第 9 章 学習者のテイナイ形に関する意識
第三部 総論(日本語教育への提言)
10.1 各章のまとめ
第1章では、研究概要として、研究動機や本研究の位置づけ、研究課題を述べた。
テイナイ形は、意味用法上、テイル形と異なる振る舞いをするものの、これまでのア スペクト習得研究はテイル形のみに注目し、否定のテイナイ形に付いての詳細に検討 されてこなかった現状を述べ、テイナイ形の習得研究が日本語教育において重要であ ること指摘した。その後、本研究の課題、方法を紹介した。次に研究の構成を示した。
第 2 章では、文献研究を通して、本研究の土台としてテイナイ形の用法分類を行っ た。具体的にはまず、日本語のアスペクト研究において、中心的な研究テーマとされ てきたテイル形の用法記述を概観した。次に、これまで十分に重要視されてきたとは いえないテイナイ形の用法記述をまとめた。最後に従来の分析の問題点と議論をまと めた上で、本研究で分析の中心とするテイナイ形がどう位置づけられるかを検討し、
教育現場への応用を考慮した用法分類を行い、分類の基準を述べた。分類の枠組みは 以下の通りである。
表 1 本研究におけるテイナイ形の用法分類
用 例
否定 形式
テイル形の否定用法 テイナイ形の独自用法
①属性の 否定
② 状 態 の否定
③反復 の否定
④進行
の否定 ⑤未完了 ⑥全面否定 爽健美茶に
はカフェイ ンが含まれ て い ま せ ん。
い つ 買 っ た か 全 然 覚 え て い ない。
最 近 あ ま り 買 い 物 を し て い ない。
買 い 物 は し て い な いよ。棚を 見 て い る だけだ。
彼 女 の 誕 生 日 は 来 週 だ け ど 、 ま だ プ レ ゼ ン ト 買 っ て い な い。
「お前、大麻を あ い つ か ら 買 っただろう。」
「いえ、本当に 買 っ て な い で す。」
対応 する 肯定 形式
属性 状態 反復 進行 経験 紅茶にはカ
フェインが 入っている ことをご存 知ですか。
い つ 買 っ た か 今 で も 覚 え て いる。
い つ も こ の 辺 り で 買 い 物 を している。
今 は 買 い 物 を し て いる。
彼女の誕生日は来週だから、
今日は特別なプレゼントを買 った。
時制無し 現在 過去
第 3 章では、第 2 章で述べたテイナイ形の用法分類の枠組みに基づいて、母語話者 の話し言葉コーパス(BTSJ)と書き言葉コーパス(BCCWJ)の両方を用いて、テイナイ 形の使用実態を考察した。調査の結果、テイナイ形の各用法の中で、テイル形の否定 用法より、テイナイ形の独自用法が多く使われていることと、話し言葉と書き言葉に おけるテイナイ形がいずれも特定の動詞に偏っていることが明らかになった。第 3 章 の結果は、テイナイ形は実際の使用において、独自表現として多く使われていること が明らかとなり、それを慎重に扱う必要性が示された。そして、第 3 章の結果は習得 研究のために基礎データを提供した。
第 4 章では、テンスとアスペクトの接点である「シタ?」に注目し、その否定回答 のテイナイ形とナカッタ形の習得状況を文法テストによって考察した。その結果、学 習者にとって、ナカッタ形より、テイナイ形の習得が難しく、上級になっても習得が 進まないことが分かった。さらに初級教科書における文法記述を調査し、教科書の扱 い方の単純化は学習者の習得に影響する可能性を指摘した。第 4 章の調査からは、学 習者におけるテイナイ形の習得の難しさが窺え、指導法改善の必要性も確認された。
第 5 章では、アスペクト習得研究において普遍的であると言われている「アスペク ト仮説」がテイナイ形の習得に成立するかどうかを縦断的な学習者作文コーパス(LARP atSCU)を用いて検証を行った。その結果、アスペクト仮説に一致しない点が多いこと が分かった。学習者がテイル形と異なるメカニズムでテイナイ形を習得する可能性が 第 5 章の調査で強く示唆され、テイナイ形を独自の文法項目と捉えるべきことが主張 できた。
第 6 章では、第 2 章で述べたテイナイ形の用法分類の枠組みに基づいて、異なった 言語を母語とする学習者がどのような順序に従い、テイナイ形を使用しているのかを、
縦断的コーパス(C-JAS)および横断的コーパス(KY コーパス)という 2 種類の学習 者発話コーパスを用いて考察した。調査の結果:①学習者の母語の違いにかかわらず、
テイナイ形の習得には普遍性的な順序が見られた、②学習者の母語の違いにかかわら ず、似たような誤用パターンが見られたことが分かった、③中国語母語話者において、
特別な誤用パターンが見られた。結果①と②は、学習者の母語以外の要因も習得に関 わっている可能性を示唆したと考えられたため、両コーパスにおける日本語母語話者 の使用状況も調査し、インプットが影響する可能性を指摘した。第 6 章の調査で、テ イナイ形を習得する際に、母語が異なった学習者の間に普遍性が存在することが分か った。
第7章では、第6章の調査結果を踏まえ、中国語を母語とする中・上級のJSL、JFL学 習者を対象に、理解と産出テストを用いて、学習者におけるテイナイ形の各用法の習 得の難易度、学習環境の影響などを調査し、分析した。その結果、①「進行」、「状態」
は習得しやすい用法であり、「反復」と「全面否定」は最も習得しにくい用法であ る、②学習環境による差がある、③理解と産出の両方における難易度の順序が共 通している、④学習者における意味と形のマッピングのメカニズムと教室内外の インプットが習得に影響を及ぼす可能性がある、④学習者はテストの回答を考え るとき、文脈を十分に理解せず、発話の一部から回答に関わる手がかりを探して 答えるというストラテジーがある、などのことが分かった。第7章の調査で、テイ ナイ形習得のメカニズムを詳細に考察し、習得に影響する各要因が確認できた。
第 8 章では、使用実態調査と習得調査の結果と照らし合わせて、11 種類の日本語教 科書を対象とし、教科書の中のテイナイ形の扱い方を調査した。具体的には①各教科 書の本文、文型解説、練習問題などにおける用法別の出現頻度、②各用法の説明、文型提 示、練習などの有無、③文法記述の内容などを調べ、得られた結果と母語話者の使用実態、
学習者の習得段階と比較して分析した。その結果、教科書の扱い方は日本語母語話者の
使用実態に関する考慮が欠けていることと、学習者の習得順序に合わないことが分か った。第 8 章の調査で、現行の指導法を新たに直す必要性が主張された。
第 9 章では、現行の教育を受けている学習者がテイナイ形にどのような意識を持っ ているのか、どのようなニースを感じているのかなどを自由回答のアンケートおよび インタビュー調査を用いて調査した。アンケート調査の結果、①JFL 学習者の記憶に 残っている用法は「状態」と「進行」であるのに対して、JSL 学習者の記憶に残って いる用法は「状態」と「未完了」である、②JFL はテイナイ形の多義性および、それ が用いられる文脈についての認識は不十分である、③JSL 学習者はテイナイ形が単純 にテイル形の否定ではないということに気づいてはいるものの、その使い方までは身 につけられていない、などのことが分かった。さらに、インタビュー調査の結果に基 づいて、指導法改善の留意点として、①実際の使用実態に即した指導が必要である、
②類似表現との使い分けを指導する必要がある、③テイナイ形が使われる文脈を指導 する必要がある、④学習者の習得段階を考慮する必要があると指摘した。