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トクヴィルの社会主義観

第2章  サン=シモンとサン=シモン主義

第3節  トクヴィルの社会主義観

  1840年代のトクヴィルにとって、最も有力な社会主義思想として意識したのはサン=シモンの 思想やサン=シモン主義だったと推測されるが、最も身近な社会主義思想といういい方をすれば、

それはルイ・ブランの思想であったように思われる。40トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』

(第2巻)を出した同じ年、ブランは『労働の組織』Organisation du travail(1840)を発表して いる。『アメリカのデモクラシー』の第 2 巻の売上がその第1 巻と比べて芳しくなかったのに対 して、『労働の組織』は高い評判を呼び、そのことは後に二月革命が発生した際にブランの臨時 政府入りを後押しすることになった。

  ブランの議論の中核は、競争の批判・否定と組織化の重要性である。41彼はこの著作内の章に

「競争は民衆にとっての皆殺し(extermination)の体系である」などという過激な名前をつけて、

貧困をはじめとする諸問題の根本原因は競争にあると断言する。42これは競争の増加に伴って賃 金は下落するというマルクスの見解と共通している。ただ、ブランは競争の被害者を民衆だけに 限定せず、「競争はブルジョワジーにとって崩壊の原因である」43という題名の章も設けている。

ここからわかるように、ブランは民衆の貧困救済というよりも、競争によって崩壊に瀕している 社会全体の組織化に重点を置いている。彼は競争激化の要因として「個人主義」(individualisme) を挙げているが、それは貧困を発生させて、家族関係の不安定化を招き、捨て子や嬰児殺害まで ひき起こす。44ブランは、競争原理によって支配されたこのような社会の現況に対して、「アソシ アシオン」(association)の概念に基づいた「社会的作業場」(ateliers sociaux)によってその問題

40 これら以外にも、トクヴィルは社会主義者ないし社会主義思想として、無政府主義者のピエール・

ジョセフ・プルードンPierre Joseph Proudhon(1809-1865)、サン=シモン主義の影響を受けたピエール・

ルルーPierre Leroux(1797-1871)の他、「ファランステール主義者」(Phalanstériens)すなわちシャル ル・フーリエCharles Fourier(1772-1837)の思想の信奉者や「共産主義者」(communistes)、そしてプ ラトンの名まで挙げている[OC, III-3, pp. 189-192]。その程度はともかく、トクヴィルは当時社会主義 と考えられていた思想に関心を示し、それらについて一定の知識を有していたことがわかる。

41 ルイ・ブランとその『労働の組織』に関しては、高草木光一「ルイ・ブラン『労働の組織』と七月 王政期のアソシアシオニスム  普通選挙と「社会的作業場」」(上)(『三田学会雑誌』第87巻第3号、

1994年)64-84頁および同論文(下)(第87巻第4号)(『三田学会雑誌』第87巻第4号、1995年)38-59 頁を参考とした。

42 Louis Blanc, Organisation du travail (Paris, Bureau de la société de l’industrie fraternelle, 1847), p. 28.

43 Blanc, p. 76.

44 Blanc, p. 61. 19世紀前半のフランスにおいて、嬰児殺害と人口増加との間には相関関係が存在する

という認識が一般的であった[Louis Chevalier, Classes laborieuses et classes dangerouses (Paris, Perrin,

1958), pp. 332-333〔ルイ・シュヴァリエ『労働階級と危険な階級  19世紀前半のパリ』喜安朗/木下

賢一/相良匡俊訳(みすず書房、1993年)265-266頁〕]。

の克服を考えた。社会的作業場の創設者は政府のみとされている。45そしてそこで得られた利益 は社会的作業場の成員に平等に分配され、さらに社会的作業場は高齢者・病人・身体障害者を扶 養し、他の産業が遭遇する恐慌の影響を軽減する役割を担っている他、アソシアシオンの一員で ありたいと望んでいる人に労働手段を提供することも責務とされる。46

  ブランは競争と個人主義を関連づけ、そしてそれらを否定する概念としてアソシアシオンを示 し、その具体像として社会的作業場を提案した。それは国家によって提供された労働の場である ために、ここでは労働市場という発想、いうなれば人間の労働力を商品化し売買するという発想 は完全に否定される。また、社会的作業場には所得再分配や他産業支援といった役割が期待され ているが、これらは通常の私企業や私的団体の責任を超え、公的な責務の担い手であることを求 めるものである。そのため、社会的作業場は単なる雇用提供の場ではなく、福祉国家における政 府とほぼ同一視される。そのため、ブランをはじめいわゆる初期社会主義者が提起したアソシア シオン論は、労働者の貧困等の社会問題に直面した彼らが、無秩序な経済競争や利己的な個人主 義を代替する新たな社会編成原理であったと理解されるべきであろう。47

  彼らの原理を支えたのは労働権(droit au travail)という権利概念であった。これは19世紀前半 のフランスにおいて、とりわけ 1848 年の二月革命の前後において、最も論争的な問題のひとつ であり、トクヴィルも関係した第二共和制憲法を制定する際にも度々議論された。ところが、そ の割にこの権利の定義は当時明確ではなく、これに関しては適正な賃金の職を労働者に保障する 権利とする考えもあれば、失業者に対して職と賃金を提供するものだという考え方もあった。48少 なくとも、これが労働者の労働環境や雇用環境の維持と擁護のみを目的としたものではなく、よ り広範な権利意識を背景とした概念であったということはできる。フランス革命において所有権

(propriété)は認められたが、これは事実上ブルジョワジーという社会の一部の階級の権利を保

障したものに過ぎず、むしろこの頃急増していた労働者階級の社会統合を妨げるものになってい た。つまり、制限選挙が採用されている限り、社会や政治の意思決定に関与できるのはブルジョ ワジーのみに限定されており、労働者階級は排除される。しかし、社会全体がアソシアシオンと いう概念によって再構成された時、労働権は労働者の社会統合とその意思の反映を可能にする。

そのため、労働権は、労働者が社会の意思決定過程にアクセスすることを可能にするものとされ たのである。

  ここまで論じてきたことからもわかるように、19世紀前半のフランスで思索し、そして政治活 動にも従事したトクヴィルにとって社会主義という思想と運動は避けて通ることのできないも のであった。ただ、この段階における社会主義思想は、サン=シモンやサン=シモン主義、そし てその流れを汲んだものが有力だったとはいえ、その他の思想家や運動家も様々な主張を展開し

45 Blanc, p. 103.

46 Blanc, p. 104.

47 高村学人『アソシアシオンへの自由  〈共和国〉の論理』(勁草書房、2007年)124頁。

48 Sharon B. Watkins, Alexis de Tocqueville and the Second Republic, 1848-1852, A Study in Political Practice and Principles (Lanham, University Press of America, 2003), p. 195.

ており、一概に定義することはできない。その点はトクヴィルも十分に認識していたため、彼は 社会主義という思想の本質を次のように表現している。

    これらの理論〔社会主義理論〕は相互に著しく異なっており、しばしば反対の意味を示し、

  また時に敵対もしていた。けれども、それらはすべて政府よりも深いところを狙い、その基礎   となっている社会自体を手に入れようと努めており、そして社会主義という共通の名前を名   乗っていた。49

  トクヴィルは特定の社会主義思想について論じるのではなく、社会主義と称している、もしく は社会主義に類すると考えられる思想を一括して分類し、そしてそれらがいずれも社会(société) 全体を直接的に改変することを試みる思想であることを指摘している。市民革命までの思想にお いて重要なことは、政治制度・政治機構上において個人の自由と権利を擁護し増進させることに あった。しかし、フランス革命によって名目上は政治的自由が実現されたが、産業化・市場経済 化の進展によって経済においては貧困や格差といった問題が露呈してくるにつれて、それらの弊 害は社会問題として認識されるようになり、その解決もまた社会的に試みられる必要があると意 識されるようになった。トクヴィルが二月革命前に行った議会演説で、人々の関心が彼らの情熱 が「政治的」(politiques)なものから「社会的」(sociales)なものへと変化したことを指摘したの は、そのためであった。50社会主義は、そのような時代的要請に応えるものとして登場したので あり、トクヴィルは社会主義の本質をそこに見ていた。第2章で明らかにしたように、トクヴィ ルは二月革命を、「社会主義の理論」(théories socialistes)が民衆の「嫉妬」(jalousies)をかき立 てたことによって発生した階級闘争革命だと定義した。51中でも、国立作業場廃止を巡って発生 した労働者の暴動である六月暴動について、この事件が「政府の形態を変えることではなく、社 会の秩序を変化させることを目的としていた」ことがフランス革命より 60 年間続いてきた様々 な出来事の中でも特徴的なことであり、またそれは「政治闘争」(lute politique)ではなく、「階級 の戦い」(combat de classe)であり、「一種の奴隷戦争」(une sorte de guerre servile)であったと記 している。52社会主義は文字通り、社会に注目し、現状の問題解決を社会の改造によって実現し ようとする思想であった。社会主義は、政治から社会へと意識の対象を変化させていった人々に 対して、自分たちの感情や行動、要求を正当化するための理論となった。

  トクヴィルは、1848年9月12日に行われた憲法制定議会(Assemblée constituante)の憲法起草 委員会における労働権に関する議論の中で、社会主義が人々の物質主義的な情熱を熱狂的で継続 的かつ過度にかき立てるものであること、私的所有の原則を直接的かつ間接的に攻撃するもので

49 S, 2:2, p. 787. 〔邦訳131頁〕。引用中の括弧は本稿執筆者による注。

50 S, 1:1 , p. 736. 〔邦訳31頁〕。

51 S, 2:2 , p. 787. 〔邦訳130頁〕。

52 S, 2:9, p. 842. 〔236-237頁〕。