第2章 人物の行為の解釈に基づく歴史学習の論理
第1節 史料の解釈を通した人物の行為の解釈学習
~アマースト・プロジェクト単元「リンカーンと奴隷解放」の場合
本節では、史料の解釈を通して「人物の行為」と出来事の関係を解釈する歴史学習とし て、アマースト・プロジェクトにある人物学習単元を分析する。取り上げるのは、代表的 な単元「リンカーンと奴隷解放」である。これは、リンカーンという「人物の行為」が、
奴隷解放という出来事にどのような影響を与え、奴隷解放という出来事をどのように作り 出したのかを史資料の解釈を通して理解させる単元である。
アマースト・プロジェクトとは、 1964 年から 1971 年にかけてアメリカ合衆国マサチ ュ ー セ ッ ツ 州 の ア マ ー ス ト ・ カ レ ッ ジ を 本 拠 と し て 行 わ れ た 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト で あ る。
1960年代の米国で開発された新社会科のひとつに位置づけられる。その目的は米国史に関 する中等歴史カリキュラムの開発であり、その活動の中心的内容は以下の 3 つであった。
第一は、史料の活用を重視した歴史の探求方法を学習者に習得させるカリキュラムの開発 である。第二は、開発された単元が有効なものかどうかを確かめる実験・実証的研究であ る。そして第三は、カリキュラムの全国的普及を目ざして全米各地で教師対象のワークシ ョップを開催したことである。
このプロジェクトの基礎になったのは、1959年頃から始まった歴史教材開発活動である
3 )。この活動はアマースト・カレッジの歴史教師とアマースト地域の教師で構成された中 等学校歴史教育委員会(委員長はアマースト・カレッジのアメリカ研究者 V. ホールズィ
(Van R. Halsey, Jr.)の支援を受けて行われていた。この活動は出版社との提携で行われ ていたものの資金的な裏づけは弱く、また活動期間も短く、地域的にもアマースト地域の 教師の支持を得ているだけの限定的なものであった。このような時期を経て 1964 年に連 邦教育局(USOE)から共同研究助成金を取得し、1964年から1971年までの8年間にわ たるプロジェクトとなった。その目的は、1)専任の統括指揮者の雇用による組織的・継 続的研究体制の確立、2)歴史の新しい探求方法の開発をはじめとするさまざまな特色を 備えた歴史カリキュラムの開発、3)カリキュラムの全米への普及、である。
このアマースト・プロジェクトに参加したのは、歴史学者、社会科学者、教育学者、教 育心理学者と中・高等学校の歴史教師・社会科教師たちであった。歴史学者、社会科学者、
教育学者、教育心理学者は歴史教育研究委員会を構成した。また、教師は全米各地から参 加していた。プロジェクトでは歴史学者の R. ブラウン(Richard H. Brown)が専任統括 指揮者であり、他に事務局のスタッフがいた。歴史教育研究委員会のメンバーはカリキュ ラムの作成や単元開発の過程で各自の専門の立場から助言やカリキュラムや単元の理念・
原理の一般化を担当し、中等学校の歴史教師や社会科教師たちは具体的な単元開発を行っ た。
1.歴史学習の目標
(1)歴史の探究法方法と歴史研究の意義の理解
アマースト・プロジェクトで開発された歴史 カリキュラムの中心目標は、(a) 歴史の探 求的研究方法の理解、(b) 歴史の探求的研究方法(能力・技能)の習得、(c) 歴史研究や歴 史の意義の理解の3点である(Brown, 1966: Committee on the Study of History, 1969;
Brown, 1970, 1996)。(a) は歴史学の構造を理解させ、歴史学の研究方法に関する知識(事
実の特性や一般化の限界、仮説、証拠、証明の間の関係)を習得させることである。(b) は 歴史の探求技能を獲得させることであり、探求のために問いを立て批判 する能力・概念を 実際に応用する能力を発展させることである。(c) は、さまざまな問いを追求することで 事実や歴史の意義を理解させることである。例えば、事実とは何か、事実はどのようにし て事実となるのか、歴史とは何か、歴史にはどのような意味や意義があるのか、といった 問いを追求することである(Brown, 1970)。そしてこの目標を達成する方法として特徴的 な点は、史資料を活用するということである。学習者は既有の知識や経験(認知構造)を 基に歴史の事実について疑問をもち、自分自身の結論を導き出していくような探求的学習 を組織するのであるが、その際に基礎となるのが史 資料の活用である(Brown, 1970)。
アマースト・プロジェクトで史資料の活用が重視されたのは次の2つの理由による。ま ず、カリキュラムの中心目標を達成するには、学習者が事実について疑問を持ち、自分自 身の結論を導き出す探求的な学習が不可欠であり、これを支える条件として歴史的証拠、
特に手紙・日記・報告書、発言や演説の記録などの文書を中心とした一次史料の利用が最 も効果的であると考えられたからである(Brown, 1966)。第二の理由は、学習者が歴史に 関心を持って学習する最も良い方法は、生活の中で生じている問題を解決する経験を得る ことであり、それによって生涯にわたる学習の方法を習得できると考えられたからである
(Brown, 1996)。第一の理由は学問的探求方法と、第二の理由は生活的探求方法と呼ぶこ とができるものである。これらの 2つの方法は学問と生活という対極に位置づいているよ うに見えるが、手紙や日記、報告書などの史料を利用することで互いに発展し合う関係に あるのではなかろうか。つまり、手紙・日記・報告書などは中学校や高等学校の生徒も日 常の生活の中でふれる馴染みあるものであり、この中から人々の判断や行為の様子を読み 取りやすい。このプロジェクトでは、史資料を利用することによって、学習者が馴染みの ある生活的探求方法を活用しながら学問的探求方法の習得へとよりスムーズに発展させる、
という方法が考えられていることが推測されるのである。
2.授業構成原理
(1)カリキュラムの全体計画とその論理
-「社会における人間関係」「現代的課題」「歴史理解の方法」の理解
アマースト・プロジェクトの歴史カリキュラムはモジュール方式をとっている4 )。モジ ュール方式とは、単元をそれぞれ独立したものとして作り、各単元を関連づけることで全 体としてアメリカ史のカリキュラムを作り上げる方式である。このカリキュラムは配列が あらかじめ定められた単元計画ではなく、またこれをトップダウン形式で展開する構成に もなっていない。カリキュラムの理念や単元構成を踏まえたうえで、学習者の学習状況や 学習者が提起する問いを考慮しながら、歴史学習が最も探求的に展開できるようになって いる5 )。そして、単元の選択や単元相互の関係に柔軟性をもたせて、教師が自分で歴史の カ リ キ ュ ラ ム を 構 成 で き る よ う に な っ て いる の で あ る6 )(Committee on the Study of History, 1969: p.7)。
アマースト・プロジェクトで開発されたカリキュラムの単元は、大きく 3つの原理で構
表1 アマースト・プロジェクトの単元構成
註:●は単元名 内容
問題
社会における人間関係
社会における 人の役割 社会における人と人との関係 社会における人と人との関係についての観念
伝 記 政 治 経 済 外 交 戦 争 憲 法 思 想
歴 史 的 に 構 築 さ れ て き た 現 代 的 課 題
歴 史 の 中 の 問 題
ジ レ ン マ
の衡社個 ジを会人 レと秩の ンる序自 マこの由 と均と
●ジャクソニアンデモクラシー研究
●1830年から1850年における市民的不服
従と現代の類似
●市民の良心と軍事的義務
●自由か、それとも例外的自由か?
●有刺鉄線の向こうの市民
●なぜワッツなの か?
●市民の良心と軍事的義務
●戦時において異議を唱えるこ との制限
●憲法の批准と人民の基本的人権に関す る宣言
●州の権利とインディアンの移住
●自由と法 ●自由と安全
●アメリカにおける忠誠の義務
●アメリカにおける財産
●ニューイングランドにおけるピューリタン の自由と権力
●アメリカ合衆国における公教育
●民主主義とその奉仕者
●この中に私と共にいるのは誰か?
変 化
の意 問思 題決 定
●リンカーンと奴 隷解放
●国家再建
●連邦主義者と政権の難問
●最初の大陸横断鉄道
●1807年の出入港禁止
●経済恐慌への対 応
●関税制度
●ミズーリ妥協
●大統領ポークとメキシコ
●朝鮮と限定戦争の限界
歴 史 を 通 じ た 問 題
ジ レ ン マ
のけ国 ジる際 レ国関 ン家係 マ権に 力お
●帝国主義と権力のジレンマ ●モンロー主義
●スペイン-アメリカ戦争
●中立主義の放棄
●1840年代における領土拡張論と領
土拡張主義
●アメリカ合衆国、国家連合、集団安 全主義
●自由と安全保障
●1917年から1965年までのアメリカ 合衆国とソビエト連邦
●中国に対するアメリカ合衆国の第 二次世界大戦以来の活動
●外交政策における理想と現実
変 化
プ変社 ロ化会 セの的 ス多制 様度 な的
●奴隷制廃止論者 ●20世紀のアメリカにおける黒人
●南北戦争以前の社会関係
●最高裁判所とこれによるアメリカ政府の 変化
●アメリカ社会への参加の方法としての選 挙
●貧困とアメリカ の生活の質
●都市の中のよそ 者
●民主的社会における軍事力 ●アメリカ独立革命の目的
●神と政府
歴 史 の わ か り 方 の 特 性
歴 史 の 認 知 の 問 題
ジ レ ン マ
係間知認 の識知 関のと
●1935年の中立条約 ●レキシントン・グリーンで何
が起こったのか
変 化
化時思 す代想 るをが 方通ひ 法じと てつ 変の
●南北戦争の兵士
●サコー・バンゼッ ティ
●労働の福音
●アメリカ史にお け る 発 展 期 、 1890 年-1914 年
●ヒロシマ ●アメリカにおける人種差別の起源
●アメリカにおける少数民族と偏見
●移民
●ヨーロッパ精神と新大陸の発見
●行動に移される理念
●1920年代
●神話と現実としてのアメリカ西部
●科学とアメリカの特性
●ニューイングランドにおけるピューリタン の神の摂理
●ラウンドバレーインディアン居留区
●幻滅した人々
(Committee on the Study of History (1969), The Amherst Project, Final Report. Bureau of Research, United States Office of Education. をもとに筆者作成。)