かつて近代政治の発展の一翼を担った政治理念としての「国家理性」の分析を行い、平 和的政治統合への道を歩むEU、および、いずれEUに続くであろうと予想されるアジア その他の地域連合や広域化の動きにおける、国家連合や国家連邦等の基本的統合理念の有 り方に関する考察への一試論である。国家や国家連合に最高度の理性を託そうとする倫理 的立場からの論調であり、いわゆる「国益」の極大化方策や「国益」擁護の正当化策研究、
すなわち「ナショナル・インタレスト」(国益)の解明ではない。マキアヴェリ、の『政 略論(ローマ史論)』ならびに、F・マイネッケの『近代史における国家理性の理念』(Friedrich Meinecke,1924, Die Idee der Staatsräson in der neueren Geschichite,)を軸に分析を行 う。
第一節 国家理性論について
ここ数年のEU内部の動きを顧みると国益第一主義はますます募り枚挙に暇もない1。 国益優先か、それとも、果たして平和的政治共同体の早期実現に向けて、加盟各国が相 互に耐え忍び、譲り合う、EU加盟国同士を結ぶ高度の政治的理性に基づく精神的な紐帯 は存在するのか、この点未だに定かであるとは判じがたい。そもそも国家連合における政 治的理性とは何か、それはかつて欧州政治を支配した国家理性とはどう相違するのか、す でにEUは一国家の枠を超えた国家連合、ないし、国家連邦を目指しているので、いまさ ら「国家理性」を論じることは無意味ではないか、否、「国家理性」などと、むしろ統合 の桎梏ともなり兼ねない概念を持ち出すとは、アナクロニズムも甚だしい、などという疑 問や異論に逢着するかも知れない。それならば、国家の連邦や連合を支配すべき加盟国に 共通の「理性」や精神的規範は必要であるのか、否か、必要であるとすればそれは一体何 と称すべきか。幸いにもニース会議が決裂を免れて、辛くも合意に達したのは、いまさら 統合の弾みを止めるわけにはいかないという、各国に共通の思いが有ったからである。
「国家理性」なる言葉は、われわれ日本人には比較的馴染みが薄い。馴染みの薄い一つ の理由は、まずこの言葉に含まれる「理性」という概念に、日常性が感じ難いということ であろう。そして近代の合理主義社会のもとでは、「理性」というような抽象的・観念的 表現では、現実社会の問題の処理に不向きだ、という「懸念」が走るといったこともあろ う。さらに、マイネッケの『近代史における国家理性の理念』によれば、歴史上でも、こ
れまで「国家理性」はしばしば、曲解、ないし、きわめて恣意的に悪用されて、この言葉 の発祥の地ヨーロッパにおいて、幾多の不幸な歴史的事件を惹起したという事実がある。
この故に、「国家理性」ないし「国家理性論」は、いかにも近代的なその名称とは裏腹に、
すでに19世紀末にも過去の遺物と化したとさえいわれる〔F.Meinecke,1924;481〕。
上記同書によれば、古くは、すでに「古代」ギリシア時代から、「国家理性」に対する 取り組みは行われていたと言われ、その中にはツキディデス、エウリピデス、アリストテ レス等、非常に多くの哲人の名前が登場する。古代では「国家理性」に関する人口に膾炙 された顕著な用語は残さなかったものの、例えば、キケロによる「国家の理性」とか、フ ル ロ ス の 「 国 家 の 理 性 と 利 益 」 と か い う 言 葉 が 見 い 出 さ れ る と し て い る
〔F.Meinecke,1924;30〕。しかしながら、同書には、古代の「国家理性」については、
「理性」の名のもとに徒らに国家の権力横暴が目立ったため、そののち、アウグスティヌ スの言葉―「正義が遠ざけられると、王国は大きな強盗以外ではありえないのではないか」
―によって、キリスト教が「国家理性」に対し幕引きを行い、決定的な最終判決を下した、
とある〔F.Meinecke,1924;31〕。
次いで「中世」においては、ゲルマンの法思想がキリスト教倫理と結びついて国家を抑 圧した。中世において国家は存在しはしたが至上のものではなかった。法が国家の上位に 置かれて、国家は法を実現するための手段であった。そこで同書は「政治或いは国家理性 は 、 中 世 に お い て は ま っ た く 価 値 を 認 め ら れ て い な か っ た 」 と も 述 べ て い る
〔F.Meinecke1924;31〕。
マイネッケによれば、「近代」における国家理性の概念はマキアヴェリに始まると言わ れ、マキアヴェリをもって近代西欧における国家理性の理念の始祖とまで崇めている。彼 にとってマキアヴェリは言わば国家理性論の父なのである。マキアヴェリの政治思考全体 も「国家理性」にしたがった、不断の思考であったと表現して憚らない〔バーリン;9〕。
個人道徳と国家道徳の立場をわきまえ、国家として辿るべき正しい道を見い出すにあた り、その基準となるものをマイネッケは「国家理性」と称した。
因みに、マキアヴェリの理論では、「ひとは『恥辱を受けても』祖国を救うことがある」、
「ひとは祖国の安全というものが問題である場合には、ある事が正しいか正しくないか、
寛大であるか残忍であるか、賞賛すべきであるか恥ずべきで有るか、というような思案を してはならない。むしろ、他のどんな思慮をも押しのけて、是非とも、祖国の生命を救い、
かつ自由を守る決意に従わねばならない〔マキアヴェリ;615-616〕」という。マキアヴェ
リと同様に、マイネッケにとっては、あらゆる特殊な「国家の利害」はひとが16世紀以 来「国家理性」と呼んだもの、つまり、各国家は自己の利益という利己主義によって駆り たてられ、他の一切の動機を容赦なく沈黙させる、という一般的な規則から生ずるもので あった。
もっとも当時の「国家理性」については、バーリンによれば、「マキアヴェリは『国家 理性』という概念を考え出しもしなかったし用いもしなかった。彼が主張したのは、意志 や大胆さ、巧妙さのことであり、フィレンツェ政庁等が持ち出したといわれる静かな『理 性』ラジオネragioneの指し示すルールを犠牲にしてそれを行ったのだ」ともいわれるが〔バ ーリン;76〕、ルネッサンス末期の16世紀初頭、メディチ家支配の当時のフィレンツェ において、殊に祖国の生命を救い自由を守る決意で、イタリアの統一と外国勢力からの解 放を旗印に立ち上がった憂国の士マキアヴェリの志を考慮すれば、或いはこの方が真実に 近いのかもしれない。
さらに同書によれば、マキアヴェリは「人間の為し得る最善の事、神を最も喜ばしめる のは、自らの生まれた故国のために尽くす事である」と信じていたという〔バーリン;96、
注(106)〕。このため、『君主論』は故国フィレンツェを想うマキアヴェリが、当時栄華 を極めたメディチ家のために捧げたものである、とも記されている〔F.Meinecke1924;38〕。
一般にマキアヴェリが『君主論』で用いた、イタリア語による表現、ラジオネ・ディ・
スタトragione di stato、或いはラテン語のラツィオ・スタツスRatio statusが「国家理性」
という言葉の始まりと解されるが、たとえば、ドイツ語には正確にこれに相当する「ドイ ツ語本来の言葉」はないと言われ〔F.Meinecke1924;156〕、ラテン語に近いシュターツ・
レゾンStaatsräsonを充てている。むしろフランス語におけるレゾン・デタraison d’État が こ れ に 相 当 し て い る 。 し か し 英 語 で は 一 般 に ナ シ ョ ナ ル ・ イ ン タ レ ス トnational
interest2と訳されて、多くの誤解を生じる結果となっている。例えば、林健太郎(1913-2004)
によれば、「ナショナル・インタレスト」という言葉は、「シュターツ・レゾン」の訳語 であり、ここで「理性」と「利益」とが同一であるというのは、日本語の語感としては可 笑しいように思われるが、この「理性」というのは「存在の根本理由」というような意味 であって、国家存立の条件が国益にあった以上は、「国家理性」が「国家利益」を意味し たとしても不思議ではないとしている〔林健太郎編;34〕。
さらには、もともと「国家の利益」を集中的に表現する概念として、「国民の利益」と いう概念を定着させたのは、建国期アメリカの政治家であったという〔J・フランケル;
21-22 〕。当時、「国家の利益」とは「国民の利益」に他ならず、その結果「ナショナル・
インタレスト」という言葉が成立したという。むろん、これは倫理学的意味を問う「国家 理性」とは出発点から相違する。
鈴木成高(1907-1988)によれば、わが国では「ナショナル・インタレスト」の概念は黒 船とともに外国から導入され、わが国自らの民族意識によって発揚されたものではなかっ たとされる。不幸にもわが国は外から生存を脅かされたため、「当初から生存の脅威から 来る危機感によって呼び醒まされ、したがって『ナショナル・インタレスト』の概念は、
国家の『倫理学』としてよりも『生理学』として出発してしまった」としている〔鈴木成 高;1-2〕。すなわち、それはわが国がその後ナショナリズムへと容易に変容していく基礎 となってしまったのである。
さらに彼によれば、「国家理性」は、死活を賭けた危機的瞬間においてこそ、もっとも その本質を開示するものであるとして、明治時代はまさに「国家理性」の時代であったと さえ述べているが、「ナショナル・インタレスト」が、真に「理性」に値するものならば、
そもそも、「生理学」の問題と決め付けてしまっているところに誤りが有ると私は考える。
確かに、倫理的な生活が営まれるためには、まえもって生物としての生命が保たれなけれ ばならない。それには政治的・経済的な生活が充足されなければならない。まずは「生き る」ことが前提であり、そのうえで、「善く生きる」ことも可能とされる。しかし、人間 として「善く生きる」ことのできない人間に、人間の社会の「政治」を委ねることはでき ない。死活を賭けた危機的瞬間、すなわち、限界状況に立たされた国家が自らの生存を賭 けて解決策を探る状況下では、精神的・倫理学的な価値判断が消失してしまって、唯一、
残る姿は野生の動物と選ぶところはなくなってしまうものなのか。それをも平然として「国 家理性」と僭称していられるものなのか。「国家理性」というからには、倫理と実践との 相克、アンビヴァレンシーに対する苦悶の痕跡が示されて然るべきではないのか。こうし た過ちの原因は「ナショナル・インタレスト」には、国家存亡という生理学上の問題とい う意味合いが強く、これを「国家理性」と訳して、Staatsräson もしくは raison d’État と同様に解釈したところに大きな誤りがある。さらには、ドイツ語の Staatsräsonの英語 訳が「ナショナル・インタレスト」であるとの解釈からか、この方までも含めて「国是」
とまでしてしまったところに、彼我において、まさに「国家理性」の皮相な歴史がある。
このように「理性」や「国家理性」という倫理観からは距離を置く概念が、「ナショナ ル・インタレスト」として世上まことしやかに通用したので、同書においても、―「ナシ