第2章 デモクラシーにおける革命 二月革命の考察
第3節 二月革命の本質
パリ12区で予定されていた改革宴会に政府が介入したことを直接の契機として、1848年2月 23日から24日にかけて二月革命が発生する。『回想録』におけるトクヴィルの民衆観は、時折そ
54 DAII, 2:2, p. 612. 〔邦訳第2巻(上)175頁〕。
の境遇に同情を示しながらも概して厳しい。55革命時の民衆の行動を賞讃する友人に対して吐い た次の言葉が、それを端的に示している。
あなたは自由の勝利と呼んでいるが、これは自由の最終的な敗北なのだ。あなたに言ってお きたいことがある。あなたは無邪気に感嘆しているが、この連中は自由に生きる能力もなけれ ば、その資格もないことをまさに明らかにしたのだよ。経験が彼らに何を教えたのか、私に見 せてくれないか。経験はどのような新たな徳を彼らに与えたのか。どのような悪徳が取り除か れたのか。私から見れば、彼らは何も変わってはいない。彼らの父親たちと同じように短気で 軽率、法を軽蔑し、意志薄弱で、そのくせ危険を前にして無謀なのだ。56
トクヴィルは、革命というものが綿密な事前の計画に基づいて行われるものではなく、民衆の 感情の発露として発生するものと考えている。57軽率で無謀な民衆の感情が原動力である以上、
革命に摩擦や暴力が付随するのは不可避である。そのため、トクヴィルにおいて、革命と混乱、
そして暴力は一体である。
このようにトクヴィルは無思慮な民衆による感情的行動として革命を認識しているのだが、二 月革命にはさらに2つの特徴があると彼は考えている。「嫉妬」と「社会主義」である。
私が既に二月革命の哲学と呼んでいたものは、社会主義の理論(théories socialistes)であっ た。それは後に真の熱情をかき立て、嫉妬(jalousies)を燃え上がらせ、最終的に階級間の闘 いを引き起こしたのであった。58
ここで注視しなければならないことは、「平等社会における不平等」である。59トクヴィルが指 摘したことは、デモクラシーではもはや不平等を正当化する理屈は存在しないということであり、
この平等社会が異議申し立てに対して開かれ、また常に新たな異議申し立てが生み出されている 社会だということである。いわば、平等社会においても不平等が完全に払拭されることはないが、
だからこそ平等を求める動き(異議申し立て)は社会の原動力になる。よって、デモクラシーに おいて、異議は積極的に肯定されなければならない。
55 トクヴィルの母方の曽祖父マルゼルブは絶対王政末期に検閲担当の出版統制局長という職にあり ながらも、百科全書派やルソーを支援したことで知られている(木崎喜代治『マルゼルブ フランス 一八世紀の一貴族の肖像』岩波書店、1986年を参照のこと)。マルゼルブは絶対王政に批判的であっ たにもかかわらず、ルイ16世の裁判の弁護人を務めたことから処刑され、トクヴィルの両親もその影 響で投獄される。彼らはテルミドールのクーデタで釈放されるが、父は頭髪が全て白髪になり、母は 精神を病むことになった[Jardin, pp. 13-14.〔邦訳19-20頁〕]。革命の暴力性や暴徒に対するトクヴィ ルの厳しい態度は、このような家族の記憶が関係していると思われる。
56 S, 2:1, p. 781. 〔邦訳118頁〕。
57 S, 1:3, pp. 752-753. 〔邦訳63頁〕。
58 S, 2:2 , p. 787. 〔邦訳130頁〕。
59 宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ、2007年)66-76頁。
しかしながら、問題になるのはその異議申し立ての動機と質である。トクヴィルは、人々が平 等社会における不平等に対して神経質な反応を示すことに注目する。「不平等が社会で共有され た規範である時、極端な不平等であっても目に付くことはまずない。あらゆることがほとんど平 準化されている時には、ごく小さな不平等にも感情が害される。そのため、平等が一層拡大して いくにつれて、常に平等への欲求は飽くことを知らないものになるのである」60。彼のいう平等 とは、政治における平等以上に社会全体の平等を意味している。人々の平等化欲求により、一旦 平等化への流れが定まると、平等は加速度的に社会に浸透し、社会の規範として位置付けられる ことになる。そのため、デモクラシーにおいて不平等を正当化する根拠は何も存在しない。この 当時のフランスでは少なくとも観念的には平等が既定の社会規範となっており、だからこそかつ ては貴族や大ブルジョワジーにしか縁のなかった所有について、一般の民衆も意識するようにな った。ところが、実際のところ、民衆は政治的には排除され、経済的には不平等の最底辺に放置 されていたため、そのような現実が彼らの嫉妬を増大させていった。
そして、ここで特筆すべきは、トクヴィルが民衆の感情を表現するのに、「羨望」(envie)では
なく、「嫉妬」(jalousie)という言葉を用いていることである。羨望には「誰かが持っているもの、
あるいは誰かに帰属するものに対する願望」という意味が、対して嫉妬には「自分の持ちもの、
あるいは自分に所属するものを誰かに奪われるのではないかという怖れ」という意味がある。61
『アメリカのデモクラシー』の中で散見される語は「羨望」である。平等社会では、人間は自分 より豊かな人や有利な立場にある人に対して羨望を感じる。現時点において不平等が存在してい たとしても、平等が与件の社会では不平等も解決される希望が存在する。要するに、平等社会で の不平等は一時的なのである。人々は自分よりも裕福な人をうらやましく思い、自分もそのよう な境遇に到達したいと願った場合、平等社会であればそのための努力を払えば、自分もその境遇 に達することができるという希望を持つことが可能となる(実際に可能かどうかは別の問題であ る)。これに対して、嫉妬という感情は既得のものを奪われるという感情だとされる。だが、二 月革命を起こしたパリの労働者に既得の財産などはない。にもかかわらず、そこに嫉妬が生じた とすれば、人間はすべて一定の物質的安寧を得るだけの権利があるという認識があらゆる階層の 人々に浸透していたことが考えられる。それにもかかわらず、自分たちの過酷な境遇が放置され ていたとすれば、自身の労働の成果物や利益を不当に搾取している存在がいると考えて不満を抱 いたとしても不思議ではない。このような不平等と嫉妬の関係から、トクヴィルは二月革命を階 級闘争として判断したのである。62
60 DAII, 2:13 , p. 651. 〔邦訳第2巻(上)237-238頁〕。
61 石川実『嫉妬と羨望の社会学』(世界思想社、2009年)113頁。石川によれば、フランス語では<<envie>>
には、「欲望」(desir)という意味合いも含まれている。また、『ロベール仏和大辞典』では、<<envie>>
には「他人の優越性を羨むこと」、<<jalousie>>には「主として男女間の嫉妬心や他人の優越性をうら やみねたむこと」という意味があると解説されている。
62 トクヴィルは、経済学者の友人アドルフ・ブランキAdolphe Blanqui(1798-1854)の邸宅での出来事 を紹介している(ちなみに、このブランキの兄弟が革命家オーギュスト・ブランキである)[S, 2:9, p. 848.
〔邦訳248-249頁〕]。ブランキは、自邸で貧しい家庭から男女の子どもを引き取り、使用人として雇
トクヴィルの政治理論の中で階級を語る場合、問題になるのは既述の通り土地所有である。彼 の中で、階級は土地所有の形態によって最終的に規定される。トクヴィルはフランスの土地所有 の歴史について、「フランスにおいて不動産の分割の起源を大革命に求めることは、よくある誤 りである。土地分割という事実は、大革命よりもはるかに以前から行われていた」63と述べてい る。トクヴィルによれば、実はすでにフランスでは中世の段階で農民は「土地所有者」(propriétaire
foncier)になっていた。アメリカでは土地所有は社会に広く浸透していたが、フランスでも土地
の財産の分割は進んでいた。むしろその分割化の歴史はアメリカ以上であった。アメリカの産業 化が本格化したのは南北戦争後の 1860 年代以降のことであり、トクヴィルの時代のアメリカに おける経済の中心はいまだ農業であった。そのため、この頃のアメリカにおいて土地財産の平等 は同時に資産と収入の平等も意味していた。また、もちろんこれはアメリカ先住民族の存在を無 視した考え方であるが、西部には広大な土地が残されていたため、西へ向かえばいくらかの土地 を取得することは可能であり、誰もが平等化の恩恵を被ることができた。
これに対して、二月革命を論じる中でトクヴィルが問題視しているフランスの民衆は都市、中 でも首都パリに流入してきた都市の労働者階級である。彼らは土地財産とは完全に切り離された 無産階級であり、またその賃金も最低程度に抑えられていたが、平等に関する意識と所有権に関 する意識は最底辺に置かれた労働者階級にも浸透していた。だが、彼らはその不満の表明を望ん でも選挙権がなく、自らの意志の表明と権利の主張もかなわなかったため、怨嗟のみが募ってい った。
ここでアメリカとフランスの相違点、より正確に表現するならトクヴィルが観察し、理論化し たアメリカと彼が直面した現実のフランスのと間の違いが明確になる。すなわち、アメリカの経 済社会を構成していたのが土地所有に基づく独立自営農民であるのに対して、トクヴィルが二月 革命の文脈で問題視しているパリ中心のフランス経済社会の構成員は賃金労働者であったとい うことである。
トクヴィルの同時代人であったカール・マルクスKarl Marx(1818-1883)は、1847年の講演を もとにまとめた『賃労働と資本』Lohnarbeit und Kapital(1849)の中で労賃とは労働力の価格、す なわち「労働者を労働者として維持するために、また労働者を労働者として育てあげるために必 要とされる費用」であり、その総計は「労働者の生存=および繁殖費」となるといっている。だ が、労賃は総計としては生存費用と一致するが、個々の労働者の多くは生存しうるだけの賃金を
っていた。ところが、六月暴動が発生した日の夕食の後、ブランキは、片付けをしているこの子ども たちが「今度の日曜日にこの鶏の手羽を食べているのは僕だ」「このきれいな絹のドレスを着ているの は私」などという会話が行われているの耳にしてしまう。ブランキはこれに恐怖を感じ、この子ども たちを実家に送り返してしまう。トクヴィルは、この子供たちのやり取りほど、この革命と暴動の精 神を表現しているものはないと記している。この逸話は、社会の中には明確に分化された階級が存在 しているということ、民衆の中に自分たちが搾取の対象になっているという意識が存在していたこと、
そしてそのような意識が年少者にまで浸透していたことを示している。
63 AR, 2:1, p. 74. 〔邦訳135-136頁〕。