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トクヴィルの貧困観

第3章  社会問題の発生  貧困問題とトクヴィル

第2節  トクヴィルの貧困観

  トクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』(第 1 巻)を発表した 1835 年、シェルブール王立 学術アカデミーの雑誌に『貧困に関する覚書』Mémoire sur le paupérisme(1835)を投稿する。15こ の論文は2 部構成になっており、第 1 部ではヨーロッパの歴史(文明史)に則して貧困の特質、

とりわけトクヴィルの時代に現れた新たな貧困に関する考察が展開されている。第2部では、貧 困に対応する「慈善」(bienfaisance)について論じられている。そのため、この節では特にこの 論文の第1部を中心に取り扱っていく。慈善については、後の章で取り扱う。 

  トクヴィルは、『貧困に関する覚書』を、「ヨーロッパの様々な国々を見渡してみると、私たち はとても奇妙で、そして一見不可解な光景に驚かされることになる」16という文章で始めている。

トクヴィルが奇妙さと不可解さを感じたのは、社会のあらゆる場面で豊かさを謳歌しているはず のイギリスにおいて、他人からの施しで生存を維持している人々が人口の6分の1も存在してい ることであった。国家全体の経済・生活水準でははるかに劣っているスペインやポルトガルの方 がイギリスよりも極貧層の率が著しく低いことを合わせて考えれば、その不可思議さはますます 大きなものとなる。17つまり、「一方では快適な環境で暮らす人の数が、他方で公的な慈善に頼っ

13 Eric Keslassy, Le liberalism de Tocqueville à l’épreuve du paupérisme (Paris, L’Harmattan, 2000), p. 97.

14 トクヴィルは、ヴィルヌーヴ=バルジュモンをその理論について賛同できない点もあるとしな がらも、「誠実な著述家」と評価している[P1, p. 1156]。

15 アンドレ・ジャルダンは、この論文が1835年の1月から4月の間に執筆されたものだと推測して いる[André Jardin, Alexis de Tocqueville, 1805-1859 (Paris, Hachette, 1984), p. 232. 〔アンドレ・ジャルダ ン『トクヴィル伝』大津真作訳(晶文社、1994年)270−271頁〕]。なお、『貧困に関する覚書』はシェ ルブール王立学術アカデミーが発行していた学術紀要内の論文であるが、内外の研究書においても単 独の著作のように表記されることが多いため、本稿においてもこの論文に関して表記する場合は著作 のように扱い、題名も『』で示すこととする。

16 P1, p. 1155.

17 P1, p. 1156. トクヴィルは、ポルトガルにおける貧困層の割合を住民25名あたり1名とするヴィル

て生きることを余儀なくされている人の数が比例的に増加している」18のである。トクヴィルが この論文で取り組まなければならなかった課題は、豊かな国ほど公的福祉に頼る人が多いという この矛盾を解明することにあった。

  そのために、トクヴィルはヨーロッパの歴史を原始から振り返って、その中で貧困を考えてい く。森から出て集住を始めたばかりの野蛮な人々は「人生を楽しむためではなく、生きるための 術を見つける」ことを生存の目的としており、彼らはそれを獲得してしまったら、自らの境遇に 満足して「無為な安逸」(oisive aisance)の中で惰眠をむさぼっていたことだろう。19要するに、

この時点での人間は食料を確保し、生きていくことさえ可能であれば、十分に満足であった。集 団生活を始めた当初の彼らの欲求(désirs)は単純で、強くもなかったが、農業に従事するように なり、土地所有(propriété fonciè)が生まれると人々の間に変化が見られるようになる。20   第1章で説明したように、トクヴィルは土地所有が社会や人間の心理に与える影響をきわめて 重視した。つまり、彼の理論の中で、社会を規定するのは究極的には土地所有の形態である。そ れまで狩猟が中心であったために土地の有用性が顧みられず、その結果として一定の財産的平等 は実現されていた原始社会が、就農と土地所有の開始によって変化し始める。このような考え方 は、「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言することを思いつき、それをそのま ま信ずるほどおめでたい人々を見つけた者が、政治社会〔国家〕の真の創立者であった」21と残 したジャン=ジャック・ルソーを想起させるものである。22このように土地所有の拡がりに伴っ て集団の中に次第に不平等が見られるようになると、人間は生存欲求を超えた「暮らしの喜びに 対する嗜好」(goût des jouissances)23を抱くようになる。

  時が経過して中世に入ると、土地所有者と小作人との階級分化が進み、貴族社会という不平等 社会が確立される。だが、農業生産に依拠したこの頃の社会構造においては、生活の糧は安定的 に確保できるため、階級分化にもかかわらず、生存欲求の充足はどの階級でも可能となる。ここ で興味深いのは、トクヴィルが貴族階級の生活について取り上げている個所である。ここで彼は、

特権階級の暮らしが「豪奢」(luxe)なものではあったが、「快適さ」(aisance)とは無縁であった と指摘している。24貴族たちは彫刻の施された金食器を使っていたが、手づかみで食事をしてい た。豪華な邸宅に住んでいたが、そこは湿気に満ちていた。豪華な椅子に座ってはいたが、暖炉 も暖かくはなかった。トクヴィルは、今の人間は確かに中世貴族のような豪奢な暮らしは送って

ヌーヴ=バルジュモンの見積もりを引用している。

18 P1, p. 1156.

19 P1, pp. 1156-1157.

20 P1, p. 1157.

21 ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起原論』本田喜代治/平岡昇訳(岩波文庫、1972年)85 頁。

22 André Jardin, Alexis de Tocqueville, 1805-1859 (Paris, Hachette, 1984), p. 233. 〔アンドレ・ジャルダン『ト クヴィル伝』大津真作訳(晶文社、1994年)272頁〕。アンドレ・ジャルダンは、思想内容だけでなく、

文体においても、ルソーとトクヴィルが類似していることを指摘している。

23 P1, p. 1157.

24 P1, p. 1160.

いないが、彼らよりよほど快適に生活していると指摘する。ここでトクヴィルは人間の欲求が変 化したことを述べているわけだが、さらにいえば生存欲求が充足された時代には嗜好性の追求が 現れるようになり、それが中世期には見られるようになったことをいっているのである。

  そしてトクヴィルは近代人の欲求、つまり彼自身が生きている時代の人々の欲求について語る。

近代人の欲求の内実はより複雑で多様化しており、それはもはや農業やそこからの収穫だけでは 満足させられないものになっている。つまり、「金を支払う(payer)」25ことをしなければ、充足 させられない欲求が人々の中に生じるようになったのである。また、金を支払うためには、当然 ながら現金収入が必要であるため、欲求の変化によって賃金労働が拡大することを、トクヴィル は指摘する。

    どの時代も、神の手から逃れるように、人間の精神を成長させ、思想の幅を拡げ、願望を大   きくして、人間の力を増大させてきた。貧者と富者のそれぞれが、それぞれの世界で新たな喜

  び(jouissance)の概念を創り出している。それは先人たちには思いもつかなかったような喜び

  である。これらの新しい欲求はもはや耕作によっては十分に満足させることはできないため、

  それを満たすために離農して工場労働(industrie)に専念する人たちが毎年現れている。26

  ここでも彼の関心は人間の欲求に向けられている。人々の欲求が生存欲求に留まっていた時、

その欲求は農耕や狩猟で満たすことができた。しかし、多様化し複雑化した欲求を満たすために は自分の手近なところにある手段だけでは不十分であり、外部的な条件によってその充足を図る ことが不可欠になる。トクヴィルはこの論文の中で精緻な貨幣論を展開しているわけではない。

しかし、自身もしくはその周囲で完結する生産関係の枠外にある何らかのものを入手するために は当然ながら交換媒介としての貨幣が必要となるため、彼はその存在を前提に議論を展開してい く。人間が金を獲得するためには、賃金労働に従事することが最も容易である。こうして多くの 人間が離農し、工場労働をはじめとする賃金労働へと職業を転向していくのである。いわば、人 間の欲求の多様化と複雑化が人々の労働形態のみならず、社会形態まで変化させたのである。

  しかしながら、必要以上の欲求、あえていえば生きていくのにさほど必要ではない欲求を満た すために賃金労働者になったことで、人々は貧困の危険に直面することになった。農業を営んで いる時、人は最低限の食糧を確保することは可能であった。27これに対して、離農してしまった 労働者たちは賃金のみに依存しており、不況等に突入すれば賃金の低下を避けられないため、最 低限の食糧すら入手が困難となり、一気に生存の危機に陥ることになる。トクヴィルは、「農業 に従事し続けることなく、増大し、多様化したこれらの新たな欲求のために働き、より多くの喜

25 P1, p. 1161.

26 P1, p. 1161.

27 P1, pp. 1161-1162. ここでトクヴィルは飢饉などは考慮にいれていない。「必要な物を大地が提供し

てくれなかったなど、ごくわずかであった」として、工場労働と比較した場合の農業労働の安定性を のみが強調されている。