第5章 トクヴィルの考える社会政策
第1節 政治経済学と社会経済学
フランスにおける<<économie>>という概念を語る際にしばしば取り上げられるルソーの『政治 経済論』では、この語の本来の意味は家族・家計の管理であったとされている。ルソーに従えば、
この語は次第に国家という最大の家族の統治を指す際にも使われるようになり、その場合は「全 国統治」(économie généerale)または「国家経済」(économie politique)と称された。1このように、
1 ジャン=ジャック・ルソー(阪上孝訳)「政治経済論(統治論)」川出良枝選『ルソー・コレクショ
フランスでは本来、<<économie>>という語にはいわゆる経済領域にとどまらない、「統治」とで も呼ぶべきより広範な意味が与えられていた。2
19世紀前半のフランスには、「政治経済学」(économie politique)と「社会経済学」(économie sociale) という2つの経済学説が存在していた。3これらを概説すれば、政治経済学は18世紀以降のイギ リス流古典派経済学の強い影響の下、ジャン=バティスト・セイJean Baptiste Say(1767-1832) やシャルル・デュノワイエCharles Dunoyer(1786-1862)によって形成された考え方であり、フラ ンス学士院(Institut de France)を構成するアカデミーのひとつである道徳・政治科学アカデミー
(Académie des sciences morales et politiques)等に関係する経済学者を中心に主張された。田中拓 道によれば、彼らは国家の介入を排除しながらも秩序の維持を図るために、家父長的家族やパト ロナージュ(patronage)等の伝統を重視して貧困者の道徳(moral)化を図った思想であった。こ れに対して社会経済学は七月王政期の指導層に該当するカトリック・プロテスタント双方のキリ スト教関係者や信徒、保守主義者によって担われた思想であり、自由主義経済のもたらす負の側 面、特に伝統的な社会的紐帯の解体を批判した。また、社会経済学は階層的社会観を前提として おり、パトロナージュや家父長的家族、宗教組織、共済組合等の中間集団の役割を強調すると同 時に、それらを統合して「新しい慈善」(charité nouvelle)を組織化するための「科学」を重視し た。ちなみに、社会経済学が主張されたのも道徳・政治科学アカデミーであった。4
政治経済学の学説形成の中核となったのはセイの考えである。ユグノーの家系に生まれ、青少 年期にイギリスで教育を受けたセイは、アダム・スミスの思想に感銘を受け、そこから経済学研 究へと進んでいった。そのため、セイの主著である『政治経済学概論』Traité d’économie politique
(1803)は『国富論』の解説書などと評され、またこの著作の中にあるいわゆる「セイの法則」
のために彼は忠実な古典派経済学者として扱われることが多いが、彼の学説にはイギリスの典型 的な古典派には見られない特徴がある。セイはスミスにおける労働概念に該当するものに「産業」
(industirie)という語を充当するべきだといっているが、そこにはスミスのいう労働以上のもの
が含まれている。5産業に含まれるのは、知識を探求すること、その知識を有用な用途に応用する こと、そして労働することの3要素である。6理性を働かせて、知識を用い、実際に労働を通して 生産を行うというセイの産業概念には、啓蒙思想とフィジオクラットというフランス思想とスミ スを中心としたイギリス古典派経済学との融合が見て取れる。また、産業というものを知的探求 を中心とした人間の行動と考え、それの社会全体への適用を試みた点などはサン=シモンの産業 ン 文明』(白水社、2012年)所収、54頁。
2 フィジオクラットの登場によって、<<économie>>の意味は狭義の経済に限定されるようになった。
また、<<économiste>>は一時期、フィジオクラットを指す語として用いられた。
3 本節の内容に関しては、19世紀フランスにおける社会政策や福祉国家形成に関するきわめて精緻な 分析と考察の成果である田中拓道『貧困と共和国 社会的連帯の誕生』(人文書院、2006年)に多く を負っていることを記しておく。
4 田中、前掲書、15-16頁。
5 Jean Baptiste Say, Traité d’économie politique, ou simple exposition de la manière dont se forment, se distribuent et se consomment les richesses (Osnabrück, Otto Zeller, 1966), p. 28.
6 御崎加代子『フランス経済学史 ケネーからワルラスへ』(昭和堂、2006年)72-74頁。
体制論と類似した理想の存在もうかがわせている。この後、多くの古典派経済理論の関心が市場 と交換へと集中していく中で、その代表的理論家とされているセイが産業を中心とした理論の構 築を目指していたことは、彼の特質であると共にフランス社会・経済思想の特徴であるというこ とができる。7
セイに関して次に注目すべき点は、道徳性に関する高い関心と意識である。それは彼の『オル
ビー』Olbie(1800)という著作に現れている。いわばこの著作はスミスにおける『道徳感情論』
に該当するものであり、セイの経済理論を規範的に方向付けるものとなっている。これは民衆の 中に道徳(morale)を確立する方法を問うたフランス学士院の公募に応じた論文であり、入選す ることはなかったが、後日個別に出版された。この著作の内容は「国民の習俗(mœurs)を改善 する方法に関する考察」という副題に表現されている。ここでセイは道徳を「習俗の科学」と、
道徳性(moralité)を「あらゆる行動において道徳上の規範を考慮する姿勢」と定義する。8彼は、
国民の道徳涵養のためには、美術等を含む情操教育を成人や子どもの区別なく国民全体を対象に 施すことが不可欠だと主張している。ただ、セイの道徳論において「道徳に関する第一の本」と されているのは「経済学」(économie politique)である。9彼は適切な道徳教育を行うためには適 切な経済運営が必要であるという現実的な視点を有しており、経済学は道徳の基本的部分を構成 する労働倫理を育成する機能を持っていると考えていた。10セイの中で道徳と経済学は密接に結 び付いている。適切に経済を運営していくためには道徳が不可欠であり、情操を養うための教育 には経済的な裏付けが必要である。セイの中で道徳と経済は相互補完的な存在であった
田中拓道は政治経済学の特徴として、次の 4 点を挙げている。11第一に、政治経済学者にとっ て、当時の社会は産業の自由による「進歩」「文明化」が実現しつつある状況と認識される。第 二に、不平等と階層化の進展は産業の進歩を阻害せず、むしろその進歩に不可欠なものである。
第三に、産業化に伴う貧困問題は普遍的権利に関する問題ではなく、道徳という貧民の個人的事 柄に関わる問題である。よって、政治経済学では、国家による普遍的で全体的な福祉政策は否定 される。そして第四に、彼らの考える社会問題への対策は、個々人の道徳に働きかけ、彼らの中 に自己規律や自己責任感を内面化させることを眼目とする。要するに、政治経済学は当時のフラ ンスにおける最大の病弊とされていた社会問題を問題視するのではなく、進歩の動因として前向
7 そもそも、スミスは市場のみを重視するような経済理論は構想していない。彼の経済理論は『道徳 感情論』における人間観を前提としており、そこでは他人の感情や考えを慮る「共感」(sympathy)の 他、さらに「公平な観察者」(impartial spectator)を想定することによって自身の共感を適正なものと することの必要が説かれている。スミスのいう共感は自己犠牲を伴うこともある「同情」(compassion)
とは区別されるが、彼は交換の場である市場とは異なる有機的人間関係の紐帯の必要性を訴えていた。
その点において、スミスの考えはその後の多くの古典派経済学者よりも、その中で異質な性格を持っ ているはずのセイとむしろ共通しているように見える。
8 Jean Baptist Say, Olbie, ou essai sur les moyens de réformer les moeurs d’une nation (Paris, 1800), p. 1.
9 Say, Olbie, p. 25.
10 Evelyn L. Forget, The Social Economics of Jean Baptiste Say, Markets and Virtue (London and New York, Routledge, 1999), p. 119.
11 田中、前掲書、105-109頁。
きに不平等を評価した。彼らも現実に社会問題が発生していることは認識しており、だからこそ 彼らは道徳を重視したわけだが、不平等に肯定的意味合いを与えた彼らにとって社会問題は本質 的には構造的問題とはなり得ず、それへの対応は部分的ないし個別的なものに留まらざるを得な かった。
その一方で、政治経済学は人間の資質が基本的には平等であることを認めた学説でもある。
個々人の道徳によって社会の問題を解決しようとする発想は、あらゆる人は一定の資質を有して いるという前提の上で初めて成立する。貧困下の人々は劣っているから貧しいのではなく、行う べきことを理解していないために貧困状態に陥っている。そのため、道徳の涵養や情操教育が必 要になるのである。精神の健全な発展と適切な労働意欲が人々の中に育まれたとすれば、彼らは 生来の資質を発揮し、苦境から脱することができる。その意味で、政治経済学の人間観は楽天的 である。
ただ、あくまでも、政治経済学において第一に重視されるのは経済であり、経済学である。道 徳は経済の問題と一体的に語られてはいるが、経済に対して従属的な位置にある。そのため、ヴ ィルヌーヴ=バルジュモンらは、スミスの経済理論やフランスにおけるそのカウンターパートで あるセイによる政治経済学はプロテスタント的で個人主義的、自由主義的、そして貪欲な理論で あり、これが貧困の原因であると考えた。12
政治経済学に対して批判的な目を向けたヴィルヌーヴ=バルジュモンは、自身の立場としての 社会経済学を次のように定義している。
真の社会経済学は、労働と慈善(charité)を同時に喚起するものであり、富の生産よりも安 寧な暮らし(bien-être)を全体にもたらし、広めることを重視する。欲求を際限なく増大させ るのではなく、それらを制限するように対処する。産業の拡大を適正な程度に調整し、最終的 には主として国民の産業の発展に取り組んでいくものである。言い換えれば、これは国家の収 益に影響を及ぼすものである。13
ここでは富の生産というという目標は二次的なものとされている。社会経済学において第一に
12 Seymour Drescher, Dilemmas of Democracy, Tocqueville and Modernization (Pittsburgh, University of Pittsburgh Press, 1968), p. 104. 〔シーモア・ドレッシャー『デモクラシーのディレンマ』桜井陽二訳(荒 地出版社、1970年)93頁〕。なお、当初、政治経済学と社会経済学は明確に区別されていなかった。
セイも、自身の経済学を社会経済学という名前で呼ばれることを好んでいた。これは、彼が経済は社 会の一部であり、そして経済学は社会科学の一部であると考えていたためであった[Richard Swedberg, Tocqueville’s Political Economy (Princeton, Princeton University Press, 2009), p. 82]。政治経済学と社会経済 学が異なるものとして理解されるようになったのは1820年代から1830年代にかけてのことであり、
その最大の違いは社会問題への対応に現れていた[Giovanna Procacci, Gouverner la misère, La question Sociale en France, 1789-1848 (Pairs, Seuil, 1993), pp. 163-164]。
13 Alban de Villeneuve-Bargemont, Économie politique chrétienne, ou recherches sur la nature et les causes du paupérisme en France et en Europe et sur les moyens de le soulager et de le prévenir (Bruxelles, Meline, Cans et Compagnie, 1837), p. 410.