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従来の指示用法に関する問題

ドキュメント内 現代ビルマ語における指示詞の研究 (ページ 65-69)

3. 口語体ビルマ語の指示詞

3.5. 口語体にみられる「文脈参照現場指示」

3.5.2. 従来の指示用法に関する問題

3.5 で述べたように、一般的には、堤 (2012: 11)の言うように、現場指示用法は言語的先 行文脈が必要ではなく、文脈指示用法は言語的先行文脈が必要である。しかしながらビルマ 語の場合、この2 つの用法に当てはまらない例がある。ʔɛ́dà の一部の用法には眼前にある 指示対象を即座に直接指し示したことにもかかわらず、言語的先行文脈を必要とし、現場指 示と文脈指示の機能が同時に働いていると考えざるを得ないものが観察される。具体的に は、話し手に近接しているものを直接指し示したにもかかわらず、近称のdàではなく遠称

②のʔɛ́dàが用いられる場合である。このような傾向が現れるのは、1)過去に話し手と聞き手

の間に、現在の話題について知識を共有する機会があり、2)話し手は以前の共有知識を聞き 手が知っていると信じて直接言及せず、3)指示表現のみで導入する、という条件がある場合 である。例えば、(77)の父親が息子を職場の上司に紹介する場面の例を取って説明すると、

(77)は現場指示(直示)用法の原則に従うならば、遠称②のʔɛ́dàではなく、3.5.3.1で挙げる (78)のように近称のdàを使用すべきである。ただし、実際には(77)のようなʔɛ́dàを用いた用 例が存在する。この(77)のように単に遠近という基準で説明できないばかりでなく、本研究 で指摘した心理的な要因を考慮に入れてもなお説明が困難である。この問題を解決するに はこれまでの指示の二分法を再検討しなければならない。そこで、現場指示と文脈指示のほ かに「文脈参照現場指示」という用法を導入して考察を行いたい51

3.5.3. 「現場指示」と「文脈参照現場指示」の違いについての考察

次にdà、hòとʔɛ́dàの性質を確認しながら、「現場指示」と「文脈参照現場指示」の違い

を考察する。指示対象は、2.1.3で述べた岡野 (2007, 2011)の指示詞の分類に従って、非位置 名詞と位置名詞に分けて考える。非位置名詞には、生物名詞(人間または動物)と無生物名詞 (物または事柄)があり、位置名詞は、時間的・空間的位置(時間または場所)を指す名詞であ る。

3.5.3.1. 現場指示用法 (近称)

2.2 と3.2で述べたように、現場指示とは、指示対象の同定に発話時における発話者と指 示対象の空間的位置が関与する場合のことである。ただし、無生物名詞は眼前の具体的な物 にしか同定できず、事柄は含まれない。事柄を対象とする場合、前方照応の読みとなる。

3.5.3.2に述べる遠称①と遠称②の場合も同様である。

次の(78)~(80)の例は、指示対象が話し手・聞き手に近い場所にある場面である。

(78) {pʰèpʰè-k̬â cănɔ̂ păkʰóuɴ-k̬ò sʰí-ywê sʰouʔ+kàiɴ-k̬à}

father-NOM [1m].OBL shoulder-ACC toward-SEQ grasp+hold-SEQ

“dà t̪á-ʔăcízóuɴ-p̬à ʔăkò-c̬í”{-hû tòtò-hyíɴhyíɴ-p̬ìɴ meiʔsʰɛʔ+pé-t̪̬ì.}

this.DET son-eldest-PLT brother-AUG-QUOT shortly-clearly-FOC introduce+give-vs.RLS

父がおれの肩を掴んで「これは長男だよ、お兄さん」と手みじかに紹介してくれた。 Ma Sandar (2012: 6)一部改変

(79) dà pʰyɛʔ-yâ-t̬ɛ̂ bɔ́pìɴ-p̬à.

this.DET erase-AUX-attr.RLS ball.point.pen-PLT これは消せるボールペンです。

(80) dà cănɔ̀ tɛʔ-kʰɛ̂-t̬ɛ̂ cáuɴ-p̬à.

this.DET [1m] climb-AUX-attr.RLS school-PLT

これは私が通っていた学校です。

(78)は父親が隣にいる息子を上司に直接紹介する場面であり、(79)は話し手が対象物を手 に取って dà を用いて聞き手に向かって初めて紹介する場面である。(80)は、話し手と聞き 手は、指示対象の学校を目のあたりにしている場面である。(78)は指示対象が人であるが、

動物の場合も同様な解釈が可能である。

3.5.3.2. 現場指示用法 (遠称①/遠称②)

次の(81)~(83)の例は、指示対象が話し手・聞き手から離れているところにある場面である。

(81) hòhà/ ʔɛ́dà t̪á-ʔăcízóuɴ-p̬à ʔăkò-c̬í.

that1/ that2 son-eldest-PLT brother-AUG

あれ/それは長男だよ、お兄さん。

Ma Sandar (2012: 6)一部改変

(82) hòhà/ ʔɛ́dà pʰyɛʔ-yâ-t̬ɛ̂ bɔ́pìɴ-p̬à.

that1/ that2 erase-AUX-attr.RLS ball.point.pen-PLT

あれ/それは消せるボールペンです。

(83) hòhà/ ʔɛ́dà cănɔ̀ tɛʔ-kʰɛ̂-t̬ɛ̂ cáuɴ-p̬à.

that1/ that2 [1m] climb-AUX-attr.RLS school-PLT

あれ/それは私が通っていた学校です。

(81)は父親が離れているところにいる息子を上司に紹介する場面であり、(82)は話し手が hòを用いて離れているところの対象物を指す場面である。(83)は、話し手と聞き手から離れ

ているところにある学校を指している場面である。

3.5.3.3. 文脈参照現場指示用法

次の(84)と(85)は、非位置指示代名詞のʔɛ́dà が近くにある「人間」や「物」を指す場合の 例である。いずれも眼前にある指示対象を直接指し示しているにもかかわらず、近称の dà ではなく遠称のʔɛ́dà が用いられる場合の潜在的な先行文脈を参照していると考えられる例 である。

指示対象が人間である場合 (84) ((77)‐再掲)

[…] “ʔɛ́dà t̪á-ʔăcízóuɴ-p̬à ʔăkò-c̬í”{-hû tòtò-hyíɴhyíɴ-p̬ìɴ meiʔsʰɛʔ+pé-t̪̬ì.}

[…] that2 son-eldest-PLT brother-AUG-QUOT shortly-clearly-FOC introduce+give-vs.RLS

[父がおれの肩を掴んで]「これが長男だよ、お兄さん」と手みじかに紹介してくれた。

Ma Sandar (2012: 6)

指示対象が物である場合

(85) ʔɛ́dà pʰyɛʔ-yâ-t̬ɛ̂ bɔ́pìɴ-p̬à.

that2 erase-AUX-attr.RLS ball.point.pen-PLT

それが消せるボールペンです。

(84)と(85)は、話し手が自分に接近している指示対象をʔɛ́dàを用いて指す場面の例である。

(84)は父親が息子を上司に紹介する場面であるが、やや離れているところにいる息子を近く に呼んで、息子の肩を掴みながら上司に紹介した場合である。(85)は、話し手は談話の冒頭 で聞き手の見たことのない対象物を手に取って聞き手に向かってʔɛ́dà を用いて言った場合 である。この(84)と(85)のように話し手が近くにあるものをʔɛ́dà を用いて指し示した場合、

この動作の裏にはなんらかの文脈情報があるとみられる。(84)の場合、聞き手である父親の 上司は父親の長男と一度も面識がなかったものの、長男がいることやその長男は工科大学 に通っていることなどを発話開始時の前から父親を通して知っている。(85)の場合も、消せ るボールペンが存在する現場に到着する前に、話し手は聞き手に、このようなボールペンが あるということを話した、ということが前提になる。言い換えれば、現在の発話は過去の文 脈情報によるものであり、現在の発話場面に具体的な先行文脈が現れなくても、その発話の 背景にはある特定の文脈が存在している、ということである。

このような例は、日本語の指示詞にもみられる。日本語の現場指示(直示)に分類される場 合での「コレ」は単純な現場指示用法では説明できない場面がある。例えば、日本語の「コ レ」を用いて現場・眼前にある指示対象をいきなり「コレだ」と言って指し示した場合であ る。この場合の「コレだ」は、「以前に言及したことのあるものが現在目の前にあるこの対

象のことだ」「正にコレだ」という意味なので、その指示対象の同定には言語的先行文脈が あるはずである。単純に現場指示とは認めがたい。「コレこそ」の場合も同様である。ただ し、日本語の場合は眼前にあるものを近称で指しているので、ビルマ語のように形式と意味 のずれが生じない。

以上の(78)~(85)で示したように、現場指示用法と文脈指示用法が区別できない場合もある

52。ʔɛ́dì/ ʔɛ́dàとhò/ hòhàについて注目すべきことは、(39)~(41)のような現場指示用法の場合

ʔɛ́dìとhòが交替可能であるのに対し、(84)と(85)のような現在の発話の背景に文脈があると

想定される「文脈参照現場指示」用法の場合、ʔɛ́dàをhòhàと交替することは不可能である 点である。

なお、(78)∼(85)の例はいずれも話し手の判断を示して相手に同意を求めたり念を押したり する意味を表す場合に用いられる終助詞-lèや-pɔ̂などを伴うことによって「文脈参照現場指 示」用法として用いることができる53

以上、「文脈参照現場指示」用法を用いることによって、これまで心理的な要因だけでは 説明できなかったʔɛ́dàが言語的なアプローチからも説明できるようになる。なお、場所を直 接指し示す場合にはこのような「文脈参照現場指示」用法はみられない。なぜならば、事物 などは指し示す役割をする発話者より先に現場に存在することが可能であるが、現実の場 というのは発話者が現れて初めて規定されるものであるからである。また、指示対象が事柄 である場合も「文脈参照現場指示」用法は成立しない。事柄というのはあくまでも文脈情報 であり、直接指し示すことができないからである。

3.5.4. 「心理的な要因」と「文脈参照現場指示」の区別についての考察

本小節では、3.4で述べた「心理的な要因」と「文脈参照現場指示」をどう区別するかと いう疑問について考えてみる。その理由としては物理的な距離で判明できる場合とそうで ない場合とで区別されていると考えられる。(39)~(41)のように実際に話し手から離れている ところやその場にある対象物を指し示すような場合は物理的な距離であると判断できる。

一方、のように眼前にある指示対象を直接指し示す場合にdà(近称)ではなく、ʔɛ́dà(遠称

②)が用いられる場合があり、このときには物理的な距離ではなく、潜在的な先行文脈があ ると考えられる。つまり、現場指示と文脈指示の機能が同時に働いていると考えられる。た

だし、ʔɛ́dàがこのように文脈的情報にかかわるものによると思われるのは3.5.3.3 で触れた

ように-lèや-pɔ̂を伴わない場合のみ有効である。

本小節では、3.5.1で述べた「心理的な要因」における現場指示と「文脈参照現場指示」を どう区別するかという疑問について考えてみる。いずれも物理的に近い物を指示するもの であり、dà(近称)が本来であれば使われねばならない状況であるにもかかわらず、ʔɛ́dà(遠 称②)が選択されるという現象である。(73)は物理的距離からすればdàが選択されるはずで あるが、心理的要因によってʔɛ́dàが用いられている。しかし参照できる文脈は見当たらず、

文脈参照現場指示でないことは明らかである。一方、(84)と(85)も眼前にある指示対象を直 接指し示すのでdàが使われるはずであるが、潜在的な先行文脈があるためʔɛ́dàが用いられ ている。ただし(84)は心理的要因も同時に働いていると考えられる。つまり文脈参照現場指 示であるということは心理的な要因が同時に働いていることを排除するものではない。し かし(85)の例では心理的要因は一切働いておらず、文脈参照をしているがゆえにʔɛ́dàが選択 されたと考えられる。ただし、ʔɛ́dàがこのように文脈的情報にかかわるものによると思われ

るのは3.5.2で触れたように-lèや-pɔ̂を伴わない場合のみ有効である。

ドキュメント内 現代ビルマ語における指示詞の研究 (ページ 65-69)