第5章 トクヴィルの考える社会政策
第3節 トクヴィルの社会政策
トクヴィル自身の社会政策論について論じる前に、『貧困に関する覚書』(第1論文)の第2部 で展開されている彼の慈善(bienfaisanceまたはcharité)に関する考え方について触れておきたい。
トクヴィルは貧困者の扶助には、「私的慈善」(charité)と「公的慈善」(charité publique)の 2 種類があると考える。55前者は人間の誕生以来の歴史があり、キリスト教(christianisme)によっ て徳として措定された。それは身近な人々が被った不幸な状況の緩和を目的としている。これに 対して、後者は私的慈善と比べて情熱においては劣るが、より理性的で有効なものとなっている。
その対象は社会の構成員であり、彼らを組織的に扶助する。この種類の慈善はプロテスタンティ
スム(protestantisme)から生まれ、近代社会でのみ発達するものである。そしてトクヴィルは、
イギリスの実例を参考として公的慈善を批判し、私的慈善の有効性を主張する。56
トクヴィルは、同程度の文明段階にある国と比較してイギリスで社会的貧困(paupérisme)の 拡大が著しいことの理由を、エリザベス救貧法以来の救貧制度に求めている。57イギリスは過去 250年間、エリザベス1世によって定められた救貧法の原理を抜本的に改めることなく維持して きた。そして、その原理によって行われている公的慈善は致命的な結果をもたらしていると、彼 は批判するのである。
トクヴィルは 1833 年、イギリスの貴族で大地主でもあるラドナー卿のロングフォード城に滞 在した折りに見学をした巡回法廷の様子を紹介している。58そこに登場するのは、公的慈善の支 給金の減額に対して怒りをぶつける老人、夫に捨てられた若い女性、働き口か、それがなければ 相当額の金銭的支援を要求する男たち、私生児を連れた女性たちである。ラドナー卿はこれらを 見て、目の前の状況を救貧法が生み出した悪徳と呼び、トクヴィルもその見解に対して疑問を挟 んでいない。つまり、トクヴィルはエリザベス救貧法以来、実施されてきたイギリスの公的慈善
55 P1, p. 1165.
56 ここでトクヴィルが、キリスト教とプロテスタンティスムを分けて考えていることは興味深い。
1821年、フランソワ・ラ・ロシュフーコー=リアンクールFrançois La Rochefoucauld-Liancourt(1747-1827)
は、キリスト教道徳協会(Société de la morale chrétienne)を設立した。この団体の主たるメンバーはプ ロテスタントで、コンスタンやティエール、ギゾーらも関係していた。当時のフランスにおいて私的 な慈善活動の主体はカトリックの修道会であったため、プロテスタント主体のキリスト教道徳協会と 修道会との関係は対立的であった。ドレッシャーは、この団体について、立憲君主制という制限的な 政治制度に対応して現れた運動であり、ごく一部のエリートによる非公式的な組織に過ぎないとして いる[Drescher, pp. 101-102〔邦訳91-93頁〕]。
57 P1, p. 1167.
58 P1, pp. 1174-1177.
制度が、人々の内面に道徳的退廃をもたらしていることを批判しているのである。政治や経済、
社会といった領域を問わず、トクヴィルの主張において特徴的なことは人々の自由と自主性に対 する強いこだわりである。彼は、「実際のところ、自由とは『聖なる』ものである。それは、『徳』
という名のもの以外の何ものでもあり得ない。さらに、善なるものの『自由な』選択以外、徳と 呼べるものがあるだろうか」と述べている。59トクヴィルは、その困難さにもかかわらず、人々 が自主的に社会に参与し、実践することに徳を見出す。そのような彼の目に、不平不満と要求の みを口にする人々の姿は道徳の危機と映ったに違いない。そして、道徳を社会の紐帯だと考えて いた彼にとって、それは社会解体の危機と認識されたことだろう。ここでイギリス救貧法体制は 単なる政治・経済制度としてではなく、社会上の、そして道徳上の危険として理解されることに なるのである。
公的慈善と私的慈善に対する評価も、そのような危機感に基づいて行われている。私的慈善は、
援助をする富者とそれを受け取る貧困者の間に有機的な人間関係を構築する。これらの階級の間 には利害と感情の点において違いがあるため、本性的に離反する傾向を有しているが、私的慈善 は階級間に「道徳的紐帯」(lien moral)を形成させる。60これに対して、公的慈善は「道徳性」(moralité) を取り去ってしまう。富者にとって、公的慈善とは自分に何の相談もなく富が奪われることに他 ならず、貧困者は貪欲な他人にしか見えない。一方、貧困者の側も自動的に与えられる扶助に対 して感謝の念を抱くことはなく、また満足することもない。よって、富者は憎悪と不安をもって、
貧困者も絶望と羨望をもって、世界を眺めるようになる。こうして公的慈善によって、多くの貧 困者は怠惰な状態に留め置かれることになる。トクヴィルは、公的慈善によって人々から道徳性 が失われていく様子をこのように描いている。ここではトクヴィルと社会経済学との共通性も観 取できる。すなわち、社会経済学は階級間の統合をアソシアシオンの理念に基づいて実現するこ とを目指したが、これに関する議論においてトクヴィルは私的慈善という有機的な人間関係を通 して培われた道徳性が階級の融和を実現するという見込みを示している。要するに、トクヴィル の中で私的慈善はアソシアシオン的な作用として認識されているのである。
公的慈善の行き着く先について、トクヴィルは次のように記している。
だが、私はこのように確信している。つまり、合法的で恒常的なあらゆる行政制度は、貧困 者の欲求を充足させることを目的とするようになるだろう。それは癒やすことが可能な程度を 超えた貧困を生み出し、助け慰めようと思う人々を堕落させてしまうだろう。時間が経過する につれて、富者を貧しい農民へと貶め、蓄えを尽きさせることだろう。資本の蓄積を妨げ、商 業の発展を阻み、人間の行動と産業活動を鈍化させるだろう。そして最終的に暴力革命をひき
59 Alexis de Tocqueville, “Voyage en Angleterre et en Irlande de 1835,” Œuvres, Bibliothèque de la Pléiade, t.
1 (Paris, Gallimard, 1992), p. 514.
60 P1, p. 1171.
起こすことになるだろう。61
ここでデモクラシー社会における貧困について、あらためて想起する必要がある。トクヴィル の中でデモクラシーとは平等化であり、そこに生じる貧困の主因は人々の欲求である。公的慈善 は、貧困者に対する物質的支援は行っても、社会を維持する道徳性やそれによる階級の融和を配 慮することはない。つまり、公的慈善を採用した場合、たとえそれが充実したものであったとし ても、階級対立は解消されないということになる。そもそも、デモクラシーにおいて、人々の中 には物質主義という心性が形成されている。彼らは物質的安寧を切望するが、それが満たされる ことなく、その上に階級対立が重なれば、革命が発生したとしても不思議ではない。トクヴィル はデモクラシーが進展すると革命発生の危険性は減少すると考えていたことはすでに紹介した 通りだが、社会問題の発生がその理論の妥当性に疑義を生じさせた。だが、社会問題だけでなく、
それに対処するための公的慈善もまた革命の誘因になり得る。そのため、トクヴィルは、公的慈 善が「個人の苦難に対して偽りの一時的な救済をもたらすもの」でしかなく、「いかにその手段 を行使しても、社会の災厄を悪化させるもの」に過ぎないと結論するのである。62
トクヴィルは公的慈善をすべて否定しているわけではなく、虚弱な児童や老衰、精神的な病を 含む様々な疾病、また国家規模の災害に対しては適宜かつ適切に公的な支援が行われるべきであ ると考えている。そして最も重要な公的慈善として、彼は貧しい児童に対する無償の学校教育を 挙げる。その目的は、「労働によって必需品を獲得する手段を、無償でその頭脳に提供する」63こ とにある。トクヴィルも怠惰に関しては厳しい見方をしていた。彼の中には怠惰を罪と見なすよ うな考え方はなかったが、怠惰な者に対して、労働が不可能な人間に対して施される支援と同等 の援助を行うことは認めていなかった。64慈善の対象はあくまでも不可抗力によって仕方なく貧 困状態にある者のみであり、それ以上に対象者を拡大すれば、モラル・ハザードが発生してしま う。道徳的紐帯を重要視するトクヴィルにとって、それは決して避けなければならない事態であ った。子どもに対する無償教育も、そのような考え方の延長線上で訴えられたものであろう。次 世代を背負う子どもたちに適切な知識と技能を与え、彼らの道徳性を涵養することは、社会的課 題と考えられた。
公的慈善を基本的に否定したのに対して、トクヴィルは私的慈善には肯定的な評価を与えてい る。彼によれば、私的慈善がもたらすのは有用な効果だけである。そして、それは「問題を解決
61 P1, pp. 1178-1179.
62 P1, p. 1179.
63 P1, p. 1178.
64 トクヴィルが慈善について考える際に多くの材料を提供し、助言も与えたシニアは、イギリス救貧 法改正に関する1834年報告の作成において中心的な役割を果たした。その中では救済対象者を規定す るために、「貧困」(poverty)と「困窮」(indigence)の区別する必要があるとされていた。そこでは、
貧困は「労働しなければかつがつの最低生活資料すらえられない者の状態」、困窮は「労働しえないか、
ないしは労働の報酬として最低生活資料をうることのできない者の状態」と定義され、支援の対象は 困窮であり、貧困まで拡大するのは適当ではないとされていた[大沢真理『イギリス社会政策史 救 貧法と福祉国家』(東京大学出版会、1986年)77頁]。