4. 文語体ビルマ語の指示詞
4.9. 文語体 ʔì と tʰò の口語体との対応関係
本節では、文語体ʔìとtʰòの口語体との対応関係について若干触れておきたい。
ビルマ語の歴史をみると、記年のあるビルマ語碑文の中で最も古いとされる12世紀初頭 のヤーザクマーラ碑文にはʔìとtʰòの使用が観察される114。この碑文ではʔìの使用回数が11 回、tʰòが15回であった115。これらの指示詞について、母語話者への調査で、口語体でどう いう形式に対応するかを調べたところ、ʔìは全てdìとなるが、tʰòはhòとはならず全てʔɛ́dì
であった。つまり、文語体のtʰòを口語体のhòだけに対応させるという記述は不充分だ、
ということである。ビルマ語の口語体において、ʔɛ́dìは重要な役割を果たしており、文語体 のtʰòとも対応している。文語体のtʰòは口語体のhòとʔɛ́dìの両方に対応しているものとし て分析が必要である。しかしながら、本論で挙げたビルマ語文献をはじめ、ミャンマー国内 における研究でこの対応関係について触れたものは管見の限りない。
従って、第 3 章と第 4 章の記述より、ビルマ語の口語体と文語体の指示詞の対応関係を 以下表 26のようにまとめることができる。
表 26 ビルマ語の口語体・文語体の指示詞
口語体 文語体
限定 位置 非位置 限定 位置 非位置
dì- dì dà (/ dìhà) ʔì- ʔì ʔì (ʔăyà)
ʔɛ́dì- ʔɛ́dì ʔɛ́dà (/ ʔɛ́dìhà) tʰò-
yíɴ- lăɡáuɴ-
tʰò yíɴ lăɡáuɴ
tʰò (ʔăyà) yíɴ (ʔăyà) lăɡáuɴ (ʔăyà)
hò- hò hòhà
「はじめに」でも述べたように、現代ビルマ語では口語体と文語体とで指示詞や助詞類の 形式などが異なる。同じ言語の二つのスタイルと言うことからすれば、両者にある異なる形 式同士がある程度一対一で対応していることが期待される。しかしながら口語体のある形 式が文語体のある形式と等価物であるかどうかを厳密に示すことは困難である。特に指示 詞の場合、現場指示や文脈参照現場指示などは文語体ではほとんど観察されず、作例も極め て難しい。そのため文語体の現場指示や文脈参照現場指示を実証することはできない。
とは言え、第3章と第4章での考察結果から類推するに、両者の形式の持つ現場指示、文 脈指示といった「中心的」な用法には相当程度の重なりが見られるという点を考慮すれば、
不完全ではあるものの、表 26のような対応関係を示すことには妥当性があると考える。
また、指示詞の場合は、口語体では位置指示名詞と非位置名詞の形式がそれぞれdì, ʔɛ́dì,
hòとdà, ʔɛ́dà, hòhàとに分化しているが、文語体の方では位置指示名詞と非位置指示名詞の
間ではそのような形式の違いが現れない。その理由としては、口語体では位置指示名詞と非 位置指示名詞の違いが形式の違いによって区別されているが、文語体では位置指示名詞と 非位置指示名詞の違いがなく、後続の格助詞によって区別しているからだと思われる(岡野
2018: PC)。口語体では位置指示名詞と非位置指示名詞は異なる形式を持っているためか、
格助詞の区別はみられない場合があるが、文語体では位置指示名詞と非位置指示名詞が同 形であるため、その区別は格助詞でマークされると考えられる。例えば、格助詞‘-kò’は、口 語体では対格(人間または事物を表す)として使われる場合と向格として使われる場合があ
るが、文語体では物を表すときの対格として使うことが多く、主として受領者を表わす対格 としては‘-ʔá’が使われ、向格としては‘-t̪ô’が使われる。文語体では、指示詞の形式に区別が ないため、このように異なる格助詞を伴うことによって名詞の語類を表している、というこ とである。
従って、ビルマ語の指示の全体像を以下表 27のように整理することができる。
表 27 ビルマ語の指示詞の全体像
語類 指示詞
指 示 詞
指示限定詞
「指示詞+N」
ʔì- tʰò- yíɴ-/
lăɡáuɴ-dì- hò-/ ʔɛ́dì-
ʔɛ́dì-「この」 「あの/その」 「その」
指 示 代 名 詞
位置指示代名詞
「指示詞+ CM」
ʔì tʰò yíɴ/ lăɡáuɴ
dì hò/ ʔɛ́dì ʔɛ́dì
「ここ」 「(あ)そこ」 「そこ」
非位置指示代名詞
「指示詞 (+ CM)」
ʔì (ʔăyà) tʰò (ʔăyà) yíɴ (ʔăyà)/ lăɡáuɴ (ʔăyà) dà (/dìhà) hohà/ ʔɛ́dà (/ʔɛ́dìhà) ʔɛ́dà (/ʔɛ́dìhà)
「これ」 「あれ/それ」 「それ」
yíɴ/ lăɡáuɴ
―
「彼/彼女」