第 9 章 学習者のテイナイ形に関する意識
第三部 総論(日本語教育への提言)
10.3 日本語教育への提言
最後に、本研究で明らかにしたことを日本語教育現場でどのように応用すればよい かについて、以下のように指導法改善の提言を述べる。
10.3.1「進行」の用法の排除
日本語教育の現場で、テイル形の無標の用法は「進行」である。従って、テイナイ 形をテイル形の否定形式として、「進行」の導入とともに、文法規則として提示するの が一般的であることが前章の調査で明らかとなった。しかし、このような導入順序は、
学習者に「テイナイ形は単純にテイル形の否定表現に限られる」という印象を与え、
テイナイ形の独自用法の理解と習得を阻む要因となってしまう可能性がある。
本研究の調査結果を見ると、実際の母語話者では、話し言葉においても書き言葉に おいても、「進行」を否定するテイナイ形の使用頻度は非常に低いことが分かった。ま た、学習者では、自由会話においても作文においても、「進行」を否定するテイナイ形 の出現が少なく、母語話者の使用実態と同じ傾向を示している。一方、各用法のテイ ナイ形を意識的に誘出する文法調査の結果を見ると、「進行」を否定するテイナイ形の 習得が最も容易であることも分かった。すなわち、「進行」を否定するテイナイ形は、
母語話者の使用においても学習者の使用においても、出現頻度が低い用法であるが、
最も習得しやすい用法であるということがいえよう。
教育現場において提示すべき内容について、野田(2005)は、実際の会話で使用頻 度が低い文法項目を取り入れる必要はなく、より実際に即したものに教育の重点を置 くべきであると述べている。また、習得順序と教科書での導入については、大関(2008)
と山内(2009)が述べているように、習得しやすいものは指導の中心とする必要はな く、インプットのみを多く与えるという方法が適切であるという指摘もある。
これらの観点を考慮して、使用頻度が低いが、習得が最も容易な用法である「進行」
を先に導入するのを改めるべきではないかと思われる。現行の「進行」の否定を文法 説明から排除し、練習問題として提示するほうがより実際に使用に即しており、且つ 学習者の習得段階に対応できると考えられる。
10.3.2 テイナイ形独自用法の導入
テイナイ形は意味用法上、単なるテイル形の否定形式に限らないということは先行 研究で多く指摘されている。また、本研究の調査では、母語話者はテイル形の否定用 法より、テイナイ形の独自用法を多く使っていることが分かった。一方、外国で日本 語を学ぶ JFL 学習者においては、テイナイ形が単なるテイル形の否定ではないという 認識が足りず、日本で学ぶ学習者は母語話者からのインプットに接する機会が多いた め、その認識ができているものの、適切な使用には至らないということが、第 9 章の 調査で明らかとなった。すなわち、テイナイ形の独自用法は母語話者によって頻繁に 使われているため、教育上では重要な項目として扱うべきであるが、教育現場ではこ のような使用実態が反映されていない。従って、学習者のそれに対する認識が足りず、
これらの用法の習得や使用が困難となるのは当然である。
そこで、テイナイ形の習得を促進するためには、テイナイ形の独自用法を一つの文 法項目として、初級段階で、テイル形の否定形式より先に導入する必要があるのでは ないだろうか。
ただし、第 6 章、第 7 章の習得の調査では、独自用法の中の「全面否定」が最も習 得が困難であることが分かった。習得の困難な用法を初級段階で導入することは、学 習者にとって、理解を困難にする一因となる危険性も考えなければならない。
その危険を回避するための方法として考えられるのは、唐突にテイナイ形の独自用 法を導入するより、まず「シタ?」の否定回答として、「未完了」と「全面否定」の意 味に極めて近い「(まだ)テイナイ」と「(*まだ)テイナイ」を導入することである。
これらの表現は実際の会話でよく使われ、且つ学習者の母語が有する文脈につながり やすいと考えられるため、より容易に理解され得ると推測される。
なお、インプットの影響も重要である。第 7 章の調査では、母語話者からのインプ ットは「未完了」と「全面否定」の習得を促進する効果があるということが分かった。
そこで、実際の教室指導を行う際には、母語話者間の自然な会話に近い例文、文型解 説、練習などに盛り込む工夫をする必要がある。そして、学習者が正しく産出できる
10.3.3 テイル形の否定形式の導入
前節で述べたように、初級段階前半の教育目標はテイナイ形の独自用法を産出でき ことである。そのためには、テイナイ形の独自用法を教室指導に導入し、十分な練習 をすることで用法を理解するとともに、時間をかけて運用にも慣れていく必要がある と思われる。
そこで、学習者の混乱を避けるため、テイナイ形が単なるテイル形の否定ではない という認識を定着させた後、初級段階後半でテイル形を導入するとともに、その否定 用法として、テイナイ形を提示するほうが良いと考えられる。
導入する際には、学習者の習得の難易度を考慮しなければならない。前章で挙げた 習得の難易度をもとに、習得しやすい用法から習得しにくい用法へと導入していけば、
「状態」という習得簡単の用法から、習得困難の「反復」という用法まで、習得が可 能になるだろう。そして、様々な用法の習得を促進するためには、母語話者の使用実 態を考慮して、実際の使用により近い用例を作成し、学習者に多く提示することや、
練習を繰り返して行うことも重要である。
10.3.4 中級以降の体系的指導
初級段階では、独立用法から否定用法へ、という順序で各用法を導入し、加えて学 習者に練習問題などを多く与え、習得順序に従って学習者に指導する必要がある。し かし、一度の学習では忘れてしまう可能性もあり、学習レベルが上がるにつれて、初 級で習得した用法に含まれない文脈や場面に遭遇し問題が生じる可能性もある。そこ で、中級以降においては、各用法、特に独立用法の「全面否定」を再度まとめて指導 する必要がある。
また、第 3 章の調査では、話し言葉と書き言葉において、テイナイ形に用いられる 動詞がそれぞれ特定の語に偏っているがあることが明らかとなった。実際の指導の際 も、この点を考慮する必要がある。
教育現場では、中級段階で書き言葉の知識を導入するのが一般的である。そこで、
上述の 2 点を踏まえ、中級以降、書き言葉の導入とともに、テイナイ形を再度指導す ることが効率的であると考えられる。
指導する際には、書き言葉の特徴を配慮し、一文一文の例文を提示するより、共起 しやすい動詞とともに、文章におけるテイナイ形の適用文脈、さらに類似表現との区 別も加え、広く指導していくことが望まれる。
以上、本研究の結果を踏まえ、日本語教育への提言を提示したが、これらの指導ポ イントはあくまでも一つの可能性として提案したものに過ぎない。実際の指導効果が あるかどうかを検証する必要があり、これらをそのまま現場に応用できるとも断言で きない。しかし、これらの提案は、日本語教師にとって重要な情報を含んでおり、今 後指導法の改善の基礎となり得るものであり、教育現場における指導法改善の試みに 貢献できると考えている。