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(半)直接民主主義と少数意見

―息づく宗教改革の伝統―

スイス連邦がついに国連加盟を決定した。1815年のウィーン会議における列国の承 認のもとで、世界に永世中立国を宣言してから凡そ190年振りの2002年3月3日に 国連加盟を国民決議し、同年9月10日に第190番目の加盟国として国連の承認を得た。

国連は集団安全保障を基本とする。スイスは今回の加盟で永年の永世中立主義に訣別する のか。生粋のスイス人で生涯をスイスの宗教改革に奉じたツヴィングリや、ブリンガー等、

或いはフランス生まれながらスイスで名声を馳せた宗教改革の一方の旗手カルヴァンが、

宗教改革を通じてこの国に残した文化的遺産は大きい。

第一節 スイスの政治制度

スイスが1986年に国連加盟にノンを下した時も、或いは1992年にヨーロッパ経 済地域EEA1への加盟を否決した時も〔森田安一 1995;283-284〕、今回同様にともに極 めて高い投票率のもとでの国民の直接投票に基づくものであった。しかも国民投票とカン トン(邦)投票という二重の多数決制度によった。このようなスイス固有の直接民主主義

(半直接民主主義)は16世紀中葉に同国中心に起きた宗教改革第二期といわれる時期の 影響が極めて大きい。多数決原理を民主主義の原則とするなら、新しく台頭する改革の波 は常に少数派の悲哀を被り、改革は一向に前進しない。少数の改革派の主張も活かす、此 処にスイス宗教改革の意義があった。宗教改革の成功以降、スイス国民は単純な多数決原 理による民主主義や、権力の中央一極集中を極度に嫌う。それは国土の地理的制約から、

これまでにも都市対農村、カトリック対プロテスタント、或いは異種の言語圏相互対立等、

多数の対立軸を内に抱える複雑な民族構成をなし、常に幾多の不協和音を奏でながらも、

辛くも調和を保つ連邦制度のもとに、統一を維持してきたことに起因する。宗教改革の進 行のもとで、この国に民主主義はどのように育まれてきたか、連邦制度はこの国でどのよ うに維持されてきたか、そしてこの国の永世中立主義はどのように生かされてきたか、等 をそれらの源流に遡って究めたい。

ヨーロッパの屋根ともいわれるスイスは国全体がさながらパノラマのような極めて風光 明媚なところである。殊にわが国にはスイスはその景観と併せて永世中立国として半ば憧 憬の念をもって親しまれている。列強が 踵キビスを接するヨーロッパの中心地にあって永世中立

という屹立キツリツした国家理念を唱えて世界に燦然サンゼンと輝いている。

こんな景勝に恵まれたスイス人に対して、自国に関して最も誇りに思うものは何かと問 うと、その応えは、景観でも、永世中立主義でも、時計に象徴される精密工業でも、或い はその卓越した金融ノウハウでもなく、それはスイスが育んだ自らの政治制度であるとい う。実に60%余りのスイス人が政治制度を挙げるという〔Gregory A.Fossedal 2002;5〕。

この応えの意外さに驚く。

戦後50余年を過ぎて今回辛くも国連加盟を決定したものの、相次ぐ東欧諸国のEU加 盟を目の当たりにしながら毅然として永世中立主義のもと、独自のEU非加盟政策を貫く。

ヨーロッパ統合の思想を考察するに際して、このようなスイスのあり方に注目せざるを得 ない。それは連邦制の原点を示唆するものであるし、その直接民主制は基本に戻って民主 主義のあり方を考えさせるものであるからである。同時に、政治に方向性を見失ってしま い混迷の渦潮から一歩も脱出できずにいるわが国政治に対し、頂門の一針となるのではと 思われる。

スイス人の誇るスイスの政治制度とは具体的には住民による直接民主主義に代表される。

それは連邦制や直接投票制度、そして永世中立によって示される。さらに付言すれば、そ れは政治制度や政治家に対して、永年に亘り培われたこの国の民主政治のあり方を示唆す る。国の統治者には、法により財産の所有を厳しく制限して、支配に伴う地位と富とが相 容れないよう、富との縁を断ち切り権力を厳重に規制する。国の統治者である政治家は、

それに相応しい資質を備えているか否かを厳重に問い、真の政治家育成のためには野放図 な世襲を禁じる等、かつてプラトンが提唱した政治の理念〔プラトン;2・3章〕がこの国 に今も息づいている。それらはスイスにおける議員の任期、歳費、選出方法等に示される が本章では略述するに留める。(註13参照)。

(一)連邦制

米国における連邦制フェデラリズム Federalism が、各州の自治の独立は認めるものの、

基本的には連邦政府の絶大な統治権を前提とするのに対して、スイスでは各カントン(邦)

の権利と利害に、第一義的とも言えるほどの高いウェイトを置いているのが特徴的である。

アルプスの山々や豊富な湖水地帯は彼らの誇りである一方、国土の大半を占めるこれら の山岳地帯が禍いし、歴史的には民族の連帯や統一を困難にした。その上、彼らは不断に 外部からの侵入の恐怖に晒されてきたことが連邦国家というスイス特有の連帯をもたらし た。

そもそもスイスがヨーロッパ政治史に登場するのは1291年8月1日、ドイツ語圏に 属する三つのカントン(原カントン2)が「永遠の盟約」である相互防衛条約を締結して以 来のことであり、これがスイス国家形成の原点である。同国で8月1日を建国記念日とし ているのはここにその理由がある。そして2世紀後の1499年には神聖ローマ帝国から 独立を承認されて、宗教改革の直前1513年には13カントンが一種の都市連合である 連邦を形成した。さらに法的にはオランダと並んで1648年のウェストファリア条約に より独立国となった3〔森田安一2000;50-65〕。

ナポレオンは1798年にスイス占領後、フランス革命後の民主主義政治をスイスに導 入しようとヘルヴェティア Helvetia 共和国を作ったが、権力の集中を目途とする共和国に 反対する民衆の抵抗に遭遇して共和国は1802年で途絶した。スイスはその後1803 年から1847年までスイス国家連合に移行、やがて1848年のフランス二月革命後の 民主制に倣ってスイス憲法を作成、今日のスイス連邦国家が誕生した。

スイスが連邦制を採った最大の理由に複雑な多数決原理が挙げられる。それは「多数決 原理が必ずしも民主主義を忠実に反映しない」という、まさに現代社会における問題と共 通の基本認識から来るものである。すなわち、言語や宗教等多数の事項において錯綜する スイスにおいては、単純に多数決原理に従えば、少数者に徒らに権利の抑圧を強いる結果 となりかねないからである。

この連邦制は権限配分に当たっては補完性原理 Subsidiarity Principle の思想に結びつ くといわれる。申すまでもなく、この補完性原理は現在のEU形成の基本理念である。発 生史的にスイスはドイツ語・フランス語・イタリア語及びレートロマン語を母語とする多言 語民族よりなり、しかもプロテスタントやカトリックなど夫々に異なる風習や宗教を営む 多民族国家である。こうしたスイスの成立過程における歴史的理由から、連邦はスイスに おいて、言わば二次的な存在であり、主体はあくまで県に相当するカントンなのである。

スイス連邦の主体がカントンにあり、連邦はあくまで二次的存在であることは、カント ンが部分的主権を有する連合体であり、連邦の議員の選出をはじめ、殆どの連邦の議決は 過半数のカントンの承認を必要とするのを始め、重要度に応じて国民の直接投票に委ねね ばならないことからも容易に理解できる。このことを称して俗にいう「大砲は連邦に、文 化はカントンに」、「カントンが統治し、連邦は行政を行う」等の比喩にも象徴されてい る。

スイスはすでに現在EUが辿っている連邦化への道を、1848年以来150年以上も

実践している、とも言えるのである。

(二)(半)直接民主主義

スイスは国民による直接投票制度の母国と言われ、連邦レベル、カントンレベル、各ゲ マインデ(Gemeinde)レベル等、夫々に国民投票の機会が極めて多い。スイスの政治制度 を考察するに際してまず採り上げねばならないのは都市カントンにおける代議政治と、主 として農村部におけるランツゲマインデ(Landsgemeinde)型民主政治である。前者はツ ンフト民主主義(Zunft Demokratie)と称しカントンであるベルンやチューリッヒにおけ る「二百人集会」(Rat der Zweihundert)が良く知られている。これに対してランツゲ マインデ型は農村主体の地方共同体における集会で、ウーリ、シュヴィーツ、ツーク等、

森と湖に囲まれたスイス中央部の地域に多く、その過半数はカトリック系である。地域に よる差はあるものの概ね14世紀初頭に発生し、本来住民による屋外の裁判集会に起源を 有する。教会のセレモニーに始まるキリスト教民主主義を基本に据え、神の声が降臨する という考えのもとに行われたといわれるが、現在ではこれを行うカントンも減少した〔渡

辺久丸1999;108〕4

カントンによる相違はあるものの年間4-5回は投票がある。投票回数の合理的削減の ため、一回の投票に課される決議事項の数は時に10件を上回る。このため国民は投票日 前に多大の予習を必要とする。関係諸庁から配布される資料の精読を要求されるからであ る。この故にスイス人が単位人口当り新聞に費やす紙の使用量はヨーロッパの平均の二倍 に達するといわれる〔G.A.Fossedal;3〕。憲法のみか一般の法律や国民生活上の課題につ いても国民投票が行われたのはスイスが最初で、1995年末までで連邦レベルだけで4 37法案が国民投票に付された〔GALLANGHER,Michael/ULERI,Pier Vincenzo(Ed.);231〕。

スイスの民主制度が(半)直接民主制と呼ばれるのは、代議制民主主義を基本としなが らも、国民による「下からの」各種国民投票制度を保障している点にある。議員として一 度選挙により議会に選出されれば、ややもすれば独走しがちな議会決議に対して、直接民 主制により広範に政治決定を規制できるよう、その手段が国民に保障されている点に意義 がある5。直接民主制の種類としてスイスが採用しているのがイニシャティヴ制度やレファ レンダム制度であり、1999年4月改正の現行のスイス連邦憲法に従い以下にその内容 を概観しておく。

1 イニシャティヴ制度6

法律や憲法等の一部改正や全面改正に関して、国民の直接投票にて改正を提案できる制