過去にヨーロッパ主義が唱えられて以来、これまでに幾多のヨーロッパ統合理論が提唱 された。それはヨーロッパが多数の国民国家に分裂し、対立と抗争を繰返したこと、およ び、このように多数の国民国家からなるヨーロッパが、しばしば非ヨーロッパ世界と対峙 したことに起因する。すなわちヨーロッパ統合理論とは、ヨーロッパの統合により内には 永久平和の実現を目指し、外にはヨーロッパの団結により対抗することを目的としたもの であった。以下、ピエール・デュボアに始まる多数のヨーロッパ統合理論を通底する基本 思想は、平和の創造、それもキリスト教平和感がその基礎を成すことを記す。
本章では、統合思想の時代区分を一応年代順にしたがって三時代に分けてはいるものの、
既述のように、キリスト教的平和観を切り口として統合理論の歴史を探究しているので、
現在の統合の基礎を成している機能主義等のいわゆる経済性・合理性主体の統合理論は本 研究の対象ではなく、参考として簡記するに留めてある。この点、一般に行われている統 合理論の時代区分とは多少異なるが、本論文が個々の統合理論の内容分析を主眼とするも のではなく、この間の統合理論がキリスト教的平和追求を主体とするヨーロッパ統合であ ったことを証示できれば足りるので必ずしも通例に従ってはいない。
概して、統合理論は大戦争の直後に唱えられたものが多かった。九年戦争(ファルツ継 承戦争、1688-1697)後のペンやベラーズ(J.Bellers,1654-1725)による統合理論、スペイ ン継承戦争(1701-1713)後のサン・ピエール(Saint-Pierre,Abbé,1658-1743)による統一ヨ ーロッパ構想、七年戦争(1756-1763)後のルソーの連合構想、第一次大戦(1914-1918)後のク ーデンホフ・カレルギーの「パン・ヨーロッパ」構想等々である。カントの『永遠平和の ために』(1795)においても、執筆の直接の動機は1795年4月、フランス革命後のフラ ンスとプロイセンとの間に交わされたバーゼル平和条約に対する不信にあったと解されて いる。このことは同書の冒頭で「将来の戦争の種を密かに保留された平和条約は決して平 和条約とは看做されない」、の一項で明白に示されている。
ヨーロッパ統合理論は大別すれば
一.統合理論の初期のものから始めて第一次世界大戦前までのもの、
二.両世界大戦及びそれらに挟まれた時期のもの、
三.第二次世界大戦後のもの、の3時代に区分して検討することが出来る。
このような時代区分を採り上げる根拠としては、上述の通り統合理論が往々にして大戦 争の後に出てくる事例が多かったことからも、大戦によるインパクトが大きいことが理由 だが、さらに交通・運輸・通信手段の発達がもたらした社会生活の変化による影響と、そ こから必然的に派生する、貿易・通商・経済の発展による影響とが挙げられる。すなわち 経済発展、特に国際経済の飛躍的発展による影響がある。わけても社会主義経済と資本主 義経済との対決、という新しいパラダイムにより、時代背景が大変革を遂げたことによる 国際社会の変化の影響が大きい。
第一節 第一次大戦前までのヨーロッパ統合理論
この時期のものは、概ねヨーロッパの平和、それもキリスト教的平和観に基づき、キリ スト教国圏の結束と平和実現の理念に燃えて展開された理論が主流を成す。それは文明の 主体がヨーロッパにあり、ヨーロッパ内で営まれていた政治や経済のみを考察の対象にす れば足りたからである。すなわち、私がヨーロッパ統合理論の歴史を辿って多くの共通性 を見いだし、なかんずくキリスト教的平和実現への希望が顕著であったというのは主とし てこの時期のものである 。特にここでは2人のクウェーカー教徒及びサン・ピエール、ル ソー、カントの平和理論を中心に採り上げることとする。なお、ヨーロッパ統合理論史は、
先にも引用したデレック・ヒーター(Derek Heater,1931-)の『統一ヨーロッパへの道』
があり、きわめて簡潔にまとめてあるので、基本的に同書の記載に随った1。
統合理論の先駆者とも称すべきは14世紀の法律家ピエール・デュボアであった。彼の 統合理論では、ヨーロッパの君主達や諸都市が国家連合型の「キリスト共和国」を結成し、
この共和国を評議会により監督、もって国際的な紛争の仲裁にあたるとしたもので、異教 徒に対する聖戦(十字軍)を行い、聖地を回復することが主目的であった〔D.Heater1992;
10〕。
また16世紀アンリ四世(1553-1610)のもとで主席大臣であったシュリー公爵(1560
~1641)のヨーロッパ統一に関する「大計画」は、アンリ四世によるキリスト教コモンウ ェルスの構想であり、ヨーロッパ諸国の国境線を引き直し、超国家体制を構築しようとす るものであって、ここでも分裂状態にあるヨーロッパを救うためには紛争の宗教的要因を 分析すべしとし、ローマ・カトリック、改革派(カルヴァン派)、プロテスタント(ルタ ー派)のキリスト教三派を峻別(但し東方ギリシア正教会は異端過ぎるとしていた)、三 大キリスト教会のバランスの取れた共存が大陸の政治的均衡を補うものであるとして統合 を主張した〔D.Heater1992;30〕。
(一)クウェーカー教徒―ペンとベラーズのヨーロッパの平和的統一構想
平和的統一構想として歴史上もっとも注目されたのは、二人のクウェーカー教徒による 統一構想である〔D.Heater1992.;50-59.William Penn,1693A;185,186〕 。ジョージ・フォ ックスの指導により、17世紀中頃に誕生したフレンド会(Society of Friends)のもとで発 展したクウェーカー教徒は、もっとも厳しい道徳律と博愛精神に満ちた人たちであった。
フォックスがフレンド会の創始者と看做されるのは自分たちを「あらゆる戦争をなくす命 と力」をともにするものと位置づけていたからであった〔D.Heater1992;46〕。
ヨーロッパにおける相次ぐ戦争を目の当たりにして、フレンド会の模範的存在であった ウィリアム・ペンの最大関心事は、人間キリスト教徒の大量の流血をいかに防止するか
〔William Penn,1693B;15、D.Heater1992;15〕であり、併せてキリスト教の評判を回復 することであった。つまり、キリストが平和の主であることを人々に知らせることであっ た。また、キリスト教国による国家連合の建設によって、キリスト教世界に対するトルコ の脅威も回避できるという狙いもあった。そして、「あらゆる戦争と闘いは、使徒ヤコブ によれば、人間自身の心の欲望から生まれるのであって、キリストの従順な精神から生ま れるのではない。またキリスト教を抜きにしても、戦争の犠牲と成果とをよく考えるなら ば、平和はどんなに不自由でも一般的に望ましいものである」とした2〔William Penn 1693B;15.〕。
このようにクウェーカーたちが戦争反対に対する強い関心を抱いた背景にはフレンド会 時代からの彼ら自身に対する厳しい迫害の歴史のあったことと、宗教的寛容に対する彼ら の深い信頼であった。
博識で敬虔な宗教家のジョン・ベラーズは、こうしたペンの意志を受け継ぎ、ヨーロッ パの統一構想は完全に実行可能であると主張した。その計画はヨーロッパ諸国の国境の確 定と防衛とを含んでいた。彼は現実主義者であり、領土の保証、国内的主権の保持、およ び、政治制度の発展の均衡に傾注した。ベラーズはこの時期早くもヨーロッパにカントン 制の導入を提案〔D.Heater1992;58.〕、「ヨーロッパは100ほどの対等なカントンまた は州に分割さるべし」、とした。アンリ四世の大計画にないモスクワ大公国と、オスマン トルコに平和と連合の関係を広げようとした。そして軍縮の利点を予見した。
(二)サン・ピエールのヨーロッパ永久平和構想
サン・ピエール神父による統合理論は、その時代、内容の点から極めて象徴的である
〔D.Heater;69-76.〕。彼は理神論者で啓蒙主義思想に深く影響されていた。彼の著書『ヨ
ーロッパ永久平和覚書』(1712)の一つの表題には、「キリスト教主義者の間における恒久 平和を構築し、国家間の永遠の自由貿易を維持し、云々・・」とあり〔Abbe de St-Pierre1716;
9〕、キリスト教的平和の実現を強く打ち出していた。彼は五つの命題を提示し永久平和 を確立するシステムに同意することがヨーロッパの君主達に計り知れない利益があること を証明しようとした〔Abbe de St-Pierre1727;15-16〕。
それによれば第一命題は条約草案と呼ばれる中核部分で、いわゆる平和条約は常に一時 的な休戦協定に過ぎないとして、アンリ四世の「大計画」を引用して永久平和の可能性を 説いた。国際紛争の法による平和的解決を国内問題の法的解釈に類推した。そして第2命 題で連合の永久的存続とヨーロッパの支配者達の特別な責任について言及、続く第三、第 四、第五命題にてそれぞれ皇帝、フランス王、ヨーロッパの他の支配者達のもっとも重要 な仕事は五つの条文3 が可能な限り多くの君主により調印されるよう保証することである とした。国連構想の早期の提案者でもあった〔D.Heater1992;69-76.F.シャボー1961;62〕。
彼の基本構想はその『永久平和覚書』(1712)、『永久平和論』(1713)等によれば、永久 連合への加盟特にキリスト教主権国の加盟、戦争の消滅、軍事費の大幅削減、通商の大幅 拡大が主要な項目であり、中でも『永久平和論』はその後カント、サン・シモンへと継承 され大きな影響を及ぼしたし、その国連構想はE・Hカー(Edward Hallett Carr,1892-
1982)を始め多数の人に評価された。すなわち、彼の描くヨーロッパ統合案はキリスト教 社会連合であり、そこにはトルコ、ロシアは非ヨーロッパ国として基本的に含まれていな かった。
(三)ルソーのヨーロッパ統合理論
統合を必ずしも全面的には支持しない理論として、ルソーの理論は注目すべきである。
ルソーは、サン・ピエールの著書と草案とを要約整理、その最大の理解者である一方、最 も辛辣な批判者でもあったとされる。ルソーは国際政治の3つの真理として以下を掲げて いる4。
①.ヨーロッパの総ての人民(国家)の間にはひとつの社会的紐帯――不完全ではあるが 人類に一般的な穏やかな紐帯――が支配している。
②.この社会の不完全さはこれを構成する諸国の状態を国家間に全く社会が存在しなか った場合よりも悪いものにしている。
③.これら最初の紐帯はこの社会を有害なものにしているが、同時にこの社会を完全に し易くしており、したがって、その構成員はすべて現在の彼らの悲惨さから幸福を引