―その時代的危機の認識について―
ルネッサンス以降われわれはひたすら「自由」を求めて長い歴史の道程を歩んできた。
「自由」こそ精神の本質であると固く信じて、人類は共同して、この実現に向けて幾多の 苦難と闘ってきた。それこそまさに世界史の発展の軌跡であった。「自由」は「民主主義」
とならんでわれわれ人類が獲得した血と汗の結晶であった。そして「自由」と「民主主義」
のもとで輝かしい文化を築き上げてきた。
しかるに現代社会においてその「自由」が今まさに危殆に瀕している。さながら「自由」
が自らを蝕むがごとく、あたかも自壊を遂げようとしているようでもある。あまりにも無 規律で、無節操な現代社会に居場所を失い、いまや「自由」は方向性を見失ってしまった かのごとくである。それはエデンの園を追われ去り往くものの姿そのものである。「自由」
は再びエデンの園への無事の帰還を希求するのだろうか、それとももはや人間社会に愛想 を尽かし、静かに神のもとに召還されてしまうものであろうか。
永くわれわれは「理性」に歴史の水先案内人の役割を託し、人間の歴史もいずれ「理性」
の赴くところへ善導されるに相違ないと信じてきたから、その中で人間はじっと忍耐して それぞれに歴史の小さなひとこまを担ってきた。それは人間の生来善なるを疑わず、人類 が描く歴史の軌跡もいずれ限りなき「自由」と、究極的「平和」を目指し、登りつめて行 くに相違いない、との信念に支えられていたからのことであった。
人間の歴史の果実たるべき「自由」と「民主主義」とが現代社会の足枷となっていると して、キリスト教とともにある伝統的進歩史観に貴重な一石を投じたのがブルクハルトで ある。「自由」と「民主主義」がもはや人類の抑止できぬほどの過度の文明化をもたらし、
人間を進歩よりもむしろ退廃へと導いているとしている〔Karl Löwith1994;221〕。限りな き「自由」と究極的「平和」へ向かって邁進するわれわれの信念に揺らぎを感じてしまっ た。人類の未来を信じるばかりで、現実社会の病巣を放置しておくのは現代科学のもっと も忌避するところでもあり、過去の歴史を顧みてもこのような愚行は許されぬところであ る。平和的政治共同体を究極の目標とするヨーロッパ統合の歴史において、政治や社会倫 理を放擲して、通貨や経済の統合という、言わば、物質的・制度的な側面の合理化や極大 化の追求と言った歴史の表層部分に腐心するあまり、相も変らぬ目先の国益主張を繰返す 現実を前にしては、先人たちが描いた有機的文化総合体、生命的統一体としてのヨーロッ
パの精神を閑却してしまったのではないかと危惧される。ブルクハルトの歴史観が彩なす 美と偉大さのヨーロッパとはいかなるものかに思いを馳せ、真の時代の危機を認識しなけ ればならない。
第一節 キリスト教的終末論と歴史哲学
初めて統一性を持つ世界史の概念を形成したのはキリスト教である。かかる「世界史」
はギリシア哲学者の知らざるものである。この世界史は神による創造から始まり、人類の 堕落から終末に至り、救済によって完結する。このような始めと終わりを持ち、完結的に して統一性を持つ世界史はキリスト教においてはじめて成立した観念であり、本来的に宗 教的信仰に基づくものであって、認識に基づくものではない。イエスの宣教はもっぱら終 末の到来とそれの覚悟のために「悔い改め」を説くものであった。キリスト教はこの終末 論の信仰において成立したといわれる〔下村寅太郎、1994;567〕。
したがって、世界史を「発展」として理解することは「近代史学」の創設者であるラン ケを始め、ほとんど総ての哲学者、歴史家の一般的通念であった。それは彼らの世界史の 概念がキリスト教において形成された「世界史」を背景とし、根底とするからであり、寧 ろ発展史としての世界史以外のものを考え得ないことによっていた。「世界史」という概 念そのものが、キリスト教の所産であったからである。
古代では時間と歴史は永遠の循環である自然の過程でしかなかった。アウグスティヌス はこれを論駁し、「時間は神によって造られた始めをもち、神の定める終わりを持つ」と 説いた〔Karl Löwith1964;173〕1。すなわち、「キリスト教の歴史解釈では、未来 を一定の目標と究極的な成就のための時間的な地平と考え、未来へ目を向けるものである。
世俗内的な成就を目指す、意味のある未完成の進歩として、歴史を叙述する近代の試みは、
すべてこの神学的な救済史的な図式に基づいている」といわれる〔Karl Löwith1964;173〕。
上記のアウグスティヌスの見方を支える決定的前提はキリスト教的な人間理解にあった。
こうして、「人間は単なる宇宙の有機的な部分ではなく、このような自然的世界から原理 的に区別された『人間の魂』、すなわち人間の自我の意味が発見された」としている〔Karl Löwith1964;173〕。
レーヴィット(Karl Löwith,1897-1973)によれば、上記に「アウグスティヌスのいう神によ って造られた歴史の始まりとは、世界の創造と人間の堕罪であり、また神の定めた歴史の 終わりとは、最後の審判と復活」に他ならなかった。彼にとっては「歴史の始まりと終わ りに起こるこの二つの超歴史的な出来事が最重要であり、救済の出来事の最初の啓示と、
その未来の達成との間にある現実の歴史は中間時に過ぎなかった。この決定的な救済の出 来事というパースペクティヴにおいてだけ、世俗史はアウグスティヌスの視野に入ってき た。この限られた歴史の中心に立つのがキリストの降臨という信仰の終末論的な出来事」
に他ならなかった〔Karl Löwith1964;173〕。すなわち、「キリストはひとたびわれわれの 罪のために死んで甦ったのだから、再び死ぬことはなく、宇宙、すなわち、自然的な生起 の恒常性に関する等しいものの永遠回帰の論議が、キリストの出現も、回帰も、ともに普 遍的な意義を持つ唯一・無二の出来事である、という超自然的な論証に終わるのは何ら偶 然ではない」としている〔Karl Löwith1964;178-179〕。アウグスティヌスの『神の国』(De Civitate Dei contra Paganos)はキリスト教的歴史観の典型とされる。
終末論的世界史を最も壮大な形で哲学的体系にしたのがヘーゲルであるといわれる。
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)の歴史哲学では、「哲学が持つ思想は 理性の思想、つまり理性が世界を支配し、世界史も理性によって造られる」、というもの で、哲学の中心にあるのは、地上的人間ではなく絶対的な「世界精神」である〔下村寅太 郎1994;447-457〕。そして歴史の本質は「発展」であるとして、それは「世界 精神」の本質の自覚を実現するものであるとする。そこで歴史的に重要なる人物は、「世 界精神」の代理人として行動する世界的個人のみとする。精神は自由を本質とし、世界史 はこの自由の自覚の発展である。実質的にはキリスト教的歴史神学、すなわち「終末論」
の世俗化であり、進歩主義史観に属する。すなわち「理性」や「世界精神」が世界史の主 役であり、もっぱら理性的思惟によってその展開が根拠付けられ、個人や民族を相互に戦 わせながら、自由の完全な実現という本来の目的に向かって着々と歩を進めていく。そし て闘争によって没落して行くのは個人や民族であって、「理性」はつねに背後に控えて痛 手を 蒙コウムらないとされる。この「理性」に、ある種のずる賢さがあるものとして、ヘーゲル はこれを「理性の狡智」と称した。さらに、世界史は一人のみが自由である東方の専制的 君主国から、「若干の人間」が自由である古代ギリシア・ローマへ、最後に「総ての人間」
が神の前に平等に自由であるキリスト教的ヨーロッパへの発展として理解され、終末論的 歴史神学が完全に歴史神学として完成されたとする〔下村寅太郎 1994;577〕。彼におい てもキリスト教的発展史が「ヨーロッパ史」であり「世界史」なのである。
一方ヨーロッパの歴史学の父とよばれるランケ(Leopold v.Ranke,1795-1886)の進歩史観 では、彼の時代がナポレオンによる強硬なヨーロッパ支配に対する戦いの中にあり、自国 の権利の意識が目覚めたときにあたっていたので、「民族は神の思想である」という独特
の思想を生んだのもこの時代の「歴史的位相」に由来するといわれる〔下村寅太郎199 4;577〕。彼においては、民族の歴史はそれの精神的発展を「それの内面的連続性に おいて跡付ける」ことを理念とするものであるといい、これの可能な民族のみを歴史的民 族と名づけ得るとし、この連続的な生命、それの個性的生命力エンテレキーを直接に世界 史と結び付ける〔下村寅太郎 1994;459〕。さらに、国民は人類の普遍的精神的発展に参 与せねばならないこと、民族と個人は孤立し得ないこと、これを達成できる民族のみが克ヨく 無限であり得ること、そして、このような発展こそ真の自由であることを基礎にするもの であると説く。
すなわちランケにおいては、「国家」は精神的実体であり、人間精神の根源的創造に基 づくものであること、そしてその歴史は「神の思想」の実現であるとしたものである〔下
村 1994;460〕。ランケによれば、「人類の歴史は国民そのものにおいて出現し、歴史的
生命は一国民から他の国民へ、一民族圏から他の民族圏へと動くのであり、国民は決して 自然発生的なものではなく、歴史的個性的なもの」である。それが「政治史主体」の歴史 観と呼ばれるゆえんである。彼は歴史を「神の思想」の実現であると規定する立場にある ので、「世界史の光明は上(神)から来る」と説いた。そして成果としての文化と、手段 としての権力との間に調和的関係を認めた。文化、国家、宗教の間に調和が想定されてお り、それを見出し、記述することが歴史家の使命であるとした。
さらにヘーゲルやランケに先立つこと略々一世紀のヴィーコの循環史観にも独特な視点 を読み取ることができる〔G・ヴィーコ 1999;455,456〕。すなわち、イタリアの史家ヴ ィーコは自らが敬虔なカトリック教徒であることを疑わず、歴史の根底に「神の摂理」が 働いていることも信じていた。数学を一切の学問のモデルと見て、あらゆる問題の研究に 数学的厳密性を要求したデカルト(Renè Descartes,1596-1650)に対して、ヴィーコは「人 間という複雑で曖昧なものが造る歴史という捉えどころのないリアリティーは学問の対象 としては資格を失する」と説いて〔清水幾太郎1999;16〕、デカルトの敵であると看做さ れた。しかし、彼が「歴史学」において真に哲学的に基礎付けようとしたのは、人間の諸々 の歴史的学問に関する、より大きな真実性と、より本源的な科学性であったといわれる
〔K・レーヴィット 1957;18-19〕。彼はその際、真の、かつ確実な知識は、われわれが 自分でも惹起したもの、或いは作ったもの、についてのみ可能である、という根本命題か ら出発した。すなわち「諸民族の共同の自然」である市民的世界、つまり「歴史」とわれ われが呼ぶものであり、これが彼の哲学書『新しい学』として結実した。それはまさに歴