英国軍の合 21人の宣誓証言を送っ た際の手紙の序文(1775年 4月26日付)。

・⑨英国軍連隊長スミス中佐の軍務報告(1775年4 月22日付)。

パート3

A

・①英国の歴史家ロバート・ビセットの古代の民主主 義国家について研究した著作(1796年)の中で行 ったレキシントン 事件につ いての記述〔ビセ ットはト ーリー党員で、君 主制が国 家統治の最良の形 態であることを証明しようとした。〕

・②歴史家ウィリアム・ベルスハムの『グレートブリテンの歴史』(1811 年)の 中のレキシントン事件 についての記述〔ベルスハムはアメリカ植民地を擁護していたホイッグ党に所属していた。〕

・③歴史家ウィリアム・レッキーの『英国史』(1892年)の中でのレキシントン事件についての記述〔レ ッキーはアングロサクソン民族の自由の起源について賛美する著作を書いた。〕

・④ウィンストン・チャーチルの『英語を話す人々の歴史』(1957 年)の中での レキシントン事件につ いての批評。

・⑤ピーター・オ リバーの 『ピーター・オリバ ーのア メリカの反乱への関 わりの 始まりと展開-トーリ ー党の見地』(1781)〔オリバーは大英帝国に対する植民地の戦いに関する出来事を詳述しようとし た最初の人物。〕

・⑥ ア メ リ カ 人 の 作 家 マ ー シ イ ・ ウ ォ ー レ ン 著 『 ア メ リ カ 独 立 革 命 の 発 生 、 展 開 、 終 結 』 か ら の 引 用 。

〔ウォーレンはマ サチュー セッツの愛国者た ちと密接 な関係を持ち、ペ ンによっ て詩、劇、歴史的 な著作の作家として彼らの主張の指導的擁護者のひとりであった。〕

⑦歴史家ジョージ・バンロフトの著作『アメリカ大陸の発見からのアメリカ合衆国の歴史』第7巻(1858 年)からの抜粋。〔バンクロフトはアメリカ発の専門的な訓練を受けた著名な歴史家。A・ジャクソ ン支持の民主党員で、ポーク大統領政権下で要職を歴任した。〕

・⑧歴史家チャールズ・A・ビアード著『アメリカ文明の起源』(1928年)から の抜粋。〔ビアードはア メリカ合衆国第一 級の歴史 家。歴史のプロセ スをかた ちづくる大きな力 について のさまざまな理論 を探求した。自分 自身を、 経済的な力が人間 の行為を 支配していると主 張する頑 固な現実主義者と 考えていた。〕

・⑨歴史家ウィラード・M・ウォレス著『武力への訴え』(1951年)からの抜粋。〔ビアードの研究以来 傑出してきた歴史家のひとり。〕

B

・①レキシントン事件の事実について議論している教科書の記述

・②ルイス・B・ライト、他の歴史学者著『民主主義的経験』(1963年)からの 抜粋。

・③H・W・ブラグドンとS・P・マククシェオン著『自由な人々の歴史』(1967年)からの抜粋。

・④R・C・ブラウン他著『アメリカの偉業』(1966年)からの抜粋。

・⑤N・プラッツとM・J・ドラモンド著『創設以来の私たちの国家』(1964年 )からの抜粋。

・⑥D・S・マジーとA・S・リンク著『私たちのアメリカ共和国』(1963年) からの抜粋。

・⑦S・スタインバーグ著『アメリカ合衆国-自由な人々の歴史』(1963年)か らの抜粋。

⑧教育問題の作家P・シュラッグの歴史教科書の本質と妥当性についての考え(『サタディ・レビュー』

(1月21日号)より)。

パート4

・①アメリカの言語についてのウェブスター新世界辞典の「事実」についての定義(1968年)。

・②英国の歴史家E・H・ダンスの、歴史的事実の本質に関するコメント(1960年)。

・③ウォルター・リップマン固定観念と言外の意味についての本(1922年)から の抜粋。

・④歴史家カール・ベッカーの1926年のアメリカ歴 史教会の年次集会での提言。

B